さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ボカ・コトルスカ

2014年07月31日 | 海外旅行
ドゥブロヴニクを出発してアドリア海の沿岸を南下すると、モンテネグロに入りました。通関に時間が掛かる場合もあるようですが、停車も僅かで入国できました。

モンテネグロに入ると海辺に開けたヘルツェグ・ノヴィの街に出ました。



ヘルツェグ・ノヴィは、夏のリゾート地として開けているようです。



また、この街は、ボカ・コトルスカと呼ばれる内湾の入り口の戦略的要所になるため、城壁で囲まれ、支配者も幾度も交代しました。



アドリア海から奥に向かって、ヘルツェグ・ノヴィ湾、ティヴァット湾、リサン湾さらにコトル湾が連なっており、これら4つを総称してボカ・コトルスカと呼びます。



ボカ・コトルスカは、北欧のフィヨルドを思わせる風景を見せており、大型の観光船も入ってきていました。



フェリーが見えてきました。



ティヴァット湾とリサン湾を結ぶ海峡は幅が狭く、カメナリとレペタネの間でフェリーが運航されています。このフェリーを使えば、コトルまでの走行を短縮できますが、行きは風景を眺めるために湾岸に走り、帰りにフェリーに乗りました。



対岸のレペタネの街。



海岸線に沿って走ってリサン湾に入ったところで、写真ストップになりました。岩山に囲まれた湾に二つの小島が浮かぶ風景が広がっていました。



小島の一つには岩礁のマリア教会が建てられています。15世紀、小さな岩礁で漁師が聖母のイコンを発見し、聖なる地として十字架を立てました。その後、住民たちは、岩などを沈めて少しずつ埋め立て、やがて島が出来上がったといいます。17世紀には教会が完成し、中は絵画で埋め尽くされているといいます。



もう一つはセント・ジョージ島で修道院がありますが、一般人は立ち入り禁止とのことです。



対岸には、ペラストの街が広がっています。湾を囲んで黒々とした岩山が聳えていますが、これがモンテ・ネグロ(黒い山)の国名の由来になっています。



ペラストは、現在では、岩礁のマリア教会観光の起点となるだけの鄙びた街ですが、中世の頃にはヴェネチア共和国の海軍学校を擁し、軍事・商業の要衝として栄えていたといいます。



リサン湾を大きく回り込んでいきます。



先ほどの展望地の反対側に回り込んできました。



セント・ジョージ島も木立に遮られずに良く見えるようになってきました。



ペラストを通過しました。



湾には魚の養殖筏が浮かんでいました。

この後でコトルに到着するのですが、帰りに使ったフェリーの様子も合わせて載せておきます。



帰りはレペタネからフェリーに乗りました。



バスでフェリーに乗り込んだ後は甲板におりて見学することができました。



対岸のカメナリの街。



海上から振り返ったレペタネの街。





遠くにペラストの街を望むことができました。



フェリーは、短い間隔で運行していました。



10分ほどの航海でカメナリの街に到着しました。

なお、このボカ・コトルスカの一部は、「コトルの自然と文化歴史地域」として世界遺産の構成資産になっています。
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