
昼食後は自由時間となったので、戦争証跡博物館を訪れることにしました。見学して楽しい気分にはなれないことは判っていますが、ベトナムの近代史を辿ってきた旅ですので、ここを省くわけにはいきません。
少し距離がありますが、時間もあるので、歩いていくことにしました。

ドンコイ通りは、おしゃれな店が並んでおり、日本人観光客にも人気があるようです。

ベトナムの民族衣装のアオザイも、パーティードレスに進化しているようです。

結婚式の記念写真風景もみられました。

ドンコイ通りを抜けて、ハノイ大聖堂、統一会堂を通り過ぎていくと、戦争証跡博物館に到着しました。

戦争証跡博物館の前庭には、米軍の捕獲兵器が展示されていました。

南ベトナム軍のM41戦車。
ベトナム戦争当時の米軍兵器の展示場といった雰囲気です。

兵員輸送車M113。
この博物館の趣旨に反して、軍事マニアにとっての見どころ満載です。


ノースロップ F-5。

UH-1イロコイ。
ベトナム戦争の映画では、「地獄の黙示録」や「プラトーン」など、ヘリコプターが重要な場面に登場していましたね。

前庭の片隅には、「トラの檻」と呼ばれるコンソン島の牢獄が再現されています。

人間を入れる檻。この牢獄では、拷問が行われていました。

ギロチンも展示されていました。

収容者の人形も置かれていました。

館内に入ります。

館内の写真パネルは撮影自由ですが、悲惨な写真が多く、アップでの撮影は憚れます。

西洋人が多く見学しているのに対し、日本人観光客は僅かしかいませんでした。団体ツアーに組み込むのは無理としても、希望者だけでも送り届けをすれば良いものをと思います。

枯葉剤の被害の写真も展示されていました。枯葉剤によって奇形を生じた胎児のホルマリン標本も。


二階は、ベトナム戦争の報道写真が並んでいました。

ベトナム戦争の写真は、ライフの表紙にも取り上げられて、まさに報道写真家の時代であったといえます。

銃を持った兵士の脇に死体が転がるといった写真も多く並んでいましたが、その中でも特に心をうったのは、次に二点の写真でした。
日本・沢田教一撮影 1965年世界報道写真コンテスト大賞 「安全への逃避」
ベトナム戦争中の南ベトナムで、アメリカの爆撃から逃げるため、川を渡って逃げている母親と子供たち。

南ベトナム・フィン・コン・ウト撮影 1977年世界報道写真コンテスト大賞 「戦争の恐怖」
南ベトナム軍の空軍機がを投下したナパーム弾から、裸で逃げる9歳の少女たち
世界報道写真コンテスト大賞では、他にもベトナム戦争の写真が受賞していますが、1963年の「仏教徒への抑圧」と題する「仏教徒に対する高圧的な政策を行なっていた南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権に対して抗議するため、サイゴンのアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した僧侶・ティック・クアン・ドック。」の写真、1968年の「ベトナム戦争」と題する「1968年2月1日、南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアンがベトコンを処刑している「サイゴンでの処刑」の写真など、日本の一般人に衝撃を与えた写真も多く受賞しています。
これらの報道写真を見ると、写真の力というものを思い知らされ、改めて写真というものを考えされました。少なくとも、構図やボケがどうとかというものではなさそうです。

観光地を回っていると、ベトナムが社会主義国家であることを忘れてしまいますが、政治的スローガンを描いた看板を街角に見ることができました。


戦争証跡博物館の見学で気力を使い果たし、ホテルに戻ることにしました。
途中の路上で、ヤシの実売りに出会って、ヤシのジュースを買いました。ヤシは皮を落としてクーラーボックスに入れてあり、上をカットしてストローを差し込んで渡されました。少し冷たく、美味しく飲みました。

路上には、このような広げると立体的な形ができるペーパークラフトを売っていました。

ベトナム土産もいくつか買いましたが、これが一番気に入りました。
コンビニでビールを買ってからホテルに戻り、シャワーをあびてひと休みしました。夕食をとってから空港に向かい、帰国の途につきました。
ベトナムを、北のハノイから中部のフエ、ホイアン、南のホーチミンを訪れてきて、ベトナムの歴史を辿ることができました。
少し距離がありますが、時間もあるので、歩いていくことにしました。

ドンコイ通りは、おしゃれな店が並んでおり、日本人観光客にも人気があるようです。

ベトナムの民族衣装のアオザイも、パーティードレスに進化しているようです。

結婚式の記念写真風景もみられました。

ドンコイ通りを抜けて、ハノイ大聖堂、統一会堂を通り過ぎていくと、戦争証跡博物館に到着しました。

戦争証跡博物館の前庭には、米軍の捕獲兵器が展示されていました。

南ベトナム軍のM41戦車。
ベトナム戦争当時の米軍兵器の展示場といった雰囲気です。

兵員輸送車M113。
この博物館の趣旨に反して、軍事マニアにとっての見どころ満載です。


ノースロップ F-5。

UH-1イロコイ。
ベトナム戦争の映画では、「地獄の黙示録」や「プラトーン」など、ヘリコプターが重要な場面に登場していましたね。

前庭の片隅には、「トラの檻」と呼ばれるコンソン島の牢獄が再現されています。

人間を入れる檻。この牢獄では、拷問が行われていました。

ギロチンも展示されていました。

収容者の人形も置かれていました。

館内に入ります。

館内の写真パネルは撮影自由ですが、悲惨な写真が多く、アップでの撮影は憚れます。

西洋人が多く見学しているのに対し、日本人観光客は僅かしかいませんでした。団体ツアーに組み込むのは無理としても、希望者だけでも送り届けをすれば良いものをと思います。

枯葉剤の被害の写真も展示されていました。枯葉剤によって奇形を生じた胎児のホルマリン標本も。


二階は、ベトナム戦争の報道写真が並んでいました。

ベトナム戦争の写真は、ライフの表紙にも取り上げられて、まさに報道写真家の時代であったといえます。

銃を持った兵士の脇に死体が転がるといった写真も多く並んでいましたが、その中でも特に心をうったのは、次に二点の写真でした。
日本・沢田教一撮影 1965年世界報道写真コンテスト大賞 「安全への逃避」
ベトナム戦争中の南ベトナムで、アメリカの爆撃から逃げるため、川を渡って逃げている母親と子供たち。

南ベトナム・フィン・コン・ウト撮影 1977年世界報道写真コンテスト大賞 「戦争の恐怖」
南ベトナム軍の空軍機がを投下したナパーム弾から、裸で逃げる9歳の少女たち
世界報道写真コンテスト大賞では、他にもベトナム戦争の写真が受賞していますが、1963年の「仏教徒への抑圧」と題する「仏教徒に対する高圧的な政策を行なっていた南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権に対して抗議するため、サイゴンのアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した僧侶・ティック・クアン・ドック。」の写真、1968年の「ベトナム戦争」と題する「1968年2月1日、南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアンがベトコンを処刑している「サイゴンでの処刑」の写真など、日本の一般人に衝撃を与えた写真も多く受賞しています。
これらの報道写真を見ると、写真の力というものを思い知らされ、改めて写真というものを考えされました。少なくとも、構図やボケがどうとかというものではなさそうです。

観光地を回っていると、ベトナムが社会主義国家であることを忘れてしまいますが、政治的スローガンを描いた看板を街角に見ることができました。


戦争証跡博物館の見学で気力を使い果たし、ホテルに戻ることにしました。
途中の路上で、ヤシの実売りに出会って、ヤシのジュースを買いました。ヤシは皮を落としてクーラーボックスに入れてあり、上をカットしてストローを差し込んで渡されました。少し冷たく、美味しく飲みました。

路上には、このような広げると立体的な形ができるペーパークラフトを売っていました。

ベトナム土産もいくつか買いましたが、これが一番気に入りました。
コンビニでビールを買ってからホテルに戻り、シャワーをあびてひと休みしました。夕食をとってから空港に向かい、帰国の途につきました。
ベトナムを、北のハノイから中部のフエ、ホイアン、南のホーチミンを訪れてきて、ベトナムの歴史を辿ることができました。