
円明園は、北京の北西に位置する清朝の離宮跡です。その起源は12世紀の金代にさかのぼることができますが、荒廃していたものを復活させたのは清の康熙帝で、以後150年にわたって整備が進められました。
円明園は、「円明園」、「万春園」、「長春園」の総称ですが、現在では円明園のみが残されています。
1856年に勃発した第二次アヘン戦争に際して、北京に侵入したフランス・イギリス連合軍によって略奪、破壊され、廃墟になってしまいました。

ここは大水法と呼ばれる噴水跡です。

ローマの遺跡といった風情ですが、この庭園が廃墟になったのは、150年ほど前のことです。

現在は、復旧の方針で工事が進められているようなので、様変わりしているようです。


庭園内には、迷宮が設けられています。ひと頃、日本でも流行ったことのある迷宮です。

中心部には、東屋が設けられています。

東屋から迷宮を眺めたところ。当時の皇帝も遊んだといいます。
円明園を訪れると、清朝末期の英仏の暴虐さを思い知らされ、アヘン戦争などの歴史の興味が増してきます。
円明園は、「円明園」、「万春園」、「長春園」の総称ですが、現在では円明園のみが残されています。
1856年に勃発した第二次アヘン戦争に際して、北京に侵入したフランス・イギリス連合軍によって略奪、破壊され、廃墟になってしまいました。

ここは大水法と呼ばれる噴水跡です。

ローマの遺跡といった風情ですが、この庭園が廃墟になったのは、150年ほど前のことです。

現在は、復旧の方針で工事が進められているようなので、様変わりしているようです。


庭園内には、迷宮が設けられています。ひと頃、日本でも流行ったことのある迷宮です。

中心部には、東屋が設けられています。

東屋から迷宮を眺めたところ。当時の皇帝も遊んだといいます。
円明園を訪れると、清朝末期の英仏の暴虐さを思い知らされ、アヘン戦争などの歴史の興味が増してきます。