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現実主義者の脱原発依存

2012-09-13 22:10:48 | 国際・政治

再稼動検証の前に、「よくやった日本!」

節電の夏が終り先週4日、政府は大飯原発再稼動の妥当性を検証し発表した。大飯原子力発電所を再稼働させなかった場合、火力発電所のトラブルが昨年並みに発生するなどの事態が加わると予備率は2.2%に低下し、安定供給に必要な水準(3%)を割り込んでいたと分析、再稼動の決定が妥当だったという。

それに前後して主に原発再稼動に反対するサイドから、再稼動は必要なかったという主張が主にテレビから流れた。電力需給の余裕度が計算上ギリギリだったとすれば、他の地域から融通すれば十分余裕があったはずだという。その議論はさておき、電力需要は一服したのだからもう大飯原発は停止しろという橋下大阪市長の主張も目を引いた。

だが、それから1週間余り経過して私の見るところでは、再稼動は必要だったという一定の理解が国民の間に広がっているように感じる。結果論だけで云々するなという意見がよく聞かれた。私もそう思う。公表されたデータによれば、1)節電が計画より進み、2)火力発電の稼働率が例年より高かったので夏を乗り切れた。つまり日本人の特質が良く現れた結果であり、先ずは「よくやった」と誇るべきことだ。

真の問題は国富の喪失とCO2

その裏で、無視できない深刻な問題が生じていた。一つはLNGなどの化石燃料の輸入が4-5兆円増加したことだ。原子力の代替エネルギー支払が貿易収支を大幅に悪化させた。電力会社が効率化すれば済むような金額ではない、必ず電気料金への転嫁という形で跳ね返ってくる。原子力を利用しないと毎年これだけのコストが発生し、誰が負担するにしても日本から富が出て行く。長期間の損失は社会保障や個人の生活から企業経営まであらゆる領域に影響が出る。

二つ目は、原発の代替として火力発電がフル稼働した結果、23年度の二酸化炭素(CO2)の排出量が前年度比18%と急増したことだ。地域によって原発依存比率と排出量の絶対値に差があるので比率は変化する。注目の関西電力は40%を上回ったが、東京電力は13%増になったという。昨年度は途中までかなりの数の原発が稼動していたが、今年は大飯原発以外は停止していたのでCO2排出量は更に相当量増えると私は見込んでいる。

地球温暖化対策推進者が卒倒しそうな大きな数字になるだろう。世界的な穀倉地帯である米国中西部は56年ぶりに観測史上2番目の大干ばつに襲われ、穀物価格と家畜飼料が史上最高値になる見込みだ、我国への深刻な影響も避けられないとつい先ほどニュース速報が入ってきた。欧州でも前例のない干ばつが報じられている。我国のCO2急増が世界から非難されてもおかしくない状況にある。いつもなら大騒ぎする日本メディアは静かだがいつか放置できなくなるだろう。

脱原発の覚悟の程は?

12日に政府の革新的エネルギー・環境戦略の原案で「2030年代に原発稼動ゼロ」と方針を打ち出した。基本方針は原発に依存しない社会の1日も早い実現であり、原発の40年運転を厳格に適用し、原発の新設・増設を行わないことにより実現するとしている。私には意外な決定だった。政府が進めた意見聴取会や討論型世論調査などの国民的議論をやればやる程、原発ゼロの意見が増え消費税増税で窮地に追い込まれた政府には他の選択が無くなった為と感じた。

今を時めく維新の会が原発反対を唱え世論が原発ゼロに傾く中で、低支持率にあえぐ民主党政府が次の選挙が心配な余り大局観を失いポピュリズムに走ったと思った。野田政権を庇う積りは無い。それも民意の反映でありマスコミが導いた結論だと思う。私は4月に「覚悟のない原発反対」で原発ゼロがもたらす苦い薬を飲まない習い性が身についた世論は悪あがきしそうだと予測した。だが、それどころか政府が原発ゼロの方針を打ち出すとまでは予測しなかった。

政府の原発ゼロの方針は上記二つの懸念を知らん振りした訳ではない。30年には光熱費が10年実績の2倍になる家計の負担が発生、温暖化ガス削減の目標は見直しすることを明らかにした。国民の望む通り原発ゼロに突き進むけど、これだけは覚悟してくださいよと言った訳だ。それに対して、報じられた反応を見るとまだ覚悟ができてないように感じる。‘根拠のない放射能アレルギー’が現在の世論を形作っている限り、いつか何かの機会に風向きが変わると私は読む。

今こそ「決められない政治」!

そこでエネルギー政策を今すぐ決めない方が良いと私は考える。根拠のない原理主義的反原発と維新の会が具体的政策もなく熱狂的な支持を得ている現在、誰も彼も選挙目当ての動きで注目を浴びる政局で正常な判断は期待できない。今、30-50年先の国のエネルギーとして原子力をどう利用するか決める事はない。当面の危機(原子力の安全稼動と電力不足)をどう凌ぐか、短期的対策をしっかりやり時間稼ぎをし、頭を冷やして長期的なエネルギー戦略を策定すべきだ。

その後の報道を見ると、調査を実施した報道各社によって世論にかなりの違いがある。だが、トータルで見ると原発ゼロの政府方針支持が過半数を占めているようだ。更に家計負担増には強い反発がある一方で、温暖化ガス削減見直しに対しては殆ど反応がない。私にはポピュリズム政治の反映と感じる。原発政策を世論に決めさせるべきではない。今は何を言われようと我慢して待った方が良い。

経済的合理性は絶対か?

原発の議論となるといつも感情的反応を引き起こし論理的ではなくなる。福島の苦しみを忘れたのかとか、母が子を心配する気持ちは誰も否定できない、とか。それを感情的だと非難できない、それが一方の事実だからだ。彼らには時間が必要だ。だが、どんな場合でも「経済的合理性のないシナリオは長期的には成立し得ない」と私は信じる。経済的合理性のない決定は最終的に国民生活を苦しめ長期的に持続不可能だ。

私は「原則に基づく透明な」という枕詞が好きだが、実のところは融通無碍な現実主義者、或いは原理原則に固執しない功利主義者だと思う。少し気取って言えば「最大多数の最大幸福」、悪く言えば行き当たりばったりの日和見主義者かもしれない。経済的合理性といっても直接的な損得だけではなく原発の安全や後処理を含むトータルコストがどうかという点からどう考えるかだ。そこまで時間をかけてやっても世論が大局観をもてないなら、それが民主主義であり日本の実力だ。

蛇足、計画停電に想定外あり?

蛇足ながら、昨年東京都民は計画停電になった時、大変なつらい経験をした。多分経験しないと分からないだろう。大飯原発再稼動の論争が起こった時、都民は意外とクールに成り行きを見守った。彼等は昨夏朝5時から働き始めたり、週末に休めなくなったりした。厳しい環境で働く現場の労働者はもう二度とやりたくないと言い、一方で電気が止まった病院は命を守れないと苦悩した。

人は地震や津波が想定外などあってはならないと東電を非難した。大停電を想定外にしないためには計画停電を認めるしかなかった。一方で誰も言わなかったが、計画停電は正に身近な日常生活で個人に同じ問い掛けをすることになった。大飯原発再稼動の論争の最中に、「原発を動かすな、大阪の人達も計画停電を一度経験するといい」みたいな意見を東京で良く聞いた。そういう意味では大飯原発の再稼動は賢い選択ではなかったかも。■

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