さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 コトル その1

2014年08月04日 | 海外旅行
コトルに到着してバスを降りると、まず堀を巡らせた城壁が目に入ってきました。

コトルの起源はギリシャ時代に遡ることができますが、15世紀以降ヴェネチアの支配下の要塞都市として発達しました。



城壁の高さは、最高で20mあり、背後の山の上まで4.5kmも延びています。中腹には、救世聖女教会が置かれています。



コトルの西門前に出てきました。観光客で賑わっていました。



西門は、海の門とも呼ばれ、海からの訪問者の正門でした。



西門の脇の城壁には、ベネチア共和国のシンボルの聖マルコの有翼獅子のレリーフが飾られていました。



西門の上部に飾られているのは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章です。5つの松明を、「29-XI-1943」と書かれた青いリボンで束ねられた麦のリースで囲み、その上に赤い星を配置しています。5つの松明はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人という5つの主要民族を表したもので、1960年代後半からはムスリム人が加えられて6つの松明になっています。

今回の旅でも、ユーゴスラビアの国章を見るのは初めてでした。



入り口のアーチの上に飾られた人物像は、素性は判りませんが、面白い表情をしています。



西門の中にの通路には、聖母像が飾られていました。



西門から城内に入ると時計塔が目に飛び込んできます。



時計塔の下には、小さなピラミッド状のモニュメントが置かれています。



コトルでは、主要な建造物にはこのような説明板が取り付けられており、見学の助けになりました。時計塔は17世紀に造られたとのこと。



通過してきた西門を振り返ったところ。



西門の脇には防御のための塔が設けられていました。



城壁には部屋やバルコニーが設けられています。



西門を入ったところのオルジャ広場は、古い建物で囲まれています。

コトルは、1979年に地震によって大きな被害を被り、世界遺産と危機遺産を同時に認定されましたが、現在では完全に復旧されています。



背後の山を見上げると、救世聖女教会を眺めることができました。そこまで登ってみたいのですが、自由時間は限られており、そこまで行けませんでした。



コトルの街を反時計回りに歩いて見学しました。この日の天気は変わりやすく、雨が時折り降ってきました。



ベスクツァの館。15~18世紀にかけて造られました。



小路を歩いていくと広場に出ました。



ピマの館。17世紀の建物です。窓枠が青く塗られているのが印象的です。



入り口に飾られた天使のレリーフ。



団体の観光客で賑わっていました。



聖トリフン大聖堂が現れました。コトルはローマ・カトリック教会と東方正教会の文化圏の境にあたり、街には両方の教会があります。こちらはローマ・カトリック教会のもの。ロマネスク様式の建物は塔の部分をのぞいて1160年の創建当時の姿を留めています。

残念ながら、内部は見学せずにそのまま通過でした。



教会前の広場には、レストランが店開きしていました。



続けて海洋博物館が現れました。18世紀のバロック様式の建物を利用しています。



入り口には昔の大砲が飾られていました。



小路は城壁に沿うように緩やかなカーブを描きながら続いていきます。



昔の井戸が現れました。



観光客は大勢いましたが、雨のせいか地元住民はあまり見かけず、時が止まったようにひっそりした感じでした。
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