
トプカプ宮殿見学の後に、ボスフォラス海峡クルージングを行いました。かなり大きな船なのですが、我々だけの貸切で、ゆっくりと風景を眺めることができました。

船着き場は、金角湾に掛かるガラタ橋のたもとにあり、出航すると、後ろにイェニ・ジャミイが姿を見せていました。
1597年に建築が始まり、建立者の死や資金の行き詰まりによって中断した後、1663年に完成しました。

金角湾を挟んで北は新市街、南は旧市街が広がっています。新市街側には、ガラタ塔が姿を見せていました。
ガラタ塔は、14世紀頃ガラタ地区を居住区としていたジェノヴァ人によって築かれた城壁の見張り塔です。

ガラタ橋をくぐります。
旧市街と新市街を結んでおり、イスタンブールを代表する橋です。橋の下は、魚料理のレスタンが並んでいます。最終日の昼食には、ここのレストランで食事をしました。

イェニ・ジャミイが姿を変えながら遠ざかっていきました。

金角湾の中央に出ると、新市街の上にそびえるトプカプ宮殿の正義の塔(左)、アヤソフィア(中)、スルタンアフメット・ジャミイ(右)を眺めることができました。

トプカプ宮殿の正義の塔のアップ

左はマルマラ海、右に金角湾が続きます。トプカプ宮殿は岬状に飛び出した先にあります。

新市街側の眺め

マルマラ海と黒海を結ぶボスフォラス海峡に入ると、ボスフォラス大橋が見えてきました。左はヨーロッパ、右はアジアになります。

ボスフォラス海峡を北東に向かって進んでいきます。左側には新市街が広がっています。


ドルマバフチェ宮殿が見えてきました。

ドルマバフチェ宮殿は、オスマン朝スルタン最後の宮殿で、革命後にアタチュルク大統領もここで執務を行いました。

ボスポラス海峡には、アジア側とヨーロッパ側を結ぶ連絡船も運航しています。

チュラーン宮殿
1876年に造られた宮殿を高級ホテルとして使用しています。


大学だったかな。説明を聞いたのですが忘れました。

ボスフォラス大橋が近づいてきました。オルタキョイの街のシンボルになっているオルタキョイ・ジャミイイは工事中でした。オルタキョイは、新市街の繁華街の一つになっています。

ボスフォラス大橋をくぐります。

ボスフォラス大橋をくぐると、第二ボスフォラス大橋が見えてきました。

ボスフォラス海峡に浮かぶプール付きのクラブです。

夜には賑わうとのこと。

海峡沿いには、高級住宅地が広がっています。
船は、第二ボスフォラス大橋まで進んでいきます。

船着き場は、金角湾に掛かるガラタ橋のたもとにあり、出航すると、後ろにイェニ・ジャミイが姿を見せていました。
1597年に建築が始まり、建立者の死や資金の行き詰まりによって中断した後、1663年に完成しました。

金角湾を挟んで北は新市街、南は旧市街が広がっています。新市街側には、ガラタ塔が姿を見せていました。
ガラタ塔は、14世紀頃ガラタ地区を居住区としていたジェノヴァ人によって築かれた城壁の見張り塔です。

ガラタ橋をくぐります。
旧市街と新市街を結んでおり、イスタンブールを代表する橋です。橋の下は、魚料理のレスタンが並んでいます。最終日の昼食には、ここのレストランで食事をしました。

イェニ・ジャミイが姿を変えながら遠ざかっていきました。

金角湾の中央に出ると、新市街の上にそびえるトプカプ宮殿の正義の塔(左)、アヤソフィア(中)、スルタンアフメット・ジャミイ(右)を眺めることができました。

トプカプ宮殿の正義の塔のアップ

左はマルマラ海、右に金角湾が続きます。トプカプ宮殿は岬状に飛び出した先にあります。

新市街側の眺め

マルマラ海と黒海を結ぶボスフォラス海峡に入ると、ボスフォラス大橋が見えてきました。左はヨーロッパ、右はアジアになります。

ボスフォラス海峡を北東に向かって進んでいきます。左側には新市街が広がっています。


ドルマバフチェ宮殿が見えてきました。

ドルマバフチェ宮殿は、オスマン朝スルタン最後の宮殿で、革命後にアタチュルク大統領もここで執務を行いました。

ボスポラス海峡には、アジア側とヨーロッパ側を結ぶ連絡船も運航しています。

チュラーン宮殿
1876年に造られた宮殿を高級ホテルとして使用しています。


大学だったかな。説明を聞いたのですが忘れました。

ボスフォラス大橋が近づいてきました。オルタキョイの街のシンボルになっているオルタキョイ・ジャミイイは工事中でした。オルタキョイは、新市街の繁華街の一つになっています。

ボスフォラス大橋をくぐります。

ボスフォラス大橋をくぐると、第二ボスフォラス大橋が見えてきました。

ボスフォラス海峡に浮かぶプール付きのクラブです。

夜には賑わうとのこと。

海峡沿いには、高級住宅地が広がっています。
船は、第二ボスフォラス大橋まで進んでいきます。