さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ティカル遺跡 その2

2018年05月22日 | 海外旅行
中央アクロポリスにやってきました。

ティカルは、紀元前800年頃から人が住み始め、紀元前1世紀には都市が形成され、8世紀には人口8万人の大都市として繁栄しました。9世紀に人口が減少して放棄されるまでの800年の間に33人の王が君臨しました。

中央アクロポリスは、貴族の居所、行政の中心でした。古典期前から築かれ、現在残る形になった のはイキン・チャン・カウィル王の治世(734-746)と言われています。

イキン・チャン・カウィール王は、神殿1号や神殿4号をはじめとする多くの建物を建立し、最盛期を築きました。



ここは4世紀末からティカルの王の居所 でした。





学校あるいは病院であったと言われているようです。



小部屋が並ぶ、二階建ての大きな建物だったようです。



作業員が漆喰を縫って補修作業を行っていました。ティカル遺跡は、現在も修復作業が進行中で、遺跡の風景も訪問時によって変化しているようです。





中央アクロポリスの南側の歩道を西に向かいます。



南には貯水池であったという窪地があり、その奥の丘の上には5号神殿が頭を見せていました。建設当時は、ジャングルは無く、水面に神殿の影を写していたはずです。

5号神殿は、ティカルで二番目の高さを持ち、カラクムルを破ったハサウ・チャン・カウィールによって建てられました。



中央アクロポリスの西側の広場にやってきました。奥に1号神殿の頭が見えています。



広場に面した建物。



入口の上には、崩壊が進んでいますが、人の頭のような彫刻があるようです。





広場の北側に進みました。



建物の間の小路を進みます。



高台の縁に出ると、目の前に1号神殿がそそり立つ眺めが広がりました。



ティカル遺跡の核心部といえるグラン・プラサの眺めが眼下に広がっていました。



グラン・プラサの西側に、1号神殿と向かい合うように、2号神殿があります。



グラン・プラサの北側には、北アクロポリスが広がっています。



1号神殿の下には、小さな球戯場があります。

続いて、丘を下りてグラン・プラサ周辺の見学を行いました。
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