さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 メクネス

2019年04月18日 | 海外旅行
フェズのメディナの見学を午前中に終え、車で1時間30分ほどの距離にあるメクネスに向かいました。

メクネスは、メクネッサ・ザイトゥーンという別名を持ちます。これは「メクネッサ族のオリーブ」という意味で10世紀頃にベルベル系メクネッサ族がこの都市を造り、周囲にオリーブやブドウなどの農地を造ったことに由来します。

車窓からもオリーブ畑を眺めることができました。



車道脇でオリーブを売っていました。



メクネスが、17世紀、アラウィー朝のムーレイ・イスマイルの時代に最盛期を迎えました。王は古い建物を壊して数多くの城壁、門、モスクを建てて、同時代のルイ14世によるヴェルサイユ宮殿に匹敵する豪華な王国を造ろうとしました。首都として半世紀続いた後に、マラケシュやフェズにその地位が移ってしまい、メクネスは歴史の舞台から去ることになりました。



メクネスでは、多くの門がみられました。



車を降りて歩いていくとムーレイ・イスマイル廟の前に出たようですが、門が閉ざされていました。壮麗な王都の建設を夢見るものの。その完成を見ることなく世を去ったムーレイ・イスマイルの遺体が安置されています。



街中にも城壁が続いていました。



ララ・アウタ広場に出てきました。



広々とした広場で、フェズと違った解放感がありました。





城壁の向こうには、グラン・モスクのミナレットが聳えていました。



メディナ内に進みました。



メディナ内のレストランでタジン料理の昼食をとりました。



昼食後、マンスール門にやってきました。



マンスール門は、ムーレイ・イスマイルが手掛けた最後の建造物で、彼の死後息子によって1732年に完成されました。マンスール・エルアジュール門とも言われ、「改宗者の勝利の門」という意味です。由来は、キリスト教に改宗したキリスト教徒のマンスールが設計したためと言われています。



門は、細かいモザイクで飾られていました。



脇の飾り。



マンスール門の前は、エディム広場で露店が並んでいました。



メクネスの見学はこれで終わりとなり、バスに乗ってヴォルビリス遺跡へ向かいました。



車窓から、タジン鍋を並べたレスランを眺めることができました。昼時とあって、タジン鍋内に材料をセットして準備してあるようです。



ヴォルビリス遺跡に向かう途中、丘の山頂からふもとまで建物が並ぶ街が見えてきました。これはムーレイ・イドリスの街で、ここには、第4代カリフ、アリと予言者ムハンマドの娘ファティマの子供のハッサンの子孫「イドリス・イブン・アブドゥッラー(イドリス1世)が埋葬されており、「聖者の街」」と呼ばれています。
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