
ドゥイカルの丘での夜明け見物を終えからホテルに戻って朝食をとり、改めてホーパル氷河の観光に出発しました。
ドゥイカルの丘と同じく、細い山道が続くため、四輪駆動車に分乗して向かいます。

ホテルのあるカリマバードの村から一旦山を下ります。

フンザ川を渡ります。左岸に続く道は、第7日目に進むことになるカラコルム・ハイウェイです。

河原には、砂金採りのテントが張られていました。

フンザ川の支流のナガール谷に進みます。

支流を左岸に渡りました。

橋を渡ると、急斜面の九十九折の登りになりました。土砂崩れを起こしやすそうな急斜面に道が付けられています。落ちたら谷底まで一直線です。

ひと登りすると台地が広がり、家の周りを石垣で囲ったナガールの村に出ました。
フンザ王国とその川を挟んだ対岸に位置するナガール王国は、1974年まで「藩王国」としての伝統と文化を守り続けました。フンザとナガールは元々一つの王国でしたが、後継者であった双子の兄弟の仲が悪かったことから王国を2つに分けたといいます。隣接しながらも長期にわたり争い、戦いを繰り返したといいます。

ナガールの村の中心には、僅かな商店が並んでいるだけです。カリマバードと比べると、わびしい村です。
1978年のカラコルム・ハイウェイの完成によって昔ながらの伝統的な生活が壊れることを危惧した旧ナガール王国の住民は、カラコルム・ハイウェイの建設に反対したといいます。結果としてハイウェイはフンザの中心を走ることとなり、フンザには多くの物資が運ばれ、旅行者が訪れるようになりましたが、ナガールは訪れる人も少なく、今なお素朴な雰囲気が残されることになりました。

道路脇の子供たちが手を振っていました。

ナガールの村を通り過ぎたところで、ゴールデンピーク(スパンティーク)(7027m)の眺めの良い所があり、一時停車になりました。

高さ1500mの垂直の壁は、厳しさよりも美しさを感じさせます。

風景を楽しんでいると、どこからともなく子供が現れました。


再び走りだすと、谷奥に鋭鋒が現れました。これから訪れるホーパル氷河(ブアルタール氷河)にちなんでブアルタール・ピークと呼ばれるようです。

しばらくはこの山を眺めながら進むことになりました。

標高は6000m程度の立派な山なのですが、周りが山だらけなので、旅の途中で手に入れたカラコルム山系の20万分の1地図にも名前が載っておらず、ネットで出てきたこの名前も確かなものかは判りません。

ゴールデンピーク(スパンティーク)の左のギルギンディール(5296m)が大きく見えるようになってきました。

ホーパル村が近づいてきました。

急斜面に、車一台の幅で曲がりくねった道が付けられていました。運転練習所のような道ですが、脱輪は転落死につながります。

このような奥地に平地がと驚かされました。隠れ里といった雰囲気のホーパル村でした。

ブアルタール・ピークも目の前に迫ってきました。

ホテルの中庭で車を下りて10分ほど歩くと、ホーパル氷河(ブアルタール氷河)の縁に出ました。ここの標高は、約2800mあるようです。

ホーパル氷河(ブアルタール氷河)は、ディランから流れ落ちていますが、ディランの山頂は隠れています。稜線から氷河に落ち込む斜面は、今にも雪崩落ちそうです。

氷河の上にそそり立つブアルタール・ピークですが、少し遠くから見た方が美しく見えました。

氷河は、表面が黒くなっていました。これは氷河によって削られた砂が表面に出ているためです。

振り返り見たラカポシ方面は雲が出てきていました。

ラカポシⅡ峰の山頂部だけが雲の中から現れていました。

氷河見物をしていると、物売りが集まってきました。このラピスラズリを買ったというか、買わされました。
底辺11センチの大きさで、文鎮代わりにも手頃です。
ラピスラズリは、12月の誕生石にもなっている貴石です。このラピスラズリから造られた顔料が、ウルトラマリンです。天然ウルトラマリンは、その原料となるラピスラズリが、ヨーロッパの近くではアフガニスタンでしか産出せず、それが海路で運ばれたため、「海を越えて(来る・来た青)」という意味から名前が付けられました。ウルトラマリンは、敦煌壁画でも使われていますが、西洋では金よりも高価であったため、この貴重な顔料をめったに使用できず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品になっていました。このウルトラマリンをおしみなく使った画家としてフェルメールが有名です。フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」は、少女のターバンが青く塗られており、「青いターバンの少女」とも呼ばれていますが、ここに使われているのがウルトラマリンです。
ラピスラズリは、白い石を青く染めた偽物も出回っているようですが、偽物鑑別法の一つである濡らした布で拭いて確かめましたが、色落ちはしませんでした。

帰りの途中、車が停まりました。ここで、宮本輝原作・映画「草原の椅子」の終盤近く、老人に瞳の中の星を見てもらうというシーンが撮影されたといいます。この映画は、西遊旅行社がバックアップし、フンザ出身のガイドのイサームさんも出演しています。
映画「草原の椅子」は、帰国後にレンタルビデオで見ましたが、残念なデキという感想です。フンザでの撮影時に天候に恵まれなかったようで、せっかくの大展望が撮影できていません。そのため、フンザの写真を見て、フンザを訪れるという動機が判らないものになっています。フンザの風景は、この映画で見られるものよりは、もっともっと素晴らしいということを書いておく必要があります。

フンザ川まで下りてきて、対岸のカリマバードを眺めました。ウルタルは、雲に隠されていました。
ドゥイカルの丘と同じく、細い山道が続くため、四輪駆動車に分乗して向かいます。

ホテルのあるカリマバードの村から一旦山を下ります。

フンザ川を渡ります。左岸に続く道は、第7日目に進むことになるカラコルム・ハイウェイです。

河原には、砂金採りのテントが張られていました。

フンザ川の支流のナガール谷に進みます。

支流を左岸に渡りました。

橋を渡ると、急斜面の九十九折の登りになりました。土砂崩れを起こしやすそうな急斜面に道が付けられています。落ちたら谷底まで一直線です。

ひと登りすると台地が広がり、家の周りを石垣で囲ったナガールの村に出ました。
フンザ王国とその川を挟んだ対岸に位置するナガール王国は、1974年まで「藩王国」としての伝統と文化を守り続けました。フンザとナガールは元々一つの王国でしたが、後継者であった双子の兄弟の仲が悪かったことから王国を2つに分けたといいます。隣接しながらも長期にわたり争い、戦いを繰り返したといいます。

ナガールの村の中心には、僅かな商店が並んでいるだけです。カリマバードと比べると、わびしい村です。
1978年のカラコルム・ハイウェイの完成によって昔ながらの伝統的な生活が壊れることを危惧した旧ナガール王国の住民は、カラコルム・ハイウェイの建設に反対したといいます。結果としてハイウェイはフンザの中心を走ることとなり、フンザには多くの物資が運ばれ、旅行者が訪れるようになりましたが、ナガールは訪れる人も少なく、今なお素朴な雰囲気が残されることになりました。

道路脇の子供たちが手を振っていました。

ナガールの村を通り過ぎたところで、ゴールデンピーク(スパンティーク)(7027m)の眺めの良い所があり、一時停車になりました。

高さ1500mの垂直の壁は、厳しさよりも美しさを感じさせます。

風景を楽しんでいると、どこからともなく子供が現れました。


再び走りだすと、谷奥に鋭鋒が現れました。これから訪れるホーパル氷河(ブアルタール氷河)にちなんでブアルタール・ピークと呼ばれるようです。

しばらくはこの山を眺めながら進むことになりました。

標高は6000m程度の立派な山なのですが、周りが山だらけなので、旅の途中で手に入れたカラコルム山系の20万分の1地図にも名前が載っておらず、ネットで出てきたこの名前も確かなものかは判りません。

ゴールデンピーク(スパンティーク)の左のギルギンディール(5296m)が大きく見えるようになってきました。

ホーパル村が近づいてきました。

急斜面に、車一台の幅で曲がりくねった道が付けられていました。運転練習所のような道ですが、脱輪は転落死につながります。

このような奥地に平地がと驚かされました。隠れ里といった雰囲気のホーパル村でした。

ブアルタール・ピークも目の前に迫ってきました。

ホテルの中庭で車を下りて10分ほど歩くと、ホーパル氷河(ブアルタール氷河)の縁に出ました。ここの標高は、約2800mあるようです。

ホーパル氷河(ブアルタール氷河)は、ディランから流れ落ちていますが、ディランの山頂は隠れています。稜線から氷河に落ち込む斜面は、今にも雪崩落ちそうです。

氷河の上にそそり立つブアルタール・ピークですが、少し遠くから見た方が美しく見えました。

氷河は、表面が黒くなっていました。これは氷河によって削られた砂が表面に出ているためです。

振り返り見たラカポシ方面は雲が出てきていました。

ラカポシⅡ峰の山頂部だけが雲の中から現れていました。

氷河見物をしていると、物売りが集まってきました。このラピスラズリを買ったというか、買わされました。
底辺11センチの大きさで、文鎮代わりにも手頃です。
ラピスラズリは、12月の誕生石にもなっている貴石です。このラピスラズリから造られた顔料が、ウルトラマリンです。天然ウルトラマリンは、その原料となるラピスラズリが、ヨーロッパの近くではアフガニスタンでしか産出せず、それが海路で運ばれたため、「海を越えて(来る・来た青)」という意味から名前が付けられました。ウルトラマリンは、敦煌壁画でも使われていますが、西洋では金よりも高価であったため、この貴重な顔料をめったに使用できず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品になっていました。このウルトラマリンをおしみなく使った画家としてフェルメールが有名です。フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」は、少女のターバンが青く塗られており、「青いターバンの少女」とも呼ばれていますが、ここに使われているのがウルトラマリンです。
ラピスラズリは、白い石を青く染めた偽物も出回っているようですが、偽物鑑別法の一つである濡らした布で拭いて確かめましたが、色落ちはしませんでした。

帰りの途中、車が停まりました。ここで、宮本輝原作・映画「草原の椅子」の終盤近く、老人に瞳の中の星を見てもらうというシーンが撮影されたといいます。この映画は、西遊旅行社がバックアップし、フンザ出身のガイドのイサームさんも出演しています。
映画「草原の椅子」は、帰国後にレンタルビデオで見ましたが、残念なデキという感想です。フンザでの撮影時に天候に恵まれなかったようで、せっかくの大展望が撮影できていません。そのため、フンザの写真を見て、フンザを訪れるという動機が判らないものになっています。フンザの風景は、この映画で見られるものよりは、もっともっと素晴らしいということを書いておく必要があります。

フンザ川まで下りてきて、対岸のカリマバードを眺めました。ウルタルは、雲に隠されていました。