さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 ヴォルビリス遺跡 その1

2019年04月23日 | 海外旅行
メクネスから北に30km、30分ほどのドライブでヴォルビリス遺跡が見えてきました。



入り口から見たヴォルビリス遺跡。

ここには、紀元前1世紀頃にベルベル人のマウリ部族の王国の首都がおかれ、ローマ時代には帝国の西限に位置する重要な都市としてローマ属州の州都になりました。「マウレタニア・ティンギタナ」と呼ばれ、全盛期には2万人もの人々が住んでいました。都市の遺跡は、1755年のリスボン大地震によって大きな被害を受けましたが、現在でも発掘が進められており、モロッコにおけるローマ遺跡の中では唯一世界遺産に認定されています。



入り口から入ってすぐに、北に向かう中央の遊歩道から別れて西側の丘に上がりました。



古い敷石が残っていました。



住宅が並んでいたようです。



隣の区画では、モザイクが残されていました。



魚が描かれています。



続いてはオルフェウスの家。オルフェウスのモザイクが残されていることから名前が付けられています。



中央に描かれているのはオルフェウスです。竪琴の名手のオルフェウスが演奏すると、森の動物たちが集まり耳を傾けたという場面が描かれています。



隣にもモザイクが見えています。



海の生き物が描かれています。ガリエヌス帝の浴場の一部のようです。



温水を供給する設備が残されていました。



製油所跡で、オリーブオイルを絞る装置が展示されていました。





中央施設を示すフォーラムに置かれたバシリカ礼拝堂が見えてきました。右奥に見える柱はキャピトル。



キャピトルは、ゼウスを祀る神殿です。



バシリカ礼拝堂。

バシリカは公的な会議、取引所、裁判所、市場の場でしたが、キリスト教が入ってくると教会として使われました。





バシリカ礼拝堂の柱にコウノトリが巣を作っていました。



デザンタールの家。

デザンタールとはギリシャ語で2頭の馬を走らせながら馬から馬へと飛び移りながら操る技能を持った男のことを言います。当時の人気曲芸だったようです。モザイクは、のんびり歩く馬に乗っているようにしか見えませんが。



海の生き物が描かれています。



バシリカ礼拝堂を振り返り見たもの。



遺跡内には花も咲いていました。



トイレ。

ローマ時代のトイレは、中国のニーハオ・トイレよりも隣との距離が近く、現在人には使えないでしょうね。



ヴォルビリスの西門になっているカラカラ帝の凱旋門。

212年、カラカラ帝は「アントニウス勅令」を発布し、全属州の自由民にローマ市民権を付与しました。それに伴い属州民税を納める必要が無くなったことから、属州のヴォルビリスは財政的に楽になり、また市民権取得のためにローマ軍に入る必要もなくなりました。この凱旋門は、カラカラ帝への感謝のために277年に建てられました。もっともカラカラ帝は、ローマ帝国の暴君の一人に挙げられ、残虐な行為も多く信頼を失って、217年にパルティア遠征中に部下に暗殺されました。ということは、この凱旋門は、カラカラ帝が亡くなった後に建てられたことになります。





カラカラ帝の凱旋門の装飾として残されているのは、風化が進んでいますがカラカラ帝の肖像でしょうか。

ヴォルビリス遺跡は広大で、見学はさらに続きました。
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