
火焔山見学の後、蘇公塔に向かいました。蘇公塔は、トルファンの南東2kmのところにあります。
蘇公塔は清朝が任命したトルファンの二代目郡王となった蘇来曼(スライマン)が、その父オーミン・ホージャ(額敏和卓)のため、1779年に建てたものです。

塔の脇にはモスクが設けられています。

オーミン・ホージャ(額敏和卓)の像。
オーミン・ホージャ(額敏和卓)は、18世紀のウィグル族の指導者で、中国との争いを避け中国に忠誠を誓う代わりにイスラム教の生活を守ろうとした人です。清朝乾隆帝に協力し、モンゴル族による中国に対する大規模な反乱を鎮圧したことからトルファン郡王になりました。
像自体は新しいもののようですね。

塔の前は広場になっています。

塔は44mの高さを持ち、頂上まで階段が設けられてはいますが、傾いているため現在は立ち入り禁止になっています。

塔は、レンガの組み合わせによって美しい模様を描いています。

塔の脇には、墓地が設けられていました。上がとがっているのは男性で、丸いのは女性のお墓ということです。背後の緑は、葡萄畑です。

モスクの中です。通常は礼拝に使われていないようですが、記念日には礼拝がおこなわれるとのことです。イスラム教のため、飾りの無い、質素な作りになっていました。
蘇公塔は清朝が任命したトルファンの二代目郡王となった蘇来曼(スライマン)が、その父オーミン・ホージャ(額敏和卓)のため、1779年に建てたものです。

塔の脇にはモスクが設けられています。

オーミン・ホージャ(額敏和卓)の像。
オーミン・ホージャ(額敏和卓)は、18世紀のウィグル族の指導者で、中国との争いを避け中国に忠誠を誓う代わりにイスラム教の生活を守ろうとした人です。清朝乾隆帝に協力し、モンゴル族による中国に対する大規模な反乱を鎮圧したことからトルファン郡王になりました。
像自体は新しいもののようですね。

塔の前は広場になっています。

塔は44mの高さを持ち、頂上まで階段が設けられてはいますが、傾いているため現在は立ち入り禁止になっています。

塔は、レンガの組み合わせによって美しい模様を描いています。

塔の脇には、墓地が設けられていました。上がとがっているのは男性で、丸いのは女性のお墓ということです。背後の緑は、葡萄畑です。

モスクの中です。通常は礼拝に使われていないようですが、記念日には礼拝がおこなわれるとのことです。イスラム教のため、飾りの無い、質素な作りになっていました。