
バタワース駅に隣接して、ペナン島のジョージタウンへのフェリー乗り場があります。現在、ペナン島へは橋も架かっていますが、車の利用も多いようです。

入口にあった動物持ち込み禁止の案内板。左は、子牛か子羊でしょうか。他はイラスト状なのに、ネコだけが漫画的になっています。

二階部に乗り込みましたが、中央にベンチが置かれて、両脇には車が入ってきていました。

バタワース側の港。貨物船や漁船が停泊していました。

ペナン島はインド洋に浮かぶ島で、フェリーでは2km、20分の距離にあります。
「夕日に染まった海面をフェリーは静かに滑っていく。しだいにはっきりしてくるペナンの街並みをデッキから眺めているうちに、あそこにはきっと面白いことが待ち受けているはずだという気がしてきた。」(沢木耕太郎著 深夜特急より)

ペナン島の面積は295kmで、東西12km、南北24kmあります。淡路島の半分ほどの大きさになります。

マレー半島とペナン島を結ぶペナン大橋も見えていました、全長約13.5kmあります。なお、ペナン島南部には、全長24kmと東南アジア最長の橋となるペナン第二大橋が2014年に完成しています。

すれ違うフェリー。


時計塔も見られて、アジアの街とは異なった雰囲気です。

大型船用のふ頭のようです。


ペナン島側のフェリーターミナルが近づいてきました。

フェリーターミナルの南には、水上家屋が並んでいました。これは、中国人移民の水上で陳一族の橋や林一族の橋など、同一名字の人々がまとまって住んでいます。

船を下りてペナン島に上陸すると、ヨーロッパ風の街並みが海岸線に沿って広がっていました。
ペナン島は、イギリス人がマレーシアに最初に入植した地で、その歴史は1786年にイギリス東インド会社のフランシス・ライトが、東南アジア進出の拠点としてこの島を選んだことから始まります。以後、この島は東インド会社に譲渡されて、「プリンス・オブ・ウェールズ島」の名のもとに東西貿易の中継地である自由港として発展しました。それにより、西洋、中国、イスラム、ヒンドゥー文化が混在する独特の雰囲気を持つ街並みが形成されました。
空・陸・海と乗り物を変えてたどり着いたペナン島。きっと面白いことが待ち受けているはずです。

入口にあった動物持ち込み禁止の案内板。左は、子牛か子羊でしょうか。他はイラスト状なのに、ネコだけが漫画的になっています。

二階部に乗り込みましたが、中央にベンチが置かれて、両脇には車が入ってきていました。

バタワース側の港。貨物船や漁船が停泊していました。

ペナン島はインド洋に浮かぶ島で、フェリーでは2km、20分の距離にあります。
「夕日に染まった海面をフェリーは静かに滑っていく。しだいにはっきりしてくるペナンの街並みをデッキから眺めているうちに、あそこにはきっと面白いことが待ち受けているはずだという気がしてきた。」(沢木耕太郎著 深夜特急より)

ペナン島の面積は295kmで、東西12km、南北24kmあります。淡路島の半分ほどの大きさになります。

マレー半島とペナン島を結ぶペナン大橋も見えていました、全長約13.5kmあります。なお、ペナン島南部には、全長24kmと東南アジア最長の橋となるペナン第二大橋が2014年に完成しています。

すれ違うフェリー。


時計塔も見られて、アジアの街とは異なった雰囲気です。

大型船用のふ頭のようです。


ペナン島側のフェリーターミナルが近づいてきました。

フェリーターミナルの南には、水上家屋が並んでいました。これは、中国人移民の水上で陳一族の橋や林一族の橋など、同一名字の人々がまとまって住んでいます。

船を下りてペナン島に上陸すると、ヨーロッパ風の街並みが海岸線に沿って広がっていました。
ペナン島は、イギリス人がマレーシアに最初に入植した地で、その歴史は1786年にイギリス東インド会社のフランシス・ライトが、東南アジア進出の拠点としてこの島を選んだことから始まります。以後、この島は東インド会社に譲渡されて、「プリンス・オブ・ウェールズ島」の名のもとに東西貿易の中継地である自由港として発展しました。それにより、西洋、中国、イスラム、ヒンドゥー文化が混在する独特の雰囲気を持つ街並みが形成されました。
空・陸・海と乗り物を変えてたどり着いたペナン島。きっと面白いことが待ち受けているはずです。