ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

大晦日

2007年12月31日 | その他
             
自宅でそば打ちをやるのは昨年の大晦日以来二度目の事。粉まみれになっても古い台所の時は何の問題もなかったが、昨年12月初旬にリホーム完成後はえらく目に付き、無防備ではやれなくなり、面倒なのでそれ以来家で打つ事はなくなってしまった。
そば研事務局の瀬戸工房から親切に声をかけていただいたが、平日とは異なり自分も量が多いので、今後も多分年に一度になるかな?青シートで完全武装、こんな具合で今朝5時30分から準備をしてそば打ちを始めた。
             
            信夫山の柚子を使用した“柚子切り”の切り作業中
北海道の幌加内産を“二八”で2.5Kg25人前と“柚子切り”1Kg10人前を打った。しばらくぶりの自宅、全く環境が異なるので終わる頃になってやっと調子が出る始末。何とか恥を掻かないで済んだ様だが、満足度は50%、こけてしまえば約束した皆んなに迷惑をかけるところだった。もっと打って皆んなに本物?の年越しそばを味わって欲しいのだが、条件が伴わなくなったので自家用と4軒分のみとなってしまった。
             
料理教室おせち料理の自宅実習、昨日は“たたきゴボウ”そして今日はそば配達が終った午後1時半から“伊達巻”を作った。先生はフライパンでも焼き上がりに一部丸を切り落として巻けば出来ると話したが、やはり道具、3店ほど廻ってみたがテフロン加工などと云う種類の物しか置いてなかったので、業務用の調理道具屋でプロ用の卵焼き器を求めてきた。これなら次世代までも十分使えるし、何よりも間違いなくテフロン加工などと云う調理器具では不可能な本物の調理が出来てしまうから楽しくなる。
本来ならばすり鉢の大活躍だが、時間が無いので目を瞑ってフードプロセッサー(先生は絶対に使用しない)を使ってしまった。
             
                 上から焼き順に下が最後の3本目
ガスコンロなので教室と同じ方法で焼いたが、焼き器がまだ馴染まないのか、説明書に従い十分に事前処理はしたのだが、焦げ目の具合が何れも不完全。3本目は「焼き過ぎると硬くなる」と女房の横槍で、台所を一日中占領してしまった罪滅ぼしに一言だけ従って早めに焼き上げたらこの始末。教室の物より全体に見た目はとてもお粗末でやはり素人の証、でも既製品とは異なり化学調味料などは一切使用していない安全食品その物なので我慢して食べてもらおう。
5時少し前に全てを終了した。朝はコーヒー一杯だけ、昼に年越しそばを食べた時にだけ休んだ今年一番長い作業だったが、実に楽しい道楽のやり納めになった。
   
           
                    
紅白に続くこれもまた国民的行事の「ゆく年くる年」なのである。紅白は様変わりしても、これだけは昔から演出がほとんど変わらない長寿番組だ。これを期待し何の疑いも無く視聴しながら新年を迎える、そんな人達が大勢いる事は確かだ。タイミング良く鐘を突き、仏像の前では静かに手を合わせる。心の片隅では作り物とは思っても、どんな物(TV)より雰囲気にどっぷり浸かって、無事平穏に過ごせた事に感謝しながら自分も祈ってしまう。
現役時代には三年連続なんて云うのもあって確か14回も現場で関ったが、今は毎年一視聴者として日本人の心であった事に安堵しながら新年を迎える。