さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 成都から九寨溝へ その3

2015年11月05日 | 海外旅行
車窓を眺めていると、丘の上に延びる城壁が見えてきました。



町を囲む城壁も現れました。



松藩古城に到着しました。地図を確認すると、これは東門です。



バスを降りて、松藩古城の見学に向かいました。



北門の前の広場には、ソンツェン・ガンボと文成主の像が置かれていました。像の周りは観光客で大混雑になっていました。いかにも新しく作られた像というのが少し残念です。



7世紀の初めにチベット(吐蕃)を統一し、唐帝国と対抗したソンツェン=ガンポ王は、唐に対し公主(皇帝の娘)との婚姻を要求しました。唐の太宗(李世民)がそれに応じなかったため、638年に唐の国境を攻撃しました。641年に太宗は、懐柔のため、ソンツェン=ガンポに文成公主(皇帝の娘を公主と言いますが、この場合は実の娘ではありません)をチベットに降嫁させたました。

そのような公主を和蕃公主といい、匈奴の単于に嫁いだ同じく漢の元帝の時の王昭君などが有名ですね。

ソンツェン=ガンポは王位を子のグンソンに譲っていたので、文成公主はグンソンの王妃になりました。ところがグンソンは落馬がもとで若くして死んでしまい、ソンツェン=ガンポが王に復位しました。チベットやモンゴルでは、先代の王の妃は次の代の王の妃となる習わしがあったため、文成公主は今度はソンツェン=ガンポの王妃となりました。

文成公主の降嫁に伴い、中国の技術者もチベットに移り住んだことから、中国の文物がチベットにもたらされ、とりわけ仏教を崇拝した文成公主はラサに寺院を建てチベットに中国の仏教を伝えました。

ソンツェン=ガンポは、もう一人の妃をネパールから迎えており、彼女はネパール(インド)の仏教を伝えました。こうしてチベットには中国とインドの仏教が混合した独自のチベット仏教が成立することになったといいます。

このような像が置かれているので、松藩古城にソンツェン=ガンポと文成公主が住んだのかと思ってしまいますが、「王の使いが文成公主への挨拶に向かうためにここを通ったと言われています。」ということだけのようです。



北門には、「松州」という額が掲げられています。

松藩は古くから争奪戦が繰り返された要衝で、618年の唐代に、この地に松州が置かれました。その後は、少数民族との茶馬貿易の集散地として栄えてきました。

城壁と城門は古びて歴史を感じさせます。



門の入口には、騎馬兵士の像が置かれていました。



城壁の上にも像が置かれていました。



城門から入場しますが、城壁はかなりの厚さを持っています。



城内に入ると、メインストリートが延びていました。



偉い人のようですが、名前は不明。



北門を振り返ったところ。



自由時間になりましたが、30分ほどなので、軽く見て引き返す必要があります。



通りに面して並ぶ建物は、新しく建築されたもののようです。1976年四川松潘地震や2008年四川大地震の被害から再建されたものなのか、観光開発されたものなのかは判りません。



土産物屋の店先で目立つのは、大きな毛皮です。犬の毛皮ということですが、かなりの大型犬ですね。



一番奥まで行ってみたいところですが、時間が足りないようです。



中央部の十字路で引き返しました。



通り沿いには、漢方薬店が目立ちました。



店先にでひときわ目立っていたのは、このヒトデ状の物体でした。冬虫夏草とのこと。

冬虫夏草は、蛾の幼虫に寄生するキノコの一種で、漢方の生薬や、薬膳料理・中華料理などの素材として用いられます。非常に高価なもののようです。

犬の毛皮にしても冬虫夏草にしても、日本への土産としては、買う気がおきません。



再び走り出すと、通り沿いにはヤクの干し肉を店頭に並べた店が目立ちました。



新しそうなイスラム教のモスクも現れました。



道路沿いには、「海抜3000mヤク肉」と書かれた宣伝が掲示されていました。ヤクが多く飼われているようです。



険しい岩山も見えてきました。樹林限界を越しているようです。



チベット仏教の寺も現れました。



高山帯に見られる湿地も現れてきました。



松藩古城を出発して走るうちに標高3000mを超えたようで、周囲の山も高山の趣を見せてきました。この付近にある四川九寨黄龍空港は、標高3500m近くあるようです。飛行機を使って一気に標高3500mの高地に降り立つと高山病の症状がでるのかもしれませんが、バスを使って徐々に高度を上げているので、体調に変化はありませんでした。



九十九折りを繰り返す一気の下りになりました。



車道脇に民家が現れるようになると、巨大な仏像が現れて、驚かされました。



えらくケバケバしいところにやってきたと思ったら、これは新しくできたテーマパークのようなもので、九寨溝の入口までは、もう少し走る必要がありました。さすがに世界遺産の九寨溝の入口付近には作れなかったようです。(写真は、4日目に九寨溝から黄龍へ移動する際の朝に撮影したもの)



九寨溝のホテル地域に到着すると、ヤクの角を売る土産物屋が目に飛び込んできました。

ホテルまであと僅かというところで、渋滞に巻き込まれました。九寨溝の観光を終えて帰る観光客を乗せたバスで渋滞が起きていました。

成都から九寨溝への丸一日のバス移動でしたが、幸いなことに通行止めのようなアクシデントもなく終えることができました。
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