先週の土曜日から帰郷中の妹を乗せ9時前に実家を出て56号線を北上、松山市の施設に着いたのはいつもより10分遅い10時15分頃だった。何時もより道が混んでいた。看護婦室を覗くと直ぐに馴染みの看護婦さんが近寄って来て母の容体が良くないという。今朝方の血糖値が異常に低い24だった。直ちにブドウ糖を唇に塗り(呑み込めないので)少し改善して31まで戻ったが、まだまだ低いという。
食欲はあるのだが呑み込めずいつもの半分位しか食事がとれていない。栄養を摂取できないので身体が弱ってきている。取り敢えず点滴で栄養補給しているという。仲良くしている主任看護婦さんが今迄になく暗い顔で申し訳なさそうに、一言「良くない。」と言った。「いよいよ最後の時が近づいているのかな」と独り言を言い、「最後まで宜しくお願いします」と挨拶して2階の母の部屋に向かった。
私の目には母はいつもと変わらなかった。点滴を受けていたものの意識は比較的はっきりしていた。テレビを見ていたが妹に声をかけられ頷いた。妹と分かったようで救われた気分になった。いつもの私だけの見舞いの時よりハッキリした顔で、意識がある様に感じたが会話するまでにはならなかった。妹は暫く母の手を握って声をかけ、私に促されて部屋を出た。
松山駅に向かって走りながら妹に「大阪に着いたら直ぐに呼び返すことになるかも知れない」というと、彼女は祖母が死んだ時がそうだった、もう経験していると答えた。私は知らなかった、初めて聞いた話だ。何れにしても私も妹も覚悟は出来ている。
実家に戻り一人夕食を準備していると施設の看護婦さんから連絡があった。母は所定の量の昼食をとり、ゼリーは半分くらい食べたという。それを聞いて少し安心しましたと言うと、夕方から38度の熱が出て解熱剤を与えたところだと言う。丁寧に看て頂き有難うございますと礼を言ったが、喜ぶべきか心配すべきか微妙な気持ちになった。電話が来るたびにびくびくする日が続きそうだ。■
食欲はあるのだが呑み込めずいつもの半分位しか食事がとれていない。栄養を摂取できないので身体が弱ってきている。取り敢えず点滴で栄養補給しているという。仲良くしている主任看護婦さんが今迄になく暗い顔で申し訳なさそうに、一言「良くない。」と言った。「いよいよ最後の時が近づいているのかな」と独り言を言い、「最後まで宜しくお願いします」と挨拶して2階の母の部屋に向かった。
私の目には母はいつもと変わらなかった。点滴を受けていたものの意識は比較的はっきりしていた。テレビを見ていたが妹に声をかけられ頷いた。妹と分かったようで救われた気分になった。いつもの私だけの見舞いの時よりハッキリした顔で、意識がある様に感じたが会話するまでにはならなかった。妹は暫く母の手を握って声をかけ、私に促されて部屋を出た。
松山駅に向かって走りながら妹に「大阪に着いたら直ぐに呼び返すことになるかも知れない」というと、彼女は祖母が死んだ時がそうだった、もう経験していると答えた。私は知らなかった、初めて聞いた話だ。何れにしても私も妹も覚悟は出来ている。
実家に戻り一人夕食を準備していると施設の看護婦さんから連絡があった。母は所定の量の昼食をとり、ゼリーは半分くらい食べたという。それを聞いて少し安心しましたと言うと、夕方から38度の熱が出て解熱剤を与えたところだと言う。丁寧に看て頂き有難うございますと礼を言ったが、喜ぶべきか心配すべきか微妙な気持ちになった。電話が来るたびにびくびくする日が続きそうだ。■