さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ドゥッガ遺跡 その1

2018年10月30日 | 海外旅行
ブラ・レジア遺跡に続いてドゥッガ遺跡に向かいました。ドゥッガ遺跡からは、南の内陸部に進むことになります。

車窓からは、一面に広がる小麦畑を眺めることになりました。ヨ^ロッパの田園風景を見るような雰囲気です。



丘に上がって展望が広がった所で、写真ストップになりました。斜面一面にオリーブ畑が広がっていました。



道路脇の草地には、一面のお花畑になっていました。



見知らぬ野の花に目が引き付けられます。













1000mほどの高原地帯を越していきました。



この一帯は、植民地時代には、避暑地として開発されました。



現在では、夏には中級以上の暮らしのチュニジア人が避暑にやってきて長期滞在するといいます。



途中で出会った道路一杯に広がった羊の群れ。



テブルスークのレストランで昼食をとりましたが、この一帯は狩猟地として有名で、イノシシが捕れることから、イノシシ肉を食べることができました。イスラム国なのでブタは禁制なので、驚きのメニューです。料理は後のまとめにて。



標高600mの丘の上にあるドゥッガ遺跡が近づいてきました。



遺跡の柱が見えてきました。



駐車場の前には、劇場が広がっていました。



ドゥッガ遺跡の復元図。


紀元前2000年には、ヌミディア人がここに住み始め、カルタゴからフェニキア人がやってくる紀元前4世紀には、ヌミディア王国の重要な都市として栄えました。紀元前3世紀にはカルタゴの支配下に置かれ、第二次ポエニ戦争の終わりの紀元前202年に再びヌミディア王国の領土となったものの、カルタゴの滅亡後の46年にローマ帝国の領土になりました。2~4世紀にローマ帝国の都市として繁栄を極め、当時市内には1万人の人々が住んでいたといいます。その後、ヴァンダル人のもとで、街は次第に衰退していき、ビザンチン時代には要塞化され、19世紀末に発掘が始まった時には、アラブの村人が細々と住んでいるだけになっていました。

ドゥッガ遺跡は、チュニジアに数多く残されているローマ遺跡の中でも、規模、保存状態の最も良いものとされ、1997年にはアフリカを代表するローマ・ビザンチン複合遺産として世界遺産に登録されています。



劇場の復元図。



劇場内に進みます。



劇場は、ドゥッガの指導者の一族のマルクス・クアドルトゥスによって168年に建てられました。



劇場の舞台部分。



劇場の上からの眺め。高度感があります。



夏にはフェスティバルが開かれるため、きれいに改修工事が施されています。



劇場の上部からは、遺跡を眺めることができました。



広範囲に遺跡が広がっていました。



奥に見えているのは、ジュピター神殿。

続いて、この神殿に向かっていくことになります。
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