ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

年越しそば

2008年12月29日 | 手打ち蕎麦打ち
自宅の台所でそば打ちが出来ない訳ではないが、終了後は飛び散った粉で真っ白に汚れてしまうので、何とも気が引けて出来なくなってしまった。昨年は青シートで目張りをして実施したが、占有出来る時間にも限りがあり、今年は瀬戸工房で朝一番の予約で打つ事にした。会長とKさんは既に作業を開始していてその後に打ったが、延しがほぼ終了して切りに入ろうと舟生(そば箱)を取りに行こうと方向転換をした瞬間に右足の膝を捻ってしまった。10年ほど前に発症してCT検査でも不明、以後慢性化して忘れた頃に再発しては30分ほど我慢しながら膝の運動を繰り返していると痛みも無くなり嘘の様に自然回復していた。しかし、今回は長時間でARCクリニックよしだ整形外科へ駆け込んだ時は既に年末休診の締切り時間のわずか10分過ぎ「大原病院の急患診療へ行って下さい」の指示で大原病院へ、ここも診療は終了。事情を話すと親切な対応も既に担当の先生は手術に入ってしまったとの事。幸いこの先生が17時からの急患当番なので予約をして自宅へ戻った。多分半月板の異常だと思うが、何れにしても明日先生の所で予定していたそば打ちは中止する事にした。老化現象の洗礼も何れはと覚悟していたが「体力気力も70歳まで」先輩からの忠告の早い訪れは何とも情けない。
             
先日実施した越河小学校での「そば打ち体験教室」の礼状と生徒全員の直筆の感想文が会長宛に届いていたので今日拝見した。皆んな一様に「初めて体験したのに思っていた以上に上手に出来た」と喜びいっぱいの気持ちが表現されていて、お手伝い出来た自分も幸せいっぱいになった。そんな中で特筆すべきは子供達の感の良さだった。4月から大人のお手伝も始めて、それと比べ子供達はたった一回なのに驚くほど上手で、改めて子供の潜在能力のすごさを再認識した。