『オタク』『ヲタク』『ヲタ』といえば、アニメに限らず
何らかのサブカルチャーにはまる人種に用いられる。
ただし、これらは1980年代以降に生まれた言葉であり、
それ以前は、何か特殊な趣味を持つ人間は
『…好き』、『…き〇がい』、『…マニア』などと呼ばれていた。
今で言う『ネット・ヲタ』の前身は『アマチュア無線(ハム)』家。
その他、対象には
『スーパーカー』『カメラ』『プラモデル』『プロレス』等々。
かわいいところでは『切手収集』など(笑)。
しかし、当時から
しっかりとヲタク的世界を独自に展開していたのが
『鉄道マニア』、だろう。
中学一年の時、学校内のクラブ『鉄道研究会』の
部員募集のポスターにつられ、部室を訪問した。
そこにはいかにもまじめそうな
先輩が3人(だけ?)(時〇風部屋の兄弟子達とは大違い)。
聞けば会費を一人月100円ずつ集めるという。
何のためかというと、『鉄道ジャーナル』という雑誌を
買うのと、鉄道写真撮影の交通費に当てるのだそうだ。
できれば『鉄道ピクトリアル』誌も購入したい、とか。
なんともしょぼい活動に思えたのだが、鉄道好きの人間には
鉄道写真は何にも代えがたい宝物だったのだ…
そこに、夕日を背景に鹿児島本線を疾駆する
特急『あかつき』の写真があったのを思い出した…
(前置きが長いよ)
さて、長崎と京都を結ぶJRの寝台特急『あかつき』が
3月15日のダイヤ改正で姿を消す。
http://s03.megalodon.jp/2008-0209-1819-50/www.asahi.com/komimi/TKY200802010271.html
(ウェブ魚拓、2月9日付 asahi.com より)
ブルートレインとしての42年余りの歴史に
幕を下ろすこととなった。
↓ Wikipediaより
『あかつき』は戦前の1936年、
朝鮮総督府鉄道で特急列車として誕生。
戦後は、一時、東海道本線の夜行急行列車として
運行されたが、
1965年10月より
関西九州間運行の寝台特急(ブルートレイン)となった。
当時開通してほどなかった東海道新幹線との連絡列車として、
関西発着で九州を結ぶ寝台特急の役割は大きく、
こう呼ばれた。
『関西ブルトレ』(関ジャニ∞ じゃないよ←わかってるって)。
以降、関西‐長崎間運行の基本スタイルを貫いたが
西鹿児島まで足を延ばす便も加わり、
ブルトレ全盛時代と言われた70年代には
7往復まで増便。
しかし、1975年、山陽新幹線が博多まで開通した後は
徐々に利用者が減少し、1986年には一往復に戻った。
1991年に現行の京都長崎間の運行となり
2000年には佐世保編成を失い今日に至っていた。
これで九州と本州をつなぐ寝台特急は
『はやぶさ』(熊本‐東京)と『富士』(大分‐東京)だけに
なってしまった…
しかしこちらも2009年春での廃止が検討されているらしいので、
ついに九州ブルトレはすべてが消え行く運命に…
金のなかったMrKが寝台特急を利用する機会は
きわめて少なかったが、
581・583系電車寝台特急(進行方向と平行にベッドがある)
に比べると、
客車寝台ブルトレの寝心地は格段良かったように思う。
在来線を走る個性ある特急、急行列車が次々と
姿を消してしまう…
いっそのこと新幹線で『のぞみ〇号』とか呼ぶのをやめて
一列車ごとに『みずほ』、『あさかぜ』、『はと』など
すでに消えてしまった名称を復活させていただけないだろうか?
往年の特急・急行の名前を
全部覚えていた(←バカ)元鉄道研究会会員としては
これを切に望むところである(好きにしろよ)。
なぜか、鉄道に関してはオタクというよりマニアと呼びたい気がします。
私は、鉄道に関しては全く分からないですけど、ブルートレインの最後尾の豪華なお部屋には、1度泊まってみたいです。
それにしても、男の人って鉄道やら電車やら好きな人多いですよね。やっぱり、小さい頃から好きだったんでしょうか?
当時の鉄道研究会のメンバーのキャラを思い出すに、やはり『ヲタク』が合っているかと…(自分だけは違うと思っている)。
確か大阪から札幌まで行く寝台特急がまだ残っていると思いますので、是非どうぞ。『トワイライトエクスプレス』だったかな?(最近興味を失っている…)