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この国の風景Ⅳ第9回

2015年12月25日 | ブログ
平成3,4年

 前回に続き、今月号の文藝春秋の大型企画「日本を変えた平成51大事件」から引く。平成3,4年と云えばバブルが弾けた頃。四半世紀ほど前になる。私はというと、研究所から引き続いた化学実験業務から品質管理課に転属になり、今の仕事のきっかけとなった固有技術から管理技術への転換の時期であった。ただ眼病のため、数か月ほど会社を休むことになった時期で、会社人生最大のピンチの時期でもあったかもしれない。

 だから自分の人生の修正に手いっぱいで、今ほど政治・経済・社会の現象や動向というものを捉えていたとはいえず、今回の文藝春秋の記事で、「そういえばそんなことがあったなあ」と認識する程度である。

 平成3年「悪魔の詩」殺人。『平成3年7月11日未明、イスラム教を冒瀆する内容とされたサルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」の日本語翻訳者の当時筑波大助教授(44歳)であった五十嵐一氏が大学構内で頸などを切られて殺害された。犯人は特定されないまま時効が成立し、真相は藪の中だ』とある。真相が分かっていないのに「悪魔の詩」殺人とあるのも不思議だけれど、1989年2月にイランの最高指導者のルーホッラー・ホメイニーは反イスラーム的を理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告を行っており、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていたことによる。

 それにしても当時から、イスラム教関連では血なまぐさい事件がわが国でさえ発生していたのだ。まさに現在の「イスラム国」を名乗るテロ集団とも重なる。今年1月には拉致されていた湯川遥菜さん後藤健二さんの二人の日本人がイスラム国に処刑されたが、五十嵐助教授(当時)はその四半世紀も前の犠牲者であったのだ。米国共和党の大統領候補トランプ氏が、イスラム教徒の入国禁止を訴えたりすることが、一部に支持されたりも仕方がないことであろう。

 捜査当局は五十嵐一助教授が殺害された翌日、犯人とおぼしき外国人が出国したのを確認していたが、政治的配慮もあって犯人逮捕に至らなかったような話もあるようだ。フランスなどのテロへの報復としたイスラム国への空爆をみて、マスコミには「報復は報復を生む」と懸念する人が必ず登場するけれど、言っていることは間違ってはいないのだろうけれど、物事は都度きっちりとけじめをつけておかないと、罪なき人々に繰り返し被害が及ぶものだ。

 平成4年(1993年)には「天皇訪中」があった。この訪中に櫻井よしこ氏がするどく切り込んでいる。平成4年は確かに日中国交回復20周年の節目の年であり、友好親善は悪いことではない。しかし、3年前の1989年に中国は世界から大ブーイングを受けた天安門事件を起こし、世界からの経済制裁で経済成長が損なわれる懸念が大きかった。そこで中国は、国際社会への復帰の足がかりに日本に目を付け、天皇のご訪中を利用したというのだ。

 『それは、中国にとっては友好のためなどではけっしてなかった。そのことは、1992年(平成4年)2月に尖閣諸島などを中国領とする「領海法」を制定。さらに翌年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、歴史問題を中心にわが国に強硬的な姿勢を取り始めていたことでもわかる』。と櫻井氏は指摘する。

 その後の中国の対日発言や行動をみても、日本を舐めきっている。日本には必ず呼応する親中派という分子がそれなりに強い力を持って存在していること。わが国に日米同盟がなければ、中国に対応する軍事力はなく、国民は戦える精神を持っていないと踏んでいるからであろう。
 
 天皇訪中は「天安門事件に免罪符を与えた」だけとする櫻井よしこ氏の主張は、善意が通じない国との外交交渉に警鐘を鳴らしている。




本稿は文藝春秋新年号大型企画「日本を変えた平成51大事件」平成3年「悪魔の詩」殺人及び平成4年「天皇訪中」を参考にして、『 』内は直接の引用です。
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