トルコにはイスタンブールから入国しましたが、到着の晩に泊まっただけで、他の観光地に移動してしまったため、旅の最後にイスタンブール観光をすることになりました。
ホテルは新市街地にあったため、金角湾を渡って旧市街地に入りました。アタチュルク橋の上からは、丘の上に威容を誇るスュレイマニエ・ジャーミィが目に飛び込んできました。
スュレイマニエ・ジャーミィは、オスマントルコ帝国が最も反映した時代のスュレイマニエ大帝が造らせた寺院で、1557年に完成しました。
続いてヴァレンス水道橋が現れました。ヴィザンツ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、ヴァレンス帝の時代の378年に完成しました。オスマン帝国時代もメフメット2世が修復して使用していましたが、現在では使われなくなっています。もとは1kmあったものが、現在でも800m残っています。
旧市街地の所々で、かつてイスタンブールを守った城壁の跡を見ることができます。この城壁は、マルマラ海に面しているので、高さは比較的低くなっています。
最初の見学地は、ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメット・ジャーミィになりました。広場でバスを下りると、スルタンアフメット・ジャーミィが美しい姿を現しました。
この広場の反対側には、アヤソフィアがありますが、これについては別項目にて。
外壁に沿って入り口に向かいます。細い柱やアーチが、イスラム建築の特徴を示しています。
ドームが頭上に高くそびえています。
正門のようですが、入り口は奥にあります。
礼拝前のうがい用の水道施設が並んでいました。
モスクに入場するには靴を脱ぐ必要があるため、入り口が混みあい少し待つ必要がありました。
ミナレットを見上げたり、野良猫を眺めながらしばらく待ちました。
モスクの中は、観光客で大混雑になっていました。
高さ43m、直径27.5mの大ドームが見下ろしています。
このスルタンアフメット・ジャーミィは、現在でも礼拝所として使われているため、信者用スペースが設けてあります。写真撮影のためには好都合ともいえます。天井から吊るされたリング状の灯りが独特の雰囲気を作っています。モスク内の床には、絨毯が敷き詰められています。
写真の中央にメッカの方向を示す窪みのミフラーブ、その右手に説教壇が見えています。
ステンドグラスの窓から柔らかく光が差し込んでいました。
モスク内は、2万枚以上のタイルで飾られています。青を基調としたイズミックタイルが使われていることから、ブルーモスクとも呼ばれています。当時イズミックタイル1枚が金貨7枚分に相当したというので、どれだけの財力を注いだのか想像もできません。
イスラムの教えによって、幾何学や草花の模様が描かれています。
天井を見上げて、壁の装飾を鑑賞することになりました。
大ドームと小ドーム、柱、回廊が複雑な構造を形作っています。
外に出て、広場から全景を眺めました。スルタンアフメット・ジャーミィは、他では見られない6本のミナレットを持っています。メッカ以外は、通常4本のミナレットしか持てないとされています。
この6本のミナレットは、「黄金(アルトゥン)」というアフメット1世の指示を「6本(アルトゥ)」と聞き間違って造られたためという言い伝えがあります。また、金では費用がかかりすぎるため、設計士が気をきかせたという話もあります。
なお、後日談になりますが、6本のミナレットはイスラム教の聖地メッカのモスクと同じになってしまったため、メッカの格式を保つためにスルタンアフメット1世はメッカにミナレットを1本寄進したと言います。
大ドームの周りに4つの副ドーム、30の小ドームが並んでいます。
トルコにはさまざまな文明が入り込んでいるため、旅の終わりになって、ようやくオスマントルコの遺構を見学することになりました。
ホテルは新市街地にあったため、金角湾を渡って旧市街地に入りました。アタチュルク橋の上からは、丘の上に威容を誇るスュレイマニエ・ジャーミィが目に飛び込んできました。
スュレイマニエ・ジャーミィは、オスマントルコ帝国が最も反映した時代のスュレイマニエ大帝が造らせた寺院で、1557年に完成しました。
続いてヴァレンス水道橋が現れました。ヴィザンツ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、ヴァレンス帝の時代の378年に完成しました。オスマン帝国時代もメフメット2世が修復して使用していましたが、現在では使われなくなっています。もとは1kmあったものが、現在でも800m残っています。
旧市街地の所々で、かつてイスタンブールを守った城壁の跡を見ることができます。この城壁は、マルマラ海に面しているので、高さは比較的低くなっています。
最初の見学地は、ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメット・ジャーミィになりました。広場でバスを下りると、スルタンアフメット・ジャーミィが美しい姿を現しました。
この広場の反対側には、アヤソフィアがありますが、これについては別項目にて。
外壁に沿って入り口に向かいます。細い柱やアーチが、イスラム建築の特徴を示しています。
ドームが頭上に高くそびえています。
正門のようですが、入り口は奥にあります。
礼拝前のうがい用の水道施設が並んでいました。
モスクに入場するには靴を脱ぐ必要があるため、入り口が混みあい少し待つ必要がありました。
ミナレットを見上げたり、野良猫を眺めながらしばらく待ちました。
モスクの中は、観光客で大混雑になっていました。
高さ43m、直径27.5mの大ドームが見下ろしています。
このスルタンアフメット・ジャーミィは、現在でも礼拝所として使われているため、信者用スペースが設けてあります。写真撮影のためには好都合ともいえます。天井から吊るされたリング状の灯りが独特の雰囲気を作っています。モスク内の床には、絨毯が敷き詰められています。
写真の中央にメッカの方向を示す窪みのミフラーブ、その右手に説教壇が見えています。
ステンドグラスの窓から柔らかく光が差し込んでいました。
モスク内は、2万枚以上のタイルで飾られています。青を基調としたイズミックタイルが使われていることから、ブルーモスクとも呼ばれています。当時イズミックタイル1枚が金貨7枚分に相当したというので、どれだけの財力を注いだのか想像もできません。
イスラムの教えによって、幾何学や草花の模様が描かれています。
天井を見上げて、壁の装飾を鑑賞することになりました。
大ドームと小ドーム、柱、回廊が複雑な構造を形作っています。
外に出て、広場から全景を眺めました。スルタンアフメット・ジャーミィは、他では見られない6本のミナレットを持っています。メッカ以外は、通常4本のミナレットしか持てないとされています。
この6本のミナレットは、「黄金(アルトゥン)」というアフメット1世の指示を「6本(アルトゥ)」と聞き間違って造られたためという言い伝えがあります。また、金では費用がかかりすぎるため、設計士が気をきかせたという話もあります。
なお、後日談になりますが、6本のミナレットはイスラム教の聖地メッカのモスクと同じになってしまったため、メッカの格式を保つためにスルタンアフメット1世はメッカにミナレットを1本寄進したと言います。
大ドームの周りに4つの副ドーム、30の小ドームが並んでいます。
トルコにはさまざまな文明が入り込んでいるため、旅の終わりになって、ようやくオスマントルコの遺構を見学することになりました。