さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 エジプト考古学博物館 その1

2018年03月19日 | 海外旅行
エジプト滞在の最終日ですが、エジプト観光で欠かせない見どころがまだ残っており、忙しい一日になりました。

エジプト考古学博物館の開館前の特別入場を行うために、早起きをしてホテルを出発しました。

シッタ・オクトーベル橋でナイル川を渡りました。



橋を渡るとタハリール広場に出て、これに面してエジプト考古学博物館があります。

タハリール広場はカイロのダウンタウン中心部にあり、19世紀にエジプト総督のイスマーイール・パシャによる都市計画で作られました。周辺は官庁街になっています。「タハリール」はアラビア語で「解放」の意味で、その名前もあってか、抗議行動の中心地になっており、2011年のエジプト革命ではここがデモの中心部となりました。暴徒が博物館に乱入したというニュースには驚かされました。



エジプト考古学博物館の開館は9時ですが、その前の7時に入場しました。貸し切りでの見学を2時間行うことができます。



博物館前には、上エジプトと下エジプトをを象徴するパピルスとロータスが植えられていました。



博物館の入り口の上には、ハトホル神のレリーフが置かれています。

エジプト考古学博物館は、1900年に35000点を展示する設計で建設されましたが、手狭で老朽化しています。近いうちに、ギザに建設中の大エジプト博物館に引き継がれることになっています。



前庭にもスフィンクスなどの石像が並んでいるのですが、今回の目的は館内の展示品です。



玄関を開けてもらい、博物館に入場しました。先回は館内へのカメラの持ち込みも禁止になっていましたが、今回は撮影自由になっていました。これだけでも再訪の価値がありました。エジプトでは、激減してしまった観光客誘致のために、王家の谷やカイロ考古学博物館での写真撮影の制限緩和が行なわれており、訪れるなら今でしょうという状態です。



見学は、まず2階に進んでツタンカーメンの黄金のマスクや棺の置かれている部屋から開始しました。

ツタンカーメンの黄金のマスクの置かれている部屋は撮影禁止のため、外からの撮影です。



ツタンカーメンの黄金のマスクを部屋の外から見ることができます。まず、黄金のマスクとの記念写真撮りを行いました。専門のカメラマンが撮影して、後でプリントを受け取ることになります。このサービスは、最近のツアーに含まれていることも多くなっています。ただ、黄金のマスクの部屋は人気も高くて見学者で大混雑になるので、その中で記念写真を撮ろうとすると、そばから離れさせられた一般見学者と険悪なムードになりそうです。



2階の黄金のマスクの部屋周辺には、ツタンカーメンの墓からの出土品がまとまって展示されています。

ツタンカーメンのミイラは、墓の中で4重の木の厨子に収められていました。



木の厨子の中に三重の人形の棺が入れ子型に収められていました。これは、真ん中の棺。金箔を貼った木製で、彩色ガラスや奇石のモザイクで飾られています。(黄金のマスクの部屋に置いてあって撮影できないので、現地購入のガイドブックからの写真です。)

なお、一番外側の棺は、ツタンカーメンのミイラを収めて王家の谷の墓に置いてあります。



一番内側の黄金の棺。黄金を打ち出したもので、110.4kgの重量を持ちます。(これも現地購入のガイドブックより)



黄金の棺の中にツタンカーメンのミイラは収められ、顔には黄金のマスクがかぶせられていました。(これも現地購入のガイドブックより)



黄金のマスクの部屋には、装飾類も置かれていましたが、撮影禁止のため、現地購入のガイドブックからの写真を載せておきます。



カノプス容器を収めた木製の厨子。廊下に並べられた展示物は写真撮影も自由でじっくりと見ることができました。

ミイラ作りの過程で心臓以外の内蔵は取り出され、樹脂で防腐処置が施されてから4つの部分に分けられて保存されました。それぞれを東西南北の四方を守護する者とされたホルスの4人の息子が守り、さらにそれを4人の女神が守護すると考えられていました。肝臓はイムセティとイシス女神、肺はハピとネフティス女神、胃はドゥアムテフとネイト女神、腸はケベフセヌエフとセルケト女神が守るとされています。

正面にはイシス女神が置かれることになっていたようですが、この厨子では、セルケト女神とネフティス女神の位置が間違っており、これは葬儀の準備が急がされたためと推測されています。



内蔵を納めるための容器という少々薄気味悪い目的と離れて、女神像は美しく感じられます。



それぞれの内蔵は黄金製の小型棺に収められてアラバスター製のカノプス容器に入れてありました。さらにアラバスター製カノブ櫃は、前の写真の木の厨子に収められていました。

手前に置かれているのは、アラバスター製カノブ櫃の蓋。



アラバスター製カノブ櫃の角には、守護するように手を広げた姿の女神が彫られています。





カノプス容器は、通常の女神型ではなく、ファラオの頭の形になっています。これも美しい姿をしています。



これも有名な黄金の玉座。木製の椅子に金箔が張られています。



ひじ掛けにはライオンの頭が飾られて、椅子の足もライオン型になっています。





背もたれには、妻のアンケセナーメンがツタンカーメンに香油を縫っている仲睦まじい場面が描かれています。

二人の頭上に描かれているのは、太陽神アテンの姿です。

アメンホテプ4世は、エジプトで信仰されていた多神教を一神教のアテン信仰に変えるアマルナ革命を行ない、自身の名前もアクエンアテンに改めました。この宗教改革は、あまりにも急激だったために、アメン神団の抵抗が激しく失て敗に終わって、アテン信仰は消滅しました。アクエンアテンの死後に王位を継いだのがツタンカーメンのため、アテン信仰の名残りを見ることができます。



玉座の右側のカルトゥーシュは、元々の名前の「トゥト・アンク・アテン」になっています。

ツタンカーメンの名前は、厳密な表記では「トゥト・アンク・アメン」になります。ツタンカーメンは、父王のアクエンアテンの宗教改革によって太陽神のアテン神が信仰されていた時代に生まれたため、元々は「トゥト・アンク・アテン」と名付けられました。アメン信仰の復活に伴って、アテンはアメンに変えられました。



玉座の左側のカルトゥーシュは即位名の「ネブ・ケプル・ラー」と刻まれているようです。



黄金の玉座の謎として、ツタンカーメンの右手の親指の位置が違っていることが揚げられます。

古代エジプトでは親指は霊魂の出入りする場所と考えられていたので、絵などを描く時は親指が見える様に描いたとのことです。エジプト美術では、絵を描く際に独自の規則があったようです。



また、二人は、一足のスリッパを片方ずつ履いています。仲が良い事を表す描写のようです。



玉座の後には、太陽円盤を頭に掲げた4匹のウラエウス(コブラの女神)が描かれています。

ツタンカーメンの秘宝は、まだまだ多く展示されています。
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