白土三平論

「白土三平論」(四方田犬彦 作品社 2004)

タイトルどおりの本。
作者の経歴を紹介し、作品をほぼ時系列で論じる。
内容だけでなく、どう表象されたかもよく押さえる。

著者の本を読む楽しさは、みごとな要約の手際と、広い目配り、評言の簡潔さ。
そしてなにより対象への深い愛情だ。

白土作品は60年代なかごろから終わりにかけて、圧倒的人気で迎えられた。
それが70年代に入り決定的に凋落する。

手塚治虫やつげ義春はノスタルジアの対象として語られたが、白土については挫折感やアナクロニズムのもとに記憶されているばかりで、かれに言及するものはなかった、と著者。

そこで少年のころ、微塵隠れを実践しようとした著者はいう。
「本書は40年以上にわたって白土漫画を読み続けた者の手になる、最初の体系的な白土三平研究の書物となるはずなのだ」。
素晴らしい心意気。

白土の父は岡本唐貴といい、日本左翼美術史の重要人物のひとり。
白土三平はその長男で、本名は登という。

1944年、12歳のとき信州真田村に疎開。
このときの差別体験と自然体験が、作品に決定的な影響をあたえた。

「人間はひとたび共同体を築きあげてしまうと機会あるたびにそこに属さない他者を差別し、排除する存在である。権力はどこまでも人間を搾取し、収奪する。自然の苛酷な暴力の前に、人間はどこまでも非力である。したがって人間が生き延びるためには、なによりも自分が一介の生物にすぎないことを認識しなければならない」

著者によれば、白土作品を貫くテーゼはこの体験によっている。

白土のキャリアはまず紙芝居からはじまった。
加太こうじ率いる「なかよし会」、「ともだち会」に参加し作画と着色を担当。
これが16歳のとき。

加太こうじについての説明が、簡にして要を得ている。

「加太こうじ(1918~1998)は1932年、14歳のときに「黄金バット」の作画を任されたところから紙芝居の世界に入り、「天誅蜘蛛」(1934)の大ヒットで、紙芝居作家としてトップに躍り出た人物である。彼はエイゼンシュタインのモンタージュ理論をこの新ジャンルに適用し、クローズアップやフラツシュバックを多用して、説話行為を一挙に複雑で巧みなものにした」

紙芝居というメディアを、こんなにダイナミックに語れるものかと舌を巻いてしまう。

その後、白土は貸本漫画の世界に参入し、漫画家白土三平となる。
1年間に1000ページ描いたというから、じつにとんでもない。
白土は後年アシスタント制を大胆にとりいれたが、当時はもちろんアシスタントなし。
作品を見てもわかるように、白土三平というひとは学習能力が高い。
実戦で腕を磨いていく。

以後は、作品についての各論。

白土作品は、とかく分身が多い。
「猿飛誕生」で、白土は分身の原理について説いている。

「猿飛とは個人の名前ではない。それは術の名前であって、猿飛の術を使う者は誰もが猿飛なのだ」

この原理は、白土主催の赤目プロのありかたと、みごとに対応しているそう。

「多くの漫画家が独自の画風に拘わり、作家としてのみずからの独自性を主張してやまないとき、白土はそうした執着に無頓着であり、みずからの筆遣いをめぐるナルシシズムから完全に解放された芸術家である。小山春夫が作画を担当しようが、小島剛夕が人物の細部の表現を決定しようが,白土の主題のもとに執筆している者は、すべて白土三平なのである」

小島剛夕は「カムイ伝」前半の作画担当だった。

また、表象への目配りは、たとえばこんなふうに語られる。

「これまで白土は、座敷で上司と面会していた忍者が姿を消す際に、数十本の垂直な線の提示だけで瞬間の移動を表彰するという手法を用いたことがなかった。それは横山光輝が「伊賀の影丸」において様式的に完成させ、他の漫画家たちの間に伝播されていった安易な方法であった」

この文章を書くために、当時のマンガをどれほど読みこまなくてはならないかと考えると途方にくれてしまう。
誇張でもなんでもなく、著者は当時のマンガすべてに目を通しているのではないだろうか。

白土作品の理解のために、ときどき手塚作品をもちだしてくる。
これがまた興味深い。
白土の「イシミツ」(表記は漢字だけれどパソコンでは出ない)という不老長寿の霊薬をめぐる連作と、手塚の「火の鳥」をくらべ、こういう。

「(「火の鳥」での不老長寿探求の)どこかの過程で手塚は神秘主義に向かい、人間と自然との関係をロマン主義的に歌いあげてしまう。対象が到達不可能なものゆえに探求を絶対化し、永遠の相のもとに物語が語られることになる」

作品論のなかでもっとも盛り上がるのは、「カムイ伝」について論じた部分だ。
あの長大な「カムイ伝」が、著者の手により、みごとに要約される。
そしてカムイが抜け忍になったことについて、卓抜な解釈を述べる。

カムイは大秘事を知ってしまったために、身の危険を感じて抜け忍になったのではなく、
「であることの屈辱を一気に相対化できる視座を獲得したため、もはやその解決法であった忍者という自己同一性に留まっている必要がなくなったからだと理解することはできないだろうか」

これは、「カムイ伝」を一望のもとにおさめた著者ならではの解釈だろう。

最後に著者は、白土作品がどう受け止められてきたかを、模倣作やパロディを引用して紹介。

白土作品は当時の貸本漫画のモードを変えた革命的存在だった。
それは模倣作が次々と登場したことからもわかるという。
つげ義春も、模倣忍者ものを描いたのだそう。
このころの読者が第1世代。

学生運動とともに白土ブームが起きる。
これが第2世代。

で、2000年代のコミケ世代、白土作品の第三世代の受容者について、著者はこう述べている。
これを最後に引用したい。

「そこには先行する世代が重力のように抱えこんでいた歴史という観念もなければ、自然と文明、神話と現実という白土が終生にわたって拘泥してきた主題への積極的関心もない。白土漫画のすべてが遊戯的な次元に還元され、その世界に参入できる好事家だけが愉しむことのできる、親密にして閉鎖的な領域が準備されている。それは歴史的なるものの記憶がことごとく隠蔽され、世界を構成しているさまざまな差異が例外なく平坦に見えてきてしまう、この現代に特有の現象であるように、わたしには思われる」

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