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大須

 日曜日清洲城を見学した後、昼食を食べようと車を走らせた。とりあえず名古屋駅方面に行けば店はすぐに見付かるだろうと思っていたが、ところがどっこい、めぼしい所がない。「どこかないか?」とキョロキョロしているうちに名古屋駅に着いてしまった。車を停めて地下街かデパートでおいしそうな所を探せば簡単だが、それも何だか億劫だ。駐車場のある店を見付けるのが一番だとさらに車を走らせた。
伯母は車窓に広がる都会の景色に少し興奮したようで、「ここは昔・・」とあれこれ解説してくれたが、その話が面白く、聞き入っているうちに、大須近くの交差点までやって来た。
 「これを曲がったら大須観音」
妻が説明すると
 「大須観音ねえ・・」
と懐かしそうにする。
 「若い頃はよく来たもんだけど」
 「行ってみる?」
私が聞くと
「万松寺の商店街でご飯を食べようか」
 伯母のこの一言で決まった。信号を右折してすぐの所にあった駐車場に車を停めた。

 

 大須といえば、アメ横ビルがあり、PC関係の店がずらりと並ぶ、謂わば「名古屋の秋葉原」といったイメージが私には強かったが、どうにも様子が違う。確かにそうした店はあるし、PCオタクっぽい人たちも大勢歩いているが、それよりも目立つのはファッション関係の店とそこを目当てに集まってくる若者たち。
 「変ったなあ、もう5年以上来たことがなかったからなあ・・」
 様々なファッションを身に纏い、闊歩する若者たちを見ているだけでも楽しいが、なにせこんな人ごみの中を歩くことが少ない田舎暮らしの身だけに、うぐに人いきれにあてられてしまい、人でごった返す商店街を歩くのがイヤになってしまった。伯母も自分の記憶とは余りにかけ離れた町の様子に驚いたようで、おっかなびっくりの顔をしている。
 「もうどこでもいいね」
と言いながら、適当に入った中華料理屋で少しばかり遅い昼ご飯となった。それでも運良くおいしかったからよかったものの、不味かったらただただ疲れるために立ち寄ったことになるところだった・・。
 だが、こういう場合でも常に元気なのは我が妻だ。昼食後、駐車場まで戻る間に、TVで見たことがあるという店をいつの間にか見つけて、買い込んできた。

 

 ご飯を豚肉で巻いたおむすび、「とんむす」。しょうゆベースのタレで、ご飯と豚肉の表面にゴマをまぶし、サニーレタスが添えられている。
 「今食べたばかりだろう」
と難詰する私など無視して、一口二口頬張っている。
 「おいしい?」
呆れてたずねた私に
 「う~ん、おにぎりの中に豚肉を入れた方が私にはいいかなあ・・」
それじゃあ、てんむすと同じだろう、と思ったがいらぬ波風を立てる必要はないから黙っておいた・・。
 
 しかし、ほんの駆け足だったにもかかわらず、妙に疲れた大須めぐりだった。
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清洲城

 小学校6年生の夏休みの日誌の裏表紙に、清洲城の写真が載っていた。妙にきれいだったので、見学に行きたくなった。で、伯母を誘っていつもの3人で出かけた。


 どこにあるのかよく分からなかったが、東名阪道に入ればなんとかなる、と適当なことを考えながら運転していったら、意外に簡単にたどり着けた。近くで見るとなかなかの威観である。かつての清洲城は織田信長が桶狭間の戦いに出陣した城であったが、徳川家康により名古屋城建設に伴って廃城されてしまった。その後、旧・清洲町の町制100周年を記念して平成元年(1989年)に再建されたのが今の清洲城であるが、資料がほとんど残っていないため外観は想定して作られているというし、城跡も開発の犠牲で大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されていて、現在は本丸土塁の一部が残るのみであると言われている。要するに城の形をした現代の建物のようだ・・。それを知って少しがっかりしたが、郷土資料館を訪ねたと思えばそれほどの違和感はない。せっかく訪ねたのだから、しっかり見学していこうと思い直した。
 
  

 全館当然如く、甲冑や刀が展示されていて、なかなか見応えがある。一階では子供たちが鎧を試着できるサービスが行われていた。妻は大人も試着できると聞いて、順番を待っていたが、子供たちの世話に一生懸命の係りの人が妻にまで気が回らず、やむなく断念した。もし試着できていたら、記念に写真を載せることもできたのに残念だ・・。

  

 各階さほど展示物は多くないが、それなりに工夫が凝らされていて退屈しない。伯母も結構急な階段をものともせず、展望台となっている天守閣まで登って行った。

  

 さすがに見晴らしがいい。名古屋駅周辺の高層ビルがおぼろげに見えるし、近くを走る新幹線も見える(N700系は静かだ!)。そうそう、金の鯱もしっかり展示してあった。やっぱりこれがなくっちゃ、名古屋近郊の城のような気がしない・・。

      

 さすがに名古屋城の金鯱とはスケールが違うが、それでも立派だ。
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金メダル

 「どうだった?」
1週間ぶりに塾にやって来たK君にたずねた。
 「うん、優勝した」
 「優勝?ほんとう?すごいじゃん!!!! で、どの種目?」
 「100×4リレー」
 「そうか、そうか、すごいことだ。やったな!!」
高校3年のK君は陸上部に所属していて、今月初めに行われた高校総体に出場して見事優勝したという。200m、400mにも出場したはずだが、リレーで栄冠を勝ち取ったようだ。東海大会は第一走者の自分がこけてしまい、3位に甘んじたものの、ぎりぎり全国大会への出場切符を手にした経緯があったため、出発前はあまりはかばかしいことは言っていなかった。なのでまさか優勝するなんて予想もしていなかっただけに私は嬉しくてたまらず、試合の模様をあれこれ聞いてみた。
 「決勝はフライングしてもいいやと思って、かなり早めにスタートをきったのに止められなかったから、ラッキーと思いながら走ったら一番でバトンを渡せた。後はみんなががんばってくれたので優勝できた。運がよかったと思う」
淡々と振り返る様子には、なんの衒いもない。
 彼は小6の始めから私の塾に通い始め、志望した私立中に合格し、その後ずっと塾に通い続け、今年でもう7年になる。中学ではラグビー部、高校になって陸上部に変って、かなりハードな練習を積み重ねてきたようだが、その間、時々欠席することはあるものの、部活と勉強を両立させてきた生徒だ。そんな彼が日ごろの成果を存分に発揮して日本一になったのだから、私は嬉しくて仕方がない。
 「日本一なんて学校始まって以来じゃない?」
 「そうかなあ・・。水泳も強いし、テニスも強いから、初めてってことはないと思うけど・・」
 「なんにしてもすごいよなあ、日本一なんだから」
 「あんまり実感が湧かないんだけど・・」
 「何言ってるんだ、日本一だぞ。どんな分野でも日本一なんてなれるものじゃない。もっと自慢に思えよ」
 何だか私のほうが興奮してしまい、舞い上がってしまった。
 「メダルはもらえたの?」
 「うん、金メダル」
 「おお!!金メダルか。すごいなあ、見せてくれよ」
 「分かった、今度もって来る」
 「頼むよ」
そして・・、

 

 
本当にもってきてくれた。たぶん左側が表で、右側が裏。箱から出してくれたのを写真にとってみた。はい、といって私に手渡してくれたから、
 「いいの?」
と遠慮するそぶりは見せたものの、すぐに受け取ってみた。意外に重い!!ズシリとした手ごたえがあり、優勝の重みが伝わって来る。あまりに嬉しくて、ほかの塾生たち全員に見せて回ったら、皆一様に「ほうっ」とため息をつく。高校総体優勝の重みは、現役高校生のほうが実感しやすいのだろう、改めて快挙だと実感した。
 「首から掛けてみた?」
 「表彰式の時に掛けた」
私も掛けていいか?と思わず聞きたくなったが、ぐっと我慢した。
 この後、まだ全日本選手権にも出場するそうだ。さすがにそこでの優勝は厳しいようだが、最後まで諦めずにがんばって欲しい。その後は・・、遅ればせながら受験生として大学合格に向かってしっかり勉強していかねばならない!!

 しかし、今は心から「優勝おめでとう!!」
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「紅はくれなゐ」

 電撃文庫というものがある。「富士見ファンタジア文庫・角川スニーカー文庫と並んで最も人気のある少年向けライトノベルレーベルの一つとなっており、目下ライトノベルの国内最大シェアを誇る。また、アニメやゲームなどメディアミックス展開がなされる作品が非常に多いことも特徴の一つである」とWikipediaに解説されているように、大概の書店でいくつかの棚を占領している文庫群である。普段なら決して近づくことのない書店の一角から、「紅はくれなゐ」という電撃文庫の一冊を私が選んだのは、この小説の作者「鷹羽知」という高校3年生の女の子と、少しばかり縁故があり、そのよしみで一読くらいはしてもいいだろうと思ったからである。彼女は昨年第15回電撃小説大賞<電撃文庫MAGAZINE>を受賞し、私の周囲では少しく話題になったのだが、その彼女の長編デビュー作となった「紅はくれなゐ」のあらましは、文庫の扉に次のようにまとめられている。

 『華やかな活況を見せる遊郭都市、吉原。街一番の妓楼・秋月楼の花魁『紅』は、そのおっとりとした優しさと美しい容貌で、高い人気を誇っていた。この吉原で、続けざまに殺しが起こる。被害者はいずれも遊女と国の高官。街に不穏な空気が漂いはじめたある日、正月の大行事“花魁道中”を控えた紅の元に、脅迫状が届く。彼女の身を案じた周囲は道中の中止を勧めるが、紅は行事の強行を決意する。そして花魁道中当日…。果たして、殺しを続けているのは誰なのか?そして、その狙いは?愛と憎しみの黒い渦に巻き込まれた、若く美しき花魁の行く末や如何に-』

 女子高生の書いた他愛もないライトノベルくらいすぐに読み終えられるだろうと思っていた。ところが、意外に読みづらい。ストーリーがマンガの原作みたいだなと思ったからかもしれないが、よく考えてみると、原因はその文章にあった。今時の女子高生にしては漢語の語彙が実に豊かだ。いつどこでこんな漢語を覚えたのだろうと不思議になるほどの語彙の多さには驚いた。しかし、残念なことにそれが災いして文のリズムが悪くなっている。もっと素直な言葉遣いをすればいいのに、と思う箇所もしばしばあり、その度に読むスピードが鈍ってしまった。こうした小説を私が読みなれていないせいもあってか、最初の50ページほどはストーリー展開も手探り状態で、なかなか先に読み進めない。こうした小説を読みこなすにはやはり頭の柔軟さが必要なのかな、と思い始めた頃から徐々にストーリーが動き始めたのは幸いだった。次第に作者の豊穣な想像力と雄大な構成力に魅惑され始め、時間は思いの外かかってしまったが、何とか最後まで読み通すことができた。
 文体の問題は、古今東西のキャノンと呼ばれる書物を精読することによって、解決されていくだろうからさほどの問題ではないだろう。だが、私がどうしても受け入れられなかったのは、物語の舞台を「吉原」にした点だ。いくら「ヨシワラ」とカタカナでルビがふってあっても、花魁などを登場させれば、江戸時代随一の遊郭街「吉原」を想起するのはごく自然なことだ。読み進めるうちに、「そこがどのような場所であったか、あなたは知っていますか?」とできることなら作者に問うてみたいと何度も思った。彼女の生まれ育った環境を僅かながらも知っている私としては、「吉原」に身を沈めざるを得なかった女性たちとは、永遠に交わることのない生活を彼女が送ってきたこと、そしてこれからもずっと縁なき者として生きていくだろうから、どんな意図があったにせよ、想像力の発露として「吉原」を設定として選んで欲しくはなかった。苦界で生きるしか道のなかった女性たちの辛く哀しい人生について、少しでも踏み込んだ考察をしていたなら、同じ女性としてそこを小説の舞台として選ぶなどということはできなかったように思うのだが・・。
 しかし、恐ろしい文才の持ち主であることは間違いない。それが天賦の才なのか、努力して身に付けたものなのかは分からないが、その才を生かすも殺すも今後の精進次第であろう。狭い世界にのみ集中しているように思える好奇心をもっと色んな分野に向け、様々な教養を自らのものとし、もっと見聞を広めていって欲しい。さらに言えば、空想の世界に閉じこもりがちな想像力を現実の世界でも飛翔させることができれば、きっと大輪の花を咲かせてくれることだろう。
 がんばれ、鷹羽知さん!!
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君子蘭

 春の終わった頃に、妻が鉢植えを買ってきた。花は散った後で濃い緑の葉ばかりの君子欄。
「350円だったから買ってきた」
とは言うものの来年うまく花が咲くとは思えない。観葉植物のつもりならいいか・・、そんなことが頭を掠めたきり、その鉢のことなど一切忘れていた・・。ところが10ほど前、何気なく玄関に置いてあったこの鉢を見て驚いた。花芽がついている!!


「いつの間に?」と問う私に、妻は嬉しそうに、
「すごいでしょう。まさか今頃咲くなんて思ってなかったけど」
「350円だろう、これ。すごくいい買物だったなあ」
「毎日せっせと世話をしたんだけどね」

 その日から毎日君子蘭を見るのが楽しみになった。君子蘭がどんな花をつけるのかまったく知らなかった私にとっては、興味津々の毎日だった。

 
つぼみがいくつもできて、順番に咲いてくる。オレンジ色の可憐な花だ。大きな葉の緑とのコントラストが絶妙だ。


 冬場にシンビジュウムの花芽がなかなか咲かなかったことを思えば、この君子蘭の開花はいたってスムーズだ。毎朝見るたびに開いた花の数が増えていく。

 

 これが3日前。もう満開も近い。毎朝妻が屋外に出しているが、梅雨明けした夏の強い日差しにも遜色のない花だ。可憐に見えて案外強い花なのかもしれない。


 そしてこれが昨日の姿。ほぼ満開だ。小さな花でもこれだけ集まるとやはり豪奢だ。350円でこれだけの花を咲かせるなんて実にすばらしい。もちろん花の価値をお金に換算などできるはずもないが、半ば捨てられたような鉢がこうやって立派に花を咲かせるのだから、やはり自然の不思議は人知を超えた計り知れないものがある、などと言ったら、ちょっとばかり誇張になってしまうか・・。
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「おくりびと」

 日曜日にWOWOWで放送された「おくりびと」を見た。この映画を見るチャンスは今までに少なくとも3回はあった。最初に映画館で公開された時、アカデミー賞を受賞した直後に再上映された時、そしてDVD化された時、そのいずれの場合も見たいなと思ったのだが、どうしても分切ることができなかった。主人公の納棺師という職業柄、当然死体(正確に言えば死体もどき)が写し出されるだろうから、人間の死体が大の苦手である臆病者の私ではとても最後まで見通せないではないだろうか、そんな心配が常に邪魔していたように思う。さすがにこの年になれば何人かの死顔は拝んできているが、その誰もが生前とはかなり違った面立ちに変わってしまって、元気な頃の顔を知っている身には辛くて仕方がなかった。そのため、余程の思いに動かされるのでなければ、死顔は拝まないようになってしまった。それは、思い出は美しいままにしまっておきたいという打算的な気持ちからではなく、その人がもうこの世のものではなくなってしまったことを心に刻みつけたくはないという脆弱な思いからなのだろう。それでは亡くなった人に最後の別れを直接告げることが出来なくなってしまうが、そうやって誤魔化しておきたいずるい気持ちも働いているに違いない。
 そう考えると、この映画のように、身内の者が見守る前で亡くなった人を棺に納めるという儀式は、一人一人が死者に衷心から別れを告げるためには必要な儀式かもしれない。もちろん、今まで私はそんな場面に立ち会ったことはないが、死者が黄泉の国へと旅立つ旅装を調えるのをじっと見つめながら、その人との思い出を心に浮かべながら感謝の念を持つとともに、永遠の別れを告げる時間を持つことは、この世に残った者たちにとっては大切なことのように思う。かなり辛い時間ではあろうが、そうやって死者を彼岸へ送り出すことは葬儀以上に大事なことだと思う。
 この映画を見ての感想は、どれだけの人と永訣の時を迎えたかによって違うだろうし、もちろん年齢によっても違うだろう。だが、この映画を見て、難癖を付けたくなる人はまずいないように思う。確かに人間の死と正面から向き合っているが、決して深刻ぶるのでもなく、かと言って死者に対する畏敬の念は十分に伝わってくる。それは本木雅弘というストイックな役者だからこそ表現できたものであろう。アカデミー賞を受賞した直後から、彼のこの映画に賭けた熱い思いが各所で伝えられたが、昨今の芸能人としては珍しく、それを宣伝に使うわけでもなく、ただ淡々と静かに心境を語る彼の姿には、俳優を超えた一個の人間として心から敬意を表したいと思う。映画を見終わって、自分が死んだら彼に納棺してもらいたいと思った人は大勢いただろう。かく言う私もその一人だが・・。
 だが、彼を支えた他の役者たちの素晴らしさを忘れてはならないだろう。納棺会社の社長役の山崎努は怪しげな雰囲気をたたえながらも己の仕事に誇りを持っている姿が窺われるし、事務員役の余貴美子も辛い過去を背負いながら流れてきた女性の哀しみを見事に体現していた。ただ、妻役の広末涼子だけは、甘ったるい喋り方が鼻についてしまい、ミスキャストだなと思ってしまったが、それもご愛嬌に思えるくらいで、この映画の後に鬼籍に入ってしまった峰岸徹や山田辰夫も十分にその存在感を示していた。
 こうした助演陣に支えられながら本木雅弘が納棺師役を立派に演じきったのが、この映画の出色ではあろうが、ただそれだけの映画だったらここまで私は感動しなかっただろう。この映画での縦糸が納棺師の仕事であるとするなら、横糸として丹念に紡ぎ込まれていたのは、親子の絆・心のつながりの深さであろう。子供の頃に家出して顔さえも覚えていない父親の死が映画の最終盤に告げられる。それまでの人生に暗く影を落としてきたはずの身勝手な父の振る舞いを決して許せない本木演じる納棺師は、父に会うことを拒むが、妻に諭され父の元へと急ぐ。だが、父を父として認識できない彼は、納棺師といて父の死出の準備を整えることによって、父へのわだかまりが次第に氷解していき、記憶の中でさえヴェールに包まれたように判然としなかった父の顔が、焦点が定まって、亡くなって横たわっている男の顔と一致する。さまざまな思いが交錯しながらも、父とのつながりを確認できた本木雅弘の目は涙で溢れる。もちろん私の目も・・。

 死という冷厳この上ない主題をこうまで暖かく表現した映画は見たことがない。実に素晴らしい映画だった。


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お宝発見!!

 日曜日、雨の中を必死の思いで車を飛ばしたのは、3週間前に偶然立ち寄った「刈谷ハイウエイオアシス」にもう一度行こうとしたからである。もっと直截に言えば、産直広場で買った穴子がとてもおいしかったからまた食べたいという妻の意向に従ったのである。今は穴子が旬の時期だそうで、プリプリした歯ごたえはウナギに勝っているかな、と思ったほどだから、実は私も妻が言い出す前から行きたいな、と思っていた。妻の言葉に、「渡りに船!」とばかりに反応して出かけたのだが、さすがにお千代保稲荷から長良川沿いに南下し、長島あたりから伊勢湾岸道路に入って、目的地に着こうというコース選択はきつかった。高速道路を乗り継いでいく方法もあったが、それじゃあ面白みに欠けるとバカなことを思ったのがいけなかった。雨にたたられた影響もあったにしても、予想以上に時間がかかってしまったし必要以上に疲れた。夏休み中は毎日100km近くバスを走らせているのだから、何もせっかくの休みくらいゆっくりしてればいいのに、普段よりも長距離ドライブをしてしまうのだから、自分ながら物好きな男だと思う。
 しかし、それだけの苦労はしてみるものだ。思いもかけぬところで思いもかけぬ物に巡り会えるのだから・・。

 ハイウエイオアシスに着くと、まっすぐ産直広場に向かった。


 さすがに旬というだけあってずらりと穴子が並べられている。このためにはるばるやって来たと言っても過言ではない妻が、うれしそうに早速何パックか手に取った。(月曜・火曜は穴子尽くしだったが、どれもこれも柔らかくて本当においしい穴子だった)私たち以外に穴子を手に取る人があまりいなかったのは不思議な気がした。「今、穴子がおいしいですよ!」と大声で言いたくなったが、素面ではそんな恥ずかしいことはとてもできない。ちょっと不満な気持ちは残ったが、辺りをふらついていたら、そんなことは忘れてしまった。と言うのも・・、


 なんと「ゴジラのたまご」が売られていた!!
 立派な木箱、というか小さな檻のような箱に入れられているのは、よく見ればスイカのようだが、それはただの目の錯覚だろう。木箱の上面にはゴジラの絵も描かれているので、きっと本物なんだろう。たまごを産む雌ゴジラがいるかどうかは定かではないが、ミニラというゴジラの子供もいたくらいだから、雌ゴジラはどこかにいるんだろう。あまりにも意外な物に出会った私はもう頭が混乱してしまって、写真を撮るのが精一杯で、この「ゴジラのたまご」がいくらするものなのか見るのを忘れてしまった・・。今思えばどうして買わなかったんだ、と後悔の思いもしてくるが、あの時はただ「おお!!」と叫ぶことしかできなかった。
 少し離れたところにいた妻に「ゴジラのたまごがある!!」と教えに行ったが、まるで取り合ってくれなかった。確かに見かけはスイカみたいだけど、あれは絶対にゴジラのたまごだ!!どうして分からないんだろう・・。

 ゴジラと言えば、どうしても松井秀喜のことを考えてしまうが、相変わらずスタメン落ちする試合も定期的にあって、なかなか好調が長く続かない。もう今シーズンの残りも、きっとこんな使われ方なんだろうな、と思うと悲しくなるし腹も立ってくる。しかし、当の松井が耐えて頑張っているのだから、私も我慢しなけりゃいけないのだろう。悔しくて仕方ないけど、私には叫び続けるしかない。

 「頑張れ、松井!!」


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独立行政法人

 愛知県では昨日梅雨が明けた。例年よりも2週間も遅いようだが、残念なことに夏空は長続きせず、ゲリラ豪雨に襲われることもあると予想されているので、ひょっとしたら夏らしい夏を味わえるのはほんの数日のことになってしまうかもしれない。
 と言っても、日曜日の出来事はまだまだ続く。


 長良川河口堰が見える所までたどり着いた頃にはそれまでの豪雨が嘘のようにピタッと止んでしまった。まったく気まぐれな天気だ。河口堰が本当に必要かどうか今でも疑問に思っている私であるが、これだけ大掛かりなものができてしまった以上、私などが疑義を呈しても仕方がない。雨も上がったことだし車を停めて巨大な建造物を眺めようかと思っていたら、「アクアプラザながら」という建物があるのに気付いた。
 「これってワイドショーでよく問題にされる独立法人のムダな建物の一つじゃない?」
 「う~ん、そうかもね。テレビ朝日がよく特集組んでるよな、税金の無駄遣いの象徴だって・・」
 「そうそう。たしか水資源機構とかいう独立行政法人だったと思うけど。このアクアプラザの写真も見た覚えがあるんだけどなあ・・」
 「そりゃあ面白い。ちょっと寄ってみるか。入場無料って書いてあるし・・」

 

 ガラガラの駐車場に車を停めて建物の中に入ったが、入り口に職員の女性がポツンと座っている。入館者は私たちの他に1組の男女がいるだけ。ガランとした館内はただパネルがいくつか並べられていて、河口堰がどうして必要なのかとか、河口堰の役割などを一生懸命説明しようとしているだけで、展示に何の工夫も感じられない。これじゃあ私たちのような冷やかし半分の者たちしか集まって来ないだろう。まるで意欲が感じられず、建物の存在理由が全く分からない。こんなムダとしか思えない施設にも、どこかの役所から天下った館長がいて、その下で何人かの職員が働いているのだろう。しかし、こんな退嬰的な所でいったい毎日何をしているのだろう、暇で仕方ないだろうに、と要らぬ心配までしてしまった・・。
 ワイドショーには「いい加減にしろ!」と言いたくなるレポートもよくあるが、核心を突いた報道をすることも時々ある。要はTVの報道を鵜呑みにするのではなく、自分の目や耳を使って確かめることが必要なのだろう。そういう意味で、このところ槍玉に挙げられることの多い独立行政法人の問題点を実地に見た思いがして、この施設への訪問はなかなか有意義だった。
 などと偉そうなことを思いながら館を出た。5分足らずで見学を打ち切ったのは河口堰を歩いて対岸まで行けると聞いたからだ。それなら、少し歩いてみるかと意気込んでみたが、対岸まで800mほどあるらしいから、とてもそんなに長くは歩けない。100mほど行ったところで引き返したが、もうそれだけでも十分な運動だった。

 

 堰の上から見た長良川は大水ではちきれんばかりになっていた。それでもこれだけ大きな建造物の上にいると、何も怖くなかった。これだけを見れば人間の力はすごいものだと思ってしまうが、そんな簡単なものでは決してないことだけは肝に銘じておかねばならない。
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雨をぬって・・

 相変わらず不安定な天気が続いているが、雨の合間を縫ってお千代保稲荷に参拝してきた。夏期講習がつつがなく終えられるように祈願するのが主な目的だったが、途中高速道路でゲリラ豪雨に襲われた時は生きた心地がしなかった。さすがに視界が悪いためどの車もスモールランプを点けていたが、フロントグラスを激しく叩く雨脚では、前を行く車の明かりさえ見えなくなってしまう。それどころか、自分が走行車線をきちんと守って走っているのかさえも覚束なくなる。そんなときでも、追い越し車線を猛スピードで駆け抜けていく車があるのには驚いてしまう。しかもそれが軽自動車であったりすると、さぞや運転に自信がある人が運転しているんだろうな、と感心してしまう。(と言うのは表向きの感想で、どうしてあんな無謀な運転ができるのか、不思議で仕方ない。私は、生来チキンであるが、チキンである方がすっと幸せだと思ったりする・・)
 何とか無事にお稲荷さんに辿り着くと、思い外参拝客が多いのに驚いた。時節柄お稲荷さんの霊験にすがりたい人たちが多いのだろう。


かく言う私がその筆頭なのだから、参拝にも力がこもる。
 一番のミッションを終えた後は、妻に約束していたように寄り道をしなければならない。ちょうど昼食時だったが、ご飯は目的地でとることにして、とりあえずは小腹が空いた妻の不満を和らげるために参道で有名な串カツを食べることにした。
と言っても、伯母は用事があって一緒ではなかったため、妻が一人で食べただけだが、お千代保稲荷で正統的な串カツの食べ方を以下に書き留めておこう。 

 

 まず串カツを1本手に取る。それに備え付けのソースをかけて食べる人もいるにはいるが、大多数はすぐ横にあるドテ煮の鍋の中に串カツを浸す。鍋の中でたっぷり味噌味を漬けたら抜いてそのまま口に入れる。要するに「味噌串カツ」状態にするのだが、さすがトンカツと言えば味噌カツという文化圏に位置する地域だけあって、赤味噌だれが一番口にあう人々が集まってくる。

 さあ、最大のミッションは無事終えることができたから、次なる目的地に向かおう。という訳で長良川沿いの輪中地域を横目に見ながら車を走らせた。しかし、この途中でもゲリラ豪雨に襲われて、何度も危ない目にあった。対向車線を通る車の跳ね上げる水しぶきで前が見えなくなったり、道路にできた水たまりにタイヤを取られて一瞬ハンドルがきかなくなることもあった。その度に生きた心地はしなかったが、何とか木曾三川公園までたどり着くことができた。

 

 川面がもやっていて、全く視野が悪かった。以前木曾三川公園で遊ぼうと思ったら、台風の影響で休園していたが、今回はもう少し先へ行かねばならないので、スルーしてしまった。また、いつか暇な時に訪ねてみたい。
 
 と言うことで、まずはここまで・・。
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雨ばかり・・

 もういくらなんでも飽きた・・。夏休みに入って毎日と言っていいくらい雨、うんざりしてしまう。シトシト降り続く雨も鬱陶しいけど、まだ可愛げがある。このところの雨は「ゲリラ豪雨」という名に相応しく、ものすごい勢いで雨を降らしたかと思うと、あっという間にあがってしまい、あれは何だったんだ?としばし呆然としてしまうほどの神出鬼没さである。
 塾で勉強をしている時なら、窓を叩きつける雨脚の強さ、屋根にものすごい音を立てながら降りしきる雨を、「すごいなあ・・」と嘆息しているだけですむ。しかし、運悪くバスで生徒を送迎中にゲリラ豪雨に襲われたりしたら、怖くて仕方がない。一瞬のうちにフロントガラスが真っ白になり、いくらワイパーで拭っても前が見えない。半ば勘を頼りにすることになってしまい、とても正常な心持ちで運転できない。怖くて仕方ない。


 昨日など私がバスで出掛けねばならない頃を見計らったかのように豪雨が襲ってきて、何度も土砂降りの中を運転した。視界は悪いし、バスがスリップしないよう平時の倍は気を遣う、もうヘトヘトになった。道路には大きな水溜りができているし、川は大水で溢れていた。誤って人が落ちたりしたら一気に流されてしまいそうだ。

 

 まったくもってイヤな天候が続いているが、それでも悪いことばかりでもない。何よりも天気が悪いから気温が上がらないのがいい。先日不満を書いた寝苦しさも最近はさほど感じない。日中も曇天ばかりだから、体を射すような日光を感じたことがない。夏期講習が始まって2週間、ちょうど3分の一が終わったところだが、これほど暑さを感じない夏休み序盤は初めてだ。例年のように一日14時間労働の毎日を過ごしているが、やはり暑さが厳しくないので相当体が楽だ。
 さらに言えば、バスのエアコンを点けずにいてもさほど苦にならないので窓を開け放して乗っていられるのがいい。そのお陰でバスの燃費もいつもと変わらず、昨年などと比べたら、給油のためにスタンドに通う頻度はかなり少なくなったように思う。不況の影響を免れることができず、思うように夏期講習生が集まってくれなかった塾経営者としては、必要経費が少なく済むことは何よりも嬉しい。

 もう8月だというのに愛知県の梅雨は明けていない。連日これだけ降ってはとても梅雨明け宣言など出せないだろう。このまま猛暑とは縁のない夏を過ごしたい気もするが、「暑いなあ!!」とジリジリする日がないまま夏が終わってしまったらさすがに寂しい気もする。農作物にも影響が出始め、野菜が値を上げているようだから、何にしても適度というものがある。もうそろそろカラッと晴れ上がって、2週間くらいは焼けるような暑さが来てもいいんじゃないかな・・そんな思いに駆られている。
 そう言えば、昨年我が家の横手の崖で土砂崩れがあった。いくらその後復旧工事が行われたとは言え、これだけ降ると再発しないだろうか、などと少々不安になる。相当降ったからきっと地盤も緩んでいることだろう。
 てるてる坊主でも作らなくちゃいけないのかな・・。
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