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この国の風景Ⅳ第10回

2015年12月28日 | ブログ
2度の政権交代

 引き続き、今月号の文藝春秋の大型企画「日本を変えた平成51大事件」から引く。

 平成に入って2度の政権交代があった。平成5年の細川連立政権と記憶に新しい平成21年の民主党政権である。似たような為体(ていたらく)であった。反自民だけの寄せ集め政権であったことが共通項であり、傾いたマンションではないが、基礎がなっていなかった。すなわち国家観の乏しい政治屋が、単に権力を弄んだに過ぎない。

 平成5年の政変は、小選挙区制への政治改革が大義のように訴えられていたけれど、われわれ庶民からは単なる自民党内のそして竹下派の内紛の結果と見ていた。竹下派を小渕氏が継承することになり、前年まで自民党幹事長であった小沢一郎氏を先頭に、大蔵大臣経験者であった羽田孜氏なども同調して自民党を出た。

 小選挙区制への政治改革など、いかにも錦の御旗ごときの建前であったけれど、最近では中選挙区制を懐かしがり、元に戻すべきとの真剣な意見も聞かれる。確かに制度の巧拙はあって、より良い制度への変革は必要であるが、実は運用面の問題であることも多い。制度の中で生きる人々が本当に真摯に制度と向き合っているのか。正しく運用しているのかが問われるケースも多いのである。

 政変当時の首相は宮沢喜一氏。長く首相候補と言われ、また報道関係者などから首相に相応しい期待される人物として常に上位ランクされていた方である。池田勇人総理の名秘書官として名を成し、政界入り後も大蔵大臣や官房長官など政権の要職を歴任し、遅ればせながらではあるけれど、満を持しての登場でもあった。しかし、組織のNo.2やたとえ名参謀であろうと、ずば抜けた補佐官であろうが、トップリーダーとの間には、目に見えぬ大きな隔たりがある。

 宮沢内閣は天皇訪中、官房長官河野談話など、歴史に禍根を残す実績のみを残したに過ぎなかった。挙句、権力の使い方を知らず、野党からの内閣不信任案に自党の小沢一派の同調を許すことになって敢え無く沈没した。そして登場したのが熊本の殿さま細川護煕氏であった。しかしこちらは所詮小沢氏の傀儡政権であり、あっさり転覆。政権奪還になりふり構わぬ自民党が社会党の村山富市氏を擁立して自社連立のウルトラCを演じた。しかし、こちらの基礎工事もなっていない政権であったため、自慮史観を首相自らが訴える談話を残しただけで、阪神淡路の震災対応も後手を引いたと言われるだけの政権に終わった。

 2度目の政権交代は、小選挙区制での典型的な政権交代となった。ただ、こちらも小沢一郎氏の手になる傀儡政権で、しかも民主党そのものの体質が、この国にとって非常に危険な要素を含んでいた。多くの国民は一度変えてみようとのマスコミ扇動に無責任に応じたけれど、外国人参政権などが現実味を帯びる政権でもあったのだ。

 前原氏や野田氏の外国人献金問題は結局その後忘れ去られたごとくになっているけれど、本人の確認不足で済む問題ではなかろうと思う。実は以前の民主党は外国人であっても党員になれて、代表選挙などに投票できたそうなのである。

 韓国はわが国の竹島を不法に占拠する未だ敵国であると主張する説もある。敵国でなかろうと、外国人を党員に認める国家の公党が他にあろうか。そこら辺りの機微も弁えず政治家になり、政権を取るなどという暴挙が許されたという、この国の不安定な風景を醸し出した政権交代でもあった。




本稿は文藝春秋新年号大型企画「日本を変えた平成51大事件」平成5年「細川連立政権」」を一部参考にしています。
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