ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

青葉教室12回目

2008年12月13日 | 手打ち蕎麦打ち
先月は奉仕活動と重複して全休したので一ヶ月ぶりの教室だった。10月からは備え付けの道具と先生持参の道具を使い分けするようになって、しばらくぶりと云うよりは歳相応の物忘れから、そんな道具の判別ミスでとんだ失態もしてしまった。
今日は再び、自称プラモデルお宅と自ら告白した先生も認めた手先の器用な30才前半の最年少の人が自分の所に来た。ある部分では自分よりも優れて何もお手伝いする事も無くなってしまったが、今日は二度打ちして初めに“更科”を打った。矢張り実力通り見事に打ち上げてさすがなな腕前と感服したが、二度目の“二八”では何とした事か加水で失敗ズル玉(柔らかい)になり、四つ出しでも失敗して悪戦苦闘。何とか器用な腕でまとめ上げたが、お互いにそば打ちの難しさを改めて実感した見本だった。そしてこんな事があるから“粉”の追求だけに留まらずなお一層面白味も増して泥沼へのめり込んでしまう。