かぶれの世界(新)

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哀しき民主党代表選

2012-09-17 17:39:16 | 国際・政治

民主・自民両党の代表選が進行中だ。民主党代表選は現在の首相を決め、自民党代表選は次の首相を決めることになる可能性が高い。そんな重要な選挙でも、選挙は両党の国会議員と党員にしか投票権がなく、我々一般市民は見守るしかない。

民主党代表選は野田首相が圧倒的な支持を受けており、再選される可能性が高いと報じられている。私は対立候補の主張をみれば当然だと感じる。出馬会見をした時3人の対立候補は党分裂を問題視し、野田首相の責任論に言及した。

「エッ、それかい?」幾ら何でも首相候補が出馬宣言の場で言うことかと感じだ。これを聞いた瞬間から首相の地位を争う代表選にこの人達が出る資格はないと私は思った。あまりにも軽い、モスキート級だ。彼らは少数野党のマインドセットから抜け出せていない。

一国の首相候補として戦うのなら、先ずは国政の重要問題をどう認識し取り組むかから始めるべきだ。彼らは一体何を考えているのか。マスコミから当然あるはずの批判がないものだから反省もない。先ず党勢を保つことが最初に出てきて、国政レベルの議論が全くといって良いほど深まらなかった。

多分、史上最低の超軽量級代表にして首相候補だろう。彼らは出るべきではなかった。現在首相を出している与党の代表候補がこの程度なのは余りにも哀しい。こんな人材しかいない民主党は野田首相で打ち止め、マスコミも熱を入れて報じる気にならないのは当然だと思う。

だからといって、自動的に既成政党や維新の会を無条件に選ぶべきではない。こんな民主党に政権をとらせたのも世論でありマスコミなのだ。世論やマスコミは大いに反省すべきだが、その気配は余り感じない。政治家に改善を求めると同様に私はマスコミに反省と再発防止策を求めたい。

同じ間違いを繰り返さない為には、自民党や維新の会を勢いだけで選んではいけない。XXチルドレンとかXXガールズを二度と作ってはいけないし、支離滅裂で国内外を混乱させた元首相を再選させてはいけない。当座はマスコミが事前の身体検査能力を高め、候補者を容赦なく事前評価することが効果的な再発防止策と感じる。■

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政治に踏み込んだ中央銀行

2012-09-16 16:56:30 | 国際・政治

「QE3?エーッ、本当にやったの?」

米連邦準備理事会(FRB)が量的緩和第3弾(QE3)を発表したニュースが流れた時私は思わず呟いた。年をとるとやたらと独り言が増える。バーナンキ連銀議長は市場向けに「やるぞ、やるぞ」という言外のメッセージを投げながら、ギリギリまでじっと様子を見ると私は思っていた。QE3は抜いてはいけない伝家の宝刀だと。

そこまでやるか

確かに米国の景気回復の停滞、特に直近の調査で雇用の改善が進んでないので、QE3の可能性が5割から6割に高まったとの専門家の見方が伝わっていた。だが、12月の大統領選を控え現政権の支援に見えるような金融政策は直ちには打ち辛いとの観測のほうに私は共感していた。

しかも、総枠も期限も設けない踏み込んだ内容だった。FRBは「打ち出の小槌」と宣言したようなもので、さすがに市場にとってもそこまでやるかという驚きを与えたと報じられた。裏返せば、バーナンキは先月職探しを諦めて失業率が低下したのを深刻に捉え、ここらでドーンとやらないと折角の景気回復が腰折れになるという危機感で決断したとの推測が当っている気がする。

背景は政治の選択肢がないことか

雇用問題は米国大統領選の最大の争点だ。オバマ・ロムニー両候補が真っ向から対立して論争するテーマに、FRBが分けて入ってど真ん中にでっかい石碑を置いたようなものだ。選挙に有利な政治判断と非難されるのを嫌い12月まで政治が動かない、それまで待てないとの背景がここまで踏み込んだ金融政策を採った理由だと私も思う。

一方、欧州中央銀行(ECB)の南欧国債買支え表明も、欧州の政治が機能せず政策が遅れ気味になる中で、政治に代わって踏み込んだ結果であった。期せずして欧米の中央銀行が政治に踏み込む結果になった。原因は異なるが政治が適切な対応が出来ない為の行動だった。

効果は期待できるのか

話を経済に戻す。欧米の緩和策は実際に世界経済を改善できるだろうか。リーマン・ショック後QE1は絶大な効果を発揮し、世界恐慌の淵から抜け出す大きな貢献をした。だが、QE2では最早それほどの効果は得られず、市場にお金をジャブジャブとばら撒く副作用も見られた。

お金の行き先がどこか、どうも心配だ。バーナンキは住宅需要と株価上昇が消費を刺激すると期待している。だが、財政規律の乱れの批判は根強い。QE3はよほど注意しなければ、副作用で世界経済は悪い方向に向かう恐れすらある。その前から米国の自動車市場はサブプライムまがいのローンで販売好調だと報じられた。少なくともここではお金が澱んでいた。

世界経済と個人資産のネジレ?

とは言うものの、二つの中央銀行の緩和策発表以来、私の退職金を元手にした老後の蓄えは、昨年来欧州危機でへこんだ損を取り戻した。何時まで続くか分からないが、個人資産のボトムラインはとりあえず吉と出ている。世界経済の先行き懸念と自己資産の現時点での改善に直面して私は若干複雑だ。

世界に出回る巨額のお金は必要とする所に供給されるのは一部、その多くが投機的な領域に向かい実体経済を捻じ曲げ再びバブルを惹き起こす恐れが強い。既に世界の株価や商品価格は大幅に上昇した。市場は完全にリスクオンのモードに入った、私の改善もそれを反映したものだ。

政治が機能せず中央銀行が金融政策を乱発する姿は、条件は異なるのだが春先に読んだ本の題名「危機は循環する」(白川浩道)が頭の片隅にちらついて何だか不吉な予感がする。中央銀行は追い詰められて不本意な金融緩和に踏み切ったのかもしれないと。■

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粗雑な原発ゼロ方針に乾杯

2012-09-15 16:59:03 | 国際・政治

政府は予定通り14日に原発ゼロの方針を発表した。これに対しこれまた予想通り、内外から単純な賛否を越え様々な反応が起こっている。読売新聞は経済雇用への打撃を軽視した無責任な方針と断じ、朝日は決断を評価し更に確かなものにせよと支持した。

私にとって寡聞にして理解不足だった原子力発電を進める英米仏が示した懸念と、一方独からは予想通りの理解が報じられその対照が興味深かった。原発反対運動のうねりの前にダンマリを決め込んでいた立地自治体が実は熱心な原発維持派であることが明確になった。

その実体は具体的な道筋が曖昧で矛盾を孕む実に粗雑な政策という印象は免れない。「原発の廃棄と維持の両方向の議論を併記し、矛盾や実現性の危うさを抱える内容」(日本経済新聞9/15)というのが正しいようだ。現状維持に原発ゼロの糖衣をまぶした、いわばどちらにも転換可能な政策である。だが、私の評価は少し不真面目だ。

実はそれが良いのである。言い回しは皮肉っぽいが、これぞ私が主張した「今こそ決められない政治に基づく方針」そのものである。国民が冷静に判断できるまで、決めた振りをして実は決定を先送りする為のベストな判断だ。何も決めてないけど決めた振りをして時間を稼ぎ、その間に議論を深めていく政策だ。

政府は電気料金や温暖化の問題を指摘した。だが、方針を明らかにしたことにより今まで余り議論されなかったような問題が提起され、議論の幅が広がりそうな勢いだ。それが徐々に国民にも浸透して行きより合理的な判断が出来るようになると私は期待する。その意味で、意図したかどうか分からないが実に巧妙に設計された粗雑な民主党政府ならではの決定だった。■

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現実主義者の脱原発依存

2012-09-13 22:10:48 | 国際・政治

再稼動検証の前に、「よくやった日本!」

節電の夏が終り先週4日、政府は大飯原発再稼動の妥当性を検証し発表した。大飯原子力発電所を再稼働させなかった場合、火力発電所のトラブルが昨年並みに発生するなどの事態が加わると予備率は2.2%に低下し、安定供給に必要な水準(3%)を割り込んでいたと分析、再稼動の決定が妥当だったという。

それに前後して主に原発再稼動に反対するサイドから、再稼動は必要なかったという主張が主にテレビから流れた。電力需給の余裕度が計算上ギリギリだったとすれば、他の地域から融通すれば十分余裕があったはずだという。その議論はさておき、電力需要は一服したのだからもう大飯原発は停止しろという橋下大阪市長の主張も目を引いた。

だが、それから1週間余り経過して私の見るところでは、再稼動は必要だったという一定の理解が国民の間に広がっているように感じる。結果論だけで云々するなという意見がよく聞かれた。私もそう思う。公表されたデータによれば、1)節電が計画より進み、2)火力発電の稼働率が例年より高かったので夏を乗り切れた。つまり日本人の特質が良く現れた結果であり、先ずは「よくやった」と誇るべきことだ。

真の問題は国富の喪失とCO2

その裏で、無視できない深刻な問題が生じていた。一つはLNGなどの化石燃料の輸入が4-5兆円増加したことだ。原子力の代替エネルギー支払が貿易収支を大幅に悪化させた。電力会社が効率化すれば済むような金額ではない、必ず電気料金への転嫁という形で跳ね返ってくる。原子力を利用しないと毎年これだけのコストが発生し、誰が負担するにしても日本から富が出て行く。長期間の損失は社会保障や個人の生活から企業経営まであらゆる領域に影響が出る。

二つ目は、原発の代替として火力発電がフル稼働した結果、23年度の二酸化炭素(CO2)の排出量が前年度比18%と急増したことだ。地域によって原発依存比率と排出量の絶対値に差があるので比率は変化する。注目の関西電力は40%を上回ったが、東京電力は13%増になったという。昨年度は途中までかなりの数の原発が稼動していたが、今年は大飯原発以外は停止していたのでCO2排出量は更に相当量増えると私は見込んでいる。

地球温暖化対策推進者が卒倒しそうな大きな数字になるだろう。世界的な穀倉地帯である米国中西部は56年ぶりに観測史上2番目の大干ばつに襲われ、穀物価格と家畜飼料が史上最高値になる見込みだ、我国への深刻な影響も避けられないとつい先ほどニュース速報が入ってきた。欧州でも前例のない干ばつが報じられている。我国のCO2急増が世界から非難されてもおかしくない状況にある。いつもなら大騒ぎする日本メディアは静かだがいつか放置できなくなるだろう。

脱原発の覚悟の程は?

12日に政府の革新的エネルギー・環境戦略の原案で「2030年代に原発稼動ゼロ」と方針を打ち出した。基本方針は原発に依存しない社会の1日も早い実現であり、原発の40年運転を厳格に適用し、原発の新設・増設を行わないことにより実現するとしている。私には意外な決定だった。政府が進めた意見聴取会や討論型世論調査などの国民的議論をやればやる程、原発ゼロの意見が増え消費税増税で窮地に追い込まれた政府には他の選択が無くなった為と感じた。

今を時めく維新の会が原発反対を唱え世論が原発ゼロに傾く中で、低支持率にあえぐ民主党政府が次の選挙が心配な余り大局観を失いポピュリズムに走ったと思った。野田政権を庇う積りは無い。それも民意の反映でありマスコミが導いた結論だと思う。私は4月に「覚悟のない原発反対」で原発ゼロがもたらす苦い薬を飲まない習い性が身についた世論は悪あがきしそうだと予測した。だが、それどころか政府が原発ゼロの方針を打ち出すとまでは予測しなかった。

政府の原発ゼロの方針は上記二つの懸念を知らん振りした訳ではない。30年には光熱費が10年実績の2倍になる家計の負担が発生、温暖化ガス削減の目標は見直しすることを明らかにした。国民の望む通り原発ゼロに突き進むけど、これだけは覚悟してくださいよと言った訳だ。それに対して、報じられた反応を見るとまだ覚悟ができてないように感じる。‘根拠のない放射能アレルギー’が現在の世論を形作っている限り、いつか何かの機会に風向きが変わると私は読む。

今こそ「決められない政治」!

そこでエネルギー政策を今すぐ決めない方が良いと私は考える。根拠のない原理主義的反原発と維新の会が具体的政策もなく熱狂的な支持を得ている現在、誰も彼も選挙目当ての動きで注目を浴びる政局で正常な判断は期待できない。今、30-50年先の国のエネルギーとして原子力をどう利用するか決める事はない。当面の危機(原子力の安全稼動と電力不足)をどう凌ぐか、短期的対策をしっかりやり時間稼ぎをし、頭を冷やして長期的なエネルギー戦略を策定すべきだ。

その後の報道を見ると、調査を実施した報道各社によって世論にかなりの違いがある。だが、トータルで見ると原発ゼロの政府方針支持が過半数を占めているようだ。更に家計負担増には強い反発がある一方で、温暖化ガス削減見直しに対しては殆ど反応がない。私にはポピュリズム政治の反映と感じる。原発政策を世論に決めさせるべきではない。今は何を言われようと我慢して待った方が良い。

経済的合理性は絶対か?

原発の議論となるといつも感情的反応を引き起こし論理的ではなくなる。福島の苦しみを忘れたのかとか、母が子を心配する気持ちは誰も否定できない、とか。それを感情的だと非難できない、それが一方の事実だからだ。彼らには時間が必要だ。だが、どんな場合でも「経済的合理性のないシナリオは長期的には成立し得ない」と私は信じる。経済的合理性のない決定は最終的に国民生活を苦しめ長期的に持続不可能だ。

私は「原則に基づく透明な」という枕詞が好きだが、実のところは融通無碍な現実主義者、或いは原理原則に固執しない功利主義者だと思う。少し気取って言えば「最大多数の最大幸福」、悪く言えば行き当たりばったりの日和見主義者かもしれない。経済的合理性といっても直接的な損得だけではなく原発の安全や後処理を含むトータルコストがどうかという点からどう考えるかだ。そこまで時間をかけてやっても世論が大局観をもてないなら、それが民主主義であり日本の実力だ。

蛇足、計画停電に想定外あり?

蛇足ながら、昨年東京都民は計画停電になった時、大変なつらい経験をした。多分経験しないと分からないだろう。大飯原発再稼動の論争が起こった時、都民は意外とクールに成り行きを見守った。彼等は昨夏朝5時から働き始めたり、週末に休めなくなったりした。厳しい環境で働く現場の労働者はもう二度とやりたくないと言い、一方で電気が止まった病院は命を守れないと苦悩した。

人は地震や津波が想定外などあってはならないと東電を非難した。大停電を想定外にしないためには計画停電を認めるしかなかった。一方で誰も言わなかったが、計画停電は正に身近な日常生活で個人に同じ問い掛けをすることになった。大飯原発再稼動の論争の最中に、「原発を動かすな、大阪の人達も計画停電を一度経験するといい」みたいな意見を東京で良く聞いた。そういう意味では大飯原発の再稼動は賢い選択ではなかったかも。■

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ゴキブリ天国

2012-09-12 22:55:38 | 日記・エッセイ・コラム

トンボや蝶からカエルまで昔なら何処でも普通に見かけた田舎の生き物が見られなくなった。10年前に田舎暮らしを始めて暫くしてカエルの鳴き声が聞えないのに気付いた。昔なら田植えの時期、特に夕方になるとカエルの鳴き声が谷間中に響いた。今も虫の声で十分騒々しいが、カエルは一匹も見当たらない。

他にも種々の昆虫が見られなくなり、年々その傾向が酷くなっている気がする。東屋で夜食事をする場合夏虫が飛び込んでこないよう先日LED電球に取り替えた。LED電球の波長に虫が反応しないからと聞いたからだ。昔ならハエや蚊から蛾や金虫まで灯りに寄ってきて大変だった。だが、その必要はなかったようだ。そもそも虫がいない。従来の白熱球でも殆ど虫が来ない。

ところが、ゴキブリだけは例外のようだ。何しろ太古の時代から生き延びてきた最強の生物だ。絶滅の心配は不要のようだ。以前「孤独の境地」と題して、実家の中でゴキブリなどの生き物を見つけても放置すると投稿した。お友達扱いしているわけではないが、お互い孤独な生き物同士みたいな感覚だった。

7月末に実家のドアを開けた時最初に見つけたのは赤っぽい小ぶりのゴキブリのチョロチョロ動く姿だった。今は多分私の出すゴミで栄養が行き届き、真っ黒で大きくなった。昨日書斎でパソコンを使っていると目の端にゴキブリが見えた。私の足元を悠然と通り過ぎ、隣接するシャワールームのサッシのアルミフレームを上り下りし始めた。特有の素早さを見せない。その必要がないからだ。私の目の届かない陰に逃げ込む気などサラサラないようだ。

危害を加えられないと安心しきっている。完全に舐めている。そのゴキブリ氏はふと動きを止めた。何故か悪い予感がした。「止めろ」と私は心の中で叫んだ。その瞬間、ゴキブリ氏は羽を広げ飛んでサッシの横の木枠に止まった。さすがにゴキブリ飛行は気持ち悪い。幸い私のほうに向かってはこなかった。もしそうなったら私は脅威と感じたかもしれない。

彼も心得ていたのか一線を越えなかった。そういえば、先月の来客中は一度も顔を見せなかった。もしそうなったら私も従来の友好的な関係を考え直さなければならなくなる。韓国大統領の例もある。私にだって母が買い揃えていたゴキブリホイホイやもっと強力な武器がある。ゴキブリ氏も馬鹿じゃなかった。それで正解、私は静かに目を画面に戻しメールチェックに戻った。■

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