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清洲城

 小学校6年生の夏休みの日誌の裏表紙に、清洲城の写真が載っていた。妙にきれいだったので、見学に行きたくなった。で、伯母を誘っていつもの3人で出かけた。


 どこにあるのかよく分からなかったが、東名阪道に入ればなんとかなる、と適当なことを考えながら運転していったら、意外に簡単にたどり着けた。近くで見るとなかなかの威観である。かつての清洲城は織田信長が桶狭間の戦いに出陣した城であったが、徳川家康により名古屋城建設に伴って廃城されてしまった。その後、旧・清洲町の町制100周年を記念して平成元年(1989年)に再建されたのが今の清洲城であるが、資料がほとんど残っていないため外観は想定して作られているというし、城跡も開発の犠牲で大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されていて、現在は本丸土塁の一部が残るのみであると言われている。要するに城の形をした現代の建物のようだ・・。それを知って少しがっかりしたが、郷土資料館を訪ねたと思えばそれほどの違和感はない。せっかく訪ねたのだから、しっかり見学していこうと思い直した。
 
  

 全館当然如く、甲冑や刀が展示されていて、なかなか見応えがある。一階では子供たちが鎧を試着できるサービスが行われていた。妻は大人も試着できると聞いて、順番を待っていたが、子供たちの世話に一生懸命の係りの人が妻にまで気が回らず、やむなく断念した。もし試着できていたら、記念に写真を載せることもできたのに残念だ・・。

  

 各階さほど展示物は多くないが、それなりに工夫が凝らされていて退屈しない。伯母も結構急な階段をものともせず、展望台となっている天守閣まで登って行った。

  

 さすがに見晴らしがいい。名古屋駅周辺の高層ビルがおぼろげに見えるし、近くを走る新幹線も見える(N700系は静かだ!)。そうそう、金の鯱もしっかり展示してあった。やっぱりこれがなくっちゃ、名古屋近郊の城のような気がしない・・。

      

 さすがに名古屋城の金鯱とはスケールが違うが、それでも立派だ。
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