
鳳凰古城の見学の前に、まず南方長城を訪れました。南方長城は翌日の予定でしたが、この日は丸一日を鳳凰古城に当てることができるため、前倒しすることになりました。
南方長城は、鳳凰の街から10kmほどの郊外にあります。
南方長城は、明代(1554年)から68年の年月をかけ建てられ、南は貴州省の銅仁から北は吉首まで総距離380キロメートルにも及ぶ中国歴史上の一大土木工事に数えられます。
良く知られている万里の長城は、北方騎馬民族に対する防御のために、秦の始皇帝の時代に建築がはじまりましたが、現在残されているものは、大部分が明の時代の建造です。一方、この南方長城は、漢民族に同化しない苗族(ミャオ族)を隔離して支配するために使われました。
丘の下に入場口があります。

丘の上に東門城楼が見えています。

急な階段を上ります。一般的な観光客は、この階段でも息が切れるでしょうね。

東門城楼を通り過ぎて振り返ったところ。

楼門を過ぎた先は、石畳の広場になっています。石畳広場には、超大型の囲碁盤が造られています。2003年と2005年には、黒服と白服とを着て頭に笠をかぶった子供を碁石として、中韓囲碁団体戦が行われたといいます。南方長城における囲碁の歴史的背景があるかは不明です。

広場の奥には、西門城楼が見えています。

広場の周りには城壁がめぐらされています。

城壁は丘の上まで延びているのが見えました。自由時間となり、頂上まで登ってくることになりました。

石段の連続で登山なみに息が切れました。

石段を振り返ったところ。

途中のテラスで息を整えました。

大砲も置かれていました。

中段の広場を見下ろしたところ。かなりの高度感があります。

頂上も近づいてきました。

丘の上は台地状になっており、城壁が取り巻いていました。

岩の上に南方長城なんとかと書かれた碑が置かれていました。

最高点を目指しました。

丘の上の広場を振り返ったところ。

最高点に置かれた城楼。

城壁を一周していくと、北に向かって城壁が延びていくのが見えました。

西側の石段を下りました。かなりの傾斜です。

尾根沿いに造られた城壁から、広場に向かって方向を変えました。

条項を変えた先からは、石段の傾斜も緩やかになりました。

東門城楼も目に入ってきました。

中段の広場の全景。

広場に戻ってきました。

広場には、巨大な鉾が置かれていました。関羽の武器ということのようですが、いくらなんでも人が持ち上げることは不可能です。

南方長城の駐車場の前では、酒を売っていました。焼酎のような強い蒸留酒のようです。
南方長城は、石積みの様子からすると、ほとんどが新しく建造されたもののようですが、明の時代の防衛機構という点で、興味深く見学しました。
南方長城は、鳳凰の街から10kmほどの郊外にあります。
南方長城は、明代(1554年)から68年の年月をかけ建てられ、南は貴州省の銅仁から北は吉首まで総距離380キロメートルにも及ぶ中国歴史上の一大土木工事に数えられます。
良く知られている万里の長城は、北方騎馬民族に対する防御のために、秦の始皇帝の時代に建築がはじまりましたが、現在残されているものは、大部分が明の時代の建造です。一方、この南方長城は、漢民族に同化しない苗族(ミャオ族)を隔離して支配するために使われました。
丘の下に入場口があります。

丘の上に東門城楼が見えています。

急な階段を上ります。一般的な観光客は、この階段でも息が切れるでしょうね。

東門城楼を通り過ぎて振り返ったところ。

楼門を過ぎた先は、石畳の広場になっています。石畳広場には、超大型の囲碁盤が造られています。2003年と2005年には、黒服と白服とを着て頭に笠をかぶった子供を碁石として、中韓囲碁団体戦が行われたといいます。南方長城における囲碁の歴史的背景があるかは不明です。

広場の奥には、西門城楼が見えています。

広場の周りには城壁がめぐらされています。

城壁は丘の上まで延びているのが見えました。自由時間となり、頂上まで登ってくることになりました。

石段の連続で登山なみに息が切れました。

石段を振り返ったところ。

途中のテラスで息を整えました。

大砲も置かれていました。

中段の広場を見下ろしたところ。かなりの高度感があります。

頂上も近づいてきました。

丘の上は台地状になっており、城壁が取り巻いていました。

岩の上に南方長城なんとかと書かれた碑が置かれていました。

最高点を目指しました。

丘の上の広場を振り返ったところ。

最高点に置かれた城楼。

城壁を一周していくと、北に向かって城壁が延びていくのが見えました。

西側の石段を下りました。かなりの傾斜です。

尾根沿いに造られた城壁から、広場に向かって方向を変えました。

条項を変えた先からは、石段の傾斜も緩やかになりました。

東門城楼も目に入ってきました。

中段の広場の全景。

広場に戻ってきました。

広場には、巨大な鉾が置かれていました。関羽の武器ということのようですが、いくらなんでも人が持ち上げることは不可能です。

南方長城の駐車場の前では、酒を売っていました。焼酎のような強い蒸留酒のようです。
南方長城は、石積みの様子からすると、ほとんどが新しく建造されたもののようですが、明の時代の防衛機構という点で、興味深く見学しました。