
チョンケミンで昼食をとった後、国道に戻って、イシク・クル湖へのドライブを続けました。
山あいをぬって、良く整備された道が続きました。

山腹にキルギスの国旗が描かれていました。

道は、チュイ川に沿って緩やかに下っていきました。手前の線路は、ビシュケクからイシク・クル湖西岸の町バルクチまで通じているようですが、列車はまれにしか運行されていないようです。

ついにイシク・クル湖が見えてきました。

バルクチの町に到着。ソ連時代には、ここに検問所があって、外国人の立ち入りが厳しく禁止されていたようです。
政府要人の別荘やサナトリウム、保養所などがあって、湖岸でいちばんの避暑地として栄えていたようですが、現在では、北岸中央部のチョルポン・アタに避暑地の中心は移っているようです。

バルクチの町を過ぎると、イシク・クル湖の北岸に沿ってのドライブが続きました。真青な湖面が印象的です。

イシク・クル湖は、東西約180km、南北30~70km、周囲は688km。面積は6,236 km²で琵琶湖の9倍、山口県とほぼ同じくらいの広さを持っています。最大深度は668mで、透明度とともにバイカル湖に次いで世界第二位。標高は1,606mという高地にありますが、冬になっても凍らないことからイシク・クル「熱海」と呼ばれています。また、周囲から流れ込む河川は118もありますが、流出河川はありません。

イシク・クル湖は、天山山脈に囲まれており、北側の山脈はクンゲイ・アラトー(キルギス語で太陽の当たる山)、南側の山脈はテルスケイ・アラトー(キルギス語で太陽の当たらない山)と呼ばれています。
湖越しに、テルスケイ・アラトーの銀嶺を眺めることができました。

これは、北側のクンゲイ・アラトーの眺め。

このイシク・クル湖沿いにはシルクロードが通っており、1300年前にインドに赴いた玄奘三蔵はタクラマカン砂漠から天山山脈の険路を越え,イシク・クル湖岸にたどり着きました。
大唐西域記に曰く、「山を行くこと四百余里で大清池についた。周囲千余里,東西に長く南北は狭い。四面山に囲まれ,多くの河川はここに集まっている。色は青黒みを帯び,味は塩辛くもあり苦くもある。大きな波が果てしなく,荒い波が泡立っている。往来する旅人は供え物をして福を祈る。魚類は多いが,あえて漁をして捕獲するものもない」。

シルクロードの旅でまず一番に参考にしているのは、1980年代前半と1988年から1989年に放送された「NHK特集 シルクロード」ですが、この中にイシク・クル湖が含まれています。幸い、家の近くの市立図書館にビデオが備えられており、いつでも借りてみることができます。
この中から、印象的なナレーションを幾つか。
「天山の銀嶺に彩られたイシク・クル湖がはじめてその姿を見せた。ソビエトはこの湖の周辺への外国人の立ち入りを一切拒んできた。まさに幻の湖であったのである。私たちシルクロード取材班は、特別な計らいで取材を許されたのである。
現在、イシク・クル湖の周辺には幾つかの町もあるという。しかし、中ソ国境に近いこの地域での都市の取材は一切許されなかった。
現在のイシク・クル湖は、不思議な伝説や血なまぐさい歴史を忘れたような山里である。」
ビデオ中の潜水調査では、石臼や剣の塚、住居跡の土塁、人骨などを湖底で見ることができ、イシクル湖には集落が沈んでいることが示されました。
また、敦煌やローランなどの西域小説で、シルクロードへの憧れを目ざまさせた井上靖氏も、イシク・クル湖を訪れる事を熱望しましたが、外国人の立ち入りを厳しく禁止していたことから果たせず、「私を、目隠しをしてもいいから連れて行ってくれ。」とまで言わしめたといいます。
現在のイシク・クル湖がどのような姿を見せてくれるのか、期待が高まりました。
山あいをぬって、良く整備された道が続きました。

山腹にキルギスの国旗が描かれていました。

道は、チュイ川に沿って緩やかに下っていきました。手前の線路は、ビシュケクからイシク・クル湖西岸の町バルクチまで通じているようですが、列車はまれにしか運行されていないようです。

ついにイシク・クル湖が見えてきました。

バルクチの町に到着。ソ連時代には、ここに検問所があって、外国人の立ち入りが厳しく禁止されていたようです。
政府要人の別荘やサナトリウム、保養所などがあって、湖岸でいちばんの避暑地として栄えていたようですが、現在では、北岸中央部のチョルポン・アタに避暑地の中心は移っているようです。

バルクチの町を過ぎると、イシク・クル湖の北岸に沿ってのドライブが続きました。真青な湖面が印象的です。

イシク・クル湖は、東西約180km、南北30~70km、周囲は688km。面積は6,236 km²で琵琶湖の9倍、山口県とほぼ同じくらいの広さを持っています。最大深度は668mで、透明度とともにバイカル湖に次いで世界第二位。標高は1,606mという高地にありますが、冬になっても凍らないことからイシク・クル「熱海」と呼ばれています。また、周囲から流れ込む河川は118もありますが、流出河川はありません。

イシク・クル湖は、天山山脈に囲まれており、北側の山脈はクンゲイ・アラトー(キルギス語で太陽の当たる山)、南側の山脈はテルスケイ・アラトー(キルギス語で太陽の当たらない山)と呼ばれています。
湖越しに、テルスケイ・アラトーの銀嶺を眺めることができました。

これは、北側のクンゲイ・アラトーの眺め。

このイシク・クル湖沿いにはシルクロードが通っており、1300年前にインドに赴いた玄奘三蔵はタクラマカン砂漠から天山山脈の険路を越え,イシク・クル湖岸にたどり着きました。
大唐西域記に曰く、「山を行くこと四百余里で大清池についた。周囲千余里,東西に長く南北は狭い。四面山に囲まれ,多くの河川はここに集まっている。色は青黒みを帯び,味は塩辛くもあり苦くもある。大きな波が果てしなく,荒い波が泡立っている。往来する旅人は供え物をして福を祈る。魚類は多いが,あえて漁をして捕獲するものもない」。

シルクロードの旅でまず一番に参考にしているのは、1980年代前半と1988年から1989年に放送された「NHK特集 シルクロード」ですが、この中にイシク・クル湖が含まれています。幸い、家の近くの市立図書館にビデオが備えられており、いつでも借りてみることができます。
この中から、印象的なナレーションを幾つか。
「天山の銀嶺に彩られたイシク・クル湖がはじめてその姿を見せた。ソビエトはこの湖の周辺への外国人の立ち入りを一切拒んできた。まさに幻の湖であったのである。私たちシルクロード取材班は、特別な計らいで取材を許されたのである。
現在、イシク・クル湖の周辺には幾つかの町もあるという。しかし、中ソ国境に近いこの地域での都市の取材は一切許されなかった。
現在のイシク・クル湖は、不思議な伝説や血なまぐさい歴史を忘れたような山里である。」
ビデオ中の潜水調査では、石臼や剣の塚、住居跡の土塁、人骨などを湖底で見ることができ、イシクル湖には集落が沈んでいることが示されました。
また、敦煌やローランなどの西域小説で、シルクロードへの憧れを目ざまさせた井上靖氏も、イシク・クル湖を訪れる事を熱望しましたが、外国人の立ち入りを厳しく禁止していたことから果たせず、「私を、目隠しをしてもいいから連れて行ってくれ。」とまで言わしめたといいます。
現在のイシク・クル湖がどのような姿を見せてくれるのか、期待が高まりました。