今でこそ、
脳の中のそれぞれの場所が固有の機能に
関与しているという事実は常識となっている。
しかし、つい150年前までは、
脳全体がすべての神経機能を担っている、あるいは
言語などの機能は神から与えられた魂によって
営まれているなどと信じられていた。
そんな中、
障害を持った一人の患者がある医師と出会ったことによって
画期的な発見が生まれたのである。
Long after a man’s brain helps make a scientific breakthrough, he is identified
150年前に自然科学の飛躍的進歩に役立った脳の持ち主だった男性の身元が判明Broca によって行われたその男性の剖検で、彼が言語機能と関連づけた脳の領域の損傷が明らかになった。
By Tia Ghose,
科学者によって言語に関与する脳の領域が特定されるのに寄与した謎めいた患者の身元が解明されたと、研究者らが報告している。
Journal of the History of the Neurosciences の1月号に詳述されているこの発見によって、この患者が、生涯てんかんに苦しんだフランス人の職人 Louis Leborgne であったことが判明した。脳のそれぞれの部位が個別の機能を果たしているのかどうかを科学者たちが議論していた当時、医師の Paul Broca は一つの単語しか話すことのできなかった患者を調べた。
1840年、言葉が不自由になった患者が、話すことのできない状態、すなわち失語症としてパリ郊外の Bicetre Hospital に入院してきた。彼は基本的にそこに入院していただけで症状は徐々に悪化していた。 “Monsieur Leborgne(ルボルニュさん)”としか知られておらず、話すことのできた唯一の言葉から“Tan(タン)”というニックネームをつけられていたこの男性が同病院の医師 Paul Broca(ポール・ブローカ)の病棟にやってきたのは1861年のことだった。
その出会いからまもなく Leborgne は死亡し、Broca は彼の剖検を行った。そこで Broca は目の後ろ側、後上方にある脳の領域に病変を発見した。
詳細に調べた Broca は Tan の失語はこの領域の損傷によって引き起こされたものであり、特定の脳の領域が言語を支配していると結論づけた。脳のその領域はのちに Broca’s area(ブローカの領域)と命名されることになる。
当時、脳の異なる部位が個別の機能を果たしているのか、それとも、脳は肝臓のように区別できない塊なのかが科学者たちによって議論されていたと語るのは、今回の研究には関わっていないロンドンの神経言語学者 Marjorie Lorch 氏である。
「Tan は脳の特定の部位の障害が特異的な言語障害を引き起こすことを証明した症例となった最初の患者でした」この新しい研究の著者でポーランドの医学歴史家の Cezary Domanski 氏は言う。Life reconstructed 再構築された人生
しかし Tan の正確な身元は謎に包まれたままだった。ほとんどの歴史家は、彼が貧乏で読み書きのできない労働者だったと信じており、梅毒で頭がおかしくなったとか、話せなかったことがその狂気によって説明できるのではないかと言う者もいた。彼がまさに誰だったのかを明らかにするため、Domanski 氏はこの男の経歴を追跡し始めた。
「それは大変な作業でした。150年間、その男の名前すら明らかにすることができていなかったのですから。博物館にその脳が展示されており多くの書物にも記載されているまさにその男性ではあるのですが…」Domanski 氏はそのように E メールに書いている。
しかし、彼は古い医療記録を調べていて、Louis Victor Leborgne の死亡診断書を発見した。その男は 1809
年にフランスの Moret に生まれていた。
それから Domanski 氏は保存されている記録を利用し、Louis Leborgne が7人兄弟の一人で、その父親は教師であったことから、その兄弟たちは教育を受けていたことを発見した。彼は子供のころにパリに移っていた。
Leborgne はやはり子供のころからてんかんがあったようである。発作はあったが、彼は大きくなって職人となり、30才まで教会の管理人として働いた。30才で話す能力を失い病院に入れられた。恐らくてんかんが Leborgne の言語能力を奪うという障害を引き起こしたようである。
その病院で彼の病状は悪化した。そしてついに麻痺が出て寝たきりとなり、壊疽で手術を受けた。Broca が初めて彼と出会ったとき彼は死を目前にしていた。
今回の発見によって医学の最も重要な症例について人物像が与えられることになったと Lorch 氏は言う。
「言語とは、当時ヨーロッパでは人間が神から与えられた能力と見なされていたので、それは魂の一部であり、それゆえ有形なものではないと考えられていました」と Lorch 氏は言う。「このケースは脳の機能構築に関する研究の全般を実際に確立することとなった症例だったのです」
運動性言語中枢として有名な『ブローカ野』は、
通常、左脳前頭葉に存在し、
『自発的に言葉を発する場合の言語処理』を担っている。
つまり、言葉を発するための咽頭、舌、口唇などの
動きを統合的に制御している領域である。
この領域が損傷されると、
『ブローカ失語』あるいは『運動性失語』と呼ばれる失語症が
生ずる。
ブローカ失語では、言語を聞いて理解はできるが
発語に支障が生ずる。
さらに、音声発話だけではなく、
筆記などにおいても障害が見られることが多い。
複雑な文章を構成することができず、
簡単な文章しか書くことができなくなる。
このような自発的言語が障害されている人たちにおける
脳の障害部位を初めて特定したのが
フランス人のピエール・ポール・ブローカ(1824~1880)である。
彼の発見は、
脳がつかさどる個々の機能が脳内の別々の場所に
限局されていることを初めて解剖学的に証明した
画期的な業績である。
この知見は、それ以後、言語機能だけでなく、
脳内における種々機能の局在性の理解に
大きな影響を及ぼしたようである。
当時ブローカの扱った失語症患者の多くの脳が現在も
デュプイトラン博物館に所蔵されているそうである。
150年前(日本では文久元年、『桜田門外の変』の翌年)の
最初の患者・ルボルニュの身元を明らかにせんとする努力にも
感心させられるが、
それを可能にせしめた当時の記録がきちんと残されていたことにも
驚かされるのである。
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