
ボスフォラス海峡クルーズ船が第2ボスフォラス大橋に近づくと、左手にルメリ・ヒサールの円塔が見えてきました。

ルメリ・ヒサールは、1452年、メフメット2世がコンスタンチノーブル攻略のために築いた要塞です、アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように造られ、海上封鎖によって、ビザンチン帝国への食糧・武器の運搬を阻止しました。

コンスタンチノーブル攻略のため、4ヶ月で築き上げられたといいます。

しばらくは、城塞を眺め続けました。


海辺から丘の上まで城壁が延び、堅固な要塞であることが見て取れます。

正式にはファティヒ・スルタン・メフメット大橋と呼ばれる第2ボスフォラス大橋が頭上に迫ってきました。

全長は約1200m、高さ約64mで、日本の政府開発援助のもと日本企業も参加して造られました。

第2ボスフォラス大橋の下で引き返しになりました。

アジア側に築かれた要塞のアナドル・ヒサールが現れました。

アナドル・ヒサールは修復されていないため、住宅に囲まれてしまっています。

キュチュクス宮殿

ボスフォラス海峡は、大型船も通過します。海峡は狭く海流が複雑なため、専用の案内人によって運航されるとのことです。

アジア側でも、ボスフォラス海峡に面して、高級住宅地が広がっています。

クレリ海軍学校

ボスフォラス大橋まで戻ってきました。



ベイレルベイ宮殿

夕暮れが近づいて、空が赤くなってきました。

旧市街に立ち並ぶハレムの正義の塔、アヤソフィアやスルタンアフメット・ジャミイのミネレットも見えてきました。

ボスフォラス海峡の入り口にある小島には、クズ塔(乙女の塔)が建てられています。

かつては灯台として使われていましたが、現在はレストランになっているようです。

金角湾に入ると、茜色に染まる空にモスクのシルエットが浮かびました。


ガラタ橋のたもとの乗船場に戻ってクルーズは終わりました。
ボスフォラス海峡クルーズは、船上からの眺めを楽しめることと並んで、イスタンブールの街を把握するのに役にたちました。

なお、オスマントルコのコンスタンチノープル攻略の経緯については、塩野七生著「コンスタンティノーブルの陥落」が参考になります。イスタンブール訪問の際には、是非読んでおくことをお勧めします。

ルメリ・ヒサールは、1452年、メフメット2世がコンスタンチノーブル攻略のために築いた要塞です、アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように造られ、海上封鎖によって、ビザンチン帝国への食糧・武器の運搬を阻止しました。

コンスタンチノーブル攻略のため、4ヶ月で築き上げられたといいます。

しばらくは、城塞を眺め続けました。


海辺から丘の上まで城壁が延び、堅固な要塞であることが見て取れます。

正式にはファティヒ・スルタン・メフメット大橋と呼ばれる第2ボスフォラス大橋が頭上に迫ってきました。

全長は約1200m、高さ約64mで、日本の政府開発援助のもと日本企業も参加して造られました。

第2ボスフォラス大橋の下で引き返しになりました。

アジア側に築かれた要塞のアナドル・ヒサールが現れました。

アナドル・ヒサールは修復されていないため、住宅に囲まれてしまっています。

キュチュクス宮殿

ボスフォラス海峡は、大型船も通過します。海峡は狭く海流が複雑なため、専用の案内人によって運航されるとのことです。

アジア側でも、ボスフォラス海峡に面して、高級住宅地が広がっています。

クレリ海軍学校

ボスフォラス大橋まで戻ってきました。



ベイレルベイ宮殿

夕暮れが近づいて、空が赤くなってきました。

旧市街に立ち並ぶハレムの正義の塔、アヤソフィアやスルタンアフメット・ジャミイのミネレットも見えてきました。

ボスフォラス海峡の入り口にある小島には、クズ塔(乙女の塔)が建てられています。

かつては灯台として使われていましたが、現在はレストランになっているようです。

金角湾に入ると、茜色に染まる空にモスクのシルエットが浮かびました。


ガラタ橋のたもとの乗船場に戻ってクルーズは終わりました。
ボスフォラス海峡クルーズは、船上からの眺めを楽しめることと並んで、イスタンブールの街を把握するのに役にたちました。

なお、オスマントルコのコンスタンチノープル攻略の経緯については、塩野七生著「コンスタンティノーブルの陥落」が参考になります。イスタンブール訪問の際には、是非読んでおくことをお勧めします。