
ワタダーゲの前には、アタダーゲとハタダーゲの二つのお堂跡が並んでいます。
これはアタダーゲ。11世紀にウィジャヤバーフ1世によって造られ、当時は柱の上に木造の建物があり、仏歯を奉納していました。アタダーゲとは、「八つの遺宝の家」という意味とのこと。
クワドラングルには、ダーゲという名前の遺跡が多くありますが、○○の家という意味のようです。

奥には、仏像が一人たたずんでいました。

柱には凝った彫刻が施されていました。

隣のハタダーゲ。

ハタダーゲは、12世紀にニッサンカ・マーラ王によって造られた仏歯寺跡です。


奥に置かれた仏像は、かなり損傷されています。


外壁にはライオンの像が飾られていました。

碑文も書かれていました。

いよいよ一番気になっていたワタダーゲへ。

西側からのワタダーゲの眺め。

北側からワタダーゲに入場しました。
ワタダーゲは、円形の仏塔で、ポロンナルワが首都になる前の7世紀頃に建てられました。中心にあるダーガバ(仏塔)はアヌラータブラのキルテイ・スリー・メーガワンナ王によって建てられました。壁に彫られた彫刻は、後にニッサンカ・マーラ王によって施されました。

入口には、他の寺院と同じようにガードストーンとムーンストンが置かれています。

階段左手のガードストーン。
ガードストーンは、悪霊を遠ざけるためのものですが、優しい姿をしています。中国や日本で同じ目的で置かれる仁王像とはどこで枝分かれしたのでしょうね。

階段右手のガードストーン。

西側左手のガードストーン。
同じ構図ですが、表情は少し違っています。

西側右手のガードストーン。

ここのムーンストーンは、模様が良く残されていました。

外側のスワンは、「純潔」を現しています。象は「誕生」、馬は「死」を現しています。ポロンナルワの都が造られた時代にはヒンドゥー教も普及していたため、「老齢」を現す牛は省かれています。また、「病気」を現すライオンは、王位の象徴でもあるため、ムーンストーンから省かれて別扱いになっています。

階段の側面にライオンが大きく描かれています。

また、基壇の側面には、小人状の神様とライオンが彫られています。

ワタダーゲの上段には、四方に向かって四体の仏像が置かれていました。

表情は微妙に異なっていました。



東入口近くには、ガルポタ(石の本)と呼ばれる、字が彫り込まれた石碑が置かれています。

ニッサン・マーラ王の命令によって、インドの侵略者のことや、ポロンナルワ周辺の小国との外交関係、ニッサン・マーラ王への称賛の言葉が彫り込まれています。

クワトラングルの北東の隅には、サトゥマハル・プラサーダと呼ばれる7階建ての塔が立っています。この塔はタイから来た建築家が建てたものと言われており、この塔が建てられた12世紀頃には上座仏教の中心地になっていて、タイやビルマから僧が訪れたといいます。

サトゥマハル・プラサーダの壁に飾られている像。損傷が進んでいますが、ガードストーンの像と似たポーズをしています。

サトゥマハル・プラサーダの脇にはヴィシュヌ神の寺院跡もあり、ヒンドゥー教浸透の跡も見られました。
クワトラングルの見学はこれで終わりになり、次のガル・ヴィハーラへバスで少し移動しました。
これはアタダーゲ。11世紀にウィジャヤバーフ1世によって造られ、当時は柱の上に木造の建物があり、仏歯を奉納していました。アタダーゲとは、「八つの遺宝の家」という意味とのこと。
クワドラングルには、ダーゲという名前の遺跡が多くありますが、○○の家という意味のようです。

奥には、仏像が一人たたずんでいました。

柱には凝った彫刻が施されていました。

隣のハタダーゲ。

ハタダーゲは、12世紀にニッサンカ・マーラ王によって造られた仏歯寺跡です。


奥に置かれた仏像は、かなり損傷されています。


外壁にはライオンの像が飾られていました。

碑文も書かれていました。

いよいよ一番気になっていたワタダーゲへ。

西側からのワタダーゲの眺め。

北側からワタダーゲに入場しました。
ワタダーゲは、円形の仏塔で、ポロンナルワが首都になる前の7世紀頃に建てられました。中心にあるダーガバ(仏塔)はアヌラータブラのキルテイ・スリー・メーガワンナ王によって建てられました。壁に彫られた彫刻は、後にニッサンカ・マーラ王によって施されました。

入口には、他の寺院と同じようにガードストーンとムーンストンが置かれています。

階段左手のガードストーン。
ガードストーンは、悪霊を遠ざけるためのものですが、優しい姿をしています。中国や日本で同じ目的で置かれる仁王像とはどこで枝分かれしたのでしょうね。

階段右手のガードストーン。

西側左手のガードストーン。
同じ構図ですが、表情は少し違っています。

西側右手のガードストーン。

ここのムーンストーンは、模様が良く残されていました。

外側のスワンは、「純潔」を現しています。象は「誕生」、馬は「死」を現しています。ポロンナルワの都が造られた時代にはヒンドゥー教も普及していたため、「老齢」を現す牛は省かれています。また、「病気」を現すライオンは、王位の象徴でもあるため、ムーンストーンから省かれて別扱いになっています。

階段の側面にライオンが大きく描かれています。

また、基壇の側面には、小人状の神様とライオンが彫られています。

ワタダーゲの上段には、四方に向かって四体の仏像が置かれていました。

表情は微妙に異なっていました。



東入口近くには、ガルポタ(石の本)と呼ばれる、字が彫り込まれた石碑が置かれています。

ニッサン・マーラ王の命令によって、インドの侵略者のことや、ポロンナルワ周辺の小国との外交関係、ニッサン・マーラ王への称賛の言葉が彫り込まれています。

クワトラングルの北東の隅には、サトゥマハル・プラサーダと呼ばれる7階建ての塔が立っています。この塔はタイから来た建築家が建てたものと言われており、この塔が建てられた12世紀頃には上座仏教の中心地になっていて、タイやビルマから僧が訪れたといいます。

サトゥマハル・プラサーダの壁に飾られている像。損傷が進んでいますが、ガードストーンの像と似たポーズをしています。

サトゥマハル・プラサーダの脇にはヴィシュヌ神の寺院跡もあり、ヒンドゥー教浸透の跡も見られました。
クワトラングルの見学はこれで終わりになり、次のガル・ヴィハーラへバスで少し移動しました。