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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

謎に包まれた新しい病気

2023-09-13 17:11:29 | 健康・病気

2023年9月のメディカル・ミステリーです。

 

9月9日付 Washington Post 電子版

 

 

Medical Mysteries: He’s lucky his Iceland vacation ended in a hospital

メディカル・ミステリー:彼は幸運にもアイスランドへの休暇旅行が病院につながった

 

By Sandra G. Boodman,

 

(Bianca Bagnarelli for The Washington Post)

 

 Randolph H. Pherson(ランドルフ・H・ファーソン)さんは自身の健康のこととなるとその不確実さには慣れている。この元CIA 解析官は、ひどく重症で数時間後に4本のバイパス術を受けなければならなかった冠動脈疾患と診断されるまで、10数人の医師の診察と緊急室への受診を経るなどで5年を要した。

 その経験の衝撃から Pherson さんは、機密情報収集の能力を医療に適応しようとし、2020年に『How to Get the Right Diagnosis: 16 Tips for Navigating the Medical System(正しい診断を得る方法:医療システムをうまく進むための16のヒント)』というタイトルの本を出版した。

 

「アイスランドへ行ったことで私の命は救われました」Randolph H. Pherson さんはほとんどキャンセルするところだった旅行についてそう話す。(Courtesy of Randolph Pherson)

 

 しかし、自身の人生においては、Phersonさんの努力は成功と失敗の繰り返しだった。2014年の心臓手術から2週間後、Pherson さんに痛みを伴う発疹、急な発熱、さらに血球数の異常など様々な不可解な最初の症状が出現した。それからの7年間、多くの専門医を受診し50の疾患が除外されたものの診断が得られることはなかった。

 Pherson さんが重篤となり(アイスランドの)Reykjavik(レイキャビク)の病院に運ばれたのは 2021年9月のことで、偶然に集中的に現れた症状から何年ものあいだ彼を苦しめてきた稀な疾患の発見につながることとなったのは休暇旅行中のできごとだった。Pherson さんは、そこの医療チームにかかっていなければ未だに答えを探し続けていただろうと考えている。彼らによる包括的な精査、協力的アプローチ、そして National Institutes of Health(NIH1、米国国立衛生研究所)とのやりとりが2022年2月の確定診断につながったのである。

「アイスランドへ行ったことが私の命を救いました」Randolph H. Pherson さんは直前にあやうくキャンセルするところだった旅行についてそう話す。

 現在74歳の Pherson さんは国家安全保障のコンサルタントとして頻回に海外への旅行を続けている。北バージニアの自宅近くの医師と NIH の医師が、彼の複雑で予測不可能な疾患の管理を支持している。

 

Missing the mark 的を外す

 

 2009年、熱心なランナーだった Pherson さんは、間欠的に息切れを感じるようになった。初めの頃、心臓への血流を評価するために放射性トレーサーを用いる核医学心筋負荷検査の結果も参考にされ、医師は彼の心臓は健康であると彼に断言した。そのため注意は彼の肺に向けられ、Pherson さんは喘息として治療された。数年間、彼にはほぼ10種類以上の薬が繰り返し用いられ、多くの医師を受診、その多くはアレルギー専門医だったが、彼の息切れは長引いていた。

 Pherson さんが1ブロックも歩くことがむずかしくなったため家庭医が ER を受診するよう助言し、はじめて冠動脈の4ヶ所に狭窄があることが発見された。緊急で4本のバイパス手術が行われたあと、Pherson さんは、複数の動脈が実質的に同じように血流が障害されたために負荷検査で偽陰性となりうる balanced ischemia(心筋全体が均等に虚血に陥る状態)と呼ばれる稀な状態であったことから、何年も前の時点で誤診されていたことを知った。Pherson さんは、各動脈が80~90%の狭窄を起こしていたと知らされた。

 バイパス手術の2週間後、Pherson さんは両側の下肢に強い痒みを伴う発疹が出現、数日続いたがその後消失した。何年間かその発疹は周期的に再発したが、みられたのは下肢のみだった。しかしその後、それは痛みを伴う50セント硬貨大の紅斑に変化、全身に広がり、数週間続くことも時々あった。

 2021年、Pherson さんは新たな症状に悩まされた:それは一日の後半に華氏101~102度(38.3~38.9℃)の周期的な発熱で、足、手首、あるいは肩など様々な関節の突然の疼痛に加えて悪寒がみられ、数日間続いた。折に触れ、医師らは、症状が Pherson さんの飲んでいる薬に対する反応、あるいは特定されていない疾患の徴候を反映しているか否かの究明に努めた。

 次第に血液検査ではただならぬ何らかの異常が示唆された。Pherson さんは貧血で、白血球数が増加しており、時には、正常の10倍に達しており、hypereosinophilia(好酸球増加症)と呼ばれる状態だった。そして彼の顔色は蒼白となっていた。

 

Randolph H. Pherson さんと彼の家族:Richie Pherson(リッチー・ファーソン)さん(左)、Kathy Pherson (キャシー・ファーソン)さん、Amanda Pherson(アマンダ・ファーソン)さん、そしてMichael Pederson さん(マイケル・ペダーソン)さん(Courtesy of Randolph Pherson)

 

 海外への旅行の合間、彼は、アレルギー専門医、皮膚科医、胃腸科医、耳咽喉科医、リウマチ専門医、腫瘍専門医、そして“wellness”practitioner(健康管理医)などの医師を受診した。検査で偶然膵嚢胞が見つかり、良性とみられたが、悪性の可能性に備えて定期的観察が必要とされた。

 Pherson さんが自身の著書で推奨していた戦略は、準備して来ること、メモをとること、質問をすること、医師との間に“active pertnerships(積極的相互関係)”を築くことだったが、いずれも彼をずっといい方向へ導いてくれることはなかったようである。

 彼の病状に対する総体的な見方より「何の薬を処方すべきかという点に注意が向けられていたようでした」と Pherson さんは言う。彼が受診した専門医たちは、それぞれの領域には通じていたが、しばしば他の専門領域の医師あるいは彼本人との間で十分意思疎通ができていなかった。

 いつものように仕事をすることが慰めになっていた。「私は大変予定が詰まっていました。常に進行中のタスクが20はありました」と Pherson さんは言う。

 2021年9月、彼と妻の Katherine(キャサリン)さん、そして8人の友人たち―その中には引退した手の外科医と看護師がいた―はアイスランドへ行く予定になっていた。その休暇旅行は新型コロナによる制限で2度延期となっていた。Phersonさんは100ヶ国目となるその旅行を特に楽しみにしていた。

 しかし出発の1週間前、増悪する息切れを心配した彼は二の足を踏み、彼を治療してきた2人の専門医を受診した。医師らは話し合って、彼が旅行に行くべきだと考えているかどうか知らせてくれるはずだった。しかし Pherson さん(よると彼らのどちらからも連絡はなかったという。「私は彼らを見限りました」そして私はこう言いました「アイスランドにも病院はある。行っちゃおう」と。

 

Meltdown in Iceland アイスランドでメルトダウン(崩壊)

 

 最初の5日間、Pherson さんは、発熱、右手の腫れと痛み、および息切れに苦しんだ。9月30日、火山の頂上までの登山中にほとんど意識を失いかけたためレイキャビクにある Landspitali University Hospital(ランズピタリ大学病院)のERに行った。そこで彼はリウマチ専門医と心臓専門医の診察を受け、ただちに入院した。

 Pherson さんの熱は104度(40℃)まで急上昇し、ひどい脱力を来たしたので腕を持ち上げることができなかった。医師らは疑われた肺炎に対して抗菌薬と経静脈的解熱薬によって治療した。

 しかし彼の呼吸状態と腎機能は増悪、検査により心臓を取り巻く組織の炎症である心膜炎に加えて、右心不全、肺の血栓、および慢性の貧血があり、後者に対しては輸血を受けることになった。有痛性のびらんが足首と手に出現した。18日間の入院中のある時点で Pherson さんは hypertensive crisis(高血圧性クリーゼ)となり、血圧が突然 207/112 まで上昇した。

 「私は崩壊しかけていました」と Pherson さんは思い起こす。彼は医師の一人から、もし治療を求めなかったら恐らく月末までに死んでいただろうと言われた。

 一人のリウマチ専門医は Pherson さんが vasculitis(血管炎)の一型ではないかと考えた。これは、血管の炎症を起こす稀な一群の疾患で、一般に50歳以上の人が罹患する。彼は高用量のステロイドの内服を開始した。反応は急速だった:Pherson さんの熱は下がり、手の腫れも劇的に改善した。

 時を同じくして、彼のバージニアの皮膚科医から、彼が旅行に出発する前に行われた皮膚生検で血管炎が示唆されるようだと報告があった。アイスランドで行われた動脈生検の結果に基づいて、医師らは giant cell arteritis(巨細胞性動脈炎)を疑った。これは頭部内外や頭皮に炎症を来す。しかし Pherson さんの他の症状は、しばしば頭部の痛みや失明を引き起こす同疾患に一致しないようだった。

 非常に幸運なことに、Pherson さんを診ていたレイキャビクの医療チームには、NIH の National Institute of Arteritis and Musculoskeletal and Skin Dieseases(国立関節炎および筋骨格および皮膚疾患研究所)の血管炎トランスレーショナル・リサーチ・プログラムの責任者である Peter Grayson(ピーター・グレイソン)氏の長年の友人であるリウマチ専門医 Gunnar Tomasson(グンナー・トマソン)氏がいた。二人はボストンの同じフェローシップ・プログラムでトレーニングを受けていた。

 Tomasson 氏は Pherson さんが D.C. 地区に住んでいるのを知り、彼が、新たに発見された稀な自己免疫疾患である VEXAS syndrome(VEXAS 症候群、ヴェクサス症候群)に罹患しているのではないかと考えた。本疾患は New England Journal of Medicine(ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン)の2020年12月の論文に初めて記載されていた。Grayson 氏は VEXAS を発見した国際チームに関与しており、NIH は当時、本疾患を診断するの必要な遺伝子配列解析を行うことのできる米国で唯一の施設だった。Tomasson 氏は Grayson 氏に Eメールを送ったところ彼は Pherson さんのケースに興味を示した。というのも、Pherson さんのケースでは hypereoshinophilia(好酸球増多症)を含め、VEXAS の患者では普通みられないいくつかの特徴があったからである。

 疾患の臨床的特徴に基づいた頭字語である VEXAS(詳細は後述)は X 染色体に位置する UBA1 遺伝子の変異によって起こる:この遺伝子変異は遺伝によるものではなく後天的なもので、そのため子孫に伝えられることはない。何がこの変異を引き起こすのかはわかっていない。

 男性はX 染色体が一本しかないため、女性に比べはるかに高頻度に VEXAS を発症しやすく、同疾患は 50歳より前にみられることはまれである。血管炎が本疾患の最初に見られる症状の一つとなりうるが、皮膚の発疹や原因不明の発熱も特徴的である。患者はまた進行性の骨髄機能不全を起こし、輸血が必要となる。これまでに100人以上がこの炎症性疾患と診断されている。VEXAS は50歳以上の男性のおよそ4,000人に一人が罹患すると推定されている。

 「これはありふれた状況に潜む疾患であると考えています」と Grayson 氏は言う。「私たちはこれが生命にかかわる病気であることを知っています。症状の発現からの平均生存期間はおよそ10年です」。NIH では、骨髄移植が VEXAS の治療となりうるかどうかを決定する臨床研究を行っている。期待されるのは移植が疾患を起こしている遺伝子を不活化もしくは排除して免疫系をリセットできるかもしれないということである。ただしこの臨床試験は他の治療に反応しなかった患者に限定されている。

 

Coming home 自宅に戻る

 

 2021年10月19日、入院中より顕著に体力は回復したが、彼の血栓症や心臓の問題により民間航空を利用できないため Pherson さんはレイキャビクから Dulles International Airport(ダラス国際空港)まで救急輸送機を利用した。そこから彼は Inova Fairfax Hospital(イノバ・フェアファックス病院)まで移送されそこで一週間過ごした。その入院中に医師は血液を採取、検査のために NIH に送られた。

 2022年2月、Pherson さんは自身が VEXAS であることを知らされた。「それはいくらか不安の軽減になりました」と彼は思い起こす。ついに彼は7年間の混乱させられた症状の説明が得られたわけだが、彼の余命が短くなるかもしれないこと意味していたので「若干心配でした」と付け加えて言う。

 Pherson さんは、疾患をコントロールするためステロイドと他の免疫抑制薬を内服しているが、彼の病気は周期的に再発し、2021年以降も3回の入院を要した。しかし彼は仕事を続けており、頻回に旅行している。「私は70%から90%へと生産性が増えました」と Pherson さんは言う。「私は非常に冷静でいます…私はこれ以上できないというところまで、できることをただやり続けていきます」

 彼と Grayson 氏は、特に医師の間で本疾患の認知度を増したいと考えている。

 「VEXASについて聞いたことのある医師にはこれまで一度もお目にかかっていません」と Pherson さんは言う。彼はNIH での2つの臨床研究に登録されている。「私たちは情報を発信する必要があるのです」

 Grayson 氏も同意見である。「私がどこで医学症例検討会を開いても、必ず聴衆の中の医師の頭には閃くものがあるのです」と彼は言う。「もしあなたがリウマチ専門医、または皮膚科専門医、あるいは血液専門医で、VEXAS について聞いたことがなければ、いくらか学ぶことが求められます。このような患者があなたのクリニックにおられるのですから」

 

 

VEXAS症候群についての詳細は以下のサイトを

ご参照いただきたい。

マイナビ 2025

 

2020年、米国 New York University Grossman School of Medicine

(ニューヨーク大学グロスマン医学部)の生化学部・分子薬理学部の

David Beck氏らは新たな自己免疫疾患として VEXAS 症候群を

有名な医学雑誌、『Journal of the American Medical Association(JAMA)』に

報告した。

VEXAS症候群の名称は、

同疾患が特定された際に認められた患者の臨床的な特徴から取られ、

Vacuoles(空胞)、E1 enzyme(E1酵素)、X-linked(X連鎖性)、

Autoinflammatory(自己炎症性)、Somatic(体細胞性)の頭文字を

組み合わせたものである。

空胞とは骨髄細胞にみられる空胞変性のことである。

本症候群は多くは高齢男性に発症する自己炎症性疾患で,

炎症に起因する発熱や関節炎、軟骨炎、血管炎、皮膚病変、肺病変を

特徴とし、骨髄細胞の変性から血液検査の異常(血球減少)をみるなど

多彩な臨床像を呈する。

このため、結節性多発動脈炎、巨細胞性動脈炎、再発性多発軟骨炎、

Sweet症候群,骨髄異形成症候群(MDS)といった既存の疾患に

本症候群が隠れている可能性がある。

本人男性の再発性多発軟骨炎症例の 73%にUBA1 変異が

確認されたとする報告もあり、他疾患と診断されている症例の中に

本症候群が埋もれている可能性がある。

たとえば皮膚病変を伴う軟骨炎症例をみたら本症候群を疑い

骨髄検査を施行することが推奨されている。

 

米国におけるVEXAS症候群の推定罹患者数は15,000人以上に上り、

その有病率は、さまざまなタイプのリウマチ性疾患の有病率よりも

高いとみられている。

本症候群は、X染色体上のUBA1遺伝子に後天的に生じた変異により

引き起こされることが明らかにされている。

この遺伝子はたんぱく質の翻訳後修飾過程の一種であるユビキチン化を

開始させるユビキチン化活性酵素(E1酵素)をコードしている。

同遺伝子の変異は、50歳以上の男性の4,269人に1人、

50歳以上の女性の26,238人に1人にみられると推定されることから

推定罹患者数は男性約1万3,200人、女性約2,300人と算出された。

この結果に基づき、米国では、特に男性の間では本症候群は

決して稀な疾患ではないと考えられることとなっている。

また男性では本症候群による死亡率も高く、Beck 氏らによると

患者の半数は、診断から5年以内に死亡するという。

以上の事実から、彼らは持続的で原因不明の炎症や血球数減少が

認められる患者に出会った際には、鑑別診断に本症候群も

加える必要があると主張している。

なお、研究グループによると、本症候群の症状の治療においては、

高用量のステロイド、JAK阻害薬、骨髄移植が有用である

可能性があるという。

 

どうやら既存の疾患概念を覆すような新たな症候群のようである。

この先、本症候群の他にも、まだまだ埋もれた真の病態が掘り起こされる

可能性があるのかも知れない。

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間一髪(close call)からの生還

2023-08-16 19:40:05 | 健康・病気

2023年8月のメディカル・ミステリーです。

 

812日付 Washington Post 電子版

 

 

Medical Mysteries: Why did a teen collapse mid-jump on a trampoline?

メディカル・ミステリー:なぜ十代の若者はトランポリンのジャンプ中に意識を失ったのか?

 

(Bianca Bagnarelli for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 

 

 2022年9月の土曜日の夕方、ワシントンにある Children’s National Hospital(チルドレンズ・ナショナル・ホスピタル)の救急診療部にはピリピリした雰囲気が広がっていた。看護師、医師、技師ら20数名に及ぶチームが14歳の少年の到着を待っていたのである。

 BB と呼ばれている Akinbiyi Akinwumi(アキンビー・アキンウミー)さんはメリーランド州 Prince George’s County(プリンス・ジョージズ郡)の自宅近くの屋内トランポリン施設で突然意識を失っていた。意識はすぐに戻ったが、うまく話すことができず、胸痛としびれを訴えていた。連絡を受け現場に駆けつけた救急隊員は、心電図で気がかりな異常な電位上昇を認め、若い人ではまずあり得ないほど稀と考えられたが、彼が心筋梗塞を起こしているのではないかと考えた。

 救急隊員が彼を同病院の trauma bay(救急蘇生室)に運び込んだ時には、BB は部屋を見回していたため、彼を最初に診察した救命救急の心臓内科医である Gil Wernovsky(ギル・ウェルノフスキー)氏はその様子は良い徴候であると考えた。

 BB の血圧と心拍数は安心なほど正常であり、Wernovsky 氏は頭の中で彼の意識消失の原因となりうるリストをチェックした:dehydration(脱水);arrhythmia(不整脈)と呼ばれる心臓のリズム異常;命にかかわる感染症である sepsis(敗血症);まれだが重篤な心臓壁の感染症である myocarditis(心筋炎);drug overdose(薬物中毒)、さらには Lyme disease(ライム病)が挙げられた。

 その小児心臓内科医は心臓超音波検査を開始した。これは超音波を用いて心機能を評価する検査である。

 画像がモニターに映し出されると、一同は「驚きの声をあげ、その後完全な沈黙が続きました」と Wernovsky 氏は思い起こす。

 BB の発作、さらには、意識消失に先行してみられた数ヶ月間の原因不明の倦怠感、めまい、および胸痛の原因が存在したのである。

 その ERチームは直ちに人を集め BB と彼の家族には緊急手術に向けて心の準備を求めた。「私たちは非常に迅速に動く必要がありました」と Wernovsky 氏は言う。「果たして私たちが彼を死から間一髪で救うことができるのか本当にわかりませんでした」

 BB の母親 Shron Akinwumi(シュロン・アキンウミー)さんは医師から説明されたことに戸惑うと同時に、彼女の下の息子である彼が強く求めていたであろう肝のすわった表情を見せようとしたことを覚えている。彼女と、医師であり疫学者である夫の Akin(アキン)さんは同意書にサインをし、do-not-resuscitate orders(蘇生禁止指示)についての質問に答え、それまで健康だった子供が手術で死亡する可能性があるという通告を受け入れようと努めた。

 「お願い、どうか私の息子を救って下さい」彼が手術室に運ばれていく前に医師たちにそう話したことを Shron さんは覚えている。

 彼の異常なまでの急速な回復は BB の深刻な診断とは対照的だった。この10代の若者が救急車で瀕死の状態で運ばれて4日も経たないうちに彼は自宅に戻ったのである。

 「あまりに回復が早かったので彼と話す時間はほとんどありませんでした」と Wernovsky 氏は言う。

 

Akinbiyi Akinwumi さんの診断は、症状を評価する際、広く考えることの重要性を思い出すヒントになっていると、ある医師は語る。(Courtesy of Shron Skinwumi)

 

A pulled muscle? 肉離れ?

 

 彼が Children’s National に運ばれるまでの数ヶ月間、バスケットボールの選手である BB は胸の痛み、腕のしびれ、繰り返す倦怠感や脱力感を感じていたが、母親はじめ他の誰にもそれについて言及することを避けていた。彼の症状は「きわめて不規則にみられていたのです」と Shron さんは思い起こす。彼女は GW Medical Faculty Associates(ジョージワシントン大学と提携している非営利の5013医師グループ診療所)で患者アクセスの責任者を務めている。

 BB の胸部の痛みについて小児科医に尋ねると、その医師は肉離れかもしれないと彼女に話した。確かにこれは小児の胸部の痛みの最も多い原因の一つである。そして彼に Tylenol(タイレノール、成分はアセトアミノフェン)を飲むよう助言したところ、多少効果があるようだった。それまでの受診時には医師らは特に異常を認めていなかった。

 トランポリン施設で意識を失う6週間前の8月初旬、BBは兄の Akintola(アキントラ)さんとメリーランドのジムに出かけていた。トレーニング中、めまいと「チクチクとした痛みがあり、全体的に調子が悪い」と訴えるとその後短時間意識を失った。彼は母親に電話した。

 「『座っていなさい、迎えに行くから』と私は言いました」そう Shron さんは思い起こす。彼女が到着すると、駐車場の縁石に腰かけていた彼を見つけたが、そこで彼は嘔吐していた。BB はパーカーを着ていたので、Shron さんは彼が熱中症、もしくは前兆を伴う片頭痛を起こしたのではないかと考えた。2年間、彼はさほど頻回ではない頭痛を経験していたが、通常は市販薬で効果がみられていた。

 自宅に戻ると BB は短時間眠った。目を覚まし、ジムにいたことを覚えていないと言った時、最初 Shron さんは彼が冗談を言っているのだろうと思った。しかしそうではないとわかると彼女は 911 に電話した。救急隊員が彼を調べたところ、彼のバイタルサインは正常だったが、一人の救急隊員が彼女に Children’s National に連れて行くよう勧めた。

 二人は ER で6時間過ごした。BB の記憶は戻り神経学的検査も正常だった。Shron さんは、かかりつけの小児科医のもとで経過を見るよう助言を受けたが、心電図で高血圧、心臓の弁の異常、あるいは激しいスポーツ選手のトレーニングで引き起こされる可能性がある左心室壁の肥厚である左室肥大が示唆されたため同病院の心臓クリニックに紹介された。

 Sharon さんによると、彼女は BB の小児科医に電話したが、その症状は片頭痛関連の可能性があると説明し彼に無理をさせないよう助言したという。

 6週間後、Akintola さんが働いているトランポリン施設まで BB と彼のいとこを車で連れて行った約30分後、彼女の電話が鳴った。施設の管理者が、BBがジャンプ中に“だらんとなった”と彼女に説明した;そして救急車が要請された。兄が彼を抱き起した後、駐車場まで走っていき救急隊員を待った。

 Shron さんは現場に駆けつけ、その後救急車について Children’s National に向かった。

 

‘Do what you need to do’ ‘必要なことをして下さい’

 

 部屋をうずめた人たちが黙ってモニター上の画像を見つめていると BB が声を上げた。「あってはいけないものかも」と半信半疑に怯えた声で彼は言った。カリフラワーの茎のような形をした大きな腫瘤が彼の心臓に付着していた;それはハリケーンに揺れ動く木に似ていた。「本当にショックでした」と彼は言う。

 ER の心臓内科医が努めて穏やかに情報を伝えようとしたことを Shron さんは思い起こす。BB の心臓の左側に付着した奇妙な塊は腫瘍だった。それが良性か悪性かは不明だが、すぐに明らかになるはずだと Wernovsky 氏は Shron さんに説明した。

 Wernovsky氏によると、その腫瘍は cardiac myxoma(心臓粘液腫)であることをほぼ確信していたという。この腫瘍は成人でもまれだが、小児ではさらにまれである。この心臓内科医は38年間の職歴で他に2例を経験していた:1例は新生児で、もう1例は10歳児だった。

 粘液腫は良性がほとんどではあるが、BB の腫瘍は「悪い場所にありました。トランポリンで跳躍すること以上に怖ろしい運動を思いつくことはできません」と Wernovsky 氏は言う。なぜなら大きな腫瘍は容易に BB の心臓の血流を閉塞し、即死していた可能性があったからである。

 「それが良性であると彼女を安心させたかったが、できませんでした。それを取り除くまで確信できないからです」と彼は付け加えて言う。

 「『必要なことをして下さい』と」それが Shron さんの返答だったと Wernovsky 氏は思い起こす。「彼女は実にしっかりしていました。彼女は息子の偉大な擁護者でした」

 Shron さんが最も鮮明に覚えていることはとにかく BB を安心させようとしたことだという。「かろうじて話すことができる子が『お母さん、死にたくない…』と言うのですから…」彼女の話す声は次第に消え入った。「『あなたは死んだりしない。彼らはこの手術を毎日しているんだから』と私は言いました」

 通常心臓の上の方の部屋(心房)が侵されることの多い心臓粘液腫の原因はほとんどわかっていない。30歳から60歳の女性に診断されることが多く、何か他の病気の精密検査で偶然発見される。約10%は Carney syndrome(カーニー症候群〔カーニー複合〕)と呼ばれる稀な遺伝性疾患に起因すると考えられているがほとんどの例は BB のように遺伝と関連なく発生する。

 腫瘍に対しては外科的切除が推奨される治療法であり、再発はめったにみられない。

 

Delayed meltdown 遅れて起こった感情の崩壊

 

 Sharon さんによると、気を紛らすために、BB が手術を受けていた5時間の多くを自身の  iPad で “Downton Abbey(ダウントン・アビー:イギリスの時代劇テレビドラマ)” を見て過ごしたという。夫の方が「(医師として)何が起こりうるかを知っているのでもっと緊張していたのではないか」と思っていたそうである。二人とも不安を何とか紛らわそうとしながら、彼らの上の息子を元気づけようとした。

 手術は成功した。一日以内に BB は心臓集中治療室から出た。Sharon さんは、なぜあんなに多くの医師が彼を見に来るのか尋ねたことを覚えているが、それらの訪問は彼の腫瘍の希少性と彼の回復の速さに促されたものだったと説明を受けた。「彼らは口々にこう言ったのです。『あなたはあれやこれやに立ち向かっておられます』と」と彼女は言う。

 しかし、彼女の強さの予備力は無限ではなかった。家族で病院から自宅に向かうとき、彼女に「本格的な感情の崩壊が起こった」と Sharon さんは言う。「私は振り返って彼を見ました、そして起こったことの現実に」包み込まれた彼女は泣き出したのである。BB が2週間後に「ママ、僕は大丈夫」と彼女に伝えるまで、彼女は彼の部屋の椅子で睡眠をとった。

 BB がほとんど伝えてこなかった数ヶ月に及ぶ症状の経験を母親が知ったのは、彼が回復したときだった。手術の2、3週後、それまでの何年間かに比べてずっと気分が良いと彼は母親に伝えた。

 数週間のうちに高校2年生となる予定の BB はバスケットボールを再開しているが、今のところコンタクトスポーツや激しい運動を避けている。開心術を受けているため、生涯心臓内科医による毎年の追跡検査が必要となる。

 Wernovsky 氏にとって、若い医師たちの教育症例として用いているこの BB の経験は、症状を評価する際、広く考えることの重要性を思い出すヒントとなっている。

 BB の意識消失の前の数ヶ月間、彼女がしっかりと追求してこなかったという罪悪感に苦しみ続けていると Sharon さんは言う。そうしていれば、もっとひどくない状況で手術にたどり着けていたかもしれなかったからだ。

 「もっと前に押し進めるべきでした」と彼女は言うが、Wernovsky 氏や他の医師は、彼女にさらにできていたことは何もなかったと明言している。「今ならもし彼が足の爪が痛むと言ったなら私はちゃんとそこにいます。そして彼はここにいるのです。それが最善のことなのです」

 

 

Cardiac myxoma(心臓粘液腫)の詳細については以下のサイトを

参照いただきたい。

 

慶應義塾大学心臓血管低侵襲治療センターのHP

 

心臓に発生する腫瘍は全剖検例の0.1%以下と稀ではあるが、

その 70%が良性腫瘍、30%が悪性腫瘍である。

良性腫瘍の中で、最も多いのは粘液腫で良性腫瘍の約半分、

全心臓腫瘍の3割強を占める。

粘液腫は粘液状の基質が豊富に存在し赤茶色のゼリー状を呈する。

女性が男性より2~3倍多く、75%が有茎性で

心臓内のどこにでも発生するが、約 3/4 が左心房にみられる。

稀に複数の部位に生じることもある。

粘液腫の約5%に家族性の発症例(Carney complex, カーニー複合)があり、

その場合、若年男性、多発性、再発が多いのが特徴となっている。

本症候群は常染色体優性形式に遺伝し、心臓粘液腫のほか、

皮膚病変や多発性内分泌腫瘍などを併発する。

 

症状

腫瘍占拠に伴う血流障害と腫瘍塞栓による症状が主体となる。

左心房に発生した粘液腫が増大し血流障害を来すようになると

左心房と左心室の間の弁である僧帽弁の隙間が狭くなり、

僧帽弁狭窄症と似た症状(失神、めまい、息切れ)が出現する。

体位によって症状に変化がみられ、立位では、重力により粘液腫が

僧帽弁に向かって引き込まれるため血流が障害され症状が出現する。

腫瘍が僧帽弁口にはまり込んだまま動かなくなり血流が途絶すると

突然死を来すことがある。

粘液腫の30~50 %では腫瘍の一部がちぎれて血流に乗り塞栓症を

引き起こす。

この場合約半数で中枢神経系の塞栓症(脳梗塞)を起こす。

 

診断

腫瘍の存在は、心エコー検査やCT検査などで容易に確認される。

しかし腫瘍の種類については鑑別が困難なこともあり、

切除した組織から病理学的に初めて診断が確定する場合もある。

 

治療

治療は手術による切除が原則となる。

薬物治療で腫瘍を縮小させるのは不可能である。

手術は人工心肺装置を用いて心臓を一時的に停止させ、

心臓を切開し腫瘍を切除する(開心術)。

手術で完全に切除できた場合、通常の社会生活が可能となる。

ただし粘液腫の 5~10%程度に再発があるとされており、

定期的な心臓超音波検査による経過観察は必要となる

 

本記事は 10代の男性であり、

いかにも遺伝性疾患の関連が疑われるが、実際には孤発例であり、

きわめてめずらしいケースであるといえそうだ。

この年代で心臓超音波検査などまず行われないため、

早期の診断は難しいものと思われる。

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肉の丸吞みにご用心

2023-07-11 17:38:41 | 健康・病気

20237月のメディカル・ミステリーです。

 

78日付 Washing Post 電子版

 

Medical Mysteries: A surgeon’s ominous pain and a question of grilled meat

メディカル・ミステリー:外科医の不気味な痛みとグリルした肉の問題

(Bianca Bagnarelli for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman

 

 

 Thomas P. Trezona(トーマス・P・トレゾナ)さんは、放射線科医の隣に座り、きっと見つかるだろうと思っていた病変についてビクビクしながら自身のCTスキャンの画像を眺めていた。:それは彼の母親を死に至らしめたのと同じ病気である膵臓癌の所見のことである。彼の年齢、性別、そして家族歴を考慮すると、それがこの引退した腫瘍外科医の生活を2021年7月に奪った激しい腹痛、嘔気、急速な体重減少の最も考えられる原因だった。

 Trezona さんが大いに安堵したことにその検査では癌の所見は認められなかった。彼の内科医は、彼が食餌中の穀物に反応を起こしているのではないかと考えたが、一方でそのCT検査後に行われた血液検査ではまれな慢性の胃腸疾患が示唆された。

 Trezona さんを衰弱させる症状の原因は約2ヶ月後の手術の後に確定したが、考えられていたいずれの疾患でもなかったことが明らかになった。この外科医の長い医療従事歴で培われた自身の病気に対する粘り強い系統的アプローチに、彼を長年に渡って診てきた胃腸科医の支援が加わって、彼の増悪する憂慮すべき症状の、めずらしい、回避することのできる原因の発見につながった。

 現在72歳になる Trezona さんは回復しているが、その経験は彼に衝撃をもたらした。彼は、ありふれた状況に潜む見逃されがちな危険への人々の関心を呼び覚まし、彼らが似たような苦しい経験をせずにすむようにしたいと考えている。

 「私が医療界に対するきわめて特別なアクセス権と、殆どの人たちが持たない知識に恵まれていることは承知しています」オレゴン州の Eugene(ユージーン)に住む Trezona さんはそう話す。しかし患者の大半はこの病気ではるかに長い時間苦しんできたことでしょう」

 

Possible parasite 寄生虫の疑い

 

 Trezona さんの上腹部の漠然した痛みはグランドキャニオンでの2週間の筏下りの旅行から戻って2、3日後の7月13日に始まった。その 2、3日後には痛みが増悪し、腹部膨満感が出現、吐き気がして食べられなくなった。

 2020年に引退した Trezona さんは、その痛みが断続的に訪れ、午前中には比較的軽度だが、午後になるにつれ増強する傾向にあることに気づいた。彼は differential diagnosis(鑑別診断)をまとめることにした。これは同じ症状を示す考えられる疾患のリストであり、医師らに用いられる根幹的診断手順である。

 「これは外科医ならすることです」と彼は言う。「私たちは、ひどい腹痛の症状がある患者を診るよう ER に呼ばれる専門家です」Trezona さんはさらに、自身の症状を追跡するために毎日の症状日誌をつけることにした。

 寄生虫によって引き起こされた感染症にかかっているのではないかという彼の最初の疑いはただちに除外された。Trezona さんと彼の妻 Amy(アミ―)は旅行中浄水器を通した水を飲んでいたし、彼女は元気だった。そしてそのような感染症の特徴的症状である下痢が彼にはみられなかったからである。

 次の可能性ははるかにたちの悪いものだった。Trezona さんはそれまで、消化器の癌患者を多く治療してきており、彼の母親が74歳のときに膵臓癌の診断を受けて2、3ヶ月で死去したのを目の当たりにしていた。またそれまで健康だった71 歳の男性は持続的な腹痛と原因不明の体重減少が、違う病気であると判明するまで癌ということになっていたと Trezona さんは言う。そういうわけで彼はできるだけ早く CT 検査が必要と考えたが、8月2日まで彼の内科医の予約が取れなかった。

 不安を募らせた彼は、友人で胃腸科医の Jonathan Gonenne(ジョナサン・ゴネン)氏にメールしたが彼は New England(ニューイングランド)へ休暇旅行中だった。

 翌日、彼らは電話で Trezona さんの症状について討議した。その胃腸科医は自分の診察室に電話し、CT 検査を依頼、8月上旬に予定が組まれた。

 Gonenne氏は不安を感じたことを覚えている。「彼は意味もなく症状を訴えたり誇張するような人間ではないからです」と彼は言う。

 検査の一週間前、Trezona さんはけいれんのような痛みに襲われたがそれがあまりに強かったためトイレの床の上で身悶えした。力が入らず、腹部が膨満し、吐き気を催したが吐くことはできず、妻に近くの緊急室に連れていってもらった。たぶん CT 検査をすぐに受けられるだろうと彼は思った。

 Trezona さんは看護師と physician assistant(準医師資格者)に診てもらい採血され血液検査が行われた。待合室で4時間以上経ったが Trezona さんは医師に診てもらうことはなく、彼の電話が鳴って結果が伝えられた。一つを除いてすべては正常だった。白血球の一つ、好酸球数が上昇していた。これは、アレルギー、寄生虫感染症、あるいは癌を示唆する可能性があった。

 医師の診断を受けるまでさらに 4、5時間も待つ必要はないとわかったため、Trezonaさんは自宅に戻ることにした。「『この先24時間のうちに死ぬことはないだろう』と思ったのです」と彼は言う。彼に熱はなく、痛みは弱まっており、全白血球数は正常だったことから、重大な感染症や腸管穿孔は除外された。

 翌週、彼はかかりつけの家庭医を受診、彼は好酸球数の増加を重視することなく、Trezona さんに穀物の入っていないグレイン・フリー・ダイエットについての情報を手渡した。

 Trezona さんによると、彼の症状が食物に関連しているという考えは生まれてこの方聞いた中で最もバカげた話だと考えたが、そのことは口に出しては言わなかったという。彼が Gonenne 氏と連絡を取ると、彼は腸管の収縮を和らげる鎮痙薬とオピオイド系(麻薬系)鎮痛薬の処方を求めた。しかしいずれもあまり効果はなかった。

 Trezona さんは、痛み、腹部膨満、および吐き気が強くなっていることを深刻に考えた;一ヶ月足らずで彼は15ポンド(6.8㎏)以上体重が減っていたからである。彼は自分の腹部を診察してみたが、疑わしいものは何も感じられなかった;6ヶ月前に行われた大腸内視鏡も正常だった。

 8月2日、Trezona さんは CT 検査を受け放射線科医と画像を検討した。「非常にうれしかった」と正常の結果だったことについて彼は話す。しかし彼は完全には安心できなかった。というのも、正常所見でありながら、その後の手術中に癌が発見された患者のことを考えたからである。

 可能性が高まっているように思われた別の原因に彼は注意を向けた:eosinophilic gastroenteritis(好酸球性胃腸炎)である。これはまれな慢性の消化管疾患で、胃腸管に好酸球が集積することで発症し、吸収不良、腹痛、あるいは腸管閉塞の原因となる。「間違いなくそれであってほしくないと思いました」と Trezona さんは思い起こす。

 Gonenne 氏は上部消化管の精査と生検標本の採取を目的に内視鏡検査を予定した。しかしその結果は新たな手詰まりとなった。検査と生検は正常で eosinophilic gastroenteritis は除外されたのである。「私は幾分安心しましたが何が起こっていくのだろうかという困惑する気持ちは残りました」と Gonenne 氏は思い起こす。

 Trezona さんも先が見えなく感じていた。彼の腹痛は悪化していて、体重も減り続けていたが、誰も原因を見つけることはできなかった。自分が“ちょっといかれている”と医師から思われるのではないかと不安にもなった。

 Gonenne 氏は次に何をすべきかについての助言を求めて、自身が訓練を受けた Mayo Clinic(メイヨ・クリニック)に連絡を取った。その結果、小腸を精査する画像診断法である CT enterography(CTエンテログラフィー)を行うことを勧められた。

 Trezona さんは既にCT 検査を受けていたので、Gonenne 氏は MRI enterography(MRI エンテログラフィー)を行うことにした。この検査の方がより良い画像化が行える可能性があると彼は考えたからである。

 それこそが、発見に、そして誰もが疑っていなかった原因につながる決断となったのである。

 

A peculiar discovery 奇妙な発見

 

 8月下旬、彼の MRI 検査の一週間前、Trezona さんは突然、「ずっとずっと気分が良くなっていましたた。腹痛、腹部膨満、そして嘔気はぴたりと止まり、再び食べられるようになっていました」と彼は思い起こす。Trezona さんは MRI 検査をキャンセルしたいと考えたが Gonenne 氏は予約を実行するよう説得した。

 その検査の直後に Gonenne 氏は Trezona さんに電話をかけ、彼の腹痛を説明できるものは何も発見されなかったが、放射線科医が何か奇妙なものを発見していたと説明した:それは Trezona さんの左上腹部の正体不明の金属による“artifact(アーチファクト)=ノイズ”だった。彼は磁性金属製のクリップを使用する腹部手術を受けたことがあったのだろうか?

 受けたことはないと Trezona さんは答えたが、2020年に彼はワイヤーを使用する前立腺の治療を受けていた。おそらく一本のワイヤーが前立腺を抜けて腹部に迷入したとみられた。その可能性は突拍子もないように思われたがあり得ないことではなかった。

 Trezona さんは放射線科医に電話をかけて、CT と MRI を比較するために翌朝に来てもらうよう手筈を整えた。金属による異常所見はCT検査でも認められていたが、それと類似する動脈壁の生理的な石灰化と解釈されていたことを確認した。しかし前立腺の治療手技には非磁性体のステンレス鋼が用いられていることを Trezona さんが確認、前立腺原因説は即座に除外された。Trezona さんの腹部のワイヤーは磁性体だったのである。

 そうなると2つの未解決の疑問が残った:そのワイヤーはどこから来て、どうやってそこに達したのか?

 「それは移動しているのだろうか?」放射線科医は考え込み、limited scan(限局的な撮像)を行うことを提言した。Trezona さんは検査台に飛び乗った。その新たな検査で、そのワイヤーは数cm ほど移動していたことがわかった;また以前には認められていなかった Trezona さんの胆嚢内の小さな石灰化した胆石も確認された。

 「たちまち私たちはひどく面くらいました」と Trezona さんは思い起こす。彼には胆石症の既往はなかったからである。

 その翌日の夜、夕食後 2、3時間して Trezona さんは激しい腹痛、吐き気、連続的な嘔吐に襲われ、それが約2時間続いた。

 今回は Trezona さんは何が原因か正確にわかった。胆嚢が炎症を起こしていたのである。胆嚢の炎症である acute cholecystitis(急性胆嚢炎)はしばしば胆石によって引き起こされる。胆嚢を摘出する手術が通常行われる治療法である。

 「私は何百回もそれを気にかけてきました」と Trezona さんは言う。2ヶ月足らずで21ポンド(約9.5㎏)の急速な体重減少に加えて彼の年齢は彼を(胆石症の)最有力の候補にした。Trezona さんは再発を防止するために無脂肪食とし、外科医の受診予約をした。

 その時までには、Gonenne 氏は何が不可解な一連の症状を引き起こしていたかについて徐々に確信できるようになっていた。

 

An exact match 完全な一致

 

 数年前、Gonenne 氏は、知らないうちにバーベキューグリルの鉄格子をきれいにするために用いる金属ブラシのワイヤーの硬い毛を飲み込んで食道に微小な穿孔を起こした患者を治療したことがあった。そのワイヤーはぷっつりと切れて食べ物に刺さり見えない状態となっていたのである。

 そのような損傷はまれではあるが過小に認識されていると考えられている。2012年 the Centers for Disease Control and Prevention(米国疾病対策予防センター)は、15ヶ月の期間にロード・アイランド州プロビデンスの一病院で治療された 6例を報告している。全例がグリルで焼いた肉の摂取と関連していた。2例は緊急の腹部手術が必要となっていた。

 2014年には剖検中に発見されたグリルブラシのワイヤーによって引き起こされた腹膜炎で死亡した男性例が報告されている。

 2016年の研究では、2002年から2014年までの間に1,700人の米国の小児、成人がそのような損傷で ER での治療を求めており、4人に1人が入院を要していたと推計されている。2年後、Consumer Reports(コンシューマー・レポーツ)はワイヤーブラシがもたらし得る危険性について通告;また Consumer Product Safety Commission(米国消費者製品安全委員会)はグリルの清掃にはナイロンブラシや丸めたアルミホイルの使用を推奨している。

 Gonenne 氏は、Trezona さんがステーキに刺さったワイヤーを知らないうちに飲み込み、それが食道を降りて行って、胃の中に入り、胃の厚い壁を貫通する前に痛みを伴う攣縮を起こしていたと考えた。結果として生じた急速な体重減少がおそらく胆石症につながったのであろう。

 「これがグリルの硬い毛であることが分かっても手術に踏み切りませんでした」と Gonenne 氏は言う。グリルの剛毛が危険をもたらす可能性があることについて聞いたことがなかったという Trezona さんは、自身のケースでそれが問題の原因であるかどうかを解明する覚悟を決めた。指一本を使って彼は容易にワイヤーをブラシから外すことができていたのである。

 9月13日、Trezona さんの胆石を摘出した外科医は 2cmの長さのワイヤーが埋入する腹部組織の小さな箇所の摘出に成功した。

 手術から2、3日後に、Trezona さんは、自身の胃から回収したワイヤーと比べるために、自分が外したワイヤーを病理検査室に持って行った。顕微鏡下に観察し、それは炭素パターンに至るまで完全に一致し、そのパターンは焼けたバーベキューソースであることが確認された。

 「それは実に驚くべきことでした」と Trezona さんは言う。彼は既に彼のグリルブラシを捨てている。

 完全に回復した Trezona さんは、彼の2ヶ月の過酷な経験によって彼の癌患者の記憶が呼び起こされたという。外科医としての彼の長い経験をもってしても診断されていない激しい痛みがどれほど患者を孤独に追い込み、恐怖と絶望感をもたらすかをかつては認識できていなかったが、今回のことでできるようになったのである。

 「『これで自分は死んでいくのだろうが、誰もその原因を解明できない』と考えたことを覚えています」と彼は言う。Gonenne 氏の確固たる支持と援助が計り知れないほど大切だったと彼は付け加える。

 Gonenne 氏にとって、Trezona さんのケースは、他の医師の結論をただ受け入れるのではなく、検査の画像と他の初期のデータを自身で再検討する重要性を強調するものとなった。

 「Tom はそれについては驚異的です。彼は非常に細部に気を配る人間です」と Gonenne 氏は付け加える。

 Gonenne 氏の考えでは、Trezona さんの決断が答えの探索を後押ししたとみている。「これは、腹痛や体重減少の精査の最前線のものではありません」とこの胃腸科医は話す。「私はアスピリンの使用や他の薬物について尋ねるかもしれませんが、『グリルで焼きましたか?』とは聞きません」

 しかし「これは私には忘れることのない症例になっています」と彼は付け加える。

 

 

 

バーベキューグリルなどを掃除するのに用いられる

バーベキュー用のワイヤーブラシの危険性は

以前より指摘されている↓。

ニュースサイト Gigazine

 

 

食べ物を置くような場所に

ワイヤーが抜ける可能性のある(鉄の?)ブラシを使用するのは

やはり避けるべきである。

バーベキューが盛んな米国やカナダでは多いのかもしれないが、

これから夏休みに向けてアウトドア活動が活発となる日本でも

注意が必要であろう。

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夜は眠れず、昼は起きていられない…

2023-06-14 16:12:25 | 健康・病気

20236月のメディカル・ミステリーです。

 

610日付 Washington Post 電子版

 

Medical Mysteries: Why was her sleep so frighteningly out of whack?

メディカル・ミステリー:なぜ彼女の睡眠はあれほどひどく障害されたのか?

After a scary incident while driving, she began a search — punctuated by missteps and erroneous conclusions — that resulted in the discovery of an overlooked disorder

運転中に怖い出来事があってから彼女は検索を始めた。途中、つまずきや間違った結論によって中断したが、その甲斐あって最終的に見逃されていた病気の発見がもたらされた。

 

 

By Sandra G. Boodman,

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 日中に突然居眠りし、夜間は眠りを維持できないという 20歳代前半の Julie Faenza(ジュリー・ファエンツァ)さんの深刻な睡眠異常は、かなり以前からある不安症とうつ病のせいであると彼女の主治医は考えた。

 何年もの間 Farenza さんはその両方の症状を治療するために何種類かの薬を内服したが彼女の睡眠異常は持続した。経過中、過密なスケジュール、そしてその後は退屈が彼女の細切れの睡眠の原因として後から加えられることになる。

 何か他の原因があることをこのノースカロライナの医療弁護士に確信させるようなできごとが2013年に起こった。ある早朝、仕事に向かう途中、運転しているときに眠り込んだのである。Raleigh(ローリー、ノースカロライナ州の州都)在住の Faenza さんは強い衝撃を受けたが怪我はなかった。それを機に彼女は1年におよぶ検索を始めた。途中、つまずきや間違った結論によって中断したが、その甲斐あって最終的には見逃されていた病気の発見がもたらされた。

 「それは状況を一気に変えるものでした」現在 42歳になる Faenza さんは、診断まで8年かかった病気に対して受けた治療についてそう語る。「当時、私は医学的検索を沢山行うような人間ではありませんでした。それまで行う必要がなかったのです」しかし彼女の経験がそれを変えることになったのである。

 

Mental health explanation 精神衛生的説明

 

 Faenza さんの睡眠異常は2006年ころに表面化した。思春期より、うつ病と不安症で内服していた薬はそれまでかなり有効だった。

 しかし、前の晩に Faenza さんがいくらしっかり休んでも、日中に異常な眠気を感じるようになった。そのため彼女は昼休み中には決まったように30分の昼寝をするために職場を抜け出し自分の車に向かった。

 「昼寝の後はすっきりしていました」と彼女は言う。

 夜はすぐに就眠できたが眠りを維持できなかった。しばしば 1、2時間後に目が覚めると再び眠ることが難しかったのである。しかしかかりつけの精神科医から一般的な睡眠薬を処方されるとしばらくは有効のようであった。

 2008年、フルタイムで働いていた Faenza さんは夜間のロースクールに入学した。そこでは午後6:30から9:30まで授業が組まれていた。そしてその年、彼女は高度の肥満と長らく取り組んだ末に胃バイパス減量手術を受ける決断をした。

 その術前検査に polysomnogram(PSG, 睡眠ポリグラフ検査)が含まれていた。これは睡眠センターで行われる終夜検査で、対象者は就眠中の脳波や呼吸パターンを監視する電極がつけられる。PSG は、短時間の呼吸停止が繰り返し起こし深刻な問題となる可能性のある疾患である sleep apnea(睡眠時無呼吸)の主要な検査である。無呼吸は、麻酔施行中に重篤な合併症が起こりうる高度肥満の患者にとって特別なリスクとなる。

 Faenza さんは自身が睡眠時無呼吸ではないことを知って安堵した。彼女に対する12月の手術はうまくいった。

 しかし、体重減少によって彼女の睡眠が改善することはなく、2010年までに著しく増悪していた。Faenza さんはしばしば夜間授業中にうたた寝し、居眠りすることなく丸一日仕事をやり通すことがほとんど不可能になっていた。彼女には、日中は目を覚まさせておくために一般に用いられている覚醒刺激薬 Adderall(アデロール、一般名アンフェタミン)と、夜間は睡眠を維持させる目的で、不安症に用いられるが常用癖がつく可能性がある鎮静薬 Xanax(ザナックス、一般名アルプラゾラム)が処方された。いずれもあまり有効ではなかった。

 彼女の療法士と精神科医は、Faenza さんが2011年にロースクールを卒業する翌日に予定した結婚式の計画準備を行っていることを指摘し、彼女に負担がかかりすぎていると考えた。

 「彼らはこう言いました。『確かにあなたは疲れています、抱えていることが多すぎるのです』」そう言われたことを Faenza さんは覚えている。2つのイベントが終われば睡眠は改善するだろう期待された。

 しかし改善がみられなかったため彼らの説明は変化した。

 「退屈にしているからです」療法士が彼女にそう話したことを覚えている。法律の仕事に携わるようになれば、睡眠の障害は解決するだろうとその療法士は期待した。

 2012年10月、既に結婚し、司法試験にも合格、法務アナリストとして職を得ていた Faenza さんは、睡眠状態の改善が期待されるとして医師の管理下に Adderall の用量を下げることになった。また彼女は仕事の前に定期的にジムに通い始めた;運動で日中の眠気が軽減したためである。

 2013年の春先のある朝、7時間睡眠をとってから Faenza さんは午前 5:30 にジムに到着、その後シャワーと朝食のために自宅に戻り、それから仕事に車で向かった。

 彼女が 7:30 前にオフィスビルに入ろうとしたとき突然眠り込んでしまい、車は縁石に乗り上げ横転、激しい衝撃で初めて目が覚めた。彼女に怪我はなく、他の車や歩行者が近くにいなかったことに大いに安堵した。

 「私は恐怖に襲われました」と Faenza さんは言う。「眠いということさえ全く自覚していませんでした」彼女は自宅では読書中、あるいは音楽を聴いているときにしばしば何の前触れもなく眠り込むことはあった。しかし運転中は一度もなかったのである。

 Faenza さんはかかりつけの内科医に電話をかけ睡眠障害のクリニックに紹介してもらった。

「それは状況を一気に変えるものでした」現在 42歳になる Julie Faenza さんは、診断まで8年かかった病気に対して受けた治療についてそう語る。「あの時、私は医学的探索を沢山行うような人間ではありませんでした。それまで行う必要がなかったのです」(Amaris Hames)

 

A ‘visual barricade’ ‘視覚的バリケード’

 

 4月に Faenza さんは睡眠クリニックの physician assistant(PA、準医師資格者)を受診した。その PA は2回目となる PSG を行い、続いて一連の昼寝の検査を行う multiple sleep latency test(反復睡眠潜時検査)で日中の眠気を評価した。

 Faenza さんは、この検査の前一週間は覚醒刺激薬を中止しなければならないが他の薬は続けて良いと言われたという。どの覚醒刺激薬も問題を起こしてはいなかった:そのため彼女は仕事中に覚醒を維持できなくなるのではないかと考えた。

 寝ているところを見つかる機会を最小限にするため、Faenza さんは机の上に‘visual barricade(視覚的バリケード)’と彼女が呼ぶところのものを設置していた。彼女は戦略的に、彼女のオフィスのドアに面して置いた2つの大きなコンピューターのモニターの後ろ側の位置に座るようにしていた。それによって彼女が眠くて首をこっくりしても視覚的に守ってもらっていたのである。とはいえ Faenza さんは睡眠検査前の一週間は仕事を休むことにした。

 驚いたことに PSG では彼女に睡眠時無呼吸があることが示された。その結果は5年前の所見と矛盾するものだった。そして、睡眠潜時検査では、彼女は平均2.6分で入眠していることがわかった。5分を下回る数値は、異常とみなされる。

 しかしこの潜時検査では rapid eye movement(REM、急速眼球運動)を特徴とする睡眠の時間帯を検出できなかった。睡眠サイクルの非常に早期に REM の出現がみられれば narcolepsy(ナルコレプシー)が示唆される。Narcolepsy は脳の睡眠/覚醒サイクルが障害され、過度の日中の眠気を引き起こす慢性の神経学的疾患である。

 その PA は Faenza さんの症状は無呼吸の結果であると結論づけた。彼女は追加の覚醒刺激薬を処方し、就眠時のXanax を別の薬剤に切り替え、Faenza さんに CPAP(持続陽圧呼吸療法)の機械を装着するよう勧めた。これは睡眠中に気道の開存を維持するために軽度の空気圧を利用する装置である。

 しかし、新しい処方内容になって6ヶ月後、CPAP を夜間用いていたにもかかわらず、Faenza さんは、日中、前触れなく突然眠る状況が続いていた。2014年1月、その PA は再度 PSG と maintenance of wakefulness test(覚醒維持検査)を行った。後者は、特別に睡眠を誘導するように設計された暗い部屋で日中の覚醒度を評価する検査である。この検査は睡眠時無呼吸の症状の重症度の決定に有用である。この覚醒度検査が不正確に行われていたことを Faenza さんは後で知ることになるが、それでも彼女は期待されるよりはるかに速やかに入眠した。彼女は、CPAP の設定を調整するよう助言された。

 2014年1月下旬、Faenza さんは睡眠障害を専門にしている神経内科医と面談した。睡眠障害の治療中に医師を受診したのは初めてだった。彼は、彼女はすべての考えられる検査をすでに受けており、治療が有効でない理由や原因が何かはわからないと説明した;彼女は narcolepsy や他の睡眠障害の基準を満たしていなかった。さらなる覚醒刺激薬を追加する以外に彼からの提言はなかったと Faenza さんは思い起こす。

 「それには実に動揺しがっかりしました」と彼女は言う。「これは私の世界で多くのことに影響を及ぼしていました。私は職場で調子が悪く、他のことも多くはできませんでした。果てしない疲弊状態に向かっているような感じでした」

 唯一の選択肢は自分自身で答えを探し始めることだと Faenza さんは考えた。「グーグル検索を始めました」と彼女は思い起こす。

 彼女は Type 1 narcolepsy(タイプ1 ナルコレプシー)で起こる cataplexy(カタプレキシー、情動脱力発作)と呼ばれる症状の記述に衝撃を受けた。「ピンときたのです」と Faenza さんは言う。

 Cataplexy は覚醒時に起こる突然の随意筋制御の喪失と脱力で、怒り、恐怖、あるいは興奮などの強い情動によって誘発される。数秒から数分続く発作は時折あるいは頻回にみられるが、自然に回復する。Cataplexy は Type 2 narcolepsy では認められず、こちらのタイプはより軽症である傾向がみられる。

 何年もの間、Faenza さんは、怒ったり興奮した時に両足が一時的に“チクチクし変な感じ”になり、脱力を感じることに気づいていた。さらに彼女は、narcopelsy の一部のケースで、食事、会話、あるいは運転などの活動時に前触れなく入眠することがあることに注目した。

 Narcolepsy は軽症から衰弱をもたらすものまで多様だが、その原因は知られていない。本疾患は米国人2,000人に1人が罹患すると推定されている。しばしば思春期に発症するが、環境的誘因と遺伝的要因の両者によって引き起こされると考えられている。過度の日中の眠気がその特徴的症状である。

 もし治療されなければ、この生涯にわたる疾患により、社会的、認知的、および心理的機能が大いに損なわれる可能性がある。一般に治療には投薬と生活様式の変更がある。

 Faenza さんはその神経内科医にメールして自分に cataplexy があるのではないか尋ねた。彼はその可能性を却下した;彼の返答によると cataplexyは頭部や頸部にみられるが足にはないということだった。彼は睡眠潜時検査を再度行うことを提案したが、もし Faenza さんが検査の前に抗うつ薬の内服を中止しなければ、異なる結果は得られないと考えていると言った。(抗うつ薬は結果を歪める可能性がある)

 そのことは Faenza さんを凍りつかせた。だれも内服を中止するように言わなかったので薬を飲み続けていたと彼女は彼に説明した。

 「私は腹が立ちました」と Faenza さんは思い起こす。彼女は今度は新しい医師の手でもう一度やり直す必要があると考えた。「もし最初の時に(その薬を)やめるように言わなかったのだとしたら、彼らにその検査を任せるわけにいかなかったのです」

 内科医は彼女を新たな睡眠専門医に紹介した。

 

Yet another sleep study さらにもう一つの睡眠検査

 

 2人目の神経内科医は、彼女が Type 1 narcolepsy であると疑っていると説明した。彼は cataplexy に関連する遺伝子マーカーの検査を依頼した。検査結果により睡眠サイクルの制御を司る hypocretin(ヒポクレチン:オレキシンと同義)と呼ばれる脳のホルモンの低値が示唆される可能性がある。もし Faenza さんがこれらのマーカーの一つを持っていなければ narcolepsy の可能性は低いと彼は言った。

 一つのマーカーが見つかったことから Faenza さんに睡眠ポリグラフ検査と睡眠潜時検査が再試行された。今回は覚醒刺激薬や抗うつ薬が入ってない状態で行われた。よく効いていた抗うつ薬を内服しないことでどうなるか恐ろしかったと Faenzaさんは言うが、彼女の担当医らは6週間に渡ってその薬を中断する支援を行った。

 再検された PSG では睡眠時無呼吸の徴候はみられなかったが一方で睡眠潜時検査は異常であり、REM の出現が検出された。Faenza さんは Type 1 narcolepsy と診断された。

 「結果を手にしたとき私は喜びのあまり泣きました」と彼女は思い起こす。8年後にようやく彼女の問題に名前がつけられ治療できることになったのである。

 このような診断の遅れはまれではない。そう話すのは、University of Pennsylvania(ペンシルベニア大学)の内科神経内科の准教授で睡眠専門医の Charles Bae(チャールズ・べー)氏である。本疾患の認識は広がっているものの、患者が narcolepsy の診断を受けるまでに5年から10年かかる可能性があると彼は言う。

 「Narcolepsy よりもっとありふれた疾患がいくらでもあるからです」と彼は言う。うつ病や不安症は過度の眠気や不眠を起こし得る。

 しかし cataplexy が tip-off(手がかり)となる。例の神経内科医が Faenza さんに説明したこととは異なり、cataplexy はただ頭部だけでなく身体のいかなる部位にも起こりうると Bae 氏は言う。

 医学部における睡眠障害についての教育の欠落がいまだに時機を得た診断の障壁となっていると彼は付け加える。「時に睡眠専門医でも検査結果にだけ目を向けることがあります」

 診断から間もなく Faenza さんは sodium oxybate(オキシベート・ナトリウム)すなわち xyrem(ザイレム)の内服を始めた。この薬はむしろ GHB(gamma-hydroxybutyric acid、γ-ハイドロキシ酪酸)あるいは“date rape drug(デート・レイプ・ドラッグ= 飲料に混入させ服用した相手の意識や抵抗力を奪って性的暴行に及ぶ目的で使われる薬剤)” としてよく知られている。Xyrem は narcolepsy の治療薬として承認されているが、どのように作用するのかは明らかではない。この薬は脳の活動を減じて睡眠の質や持続を改善させる可能性がある。ただし入手方法は Food and Drug Administration(米国食品医薬品局)によって厳格に規制されている。Faenza さんはさらに日中は覚醒刺激薬を内服し、睡眠スケジュールの調整も行っている。

 結果は劇的だった。「常に眠りに落ちることはありませんでした」と Faenza さんは言う。夜は眠りを保つことができ、cataplexy の発作も減少した。

 診断はされなかったが母方の祖母が narcolepsy だったと Faenza さんは考えていて、何年も前に母親から伝えられていた助言を聞き入れておけばよかったと考えている。長年 registered nurse(公認看護師)を務めてきた彼女の母親は、医療の事案において、知識と self-advocacy(セルフ・アドボカシー:他の人に依存するのではなく、自らが法的また実生活上の責任を引き受けること)の重要性を強調する。

 「医師を信用することは間違っていません」と Faenza さんは言う。「ですが、私には、もっと適切な質問をし、いくつかのマイナスの結果を回避することができていたはずです。もっと早く検索を始めていたら良かったと思っています」

 

 

 

Narcolepsy(ナルコレプシー)の詳細については以下のサイトを

ご参照いただきたい。

 

NPO法人 日本ナルコレプシー協会 

MSDマニュアル

田町三田こころみクリニックのHP

 

 

Narcolepsy は慢性的な日中の過度の眠気を特徴とする原因不明の

疾患である。

しばしば突然の筋緊張の消失(catalexpy、情動脱力発作)を伴う。

 

発症率は1000人に0.2~1.6人とされており、男女差はみられない。

欧米人に比べ日本人の有病率は高い。

Narcolepsy の原因は未だ不明である。

双生児での一致率が低い(25%)ことから遺伝的要因だけでなく、

環境因子の関与が大きいことが示唆されている。

本疾患の患者では、覚醒した状態を保つのに必要な神経ペプチドである

ヒポクレチン(オレキシン)を作り出す神経細胞が

何らかの機序により変性・脱落にすることで発症すると考えられている。

最近になって、免疫を担っている細胞に一定の異常があることが発見され、

免疫異常が神経細胞の脱落に関与していることが推察される。

Narcolepsy ではレム(急速眼球運動)睡眠のタイミングおよび制御の

調節不全がみられる。そのため覚醒状態や、覚醒から睡眠への移行期に

レム睡眠が割り込む現象が認められる。

 

Narcolepsy には以下の2つの病型がある:

 

1型:ヒポクレチン欠損がみられる。

情動脱力発作(突然の情動反応によって誘発される瞬間的な筋力低下)を伴う。

2型:ヒポクレチンの値が正常で情動脱力発作を伴わない

 

 

症状:

日中の過度の眠気、cataplexy、入眠時および出眠時幻覚、

睡眠麻痺(寝入りばな、あるいは覚醒直後の運動麻痺)、および

夜間の睡眠障害の5つの症状が特徴的だが、

全てが認められる患者は全体の約10%である。

何らかの疾患、ストレス因子、または一定期間続いた睡眠不足が

発症の引き金となることもあるが、通常は誘因となる疾患がなく

10歳代から20歳代前半に多く発症する。

一度発症すると生涯続くが寿命に影響はないとされている。

 

日中の過度の眠気はいつでも生じうる。

睡眠エピソードの回数や持続は様々で数分から数時間持続する。

前兆なしに睡眠発作が生じることもある。

患者は睡眠欲求にほとんど抵抗できないが

目覚めは正常な睡眠の場合と同様に容易である。

睡眠発作は単調な状況下(読書、テレビ視聴、会議中)で起こりやすいが、

複雑な作業中(運転,会話,執筆,食事中)でも起こるため注意が必要である。

 

Cataplexy は突然の情動反応(笑い・怒り・恐怖・喜び・驚き)に

よって惹起される一時的な筋力低下や麻痺で、意識消失は伴わない。

筋力低下により顎の下垂、顔面筋の痙攣、閉眼、うなずき、

構音障害がみられるほか、四肢に限局して脱力が生じることがある。

Cataplexy は患者の約20%にみられる。

 

入眠時または出眠時幻覚は寝入りばな(入眠時)または頻度は低いが

目覚めた直後(出眠時)に、とりわけ鮮明な聴覚的または視覚的な錯覚

または幻覚が生じる。こうした現象は強い白昼夢との区別がつきにくく、

正常なレム睡眠時に見る鮮明な夢とも若干似ている。

入眠時幻覚はナルコレプシー患者の約30%に認められる。

 

睡眠麻痺では、患者は寝入りばなまたは覚醒直後に一時的に運動不能になる。

こうした時折起こる発作は患者にとって非常に恐ろしいものとなりうる。

睡眠麻痺の症状はレム睡眠に伴う運動抑制に類似する。

睡眠麻痺は患者の約25%に認められる。

 

夜間睡眠障害は覚醒の増加によって睡眠が妨げられることで起こる。

 

上記の諸症状により患者には生産性の低下、対人関係への支障、集中力低下、

意欲の低下がもたらされ、生活の質の劇的な低下を招く。

また身体損傷の危険(特に自動車衝突事故による)が高まる。

 

 

診断・検査:

発症から診断までに10年かかることがよくある。

 

日中の過度の眠けや情動脱力発作の病歴は本疾患を強く示唆する。

 

日中に過度の眠気がある患者では,夜間睡眠ポリグラフの後に

睡眠潜時反復検査を行い、以下のような所見がみられれば

ナルコレプシーの診断を確定できる。

 

5回の昼寝のうち少なくとも2回で入眠時レム睡眠のエピソードを

認める場合。

または昼寝のうち1回、および先に行った夜間睡眠ポリグラフ中に

1回の入眠時レム睡眠のエピソードを認める場合。

平均睡眠潜時(入眠するまでの時間)が8分以内。

夜間睡眠ポリグラフで他の異常が認められない。

患者が cataplexy も有している場合は1型ナルコレプシーの診断となる。

Cataplexy がない場合は2型ナルコレプシーの診断となる。

 

さらに詳しい検査として HLA 遺伝子検査や髄液オレキシン測定があるが、

臨床診断として行われることはまれである。

 

なお鑑別診断として脳腫瘍、脳炎、甲状腺機能低下症、貧血、尿毒症、

高炭酸ガス血症、高カルシウム血症、肝不全、睡眠時無呼吸症候群など

日中の過度の眠気をもたらす他の疾患を除外する必要がある。

ツェツェバエによって伝播される寄生虫感染症である

アフリカトリパノソーマ症(睡眠病)による髄膜脳炎の患者でも

過眠症がみられる。

 

 

治療:

軽症例では治療を要さない場合もあるが日常生活に支障があるケースでは

覚醒促進薬や cataplexy に対する治療を行う。

また睡眠スケジュールの調整も重要で、夜間には十分な睡眠をとり、

日中は毎日同じ時刻に短時間(30分以内)の昼寝を勧める。

根治的治療法はないが薬物療法や生活習慣の改善でかなりの症状の改善が

期待される。

 

日中の強い眠気に対しては長時間作用型覚醒促進薬である

モダフィニル(商品名:モディオダール)、ベモリン(商品名:ベタナミン)、

メチルフェニデート(商品名:リタリン、コンサータ)が用いられる。

いずれも少量から開始し副作用を見極めながら適量まで増量する。

Cataplexy に対してはREM睡眠抑制作用のある三環系抗うつ薬の

クロミプラミン(商品名:アナフラニール)や

イミプラミン(商品名:トフラニール)が有効である。

これら三環系抗うつ薬による口渇・頻脈などの副作用で投与できない場合には

REM睡眠抑制作用のあるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)や

SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)などの

抗うつ薬が用いられる。

 

海外では narcolepsy に対して sodium oxybate(γ-ヒドロキシ酪酸ナトリウム)

あるいはヒスタミンH3受容体拮抗薬/逆作動薬である pitolisant(ピトリサント)が

使われているが、本邦では承認されていないようである。

 

 

突然睡魔に襲われ深い眠りに落ちてしまうという不思議な病気だが、

いまだにその原因も不明ということで多くの謎が残されている。

日本は患者数が多いとされているにもかかわらず

薬物療法に関しては欧米に比べその選択肢はかなり限られているようである。

『怠け者』と誤解され密かに悩んでいる患者もかなりいるとみられ、

疾患に対する理解が進み、治療が充実することを願うところである。

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肺は治ったはずなのに…

2023-05-17 15:20:57 | 健康・病気

2023年5月のメディカル・ミステリーです。

5月13日付 Washington Post 電子版


Despite treatment for deadly blood clots, his health was going downhill
命にかかわる血栓症を治療したにもかかわらず彼の健康状態は悪化していった

The devotee of rugged back country skiing spent more than a year seeking an explanation for his profound weakness
山あいのバック・カントリー・スキーの愛好者は、自身の高度の衰弱の原因の解明に1年以上を費やした

By Sandra G. Boodman,


(Illustration by Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 Mark Porter(マーク・ポーター)さんが自宅で昼食を食べようと腰掛けたちょうどその時、彼が昔からかかっている家庭医から電話で緊急のメッセージが届いた:それは今すぐに診療所に戻って来るようにとのことだった。アイダホ州 Rexburg(レックスバーグ)でオフィス製品の会社を経営している Porter さんは 2020年11月のその日の朝、その医師を受診して疼痛を伴う足の腫れに対する検査を受けていた。その検査結果について話し合うため、彼は午後2時に再び診療所を訪れることになった。
 Porter さんの妻が車で彼をその医師の診療所まで連れて行くと検査室に入るようにせかされた。医師が電話で誰かに話しているのを耳にし、彼らの恐怖心は高まった:「彼は安定しています。すぐに搬送できるよう救急車を手配できます」
 それからその医師は、当時47歳だった Porter さんに、生命を脅かす血栓が2ヶ所できていると説明した:1つは彼のふくらはぎの静脈の深いところに存在しており、2つめは特に危険な saddle pulmonary embolism(肺動脈分岐部の血栓症)で肺への血流が妨げられていた。Porter さんは約30マイル離れた Idaho Falls(アイダホ・フォールズ)にある病院に直行する必要があった;そこで医師らが待機してくれていた。
 「現実ではないようでした」その告知に衝撃を受けたが、ひどく驚いたということもなかった Porter さんはそう思い起こす。
 その血栓に対しては、それらを溶解させるべく抗凝固薬を用いて治療されたが、この血栓の発見は Porter さんのそれからの試練の始まりに過ぎなかった。それまで全く健康で、山あいのバック・カントリー・スキーの愛好家である彼は、その後、休まずに部屋を歩いて横切ることもできないほど弱ってしまった原因を見つけようとして、それから16ヶ月を費やすことになる。
 「やりました」2022年8月に辛い治療を受けた Porter さんは現在はとても「気分が良い」という。もっと迅速にセカンド・オピニオンを求めていればよかったと彼は言う。実際には、彼はプライマリケア医に通い続けていたのだが、その医師は、Porter さんの息切れ、胸痛、増悪する倦怠感の原因はわからないと彼に説明し、専門医への紹介もしてくれなかった。
 「私は波を立てるのが好きではありません。衝突を嫌うのです」何年もの間、診てもらっており、家族の友人でもあるその医師を怒らせてしまうことを彼は恐れていたのである。

Breathless 息が切れて

 Porter さんの血栓は何ヶ月間かかけて形成されていたようだった。2020年7月、ウェイトリフティングや水上スキーなどで毎日運動管理をしていたにもかかわらず、悪化していく息切れを感じるようになった。気管支炎と肺炎の既往がある Porter さんは exercise-induced asthma(運動誘発性喘息)を起こしている可能性があると医師は考え、ステロイドと吸入薬を処方した。
 そのいずれも効果はなかった。Porter さんはその医師を再受診したが新たに勧められたものはなかった。11月初旬、入院する数週間前、Porter さんの右のふくらはぎがひどく痛くなり腫れたため歩くことがむずかしくなった。彼にはその箇所を怪我した覚えはなかったので、その症状は腰椎の椎間板の損傷により神経が絞扼されて起こる sciatica(坐骨神経痛)かもしれないと考えた。痛みが増悪したため、彼はインターネットで調べた。検索した結果、可能性のある原因として、足に生じた血栓である deep vein thrombosis(深部静脈血栓症)が浮かび上がった。
 心配した Porter さんはすぐにかかりつけ医を受診した。きっと少し大げさに演じているに違いないと思いますがとその医師に申し訳なさそうに彼は説明した。その医師は彼の足を調べ、直ちに Porter さんに超音波検査と CT 検査を行ったところ、致死的となる可能性がある血栓が見つかった。
 2日間の入院中、Porter さんには血栓を溶解するために抗凝固薬の投与が始まり、医師らはその原因を特定しようとした。足に怪我をしていないこと、飛行機には乗っていないこと、コロナウイルスに感染していないこと~これはすべて誘因として知られている~を医師らに話すと彼らは驚いた。そして、彼らが特に驚かされたのは Porter さんの年齢、彼に危険因子がないこと、そして彼の良好な健康状態だった。血栓症を発症する患者の多くは、かなりの高齢、過体重、座りがちの生活であることや、潜在する凝固異常を持っているからである。
 Porter さんは自身の危機一髪だった状況に動揺した。「実際に saddle PE を目にする時には大概、患者は既に死亡していると看護師は私に言いました」と彼は言う。
 医師らは抗凝固薬を6ヶ月投与すれば回復するはずだと彼に説明した。
 しかし7ヶ月が過ぎてもまだ息切れが続いていた。2021年8月には Porter さんは胸痛を感じるようになり、疲労感が増悪し毎日昼寝をするようになった。
 新たな血栓が生じたことを心配した Porter さんは11月下旬に再びプライマリケア医を再受診した。その医師は超音波検査とCT検査に加え、cardiac stress test(心臓負荷試験)を行った。Porter さんには新たな血栓は検出されず、運動中の心機能を測定する負荷試験も問題はなかった。彼によると、その医師は彼の心臓には悪いところはなく息切れを感じるはずはないと説明したという。その医師が言うには、彼の胸痛は胃酸の逆流によって引き起こされている可能性があるとのことだった。彼は Porter さんにスキーを許可した。
 胃酸逆流がどんな感じかを知っていた Porter さんは懐疑的だった。心配性の人間であることを自認する彼は「症状の多くは頭の中のもの」なのではないかと思っていたという。
 12月下旬、Porter さんは3人の息子の一人と、念願の British Columbia(ブリティッシュ・コロンビア)へのバック・カントリー・スキーの旅行に行った。「まさに何とか耐え忍んだといった感じでした」と彼は言う。時々呼吸困難に陥り、胸痛がひどくなり、そのために深夜に目が覚めた。
 家に戻るとすぐに受診しようとしたが、かかりつけのプライマリケア医が休暇中だということがわかった。そのため新たな医師を受診したところ、その医師は彼を心臓専門医に紹介した。
 その心臓専門医は予防策として再び抗凝固薬を投与し、血栓形成に関与する遺伝的要因を検出するいくつかの検査(それらは陰性だった)と VQ scan(肺換気血流シンチグラフィ)を行った。VQ scan は肺内の空気と血液の流れをペアで評価するために行われる核医学検査である。同検査は特定の肺疾患の検出には必須であると考えられている。彼はこの検査で異常が示され、心臓および肺血管の圧を測定する right heart catheterization(右心カテーテル)で肺動脈に高血圧を来す肺高血圧症の可能性が示唆された。
 心臓専門医は Porter さんを Idaho Falls の呼吸器専門医である Allen Salem(アレン・セイラム)氏に紹介、2022年3月に受診した。


息子の Colton(コルトン)さんとスキー旅行中の Mark Porter さん(右)。2020年、ウェイトリフティングや水上スキーなどで運動管理を行っていたにもかかわらず、増悪する息切れを感じるようになった。(Mark Porter)


Missing the diagnosis 誤診の末

 「この疾患のすべての患者と同じような道をたどって彼は私のところにやってきました。長期間にわたる誤診の末にということです」と Salem 氏は言う。Porter さんと同じように多くの人たちは、気管支喘息や心不全、あるいはどこも悪くないと誤って告げられているのです、とこの呼吸器専門医は付け加える。
 Porter さんの、明らかな原因のない血栓症の病歴、持続する息切れと胸痛、さらに VQ スキャンや他の検査の結果を合わせると一つの診断名が強く示唆された: chronic thromboembolic pulmonary hypertension(CTEPH, 慢性血栓塞栓性肺高血圧症)である。
 肺高血圧症のこの稀なタイプは動脈を閉塞する血栓によって引き起こされ、肺内の血管に癒着する瘢痕組織によって血管が狭窄し血流が妨げられる。
 専門家らは血栓症の患者の2~5%が CTEPH を発症すると推定しているが、この疾患は抗凝固薬に反応しない。
 しかし、他のタイプの肺高血圧症と違って、CTEPH は、長時間に及ぶ複雑で労力を要する血栓を除去する手術である pulmonary thromboendarterectomy(PTE, 肺動脈血栓内膜切除術)による治療が可能である。非外科的治療に薬物治療があるが治癒をもたらすものではない。
 「私にとってこれは常に最も念頭に置いている疾患です」と Salem 氏は言う。彼は昨年だけで10例の CTEPH を診断している。彼らの中には、突然登山が困難になるという症状が年齢のせいにされた公園保護官や、ある医師の母親で気管支喘息と誤診されていた患者などがいた。
 「血栓症の後に発症しうることについての(特にプライマリケア医の)認識の欠如があります」と Salem 氏は言う。「本疾患は過小診断され、正しく評価されていないのです」
 彼によると、息切れが続く患者の原因を特定できないとき、呼吸器専門医に患者を紹介したがらない医師がいるのだという。また CTEPH について聞いたことがないという医師もいる。
 Porterさんのケースでは診断は難しくなかったと Salem 氏は言う。「彼はまだ49歳で健康状態も良いのに、息切れが増悪していました」
 Salem 氏は Porter さんに活動レベルを下げるよう助言し~ Porter さんは健康を維持したいので一日に60回から100回の腕立て伏せを続けていたと話していた~彼を San Diego(サンジエゴ)にある University of California(カルフォルニア大学サンジエゴ校, UCSD)の専門科に紹介した。UCSD の外科医らは PTE 手術の先駆者的存在であり、これまでに 4,000件以上の手術を行っており世界中のどの病院より症例が多い。
 Porter さんが手術の適応患者であるかどうかを決定するためには San Diego で複数日かけて行う精密検査が必要だった。手術は、毎週約4例の PTE 手術を行っている心血管・胸部手術の責任者 Michael Madani(マイケル・マダニ)氏が執刀する。
 Porter さんによると本診断に対する最初の反応は「安堵」だったという。「周りの人たちは私に元気なはずだとか、『どこが悪いのかわかりません』と言ってきたのです」
 全死亡率が約5%にも及ぶようなリスクがあっても手術を受けたいと彼はすぐに考えた。個々のセンターでそういった数字は異なっている;Porter さんがかかった UCSD の成績では総死亡率2%が示されている。
 この一日がかりの手術には高度に熟練した経験豊富なチームが必要とされる。
 外科医は胸部を切開し心臓と肺に到達し、患者を人工心肺装置につなぐ。この装置は周期的に停止されて動脈壁に付着した血栓を見えるようにするために必要な無血の術野が作られる。この間、脳や他の臓器の障害を避けるため、体温は華氏68度(20℃)まで下げられるが、この行程は循環停止と呼ばれる。血栓を慎重に除去した後、患者は徐々に復温され、胸壁を閉じ、患者は intensive care unit(集中治療室)に運ばれる。
 Porter さんのケースでは San Diego に彼の診療録を送る手配に約2ヶ月半かかったので、その間彼は受診を心配な気持ちで待った。彼は8月下旬に受診日が決まり、手術は暫定的に1週間後に予定された。
 7月、カリフォルニアに到着する1週間前にコロナウイルスの検査を求められた Porter さんは軽症の covic-19 に感染した。そのことで手術が遅れるのではないかと「実にビクビクしていました」と彼は言う。幸いなことに必須の時期の検査では陰性だった。
 Porter さんと彼の妻は San Diego まで1,000マイル(1,600km)を車で行ったがそこには親戚が住んでいた。VQスキャンの再検査やその他の検査など UCSD で精密検査が行われる間、Porter さんは明確な適応患者には該当しないかもしれないと医師から告げられた。奏効するチャンスが五分五分だとしたら果たして手術を受けたいと思うだろうか?
 「私はこう言いました。『変わりはなかったです。他の選択肢はありませんでした』と Porter さんは思い起こす。その時点で、彼は長くても一日3時間しか働くことができず、同じように長い昼寝が必要だった。「私はこの様な状態で生き続けていくことはできないと彼女に言いました。しかし、恐らく彼らは手術を提案してこないのではないかと考え実際に落ち込みました」しかし翌日彼に手術のゴーサインが出たことを知ると彼の不安は高揚感に変わった。
 8月30日、Porter さんに行われた手術は9時間かかったが「非常に順調にいきました」と Madani 氏は言う。「彼の両肺にはかなりたくさんの閉塞がありました」Porter さんの心臓は非常にいい状態だったがこれは多くの患者にはみられないことだとこの外科医は言う。
 CTEPH はしばしば再発するが、それは特に凝固異常が潜在する患者に多く、Madani 氏によると、Porter さんが生涯必要となる抗凝固薬を内服し続けるならば彼はそれには当てはまらないと考えているとMadani 氏は言う。
 ICU で4日間、その後1週間入院を続けた後、Porter さんの妻が自宅まで運転して帰った。
 回復は Porter さんが予想していたよりきついもので、なにがしかの痛みが数ヶ月間続いた。
 手術から3ヶ月経った 2022年11月、Porter さんはウェイトリフティングの再開が許可された。さらに1ヶ月後、彼はバック・カントリー・スキーの旅行を再開したが、そこでの経験は、以前彼を苦しめていた胸痛も息切れもなく全く異なるものだった。
 振り返ってみて Porter さんは答えを強く求めることに関してもっと自分の考えを主張すべきだった、そして主治医の機嫌を損ねることをあれほど気にしなければよかったと考えているという。「多分私はあまりに長く待ちすぎて自分の力で戦うことができなかったのです」と彼は言う。

 

 

Chronic thromboembolic pulmonary hypertension
(CTEPH, 慢性血栓塞栓性肺高血圧症)については以下のサイトを
ご参照いただきたい。

名古屋大学付属病院ハートチームのサイト

難病情報センター

厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患対策研究事業
難治性呼吸器疾患・肺高血圧症に関する調査研究
慢性血栓塞栓性肺高血圧症


CTEPH は、肺動脈内に器質化血栓による閉塞や狭窄性病変が慢性的に
形成されて肺高血圧(平均肺動脈圧25mmHg 以上)になる病気である。
本疾患の原因については未だ不明な点が多いが、
下肢や骨盤内の深部静脈に形成された血栓が反復性に遊離して、
肺動脈内で溶解しないで陳旧化し血管壁に遺残することが主な原因と
考えられている。 

本邦における本疾患の頻度は欧米に比べ少ないと考えられている。
急性肺塞栓症例の 3.8%が慢性化したとの報告があり、
急性肺塞栓症例では常に CTEPH への移行を念頭に置くことが重要である。

本疾患における肺血栓は、急性期にみられる柔らかな赤色血栓と異なり、
淡白色で肺動脈壁に固く付着し器質化した血栓となっている。
CTEPH では、このような器質化血栓のために
肺血管床(酸素と二酸化炭素を交換できる面積)の40%以上が閉塞し
肺動脈平均圧が25mmHg以上となる肺高血圧を来たし、
二次的に右心室の肥大・拡張、右心不全をもたらす。

 

症状・診断
CTEPH では、労作時の息切れ、疲れやすさが主な症状であり、
また胸痛、咳、失神なども見られることがある。
特に肺出血や肺梗塞を合併すると血痰や発熱をみることがある。
高度の肺高血圧症では労作時の突然死の危険性がある。
肺高血圧の合併により右心不全が進行すると
頸静脈の怒張、肝腫大、下半身のむくみ、腹水や体重増加などが見られる。

CTEPH の診断には、肺動脈造影検査、
肺換気血流シンチグラフィ(VQスキャン)などの検査が行われる。
VQスキャンでは、
換気分布に異常のない区域性血流分布欠損(segmental defects)が、
血栓溶解療法または抗凝固療法施行後も6ヶ月以上持続してみられる場合、
本疾患が疑われる。

診断に際しては、肺高血圧症を来たす以下の疾患を除外する。
特発性または遺伝性肺動脈性肺高血圧症
膠原病に伴う肺動脈性肺高血圧症
先天性シャント性心疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症
門脈圧亢進症に伴う肺動脈性肺高血圧症
HIV 感染に伴う肺動脈性肺高血圧症
薬剤/毒物に伴う肺動脈性肺高血圧症
肺静脈閉塞症、肺毛細血管腫症
新生児遷延性肺高血圧症
左心性心疾患に伴う肺高血圧症
呼吸器疾患及び/又は低酸素血症に伴う肺高血圧症
その他の二次性肺高血圧症(サルコイドーシス、ランゲルハンス細胞組織球症、
リンパ脈管筋腫症、大動脈炎症候群など)

 

治療
一般に CTEPH に対して抗凝固療法は無効である。
CTEPH で肺動脈中枢側に病変を認める場合は、
第一選択として手術(PTE, 肺動脈血栓内膜摘除術)が推奨されている。
PTE は、器質化した血栓を肺動脈内膜とともに剥離、摘除する。
手術による改善効果は大きいが、かなりの侵襲治療となるため
患者の体力や併存疾患等を検討し、手術適応が判断される。
一方、病変が肺動脈の細い枝に限局している場合は、
カテーテル治療(baloon pulmonary angioplasty, BPA)が
行われている。
内科的治療のみでは根治はむずかしいが、手術適応のない末梢型、
あるいは術後残存あるいは再発性肺高血圧症を有する本症に対しては、
血管拡張作用のある可溶性グアニル酸シクラーゼ刺激薬・リオシグアトが
用いられる。
 

予後
比較的軽症のCTEPHでは、抗凝固療法や肺血管拡張薬を主体とする
内科的治療のみで病態の進行を防ぐことが可能な例も存在する。
しかし平均肺動脈圧が30mmHgを超える症例では、
肺高血圧が時間経過とともに悪化する場合も多く一般には予後不良である。
一方、手術やカテーテル治療により肺血管抵抗の改善が得られ、
QOLの向上が得られるケースも増えてきている。
最近のCTEPH症例の5年生存率は87%と改善がみられている。

 

得体のしれない疾患だが、とにかく早期診断が重要といえそうだ。

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