MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

通過してゆく自分

2008-12-10 20:26:42 | 学問

新しいできごとに対する記憶は20秒間だけしか持続しない…

そんな世界で生きる人生とはどんなものであったのか?

記憶力を失った実例として心理学領域の教科書にも紹介されていた

HM氏が12月2日死去した。

深刻な障害を持ちながら、神経科学の研究にすすんで協力し、

その発展に多大な貢献をしてきたHM氏とは

一体どのような人物であったのか?

12月6日付 asahi.com より

「海馬」切除後、脳研究に協力 米男性「H・M」氏死去

New York Times 紙はさらに詳しく伝えている。

12月4日付 New York Times 電子版

H.M., an Unforgettable Amnesiac, Dies at 82
忘れることのできない記憶喪失者、HM氏、82才で死去

Hm

彼は自分の名前は分かっていた。しかし彼が覚えることができたのはそれだけだった。

父親の家族がルイジアナ州 Thibodaux 出身であり、母親がアイルランド出身であることは知っていた。また、彼は 1929 年の株式市場の暴落と 1940 年代の第2次世界大戦やそのころの生活は覚えていた。

しかし彼はそれ以後のほとんどすべてを思い出すことができなかった。

1953 年、彼はてんかんを抑えるために実験的脳手術を Hartford で受け、それによって根底をくつがえす、取り返しのつかない変化が起こった。
神経学者が超記憶喪失 profound amnesia と呼んでいる症状を来たしたのだ。彼は新たな記憶を行う能力を失ってしまった。

その後の 55 年間、友人と出会ったり、食事をしたり、森を歩いたりするたびごとに、彼にはそれらがまるで初めてのことのように映った。

そしてその 50 年余の間、脳科学の歴史において最も重要な患者と認知されてきた。
何百もの研究へ参加し、学習、記憶、身体的巧妙さについての生物学的考察のみならず、人間の自己認識の脆弱性についても科学者たちの理解を深める助けとなった。

プライバシーを守るため世界的にはただHMの名で知られていた Henry Gustav Molaison 氏は、火曜日の夕方、5 時 5 分、コネチカット州 Windsor Locks にある老人ホームで呼吸不全で死去した。
彼の死は Massachusetts Institute of Technology(MIT)の神経科学者 Suzanne Corkin 氏によって確認された。彼女は数十年にわたって彼と緊密に研究を行ってきた。Henry Molaison 氏は享年 82 だった。

集中的研究の研究対象者としての生活が始まったのは 27 才の時だったが、彼は両親と暮らした後、親戚の一人と生活し、最後には施設での暮らしとなった。
彼の記憶障害は、知能を損なうことはなく、また人格を根本的に変えることもなかった。
しかし彼は職に就くことができず、その時間を誰よりも神秘的に生きた。

「色々と言われていますが、今にしてわかること、それは、HM氏が失ったものが、自己認識の重要な部分だったということです」と、Irvine にある University of California の神経科学者であり、Society for Neuroscience の会長でもある Thomas Carew 博士は言う。

神経科学が飛躍的に進歩し、学生や金が世界中の研究室にあふれ、研究者たちが強力な脳のイメージ・テクノロジーを用いた大規模な研究を推し進める現代では、20 世紀の半ばの神経科学がいかに古くさいものであったかということは容易に忘れ去られてしまう。

Molaison 氏は 9 才の時、Hartford 近郊で自転車にはねられ頭部を強く打撲したが、当時は脳を調べる手立てがなかった。
また、記憶や学習などが生物学的にどのように複雑に機能しているのかについては正確に理解されていなかった。
さらに、事故のあとこの少年がなぜ重症のけいれんに見舞われたのか、頭部への打撃がこのけいれんに何らかの関係があるのかについてさえも説明することはできなかった。

自転車事故の 18 年後、Molaison 氏は Hartford Hospital の脳神経外科医 William Beecher Scoville 氏の診察室を訪れた。
Molaison 氏は頻回に意識を失い、激しいけいれん発作があり、生計を立てるための自動車修理もできなくなっていた。

治療に万策尽きた後、Scoville 医師は Molaison 氏の脳から左右二ヶ所の指の形をした小部分を外科的に切除することを決断した。
Photo

その結果、けいれんはおさまった、しかしこの手術―特に、おおよそ耳の高さで脳の深部にある領域、海馬を切除するという手技―はこの患者に大きな変化をもたらした。

事態を深刻に思った Scoville 医師は、モントリオールにある McGill University の高名な外科医、Wilder Penfield 医師に相談した。
Penfield 氏は心理学者 Brenda Milner 博士とともに二人の別の患者の記憶喪失について報告していたのだ。

すぐに Milner 博士はカナダから夜行列車に乗り Hartford の Molaison 氏のもとを訪れ、彼に様々な記憶の検査を行った。
この協同作業がその後、学習と記憶に対する科学者の理解を永久に変えることにつながった。

「彼はたいへん礼儀正しく、忍耐強い人間で、我々が課す作業をいつも進んで成し遂げようとしてくれました。しかし、私が部屋を訪れるたびに、これまで一度も会ったことがない相手だと思っていたようでした」と、現在、Montreal Neurological Institute と Mcgill University で認知神経科学の教授を務めている Milner 博士は最近のインタビューで言った。

当時、記憶は脳全体に広く分布し、一ヶ所の神経組織や領域に依存するものではないと、多くの科学者たちは信じていた。
手術や事故によって生じた脳の病変は、人の記憶力に変化を与えていたが、それは簡単に予見できるような状況にはなかった。
Milner 博士による研究成果の発表に対し、多くの研究者たちは、HM氏の障害は、繰り返すけいれんによる脳の全体的な障害、あるいは潜在的な損傷などの他の要因に起因しているのではないかと考えた。

「すべてが手術の切除によるものであると信ずることは当時の人々にはむずかしかったのです」と、Milner 博士は言う。

それが変わり始めたのは 1962 年だった。HM氏の記憶の一部が完全に保たれていたことを示した画期的な研究を Milner 博士が発表したのである。
一連の試行の中で、彼女は Molaison 氏に、一つが他方の内側にある5角形の星型の二重の輪郭の隙間に、自身の手と図形を鏡に映しながら線を引く作業を試みてもらった。
これは彼に限らず最初からうまくやることはむずかしい作業である。

HM氏がこの作業を行うたびに、この作業が彼には全く初めての経験と感じられた。
彼にはこれを以前に行ったという記憶がないのである。
しかし、練習によって彼は上達した。
「この作業を何度もやったある時、彼は私にこう言いました。『はぁ、この作業は思っていたより簡単だ』」と、Milner 博士は言う。

この結果が意味するところは非常に大きかった。
脳には新しい記憶を作るために少なくとも二つのシステムが存在していることが科学者たちに明らかとなった。
一つは、陳述記憶として知られているが、名前、顔、新たな経験を記録するもので、意識的に取り出されるまでそれら情報を保存する。
このシステムは側頭葉の内側領域、特に、目下集中的研究の対象となっている海馬と呼ばれる部位に依存している。

もう一つは、一般に運動学習として知られているもので、これは無意識的で、別の脳のシステムに依存している。
なぜ人は何年も経った後で自転車にまたがり、乗ることができるのか、あるいは、なぜ何年も弾いてなかったギターを手に取り、それをかき鳴らす方法をいまだに覚えているのかがこれで説明される。

やがて「みんなは研究のために記憶喪失者を必要とするようになりました」と Milner 博士は言う。
そして、研究者たちは記憶のさらに別の側面を見極めようとし始めた。
彼らは、HM氏の短期記憶が良好であることに注目した。すなわち、彼の頭の中で約 20 秒間は考えを保持することができたのである。
信じがたいことだったが、脳は海馬なしでも記憶を保持していたのだ。

「 Brenda Milner 氏によるHM氏の研究は近代神経科学の歴史において重大な画期的できごとの一つとなっています。この研究は、顕在記憶と潜在記憶の脳内の二つの記憶のシステムの研究への道を開き、後に続くすべて―すなわち人間の記憶とその異常の研究―の基礎を提供することになりました」」と、Columbia University の神経科学者である Erie Kandel 博士は言う。

両親の家に住み、その後 1970 年代は親戚の一人と生活しながら、Molaison 氏は買い物を手伝い、芝を刈り、落ち葉をかき集め、テレビの前でくつろいだ。
彼は最初の27年間に記憶していたことを頼りに、日常の瑣事―昼食の準備をしたり、ベッドを整えたり―に取り組みながら一日を過ごしてゆくことができた。

彼はまた、彼の人生を通り過ぎてゆくすべての科学者、学生、および研究者らから、詳細については不確かだが、より大きな目的に向けて貢献していたことを、幾ばくかは感じとっていた、と Milner 博士の研究室で研究していた時に Molaison 氏と出会い、彼の死まで彼とともに仕事を続けた Corkin 博士は言う。

1980 年、54 才で老人ホームに移る時までに、アルバムのポラロイドのスナップ写真で、すべてではないが生活の一部が写し出されており、Corkin 博士のMITチームの知るところとなっていた。

HM氏は子供のころの風景を詳しく話すことはできた。Mohawk Trail へのハイキング。両親との車での長旅。自宅近くの森でのターゲット射撃。

「私たちはこれを要点記憶 gist memories と呼んでいます。彼は記憶を持っていましたが、正しい時系列でそれらを思い出すことができなかったのです。彼は体験談を話すことはできませんでした」と、Corkin 博士は言う。

それでも彼は面白いジョークを受け入れ、部屋の中のみんなと同じくらい感受性豊かで、自己を意識する存在だった。
ある日、Milner 博士、HM氏とともに会話を楽しんだある研究者は、彼女に向かって、この患者は実に面白い症例だ、と述べたことがあった。

「HM氏はちょうどここに立っていたんです。そして、ちょっと顔を赤らめ、いえ真っ赤になって、自分がそれほど面白いとは思わないことをブツブツつぶやきながら立ち去ってゆきました」

彼の人生の最後の年も、Molaison 氏はいつものように研究者の訪問を受け入れようとしていた。
そして Corkin 博士は毎週彼の健康をチェックすると言い、また彼女は最後の研究プログラムを準備していたところだった。
火曜日、Molaison 氏の死の数時間後、科学者たちは彼の脳の徹底的なMRIスキャンを行うなど徹夜で作業を行った。
そのデータは、彼の側頭葉のどの領域がまだ損なわれていないか、どこが障害されているか、そして、そのパターンが彼の記憶にどのように関係しているかの情報を正確に手に入れる助けとなるのだ。

Corkin 博士は、さらに、科学史のかけがえのない所産として、アインシュタインの脳が保存されているのと同じ精神で、将来の研究用に彼の脳を保存するよう手配した。

「彼は家族の一員のようでした。認識できない人と交流することは不可能だと思うわれるでしょう。しかし私は交流したのです」」と Corkin 博士は言う。
同氏は現在 "A Lifetime Without Memory" と題されたHM氏についての本を執筆中である。

Molaison 氏は、自分のやり方で、頻繁に訪れる者を認知していた。彼女はこう付け加えた。「彼は私を高校時代から知っていると思いこんでいました」

Henry Gustav Molaison 氏、1926 年2月26日生まれ、遺族はいない。しかし彼は消し去ることのできない科学の遺産を残したのである。

Molaison 氏は、クロスワード・パズルやビンゴゲームを楽しみ、

テレビを見たり、世話をしてくれる人たちと交流したりすることが

大好きだったそうである。

研究材料としてその半生を捧げてきた Molaison 氏だが、

それ以外の道を選んでいたとしたら

果たしてどのように生き抜いていただろうか?

刹那刹那でしか自分を認識できず、遠い昔を除いては、

自分を振り返ることのできない 50 年余を

世界の人々のために生きてきた Molaison 氏。

側頭葉に影響を受けないすばらしい人格を

側頭葉以外の脳(前頭葉?)に持ち合わせていたに違いない。

ご冥福をお祈りする。

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爆風の残すもの

2008-12-07 10:02:23 | 国際・政治

オバマ政権誕生で、米軍のイラクからの撤退が首尾よく

実現されるのか。

今年に入り、イラクにおける米兵の死者数は減少しているものの

イラク戦争による通算の米軍の犠牲者数は既に 4,200 人を突破、

負傷者数も3万人を越えている(アフガン戦争の死者は 624 人)。

イラク戦争における米軍の犠牲者数(12月4日現在)

死者数を取り上げれば、

ベトナム戦争の 47,000 人の10分の1以下だが、

負傷兵の受傷のタイプも変化しており、

その後遺症に苦しむ人たちも多いようである。

12月4日付 Washington Post 電子版

Brain-injured troops face unclear long-term risks
長引くリスクに直面する脳損傷兵士

イラクやアフガニスタンで脳損傷を被った何千人もの兵士たちの多くは、うつ病やアルツハイマー病類似の認知症などの長引く健康問題の危険にさらされている。
しかし、その危険性がどのくらい高いかを予測することは不可能である、と研究者たちは言う。

負傷兵の約22%に脳損傷がある、と Institute of Medicine 米国医学研究所はみている。
そして、同所はこれらの患者がその後数年をどのように過ごすかを研究する厳密な対策を強く訴えており、救済のチャンスが見過ごされているわけではない。

報告を要求した復員軍人援護局と国防総省はすでに、勧告された手立てのいくつかを講じているところだ。
しかし、火曜日に出された報告ではその緊急性を強調している。

「爆風によってひき起こされる脳損傷について、その科学的知識にどれほど大きな穴があるかは実際のところ十分に把握されていなかったと思います」と、この報告をした研究チームのリーダーである University of California, San Francisco の George Rutherford 博士は言う。

外傷性脳損傷、TBI、はイラク戦争の特徴的な受傷様式である。
大部分は頭部の貫通創によって生じたものではなく、爆発の圧波によって引き起こされた頭蓋内に潜む損傷である。
それは、軽度の脳震盪から重症の損傷まで幅広い。
そして、症状がすぐにあらわれないこともあるので軍も気にかけていない場合がある。

「もし脳のある特定の部位に銃弾を受けていたら、ことの重大さを告げられるでしょう」と、Rutherford 氏は言う。
「しかし、爆風による脳震盪では、もしこれを6回やられたら、1回やられた場合に比べ悪い結果が6倍起こりやすくなるのでしょうか?と聞くことさえないでしょう」

帰還した兵士たちには、頭痛、めまい、記憶障害、混乱、短気、不眠、およびうつを訴えている。
TBI被害の兵士の大部分は治療で回復すると軍は言っている。

「残念な結果が回避される軽症のTBIの人が明らかに大多数です」と Rutherford 氏は認めた。

しかし彼の委員会は多くの一般の受傷に対する長期間の研究を調査し、以下を指摘した。

①中等症から重症のTBIは、アルツハイマー病類似の認知症、パーキンソン病様症状、けいれん、社会的生活機能上の問題や失業に関連している。

②TBI全体では、うつ、攻撃的行動、めまいや健忘のような脳震盪後の症状に関連している。

③もし軽症のTBIでも意識消失を引き起こしていたなら、遅発性に起こる記憶、運動、およびけいれんに関わる障害の危険性は除外できない。

この報告は、爆風を受けたすべての兵士には、たとえ軽い程度であってもTBIをスクリーニングすること、また、すべての兵士に配備前後で脳機能テストを受けさせることを勧告している。
実際、軍はすでにそれらの対策を実行し始めている。

また、脳以外の受傷兵士と比較することにより、転帰を改善あるいは悪化させる長期にわたる危険因子や要因を特定するため、厳密な研究と、復員軍人援護局主導のTBI患者の登録を行うよう、同報告は国防省に要求している。

復員軍人援護局は、これらの勧告を考慮する方針であり、これらのかなり遅れて出る障害が、この退役軍人の軍事業務に関連があるとみなされるかどうかの決定には60日の猶予を持っていると述べている。

TBIは戦傷に限らず、転落、スポーツ、交通事故などで頭部を打撲し

生ずる広義の脳損傷の意味で用いられる。

脳の検査で、出血や脳の挫傷が明らかに認められない場合もある。

手足の麻痺、失語、記憶障害、知能低下など明らかな脳機能障害を

呈する場合もあるが、性格変化やうつなどの精神的な障害が後遺し、

患者の社会復帰の障壁となる。

しかし、戦闘時の爆風の威力は我々の想像の及ばない衝撃を

脳にもたらすのであろう。

米海軍ではセンサー付ヘルメットを開発し、

爆発による外傷性脳損傷のデータ収集をめざしているという。

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2543060/3560979

そのようなヘルメットが必要ない世界をめざすことが

一番大切だと思うのだが…

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ヒラリ~と変われるか?

2008-12-04 00:06:44 | 国際・政治

オバマ政権の新閣僚メンバーが発表され、

予備選のライバル、ヒラリー・クリントン氏を国務長官に指名。

予備選挙中は「恥を知れっ!オバマ」と絶叫し、

オバマ氏の外交政策を真っ向から非難していたクリントン氏、

記者会見場ではさすがにぎこちなさそうだったが、

殊勝にオバマ氏への全面的サポートを誓っていた。

政権内に入ったクリントン氏が、

予想される諸問題にこれからどう折り合いをつけていくのか。

今後の動向が注目される。

12月2日 TIME 紙 電子版

Watching Clinton's Transition at State
国務省での Clinton 氏の移行に注目

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Hillary Clinton 氏が国務長官に任命された。次期大統領 Barack Obama 氏のかつての民主党のライバルは、二ヶ月も経たないうちに就任する職務への準備にとりかかることになる。
年明け早々に予想される上院による指名承認を経て就任に至るまでの移行期間中、彼女に判断を委ねられる項目がいくつかある。
国防長官の Bob Gates 氏や次期国家安全保障担当補佐官の Jim Jones 氏とどのようにうまく歩調を合わせるか?
移行期間中、サポート役として誰を側近に選ぶか?
南アジアや中東における現在の危機における彼女の役割は何か?
そして、彼女が示してきた選挙公約の項目のうち、どれを政権内部で推し進めようとするのか?

今週、Clinton 氏はこれまでの国務長官のうち存命中の人物全員との会合を計画しており、それぞれの見解や職務上の助言を求める予定だ。
さらに政権につきつけられている主要な外交政策について Obama 氏、Gates 氏、そして Jones 氏と選択協議を始めることになっている。
いかに迅速にイラクからアフガニスタンに軸足を移してゆくか?
イランの核兵器開発を抑止するために新たな外交のイニシアティブを発揮するかどうか?
来年政権がスタートする時に、中断されている北朝鮮との会談についてどのように対処するか?
南アジアの様々な危機にどのような姿勢で取り組むか?
そして、中東の和平交渉をいつ、いかなる方法で再開するか?

また Clinton 氏は今週、Obama 政権移行チームを引き継ぐため、彼女自身の代理検証チームを任命すると目されている。
Clinton 氏のグループは国務省当局からの報告書を編成したり、連携して差し迫った決定事項に対処したりするほか、Condoleezza Rice 氏からの権限の移譲を監視することになる。
そのような検証を行うものは誰であれ、ひとたびクリントン氏が就任すれば上層部の座を確保するに有利な体勢を得、Foggy Bottom(米国務省)で彼女がめざすであろうイデオロギーの方向を指し示してゆくことになると思われる。

現在の Obama 氏の国務省の検証チームは、かつての Clinton 氏の政策顧問であった Wendy Sherman 氏を長としている。
Sherman 氏は Madeleine Albright 国務長官時代の同省の古強者で、もし Clinton 氏が彼女を留任させるとすれば、国務省において、かつて Albright 氏が行おうとした姿勢への回帰を示すことになろう。
それは、(コソボやボスニアへの Albright 氏の姿勢に見られるように)海外において現実主義路線よりむしろ活動家、それでいてかなりの中道主義者、である。
もし Sherman が留任しなければ、予想される後継者の幅は、慎重なリベラルから、いくぶん穏健な共和党寄りにまで広がりそうだ。
長の選択が誰になろうとも、Clinton 氏はおそらく上院から何人かの側近を連れてくるだろう。
彼女の個人的側近である Huma Abedin 氏、上院での外交政策スタッフ Andrew Shapiro 氏、彼女の昔からの報道関連の側近 Philippe Reines 氏らである。

この移行で監視を行う鍵となる人物は Richard Holbrooke 氏である。彼は予備選の時から Clinton 氏に最も近い外交政策顧問の一人であり、Clinton 氏が国務省に突き進んでいる今、Obama 氏の外交的片腕として見込まれる第一人者である。
Holdbrooke 氏はキャリア組の外交官で、頭が切れ能力があるだけでなく、人の意見に左右されず、率直にものを言う人物として知られており、そういった性格ゆえ、彼は同党の上院議員から必ずしも好意的に思われてきていない。
以前の民主党政権時代、国務省の上層部で働いており、1990 年のボスニア戦争を終結させた交渉に際して彼が行ったように、彼の職域で政策を牛耳ることになりそうだ。
Holdbrooke 氏は、中東や南アジアへの特使など紛争調停の作業の件で既に話題に上っている。

Clinton 氏はまた、外遊日程の計画にとりかかるだろう。
側近は、アメリカを支持する国際社会に安心感を与えるため就任後かなり早い時期に海外へ出向いてもらいたいと考えている。
彼女の外遊先としてはヨーロッパ、極東、および中東の同盟国が最初に選ばれそうである。
彼女はまた、南アジアにも早期に訪れるかもしれない、というのは、ムンバイでのテロ攻撃をきっかけにパキスタンとインドの間で緊張が高まっているからである。
「彼女はパキスタン大統領(原文では首相)Asif Ali Zardari 氏と前々からつながりがあります」と、ある外交政策の側近が言う。
「また彼女はインドを何度も訪問しており、当地での評判も良い。そのような関係を用いて状況の改善を図る外交手腕が望まれます」

Clinton 氏がめざしていると考えられるのは、アフガニスタンとパキスタンの国境付近の統治のゆきとどいていない広大な民族地域における治安維持と協調の改善に一役買う両国間の大統領特使としての地域的イニシアティブであろう。
Clinton 氏はこのイニシアティブを予備選挙の時にも押し進めたが、彼女の夫も一時期、これを責務として考えていたことがある。
もう一つの予備選挙中の、Clinton 氏の優先的なイニシアティブは、拡大する世界の教育に対する資金提供の計画だ。
しかし、金融危機の発生もあって、米国による海外援助を2倍にするという Obama 氏の選挙公約の実行は難しいだろうと氏の外交政策顧問は述べている。

Clinton 氏には、新しいアメリカ政府の代表として歓迎される時期には、海外において猶予期間が与えられると予想される。
従って、Hillary Clinton 氏がどのような国務長官になるか、その真価が問われのはその後になりそうだ。
「ハネムーン期間が終わった後も、毎日こつこつと働き続けなければならない。そして、アメリカに最善の国益をもたらすよう合意を得る努力を続けてゆかなければならないでしょう」と、その外交政策顧問は言う。

オバマ氏としては、顔として国務長官にクリントン氏を起用、

有能な側近で周りを固めようという作戦か?

プライドがめっぽう高く、なにかとこうるさそうな61才のオバさんを

若干47才の新大統領がどう制御するか?

外交政策で衝突し、オバさんの迷走がないことを祈るのみである。

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『おばあちゃん、お変わりない?』

2008-12-02 08:40:32 | 健康・病気

たとえば高齢の女性の患者さんに具合を聞くとき、

「おばあちゃん、お加減はいかがですか?」と問いかけてはいけない。

姓名できちんと呼びかけるのが礼儀である、とは、

これ医療現場の常識。

相手に敬意を払いながら接することで、

良好なコミュニケーションが築かれる。

いきなり若い看護師に「おじいちゃん」「おばあちゃん」などと

呼びかけられて「あんたはわたしの孫じゃない!」、

と気分を害する人もいるだろう。

「なれなれしい」と「親しみ深い」は明確に区別されるべきだ。

しかし、そんな呼びかけは、絶対にアウトなのだろうか?

この「おじいちゃん」「おばあちゃん」に近いニュアンスの

高齢患者への呼びかけ方として、イギリスでは、

"dearie" (親愛なる人)とか "love" (愛する人)などがあるようだ。

同じく高齢患者の尊厳を損ねる呼び方であるとして非難がある。

BBC NEWS からの記事を紹介しよう。

11月26日付 BBC NEWS

Stop using "dearie", nurses told
“いとしい人”は使用禁止、看護師らへ勧告

Nurses_2

お年寄りを "dearie" とか "love" で呼ぶことが好ましくないとして看護師助産師協会(NMC)からの新しいガイドラインによって認められないこととなりそうだ。

看護師は礼儀正しく敬意を持って話すべきであり、患者が望む名前で呼びかけなければならない、と同協会は勧告する。

なお、もし愛称が日常会話の一部となっている場合には、一定範囲使われてもよいかもしれない。そういった言葉が全く排除されたら異様な状況になるかもしれないからである、とガイダンス案には書かれてある。

イギリス保守党は、こういった指導は『ばかげている』と評した。

Guidance for the Care of Older People(高齢者看護のガイダンス)は来週のNMCの承認を待つところであるが、同ガイダンスは、人を見下すような行為をとらないよう勧告している、と Nursing Standard magazine は明らかにした。

Dignity drive 尊厳重視の方針

効果的なコミュニケーションは看護師が身につけるべき最も重要な技量の一つであると同ガイダンスは述べている。

コミュニケーションの欠如は重大な結果を招き、看護師と高齢者の関係を損なうこととなる。

このガイドラインは高齢者の観点を中心に作成され、看護における尊厳保護という政府の方針に適っている。

看護師は、高齢者に話しかけることによってだけでなく、彼らの訴えを聞くことによっても、意思疎通を図るべきであると、同ガイドラインには書かれてある。

また、看護師と助産師は、『一人の人間として人に接し、彼らの尊厳を重んじ、彼らの看護を最優先に考えなければならない』。

そうすべきであることを知っている看護師が大部分であるが、いつも守られているわけではないことをNMCは承知しているという。

Benchmark 基準

NMCの女性広報官は言う:「このガイダンスには、高齢者が看護を受ける時に期待することが示されていて、看護師や助産師が、最も関わりをもつ問題への重点的な取り組みを支援する枠組みが構成されています」

このガイダンスを、貧弱な看護基準の再検証に用いたり、スタッフ業務の判断基準として用いたりすることが可能です、と彼女は述べた。

ガイドラインは、患者プライバシーの尊重から、必要に応じた十分な流動食補給の支援や身の回りの衛生管理などの基本的な看護の提供までを包含する内容を網羅している。

王立看護大学 Royal College of Nursing(RCN)の主席事務総長である Peter Carter 医師は言う。
「私たちは全面的にこのガイドラインを支持します。人はみな尊厳と尊敬の念をもって扱われる権利を持っており、それは医療に関しても変わるところはありません」

「患者さんがどのように呼んでもらいたいかを看護師が彼らに尋ねるべきだということを、私たちはすでに長い間、言ってきています」

RCNの尊厳キャンペーンは、すべての看護師が、それが時として困難な状況にあっても患者さんに満足に感じてもらえるような手段を確実に講ずることができるようにしようというものです。礼儀正しく患者に呼びかけることは、スタッフが看護の向上を可能にしたり、向上をめざす気持ちにさせる小さな一歩なのです」

Age Concern (NPO エイジ・コンサーン)の女性広報官は言う:「病院のスタッフが高齢者にどのように話しかけるかは小さなことですが、彼らの要求や要望を斟酌することの重要な一部なのです」

2,000 人以上を対象とした最近の調査では、10人に8人の看護師は、患者が受けるに足る尊厳を持って看護できないと悩みながら職場をあとにしていると報告されている。

しかし、陰の厚生大臣 Anne Milton (保守党議員)は言う:「この指導はばかげており、看護師の専門的技術や患者の要求の理解に対して正当な評価がなされているとはいえません」

「私たちはみな、患者が尊敬と尊厳をもって扱われる最高水準の看護に出会いたいと思っています。しかし、親愛の情を表す言葉を使うことがそういったものに反してしているとはいえません」

「このようなガイダンスは、ほとんどの人が行きすぎた世界と受け取るだろうと私は思います」

日本で、赤の他人に「いとしい人」なんていったら

気持ち悪いだけだろうが、

ここに出てくる "dearie" などの呼びかけ方が、

日本でいう「おじいちゃん」「おばあちゃん」と、

相手に与える印象がどのくらい違うのかはわからない。

しかし、どちらも親愛の情を込めた呼び方という意味では

大差はないだろう。

すでにお互い良好な関係が築かれていて

当人の受け入れがあるなら、

くだけた呼称が許されるケースもありそうだ。

患者さんをどのように呼ぶのが最適かは、一律には決められず、

臨機応変に行われるべきだと思う。

ただし医療者側の勝手な判断で行われることは禁物だが…。

しかし、それほど呼びかけ方がコミュニケーションに影響を及ぼすなら、

やはりあらかじめ

「どのようにお呼びしたらよろしいでしょうか?」と

一人ひとり確認しておくべきなのだろうか。

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