1810年、ポーランドで生まれた“ピアノの詩人”と称される
フレデリック・ショパンは、1831年に祖国ポーランドを離れ、
パリの地において 1849年、39才の若さで生涯を閉じている。
昨年2010年はショパン生誕200年ということで
ポーランドではずいぶん盛り上がりを見せ、
同国は総力を挙げてショパンの激動の人生を映画化した。
その映画『ショパン 愛と哀しみの旋律』が
いよいよ、3月5日、全国公開となる。
彼の楽曲はよく耳にするものの、
その生涯についてはほとんど知らなかったのだが、
どうやら病弱で苦悩の連続の生涯であったようだ。
既に二人の子供の母であった人気作家
ジョルジュ・サンドとの激しい愛、
そこから生み出される名曲の数々、そして待ち受ける悲劇…
病魔に侵されていた彼は失意のまま短い生涯を終える。
この映画の中で描かれているかどうかは不明だが、
彼は不可解な発作を繰り返していた。
一体どんな病気が彼を襲っていたのだろうか…
Did Chopin have epilepsy? ショパンはてんかんだったのか?
By Elizabeth Landau
Frédéric François Chopin (フレデリック・フランソワ・ショパン)は1849年に死んでいるのかもしれないが、リメイクされた “Karate Kid(ベスト・キッド)” や “The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)” などの映画の中の音楽としていまだに威光を放っている。そして、さらに驚くことに、医師たちはいまだに彼の病気を突き止めようとしているのである。
生涯を通して健康に問題のあったショパンは何らかの肺疾患を患っておりそれが39才での死につながったっており、一体全体それが何だったのかはいまだに議論となっている。嚢胞性肺線維症だった?肺結核だった?世界の人々には知られていないことかもしれないが、医師や音楽狂たちは今も議論を続けている。
現在、二人のスペイン人の研究者がこれまでとは異なる側面からショパンの健康問題に取り組んでいる。それは奇妙な行動と幾度となく彼が見たと伝えられる幻覚である。彼らは Medical Humanities 誌に、ショパンが側頭葉てんかんだった可能性がある、と報告している。これはこの作曲家の生きている時代にはまだ医学的文献に記載されていなかった疾患である。John Hughlings Jackson 医師の功績によって、てんかんやてんかん発作について理解が進められたのは1870年代になってからである。
そのため当時ショパンの主治医らがてんかんを疑うことは実際にはありえなかったのだが、彼の幻覚はその診断に適合しているように思われる。この論文の著者でスペイン、Lugo 市にある Complexo Hospitalario Xeral-Calde の放射線科医 Manuel Vazquez Caruncho 医師はそう述べている。
「私が興味をひかれたのはショパンの現実と情熱的な空想とを区別して考えてみることでした」と Vazquez Caruncho 氏は言う。「彼の時代もその後も、彼の幻覚をきわめて繊細な感受性のあらわれと多くの人たちは解釈してきたのです」
1848年、ショパンはガールフレンドのGeorge Sand の娘に宛てて次のような手紙を書いている:
『イギリスの友人のためにB フラット(変ロ)ソナタを演奏していると奇妙な出来事が私に起こった。アレグロとスケルツォをおおよそ正しく弾き、マーチにさしかかろうとした時、突然、半分開いたピアノから呪われた生き物が姿を現すのを見たのだが、それはカルトゥディオ修道院(マヨルカ島、スペイン)での悲しみの夜に私の前に現れていたものだった。正気に戻るためにしばらく退場しなければならなかったが、その後、私は一言も発することなく演奏を続けたのだ。』
またある時には、歯の感染から高熱を出した時、彼は幻覚の中に彼の父親と友人の Jan Matuszynski を見たように思ったと、Sand は書いている。
こういった手紙からわかることは、ショパンの幻覚は数秒から数分の間続いていたようであり、ほとんどの場合、夜間あるいは熱があった時にそういった経験をしていたということである。
頭痛を伴わない片頭痛の前兆だった可能性もあると研究者らは指摘するが、これは通常50才以上の人に起こる。また彼らは薬物中毒も除外しているが、実際ショパンは “砂糖にアヘンを滴下したもの” など彼の疾患に対して多くの治療薬を内服していた。「薬物中毒による幻視は通常抽象的なものですが、ショパンは鮮やかに思い出しており、決められた時間の薬を飲む前に幻覚の体験が始まっていたのです」
このほかショパンがてんかんであったことを示唆することの中に、てんかん発作に先行することのある、不安、恐怖、あるいは不眠などが含まれる。ショパンもこれらの症状を経験していたようである。彼はまた、 “jamais vu(未視体験)” という夢幻状態を体験していた。この状態は見慣れているはずの状況が一時的になじみのないものと感じられるものだが、これもてんかん発作の部分症状として記載されているものである。
果たしててんかんがショパンの音楽に影響を及ぼしていたかどうかは不明であるが、彼の病弱さに加えてパリでの逃亡生活の悲しみが彼の音楽の哀愁に関与していたことは間違いないと、Vazquez Caruncho 氏は言う。
クラシック音楽には、とんと
うとい(←某首相が使った意味ではない)ワタクシでも
このショパンの映画、観てみたくなったのである。
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