ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

研究会

2015年04月11日 | 手打ち蕎麦打ち
             
昨夜からの雨も昼前には霧雨になり、心配していた倉庫からの機材搬入時には降り止んで濡れずに済んだ。
今日の粉は会津山都産の寒晒しそば(厳寒の清流に1ヶ月ほど漬けて、これを再び寒風に晒して乾燥製粉した粉)だった。
握り〆ると砂の様にサラット崩れてかなり打ち難いと思われたが、粉の粒子が大変細い事や粘りもあって、心配した“延し”の工程での周辺割れや鮫肌の発生も無く、意外にも他の粉よりも打ちやすかった。
循環器科の許可は以前として得られず許容範囲内でのお手伝いに止めているが、今日は常連の2人目の人が珍しく遅れて、間に新たな人が入ってしまい、若干オーバーワークもその分まで十分に楽しませてもらった午後の一時だった。

映画「ジヌよさらば」

2015年04月07日 | その他
               
昨年会津柳津町近郷で撮影された漫画原作の映画“ジヌよさらば~かむろば村へ~”を観てきた。
東京で銀行マンとして働く若者が金アレルギーになり、お金を一切使わない生活を目指して東北地方の寒村に移住して来た主人公と村人達とのコメーデーで、TVの低俗なお笑い番組には無い本心で笑えた面白い映画だった。
撮影中の様子はローカル新聞の協賛もあって再三掲載され、TV各社からも放映されていた事もあってか、入場者は暇人の中年主婦層やリタイアー組シニアのほぼ80人程の大入で、1日から「福が満開、福のしま」をキャッチコピーに開始された福島県大型観光キャンペーンに併せた上映公開も一因かなとも思った。
大部分が柳津周辺で撮影され、エキストラ初め多くの地元の撮影スタッフへの支援もあった。それにしては紀行的なサービスカットは一切無く、現地の地理風景を熟知している自分にも何処か良く判らず、地元民にしてみれば多少不満もあったのではないかと一瞬思ったが、あえて場所特定不能とした監督の演出意図が強く感じられて逆に良かった。
上映前隣のオバちゃん達の「ジヌって何だべない」との会話も耳にしたが、ジヌ=金(銭)の事で、福島弁ではゼニと字の通り発音するが、会津ではジニと耳にした事もあったので、制作者はたぶんそれを“ジヌ”と聞えてしまったのだろう。

Arrived QSL

2015年04月04日 | アマチュア無線
             
JARL QSLビューローから最後のQSLが届いた。
JARLが一般社団法人に組織改正され、長期政権独裁会長がようやく去って改革が進むと期待していたら、役員選挙規定改悪により一般会員の投票で高率当選した全国区理事候補者にも関わらず、昨年の総会に於いては地域選出の社員により再び否決されてしまった。
否決された理事候補者は何れも改革派で、社員も地域の代表者に違いはないが、我々一般会員の総意は一体どうなってしまったのだろうか。
こんな不可解な組織からはささやかな抵抗かも知れないが、3月の会費切れによりSWL時代からの会員資格を自然消滅とした。

桜開花宣言

2015年04月02日 | その他
   
午後、平年より一週間も早く桜開花宣言があった。福島地方気象台が昭和28年観測開始して以来3番目の早さだそうで、我が家の庭もあと2~3日でチュウリップも開花して間もなく一番穏やかな季節を迎える。
昨日は多くの青年達が人生最大の節目を迎える入社式が行われ、TV各社もニュースで競って放映していた。しかし、そんな様子も近年は他人事で何の感慨も無くただ見過ごしていただけだったが、今回は何故か自分の当時の事と新人時代を懐かしく思い返されてしまった。
と云うのも、娘にもらったかりんとうを食べながら視聴。余にも美味かったので製造者は?と袋の裏面を見ると“山脇製菓株式会社、東京都豊島区要町3-21-6”だった。何と要町3丁目は新人時代に2年半程先輩の後釜で間借り生活をした所で、記憶は定かでは無いが銭湯へ行く途中に確か菓子の町工場もあった様な気がした。
家主は当時40代後半の教育指導主事、奥様も教師で先輩の同郷と聞かされていた。大変世話になったので再び東京勤務した時訊ねてみようと思っていたが、ついチャンスを失ってしまい不義理のままで、何とも申し訳ない気持ちが再燃した一日だった。