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結果

    


 衆議院選挙の結果を圧勝と受け取るか、惨敗と受け取るか、それは人それぞれなのだろうが、ここまでドラスティックな結果が出てしまうと、もうどうしようもない。4年前の郵政選挙が日本の政治を間違った方向に導いたとするなら、今度の結果もまた数に物を言わせた政治になってしまうのではないか、と不安になるが、有無を言わさぬ絶対的な数の前ではそんな声もかき消されてしまうのではないか、そんな気にさえなる。
 この結果を分析するのは専門家に委ねるにしても、民主党の掲げる「脱官僚」というマニフェストの実現はこの圧勝によってあやしくなったのではないか、と思わざるを得ない。この夏休みに娘と少し話していた時に、官僚政治が話題になったことがあった。大学の先輩や同級生に省庁に入った人が何人かいて、皆ハードな毎日を過ごしていると娘が言うものだから、私が官僚の専横が目に余る事例をいくつか挙げたところ、それは天下りを画策する一部の人たちであって、多くの職員は必死に職務をこなしている、とかなり強い口調で反論されてしまった。反論しようかと思ったが、若い国家公務員たちが高い志をもって国のため、国民のために尽くしているのなら何も文句を言う筋合いはないと、それ以上突っ込むことができなくなってしまった。
 天下り官僚が正体のわからぬ独立行政法人で甘い汁を吸うのは許せないが、きちんと国家のシステムを学んだ官僚がいなければ、国家が動いていかないのも事実だろう。政治家が偉そうなことを言っても、国家組織に精通した官僚たちがいなければ一日たりとも国が動いていかないのが、今の日本の実情だ。ただ、そのシステムに馴れ合いと油断が生じるから、不正がまかり通るのであって、国民を代表する政治家と緊張した関係が維持されるなら、官僚構造をあえて崩す必要はないのではないか、国の中枢に携わる若者の奮闘ぶりを娘から聞くうちに、そう思うようになった。要するに官僚自体が悪いのではなく、組織として無駄の多い構造がダメなのであって、その構造をスリム化することこそ急務ではないか、そう思うようになった。
 だが、民主党がここまで圧勝してしまうと、国の政治にまったく携わったことのない「国会議員」ばかりになってしまって、ほとんどずぶの素人が国を動かすことになる。そうすれば国政に詳しい官僚に頼らざるを得なくなるのは自明の理であり、「脱官僚」などというのは絵に描いた餅に過ぎなくなってしまうのではないだろうか。小泉チルドレンと揶揄されたよりも多くの新人民主党議員が当選してしまった今回の選挙では、民主党の掲げる目標とは裏腹な官僚支配がいっそう進むのではないか、そんな気がして仕方がない・・。

 しかし、結果が出てしまった以上、もうそれに従うしかない。民主党の危うさは十分意識しながらも、民主党に入れざるを得なくなってしまった国民に対する自民党の責任は重い。こうした結果を招いてしまった旧態依然とした体質を改める最大のチャンスだと、私は思っていたが、残念ながらそうした旧弊を象徴するような人たちの何人かは当選してしまった。そうした人々が、いっそのこと全員落選してしまえば自民党が生まれ変わることができたかもしれないが、昨日の記事でピックアップした人の何人かが当選してしまっては、解党的な改革は望むべくもないかもしれない。
 だけど、自民党はそんなこと言ってる場合じゃないよなあ・・。


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