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木琴

「木琴」  金井直

妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない

おまえはいつも
大事に木琴を抱えて 学校へ通っていたね
暗い家の中でも おまえは木琴と一緒に歌っていたね

そしてよくこう言ったね
早く町に 赤や青や黄色の電灯がつくといいな

あんなにいやがっていた戦争が
おまえと木琴を 焼いてしまった

妹よ
おまえが地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で鳴らし始めてから まもなく
町は明るくなったのだよ

私のほかに 誰も知らないけれど
妹よ
今夜は雨が降っていて
おまえの木琴が聞けない



 「飢えて死にゆく子供たちの前で文学は何の役に立つのか」
そんな問いに何人もの人々が答えてきたのだろうが、私が思うに、答えは明白だ。
 「何にもならない」
 死にゆく子供たちにとって何よりも必要なのは、食べ物だ。文学など何の腹の足しにもならない。当たり前だ。
 だが、8月15日に「木琴」という詩を読むと、文学にはやはり何らかの力があると信じたくなる。確かに木琴とともに死んでしまった妹には文学は何らの助けにはならなかっただろう。しかし、こうした悲しい思いを多くの他の妹たちに味あわせないようにする力を文学は持っているのではないだろうか。
 この詩を読み、戦争の悲惨さに心を痛め、こんな悲劇が二度と起こらぬよう微力なりとも尽力しよう、そう考える者がいたなら、それは詩が読者に働き掛けたものであり、その時詩は現実社会で力を持ったことになる。
 もちろんこの詩がそんなアジテーションを意図して書かれたのではないかもしれないが、作者の意図した以上の力を持つものこそが優れた文学作品と言えるだろう。

 まあ、そんなへ理屈はどうでもいい。今日はただこの詩をじっくり誦んでみたい。
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