イノベーションと人材で活路を開く
この小題は、白書を読む第4回でも紹介したけれど、2009年白書の副題である。その白書は、「結び」で次のように述べている。
『米国発の世界的な金融危機が世界経済の減速を招き、我が国も輸出の大幅な減少等により景気が急速に悪化し、雇用情勢も厳しさを増す中、中小企業の業況や資金繰り等が大幅に悪化した。こうした状況を踏まえ、政府としては、中小企業に対する30兆円規模の資金繰り対策や、売上減少のしわ寄せを受けやすい下請け事業者への対策など、中小企業対策の実施に注力してきたが、我が国経済の先行きへの不透明感は強い。
こうした厳しい経済情勢の下、中小企業は何が求められるのであろうか。
20世紀の代表的な経済学者の一人であるシュンペーターは、1930年代の世界恐慌を目の当たりにしながらも、新たな事業に挑戦する企業家(アントレプレナー)の役割の重要性を強調した。不況期を、既存の事業で余剰となった経営資源の新たな結合を行い、経済成長の原動力になっていくという、動態的な過程と見ることもできよう。いわば企業家にとって、ピンチはチャンスでもある。・・・
中小企業がイノベーションの実現に取り組んでいく上で、最も重要な課題を敢えて一つ挙げるとすれば、それは、中小企業で働く人材の意欲と能力の向上ではないだろうか。・・・』
そして2009年白書は第2章第1節に「産業史を彩る中小企業のイノベーション」と題して、その象徴的な事例を紹介している。
『「ソニー株式会社」は、1946年、東京通信工業株式会社として、資本金19万円、従業員約20名で創業した。「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神のもと、小型トランジスタラジオやヘッドホンステレオの「ウォークマン」など、数々の日本初、世界初の商品を生み出し、「SONY」のブランドを世界中で確立した。続いて、「本田技研工業株式会社」。「セコム株式会社」、シュレッダーの「株式会社明光商会」。・・・』と紹介は続く。白書から外れるけれど、期せずして最初と2番目に並んだ二つの会社の創設者、井深大氏と本田宗一郎氏は無二の親友であったことは知られる。
井深大氏の「わが友本田宗一郎」という文庫本(文藝春秋1995年初版)がある。その解説をエッセイストで評論家の秋山ちえ子氏が書いておられる。
『・・・私と井深さんの出会いは、井深さんの二女が障害を持っていたことから始まった。本田さんとも井深さんを通じて、福祉の仕事が最初の出会いであった。
大分県別府市に身障者が働くユニークな社会福祉法人「太陽の家」がある。これを設立された整形外科医の中村裕(ゆたか)博士は、障害者も、人から憐れみや施しを受けるより、残存機能を活用し、失われた部分は機械、器具の開発で補うことで仕事をすべきだ。・・・身障者も社員として所得税、社会保険料を支払うということである。・・・「オムロン」の立石一真さんが真先に同意して下さった。井深さんは中村博士の創造性と実行力のある人柄に惚れ込んで「太陽の家」の良き支援者となり会長職も引き受けられた。勿論「ソニー・太陽株式会社」も実現した。本田さんは井深さんに誘われて見学された。「ホンダもこの仕事に参加すべきだ」の、本田さんの一声に「ホンダ・太陽株式会社」が誕生した。
・・・新しいコンピューターを駆使したシステムの中で身障者が働く姿には、新しい日本の産業開発につくされた方々の精神が生きていることを感じる・・・』
普通「解説」に副題はあまり見ないが、秋山氏のそれには「見事な男の友情と信頼」と添えられている。
この小題は、白書を読む第4回でも紹介したけれど、2009年白書の副題である。その白書は、「結び」で次のように述べている。
『米国発の世界的な金融危機が世界経済の減速を招き、我が国も輸出の大幅な減少等により景気が急速に悪化し、雇用情勢も厳しさを増す中、中小企業の業況や資金繰り等が大幅に悪化した。こうした状況を踏まえ、政府としては、中小企業に対する30兆円規模の資金繰り対策や、売上減少のしわ寄せを受けやすい下請け事業者への対策など、中小企業対策の実施に注力してきたが、我が国経済の先行きへの不透明感は強い。
こうした厳しい経済情勢の下、中小企業は何が求められるのであろうか。
20世紀の代表的な経済学者の一人であるシュンペーターは、1930年代の世界恐慌を目の当たりにしながらも、新たな事業に挑戦する企業家(アントレプレナー)の役割の重要性を強調した。不況期を、既存の事業で余剰となった経営資源の新たな結合を行い、経済成長の原動力になっていくという、動態的な過程と見ることもできよう。いわば企業家にとって、ピンチはチャンスでもある。・・・
中小企業がイノベーションの実現に取り組んでいく上で、最も重要な課題を敢えて一つ挙げるとすれば、それは、中小企業で働く人材の意欲と能力の向上ではないだろうか。・・・』
そして2009年白書は第2章第1節に「産業史を彩る中小企業のイノベーション」と題して、その象徴的な事例を紹介している。
『「ソニー株式会社」は、1946年、東京通信工業株式会社として、資本金19万円、従業員約20名で創業した。「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神のもと、小型トランジスタラジオやヘッドホンステレオの「ウォークマン」など、数々の日本初、世界初の商品を生み出し、「SONY」のブランドを世界中で確立した。続いて、「本田技研工業株式会社」。「セコム株式会社」、シュレッダーの「株式会社明光商会」。・・・』と紹介は続く。白書から外れるけれど、期せずして最初と2番目に並んだ二つの会社の創設者、井深大氏と本田宗一郎氏は無二の親友であったことは知られる。
井深大氏の「わが友本田宗一郎」という文庫本(文藝春秋1995年初版)がある。その解説をエッセイストで評論家の秋山ちえ子氏が書いておられる。
『・・・私と井深さんの出会いは、井深さんの二女が障害を持っていたことから始まった。本田さんとも井深さんを通じて、福祉の仕事が最初の出会いであった。
大分県別府市に身障者が働くユニークな社会福祉法人「太陽の家」がある。これを設立された整形外科医の中村裕(ゆたか)博士は、障害者も、人から憐れみや施しを受けるより、残存機能を活用し、失われた部分は機械、器具の開発で補うことで仕事をすべきだ。・・・身障者も社員として所得税、社会保険料を支払うということである。・・・「オムロン」の立石一真さんが真先に同意して下さった。井深さんは中村博士の創造性と実行力のある人柄に惚れ込んで「太陽の家」の良き支援者となり会長職も引き受けられた。勿論「ソニー・太陽株式会社」も実現した。本田さんは井深さんに誘われて見学された。「ホンダもこの仕事に参加すべきだ」の、本田さんの一声に「ホンダ・太陽株式会社」が誕生した。
・・・新しいコンピューターを駆使したシステムの中で身障者が働く姿には、新しい日本の産業開発につくされた方々の精神が生きていることを感じる・・・』
普通「解説」に副題はあまり見ないが、秋山氏のそれには「見事な男の友情と信頼」と添えられている。