さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ダーダネルス海峡

2012年11月12日 | 海外旅行
トロイ見学の後は、イスタンブールへの移動になりました。

ここまで見学してきたのはトルコのアジア側でしたが、これからはヨーロッパ側の見学になります。

チャナッカレからエジェアバトまで、フェリーで渡ることになります。



バスでフェリーに乗り込みますが、航海中は客用甲板に上がって、風景を楽しむことができます。

甲板から見た乗船所。



フェリーに車が乗りこんできます。



甲板にはベンチが設けられています。



簡単な売店もあって、飲み物も買えます。



フェリーの船首。



対岸からのフェリーが到着したところで、出発しました。フェリ-は1時間ごとの出発で、利用者も多いようです。



いよいよ出発です。心地よい海風に吹かれながら、風景を楽しみました。



ダーダネルス海峡の対岸のエジェアバトへは30分の航海です。

ダーダネルス海峡は、1.2から6kmの幅というその狭さにもかかわらず、エーゲ海からダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスポラス海峡、黒海という回廊の入り口として、古来から戦略的な要衝になっています。

歴史上でも、ここを舞台にして幾つもの戦いが行われましたが、第一次大戦においても激戦地になりました。

第一次大戦において、オスマン帝国は中央同盟国側について参戦しました。連合国側のロシアが劣勢に追い込まれたため、その援護のため英仏の艦隊はダーダネルス海峡の制圧を目的として進攻しましたが、敷設機雷によってイギリス戦艦3隻が沈没、3隻が大破するという大被害をこうむってしまいます。そのため作戦変更になって、連合軍はガリポリ半島へ上陸しますが、オスマン帝国の頑強な抵抗によって、先進を阻まれて大きな被害をこうむり、この上陸作戦も失敗に終わりました。もしもこの上陸作戦が成功したならば、首都イスタンブールも簡単に占領されてしまうところであったようです。

この防衛線で指揮をとったのがムスタファ・ケマル・アタテュルクで、激戦地の名前から「アナファルタラルの英雄」と呼ばれ、名声を得ることになりました。この名声が後に、革命運動の指導者としての後押しになってトルコ共和国の建国を成功させ、初代大統領につかせることになります。

この「アナファルタラルの英雄」という呼び方ですが、銀河英雄伝説におけるヤン・ウェンリーの「エル・ファシルの英雄」のエピソードを思い浮かべます。作者の田中芳樹は、古今の戦いについては造詣が深いはずなので、両者の間には関係がありそうに思います。



エジェアバトの港が近づいてきました。



南欧を思わせる家並みが広がっていました。



港には、フェリーが待機していました。三台で運行されているようです。

上陸のためにバスに戻りました。



エジェアバトの街でみかけたスルタンらしき銅像。



ダーダネルス海峡を抜けるとマルマラ海が広がるようになりました。



イスタンブールには、夜になって到着しました。トルコの旅でも、ようやく長時間のバス移動は終わりました。

イスタンブールの宿泊は、GRAND CEVAHILでした。新市街地にあり中心部からは離れており、出歩くには不便な場所にありました。
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