さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 アヌラーダプラ その2

2016年02月01日 | 海外旅行
スリー・マハー菩提樹の見学の後は、ルワンウェリ・サーヤ大塔に向かいました。純白に輝く仏塔が見えていましたが、距離もあることからその大きさを把握することはできません。



スリー・マハー菩提樹とルワンウェリ・サーヤ大塔の間には、立派な遊歩道が設けられていました。



遊歩道を歩きだしてまもなく、右手にローハ・パルサーダの遺跡が現れました。これは紀元前2世紀にドゥッタ・ガーマニー王によって建てられた僧院の跡で、当時は黄金色の豪華な屋根を持つことから、黄銅の宮殿を意味するこの名前が付けられました。ドゥッタ・ガーマニー王は、ルワンウェリ・サーヤ大塔の建築を開始させてもいます。



現在では、40列、各40本の石柱が並んでいます。



歩くうちにルワンウェリ・サーヤ大塔も次第に近づいてきました。



遊歩道の両脇は、木がまばらに生えた草原が広がっており、牛も放牧されていました。



草原の奥には、ジェータワナ・ラーマヤが見えていました。3世紀にマハーセーナ王の命によって建てられたものです。現在の高さは約70mありますが、原型は高さ122m、水晶の置かれた頂点までは152mあったといいます。れんがの土台は直径113m、厚さ8mあったといわれています。現在ユネスコの手によって修復が進められていますが、風景に良くとけ込んでいます。



仏教遺跡と並んで、遊歩道脇で遊んでいる猿にも目が引き付けられます。スリランカ・ハイイロオナガザルという種類のようです。



人には良く慣れており、子供を抱いた猿も多く見かけました。



ルワンウェリ・サーヤ大塔の全体像も見えてきました。高さは55m、完成当時は110mあったといいます。

ルワンウェリ・サーヤ大塔は、紀元前2世紀にドゥッタ・ガーマニー王の命によって建造が開始されました。王は完成を待たずに亡くなり、息子のサッダーティッサ王子が遺志を継いで完成しました。

ドゥッタ・ガーマニー王は、南インドから侵攻してきたタミル軍を何度も撃退しましたが、サッダーティッサ王子が参戦を希望したのに対し、王は許可しませんでした。最初は反発していた王子でしたが、後には王の優しさを知り、この仏塔の完成間近に王が亡くなろうとする時、竹と布で一夜にして完成し、王にその姿を見せたといいます。



ルワンウェリ・サーヤ大塔でも、入口で靴を脱いで境内に進みました。



人と比べると、ルワンウェリ・サーヤ大塔の巨大さが判ります。



基壇の周りには象が並んで飾られています。



階段下には、ガードストーンが置かれていました。



正面には祭壇が置かれていました。




信者が熱心に祈りをささげていました。なお、スリランカでは、お参りの際には、白服を着るのが通例になっています。



日影に入って塔の上を見上げると、はめ込まれた水晶が光るのを確認できました。



基壇の四隅には、小型版の仏塔が飾られていました。



時計周りに仏塔を一周しました。



基部の壁には小型の象が飾られていました。小さな仏像が置かれているのは、隠れキャラみたいですね。



レリーフの飾られた壁が高くなった所を良く見ると、四種の動物が並ぶレリーフがありました。



四種の動物は、ムーンストーンで見られる「誕生」を現す象、「病気」のライオン、「死」の馬、「老齢」の牛が並んでいるように見えます。踏みつけられてすり減ったムーンスト-ンとは違って形ははっきりしていますが、象以外の三つの動物の区別は難しいです。



お供え物の花を猿が食べていました。



仏塔の周囲にも仏像が飾られていました。



日向から仏塔を見上げると、白く輝いて、目を細める必要がありました。



靴下を履いているといっても裸足で仏塔の周囲を回るのは、足裏が痛くなりました。

信者も日陰でお参りしていましたが、暑さも堪えるようになってきました。再び参道を戻ってスリー・マハー菩提樹脇の駐車場に戻るまでには水を飲みながらの歩きになりました。

スリランカ観光では、猛暑に耐える必要があると覚悟を決めました。
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