goo blog サービス終了のお知らせ 

MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

走りたいけど、走れない…

2023-04-14 13:41:42 | 健康・病気

2023年4月のメディカル・ミステリーです。

 

4月1日付 Washington Post 電子版

 

 

The cause of a young runner’s intense leg pain wasn’t what it seemed

若いランナーの強い足の痛みの原因は考えられていたものとは違っていた

A frightening aborted run led to the discovery that previous surgeries had missed the root of the problem

ランニングを中断せざるを得なかったゾッとするようなできごとが、過去の手術では問題の根本的原因が見落とされていたことの発見につながった

 

By Sandra G. Boodman,

 

 (Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 長い一日だった。Cathryn Roeck(キャスリン・レック)さんはストレス解消のお決まりの日課――仕事の後のランニング――に向かった。自分自身を表現する代名詞として “they and them” (女性男性のどちらにも分類されない性別)を用いている Roeck さんは 2021年10月、心地よい夕闇に向けて出発、自宅から約1マイル半(約2.4km)に差し掛かった時、突然両下腿の後ろ側に強い圧迫を感じた。

 「あれほどの痛みを感じたことはありませんでした」ミネソタ州 Rochester(ロチェスター)に住む現在27歳の Roeck さんは思い起こす。「両足が燃えるような感じでした」

 Roeck さんはスピードを歩く速さに落としたが、足を持ち上げるのが難しく、両足にしびれがみられた。高まるパニックを抑えようとしたが、自宅の誰にも電話で連絡がとれなかったため、Roeck さんの家に車で来ていた仕事仲間に電話をし、現在は Roeck さんの妻となっているガールフレンドに伝えてもらうと、彼女は大急ぎで駆けつけ Roeck さんを車に乗せた。

 自宅に戻ると Roeck さんはソファーに横たわり、両足を高くしてアイスパックで包んだが、痛みと挫折感で涙を流した。2年前に受けた下肢の痛みを和らげるための辛い手術はなぜ失敗したの?と Roeck さんは疑問に思った。知らないうちにひどい痛みを起こすような何かをしてしまったのだろうか?と。しかし翌日には Roeck さんは苦もなく歩くことができ、わずかな筋肉痛がみられただけであり、自分が大げさに反応していただけだったのだろうかと考えた。

 数ヶ月後、Mayo Clinic(メイヨクリニック)で臨床研究のコーディネーターをしているRoeck さんは驚くべき真実を知った:過去の手術は不必要なものだったのだ。というのも、問題の根本的原因が見逃されていたのである。Roeck さんのケースでは、別の手術が必要となることを意味していた。

 「私は腹が立ちました」と Roeck さんは言う。疑うことなく最初の手術を黙諾したことを後悔している。その手術は回復に数ヶ月を要し、両足にそれぞれ5インチ(約13cm)の手術痕が残っていたのである。

 「自分があまりに solution-focused(解決志向)で、大局的な広い視野で見ていなかったし、『これ以外に何か可能性はありませんか?』と問うことをしなかったと思います」と Roeck さんは言う。

 

Possible shin splints  shin splint(脛骨過労性骨膜炎)の疑い

 

 Roeck さんの最初の症状は、ウィスコンシン州の高校のクロスカントリーチーム在籍中に出現した下肢に痛みだった。両足の向こうずねからふくらはぎの後ろ側に放散する痛みは当初は間欠的だったが、Roeck さんが大学3年生になるころには非常に痛みが強くなり、競技のシーズンを終えることが不可能となった。

 「それは大変重度の shin splints(脛骨過労性骨膜炎:筋肉、腱、および脛骨を覆う組織の炎症が原因)、あるいは stress fracture(疲労骨折)かもしれないと思いました」と Roeck さんは思い起こす。「私は約1マイル半走ると足を引きずっていました」走っていると Roeck さんの下腿は腫れ、青紫色の色合いを帯びるようになり、時には左足を引きずる状態となった。しかししばらく休むと痛みはすぐに弱まり、色調も正常に戻った。Roeck さんはその症状を無視しようと努めた。

 「私たちはあまり頻回に医師を受診しない家族でした」と自身の家族について Roeck さんは言う。約30分休むと痛みが消失していたためこの症状には受診のメリットはないように思われた。「もしこれがひどくなれば明日にでも行ってみよう、といつも考えていました。しかし翌朝には良くなっていたのです」

 Roeck さんにとってランニングはスポーツ以上のものだった。11歳以降、後には薬物治療も必要となっていたうつ病や不安神経症と戦うための健康増進法の不可欠な部分だった。

 Roeck さんの両親が離婚したとき、ランニングは「起こっていることすべてを考えないようにしてくれました。ヘッドフォンをつけ30分から45分間、世界を忘れることができたのです」

 2018年大学4年生のとき、Roeck さんはトライアスロンのトレーニングを始めた。これは4分の1マイル(約1,600m)の水泳、12マイル(約19km)の自転車、そして5km のランニングからなっていた。

 ランニングが問題だということがたちまち明らかになった。Roeck さんの足の痛みはより頻回で重度となり、完走することができなかった。Roeck さんは physician assistant(準医師資格者)を受診、そこからスポーツ医学を専門とするプライマリケア医に紹介された。

 その医師は Roeck さんに、その症状は次の3つのうちのどれかである可能性が最も高いと説明した:一つは shin splints、次にstress fractureと呼ばれる繰り返される酷使によって生じた骨の小さなひび、そして三つ目は chronic exertional compartment syndrome(慢性運動性コンパートメント症候群)と呼ばれるやや頻度の低い疾患である。

 下腿は、その中を神経、筋、および血管が走行する、fascia(筋膜)と呼ばれる膜で覆われた4つの compartment(分画)からなっているが、筋膜が十分に広がらない人がいる。繰り返す活動は血流を減少させ、神経や筋への酸素の分配が妨げられ、筋肉内の圧が上昇し徐々に筋が障害されていく。

 しばしば外傷によって引き起こされる医学的緊急事態である acute compartment syndrome(急性コンパートメント症候群)と違って、慢性コンパートメント症候群はしばしば overexercising(過度な運動)が原因となり休むことで回復可能である。

 X線検査では stress fracture の徴候はみられなかった。Roeck さんのスポーツドクターは理学療法を処方した。Roeck さんは、片足立ちでバランスをとるときなどふくらはぎの筋肉を使うたびに、足がズキズキと痛みしびれを感じることに気づいた。3ヶ月後、理学療法士は、Roeck さんに改善はみられず、足のしびれからは慢性コンパートメント症候群が示唆されると話した。

 数週間後、Roeck さんは compartment pressure testing(コンパートメント内圧測定検査)を受けた。これは筋肉を麻酔し、装置に接続されている針を刺入してトレッドミル上でのランニング前後のコンパートメント内の圧を測定する検査である。圧の上昇は慢性コンパートメント症候群の可能性を示唆する。この疾患は、安静、異なる筋肉を使うクロス・トレーニング、あるいは他の非外科的な方法により治療される。そしてもう一つの選択肢は fasciotomy(筋膜切開)である。これは神経や筋を覆う筋膜を切開して上昇した圧を軽減させる手術である。

 Roeck さんによると医師が麻酔の必要はないと言ったため、内圧測定検査は麻酔なしで行われたが非常に痛いものだった。検査では境界域のコンパートメント症候群が示された;圧はわずかしか上昇していなかったのである。Roeck さんは以前自動車事故後に肩を手術してもらった整形外科医に紹介された。

 「彼はこう言いました。『もし症状があるのであれば手術することは可能です』と」2019年2月のその整形外科医との面談について Roeck さんはそう思い起こす。手術しなければランニングは痛みを起こし続けるだろうとその医師は説明した。

 Roeck さんは走り続けたい思いが強かった。約2週間後、その医師は左足の4つのコンパートメント全てに手術を行った。3ヶ月後、同じ手術が Roeck さんの右足にも行われた。

 回復には数ヶ月かかった。Roeck さんは左下腿にひどい腫れがあり、2019年7月には突然の足関節の硬直があり転倒した。11月、その整形外科医は3度目の治療を行い、右足関節のサッカーによる古いけがで生じていた瘢痕組織を掻爬した。

 その6週間後、約1年ぶりに Roeck さんは短い距離を痛みなく走った。問題は解決したかに思われた。

 (Courtesy Cathryn Bottem)

Cathryn Roeck さん(左)とその妻 Kaely Roeck(ケイリー・ロック)さん。Cathryn Roek さんは稀な疾患に対して2度の辛い下肢の手術を受けた。「あれほどまでに長く痛みを深刻に考えないまま限界点に達するまで突き進むようなことをしなければ良かったと思っています」とCathryn roeck さんは言う。

 

The pain returns 痛みが再発する

 

 しかし症状が緩和していた期間は比較的短かった。2021年夏、Roeck さんはミネソタに転居し、新たに5km のランニングのトレーニングを始めたところふくらはぎの痛みが再発した。さらに Roeck さんは仕事で立っている間に下腿の痛みを経験するようになった。

 「多分それは shin splits だと思いました」と Roeck さんは思い起こす。

 その2,3ヶ月後に起こったあの2021 年 10 月のできごとは Roeck さんがそれまで経験したどんな症状よりひどいものだった。Roeck さんは Mayo の新たなプライマリケア医を受診、その医師は彼女をスポーツ医学の専門医に紹介した。

 2021年の受診時、その専門医は以前の検査と手術記録を見直し、もう一度 compartment pressure testing(今回は麻酔が行われた)を行うとともに、Roeck さんの下腿と足関節の動脈の評価を行った。

 その結果は稀な疾患―― functional popliteal artery entrapment syndrome(PAES, 機能的膝窩動脈捕捉症候群)――を示唆していた。最初のコンパートメント圧測定の結果が境界域だったことからその専門医は Roeck さんを筋膜切開手術の対象にすべきではなかったと説明した。そのスポーツ専門医はさらなる精査のため Roeck さんを血管外科医の Jill Colglazier(ジル・コルグラジア)氏に紹介した。

 「私は入り交じった感情で一杯になりました」と Roeck さんは言う。「なぜ最初の段階で治らなかったのかについて答えが得られました。しかし、それはもう一度最初からやり直さなければならないということを意味していました」

 慢性コンパートメント症候群と PAES は、区別するのが困難な、類似した、しばしば重複する症状を引き起こす。しかし重要な違いが存在する:PAES は静脈や動脈を障害する血管疾患であり、コンパートメント症候群とは異なる手術を必要とする。稀なケースではコンパートメント症候群と PAES の両方を持つ患者も存在する。

 PAES は、膝の後ろ側を走り、下腿に血液を送る popliteal artery(膝窩動脈)がふくらはぎの筋肉によって圧迫され、運動中に血流の低下と痛みを引き起こす。(安静は過度に発達した筋肉の萎縮をもたらし動脈への圧迫を解除する)。圧迫されている動脈への繰り返される傷害は狭窄と呼ばれる動脈の径の狭小化をもたらす可能性がある。重篤なケースでは永続的な神経や筋の損傷が生じ、非常にまれな例では下肢切断が必要となることにある。

 もし痛みが日常的な活動、あるいは運動時の活動に支障を来す場合には捕捉されている動脈を解除し圧迫を阻止する手術が行われる。

 本疾患は10代、20代の運動選手で特に短時間に筋肉を作る強度のトレーニングを行っているランナーや自転車選手に最も多くみられる。異常なふくらはぎの筋肉を持って生まれた例(それらは機能性ではなく先天性と分類される)もあるが、多くの他のケースは後天性である。彼らは識別できる解剖学的異常がないことから診断がより困難となっている。

 外科医らによると、サッカーやランニング、特に短距離走への参加によってふくらはぎ筋肉を肥大させる十代女性の間で症例が増えてきているという。

 誤診は稀ではないと専門家らは記載している。Colglazier 氏によると誤った手術(コンパートメント症候群に対する筋膜切開がしばしば)を受けている Roeck さんのような患者を日常的にみるという。多くは彼らに対して多分野にわたる総合的精査が行われていないためである。

 「このような患者が下肢の痛みを持つには色々な状況や多くの理由があるのです」と Colglazier 氏は言う。「我々は今、薬剤や手術に関してあまりに専門細分化が進んでいることから、集まって話し合うことが重要なのです」。以前から Mayo では下腿に痛みがある患者にはスポーツ医学、整形外科、および血管外科を含めた評価を受けさせることが求められている。

 Colglazier 氏は 2022年2月に Roeck さんと面談した。彼らは走り続けたいという Roeck さんの強い要望と、さらなる手術を受けたいという積極的な気持ちをめぐって話し合いを持った。

 「一部の人にとっては、これは非常に大切なことなのです」と Colglazier 氏は言う。また Roeck さんは立っている時にも痛みを感じていたと彼女は指摘する。

 「これが彼女の問題となっていることを全面的に確かめたかったのです」と Colglazier 氏は言い、血管撮影を行った。外科医がその手を母趾球に置いて Roeck さんに可能な限り(足で)強く抑えるように言うと、両側で閉塞を確認することができ PAES の診断が確定した。

 2022年4月、Roeck さんは右足の手術を受け、その一ヶ月後左足の手術が行われた。全身麻酔下に行われた手術中、外科医はふくらはぎの内側、あるいは膝の裏側を切開、異常な圧迫を解除し、動脈に余裕を持たせた。

 回復は Roeck さんが予測したより困難で、8ヶ月の理学療法を要した。Roeck さんは休まずに約2マイルのランニングを開始し、ウオーキングや自転車も組み入れている。

 「あれほどまでに長く痛みを深刻に考えないまま限界点に達するまで突き進むようなことをしなければ良かったと思っています」と Roeck さんは言う。疑問があれば質問し、疑いの目をもって医学的情報を評価することを経験から学んだ。

 「これは実に長い旅でした。今その旅の先にいることを喜んでいます」と Roeck さんは言う。

 

 

 

popliteal artery entrapment syndrome(PAES, 膝窩動脈捕捉症候群)は

膝窩部(膝の裏側)の解剖学的異常による捕捉の繰り返しによって

膝窩動脈の内皮傷害を生じ、最終的に同動脈の閉塞、

下肢の虚血障害を引き起こす疾患群である。

 

本症候群の詳細については

日本循環器学会 / 日本血管外科学会合同ガイドライン2022 年改訂版

末梢動脈疾患ガイドライン(pp. 116-118)をご参照いただきたい。

 

病態

膝窩動静脈は膝窩部で腓腹筋(ふくらはぎの筋肉)の間を通過するが、

時に腓腹筋の付着部の異常や異常な筋腹によってこの動静脈が捕捉、

あるいは圧迫されて PAES を発症する。

下肢の運動による膝窩動脈のある程度の圧迫は一般人口の30~50%に

見られるとの報告もある。PAES では本動脈の捕捉の繰り返しによって

内皮傷害が生じ、最終的には閉塞して下肢の虚血性障害が引き起こされる。

脛骨神経の圧迫による症状を伴うこともある。

膝窩静脈も捕捉されることもあり、その場合、静脈うっ滞や下腿腫脹をきたし、

さらに進行すると弁不全や静脈血栓症に至る。

若年者やスポーツ選手に間歇性跛行(一定の距離を歩くとふくらはぎなどに

疼く様な痛みやしびれ・疲労感が出現して歩行が次第に困難になる症状)が

みられる場合には本症候群を念頭に置く必要がある。

 

臨床像

30歳以下で腓腹部痛または足部痛を主訴とする間歇性跛行の40%が

本症に起因するとされている。男女比は4:1で発症は突然である。

多くは間歇性跛行で発症するが、安静時痛や潰瘍が10%前後に認められる。

足関節部の脈拍の消失を60%、低下を10%に認め、15%前後では正常に

触知するが、この場合でも足関節の他動的背屈や能動的底屈によって

消失する。

症例の 27~67%が両側性である。

 

診断

ドプラ血流計、超音波、造影CT、MRI、血管撮影等により、

膝窩動脈の狭窄や閉塞を確認する。

鑑別診断には、膠原病、閉塞性動脈硬化症、バージャー病、

膝窩動脈瘤、膝窩動脈外膜嚢腫などが挙げられる。

 

治療

本症は若年者に多く、長期的には狭窄後拡張からの塞栓症や

限局性閉塞による下肢虚血症状をきたすことから、

症状があり本症と診断し得た場合には積極的に手術を勧めるとの意見が多く、

また良好な手術成績が報告されている。

発症早期、あるいは無症状の段階であれば基本的には筋腹や線維束

の切離ないしは可及的切除のみで良好な結果が得られるが、

術前画像検査で狭窄がなくても内膜変性を生じていることがあり、

その場合には術後早期に狭窄をきたす可能性がある。

手術療法には、症例に応じて

①腓腹筋内側頭あるいは異常筋腹や線維束の切離・可及的切除

②自家静脈置換術、

③バイパス術

などが選択される。

 

若いアスリートが繰り返す足の痛みを訴えたときには、

慎重に対応する必要がありそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛かった Zoom 会議

2023-03-23 13:17:22 | 健康・病気

2023年3月のメディカル・ミステリーです。

 

3月18日付 Washington Post 電子版

 

 

Loud music was blamed for hearing loss in her 40s. It wasn’t the cause.

大きな音の音楽が40歳代での彼女の難聴の原因とされていた。しかしそれが原因ではなかった。

Her persistent 18-month search led to a third ear, nose and throat specialist who discovered the curable reason

粘り強い彼女の18ヶ月に及ぶ探索が、治癒可能な原因を見つけてくれた耳鼻咽喉科の専門医につながった

 

 

By Sandra G. Boodman,

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 47歳のとき、Marlene Schultz(マレーネ・シュルツ)さんは、まだ若かったので、人から言われることを聴きとれないたびに「えっ、何?」を繰り返すことはできないと思っていた。

 ペンシルベニア州のこの会計士は、大変苛立つことに、彼女の10代の息子の声を聴き分けることがだんだん難しくなっていることに気づいた。仕事中、しばしば Schultz さんは人に繰り返し言うようにお願いしなければならず、そのことで恥ずかしい思いをした。そして、テレビの音量を上げるようになったが、そのような対応がこの先何年も必要になるとは思っていなかった。

 そのため2018年5月、Schultzさんは、同じフィラデルフィア郊外の耳鼻咽喉科専門医を受診した。その医師には、何年も前に彼女の母親が 60 歳代後半に聴力障害を発症したときにかかっていた。

 その耳鼻咽喉科医が聴力検査を行ったところ両耳に低周波聴力の低下がみられた。Schultz さんがその医師に、tinnitus(耳鳴)、すなわち両耳に音が鳴り響く症状もあることを話すと、その医師は何年も前から大きな音で音楽を聴いていたことが彼女の永続的な聴力低下の原因と考えられると彼女に説明した。唯一の治療は補聴器になると彼は助言した。

 「私は非常に動揺しました」と Shultz さんは思い起こす。何回かロックコンサートに行っただけの、またそれ以外には大きな騒音にほとんど晒されていない人間がどうしてそんなに若い時期に補聴器が必要になるのだろう?その医師はその問題を追求することには興味がない様子だった。

 しかし Schultz さんは関心があった。彼女の執念がその先18ヶ月間の探索努力に火を点けた。それによって、アレルギー専門医、内分泌専門医、そしてさらに2人の耳鼻咽喉科医(ENT)を巻き込んだが、2人目の ENT が彼女の症状の治療可能な潜在する原因を発見してくれたのである。その発見は Shultz さんの生活の質を大いに改善し、家族だけでなく職場の同僚たちにも影響をもたらしている。

 「診断に納得がいかないときには2人目、あるいは多分、それ以上のセカンド・オピニオンを受けることが重要です」と彼女は言う。

 

Clogged ears 詰まった耳

 

 Schultz さんが低音域が聴こえていないことがわかった検査を根拠に、最初の ENT は彼女の両耳に軽度の感音難聴があるとの判断を下した。感音難聴はよくみられるもので、脳に音を伝えそれを理解できるようにする内耳の障害によって生ずる。典型的には、女性の声などの高周波を聴く能力に影響する。最もよくある原因は加齢であるが、うるさい音楽や頭部への衝撃でもその状態になりうる。

 Conductive(伝音性)という別のタイプの聴力低下は一般に、内耳へ音を伝達する中耳が障害される。伝音難聴は鼓膜穿孔、中耳内の液体、耳垢の塞栓、感染、あるいは良性腫瘍などによって起こりうる。原因によっては治療可能となる。伝音難聴と感音難聴が混合している患者も存在する。

 その ENT は Schultz さんに、彼女さえよければ補聴器を装着することで回復はしないが聴こえを良くすることができると助言した。

 「私にはそのようなお金はありませんでした」と Schultz さんは言う。その機器はおよそ 3,000ドル(約40万円)したが彼女の保険では補填されなかった。彼女は聴力が悪化しないことを願いながらそのままで何とかやっていくことにした。

 しかし一年後症状は増悪した。音がさらに聴こえにくくなっただけでなく、まるで悪い風邪をひいたかのように両耳が絶えず詰まっているように感じた。さらに悪いことに、Schultz さんは最近、オープン・プラン方式のオフィス(壁や間仕切りがなく部署や肩書きの垣根を超えた仕事空間を生み出すオフィスのこと)で新しい仕事を始めていた。そこでは、仕事仲間たちは他の人達の妨げにならないよう小さな声で話していたのである。

 2019年7月、Schultz さんは別の保健システムに加入している二人目の ENT を受診した。彼女はその医師に自身の聴力検査の結果を伝え、彼女の耳詰まりが、聴力の悪化と関係しているかどうか尋ねた。

 その2人目の専門医は postnasal drip(後鼻漏)と診断し、鼻と中耳とを連絡する eustachian tubes(エウスタキー管、耳管)が閉塞していると Schultz さんに説明した。その医師はアレルギーが原因ではないかと考えた。

 彼は耳詰まりを解除することで聴力が改善する可能性があるとしてステロイドの鼻スプレーを処方し、もし症状が改善しなければアレルギー専門医を受診することを Schultz さんに勧めた。

 一ヶ月後、彼女はアレルギー専門医を受診、いくつかの木、花粉、イエダニ、カビ、および動物などの一般的なアレルゲンについて皮膚テストを行った。どの検査も陰性だった。そのアレルギー専門医は Schultz さんは vasomotor rhinitis(血管運動性鼻炎)であると結論づけた。これは原因不明に鼻の炎症が生じるよく見られる疾患である。環境的誘因として、ストレス、温度変化、香辛料の入った食べ物、塗料のガス、香水、あるいは特定の薬剤などがある。

 もう一つの考えられる原因は細菌感染である。そのアレルギー専門医は抗生物質を処方し、Shultz さんに鼻スプレーを使い続けることを勧めた。

 閉塞した耳管を開通させ、低下していく聴力をいくらかでも回復させようと Schultz さんは自身の改善策を考え出していた。一時間に一回、圧迫を緩和させるべくそれぞれの耳に指を突っ込んだのである。効果はあったのだが、単に一時的なものだった。

 「自暴自棄になっていました」そう彼女は思い起こす。そして何か良い考えはないかと内分泌専門医の受診予約をした。彼は2つの市販薬を推奨したが、彼女の腫大した甲状腺の方に注目した。10月下旬、彼はピーナッツほどの大きさの小結節に対して針生検を行ったが良性であることが判明した。

 3週間後、Schultz さんは脳の MRI 検査を受けた。医師らはそれによって彼女の耳閉感や聴力低下の原因がはっきりすることを期待した。しかしその検査では何も異常は認められなかった。

 1年以上探索を続けたが、Schultz さんのの聴力は悪化し、開始したときと比べ何ら進展はみられなかった。「私は何をすべきなのか、どこに行くべきなのかわかりませんでした」と彼女は思い起こす。

「診断に納得がいかないときには2人目、あるいは多分、それ以上のセカンド・オピニオンを受けることが重要です」と彼女は言う。(Marlene Schultz)

 

 

Where to turn? どこに頼るべき?

 

 親戚の助言により Schultz さんはボストンの ENT である彼女の従兄弟と連絡を取った。

 彼はフィラデルフィアの大規模ティーチング・ホスピタルの一つの聴覚専門医を受診するよう助言した。Schulz さんは Penn Medicine(University of Pennsylvania Heal System, ペンシルベニア大学医療システム)のウェブサイトを精読し、様々な耳鼻咽喉科医の記載事項を詳細に調べ、その専門的知識が期待できる専門医の診察を予約した。

 4週後の 2019 年12月、彼女は耳科および神経耳科部門の代表者である頭頸部外科医 Douglas Bigelow (ダグラス・ビグロー)氏と面談した。

 Bigelow 氏が改めて一連の聴力検査を行ったところ、最初の聴力検査の結果とは著しく違っていた。今回は Schultz さんの難聴は感音性ではなく伝音性に分類された。そのことは、その原因によっては彼女の症状が治療可能かもしれないことを意味していた。

 彼女の年齢、症状、および検査結果から otosclerosis(耳硬化症)と呼ばれる状態が示唆されると Bigelow 氏は彼女に語った。これは、若年および中年成人の中耳性難聴の最も多い原因となっている。

 耳硬化症は約300万人の米国民にみられるが、そのほとんどは中年の白人女性である。多くの例で遺伝性と考えられている。難聴は、鼓膜の裏側の中耳に位置する体内で最も小さな骨である stapes(アブミ骨)にみられる骨の形成異常によって引き起こされる。アブミ骨がその場で硬化し振動できなくなることによって音を内耳に伝える能力が損なわれる。

 典型的には一側の耳に始まり、徐々に進行する聴力低下が最初の症状となる傾向にある。多くの患者は最初、低い音やささやき声が聞こえなくなる。Dizziness(めまい)、平衡障害、あるいは耳鳴を経験する患者もいる。

 鼓膜が正常で低音の聴取ができない患者は「耳硬化症としては標準的です」と Bigelow 氏は言い、こう付け加える「私が診察したときには彼女の難聴は明らかに伝音性でした」外科的に治療不能な感音難聴という最初の所見は「聴覚検査者側の技術的問題による可能性があります」と彼は話す。

 「ほとんどの場合、良い ENT であれば正しい診断にたどり着くでしょう」本診断について彼はそう話す。彼女には両耳の詰まりや耳閉感などの症状があり、それが他の方向へ向かわせた可能性があります」

 耳硬化症は補聴器で対応可能であるが stabepdectomy(アブミ骨摘出術)という手術がより良い結果をもたらす可能性がある。

 この手術はアブミ骨に代えて中耳内に prosthetic devide(代用器官)を入れて聴力を回復させるものである。ただ一部の難聴では術後も症状が持続する可能性がある。また時々この手術を受けた患者で聴力が悪化することがある。

 Shultz さんは耳硬化症について聞いたことはなかったが、“driving me nuts(私の精神状態をおかしくさせている)”症状を改善することができるかもしれないことに興奮したという。

 「自分の病気を知って大変安堵し、それを治す方法があることにワクワクしました」と彼女は言う。その後に行われた CT 検査で彼女の両耳に耳硬化症があることが確認された。

 30年のキャリアで推定約1,000例のアブミ骨摘出術を行ってきた Bigelow 氏は2020年6月に Schultz さんの左耳の手術を行った。右耳の手術はその一年後に行われた。

 Schultz さんによると、最も辛かったのは最初の手術までの数ヶ月だったという。パンデミックの初期のころ自宅で仕事をしている間、Shultz さんは何時間も Zoom でのミーティングを行っていたが、人が話していることを聞き取ろうと四苦八苦しビクビクした。彼女の話す順番が来ていることもしばしば分からないことがあった。

 手術以降 Schultz さんは両耳の聴力の約90%を取り戻している。耳詰まりや耳閉感は消失している。耳鳴は続いているが軽度である。

 彼女の診断は周りに影響をもたらした。

 難聴が加齢に関連したものだと何年も前に言われていた彼女の母親にも耳硬化症があることが分かったが彼女は手術を受けないことを決断した。一方、Schultz さんの経験を受けて彼女の仕事の同僚の一人が耳硬化症と診断され手術を受け成功している。

 「今では殆どの音を聴くことができ素晴らしい状況です」と Schultz さんは言う。「私は台所に座っていて低いうめくような音を耳にして、それが冷蔵庫から出ている音であることがわかり、もう何年もその音を聞くことができていなかったことを実感したことを覚えています。『これはすごい!』と私は思いました」

 

 

 

 

耳硬化症についての詳細は下記サイトをご参考いただきたい。

慶応大学病院耳鼻咽喉科のHP

 

耳硬化症は伝音難聴(音がうまく伝わらないための難聴)の

原因となる代表的疾患である。

鼓膜から内耳への音の伝達は、鼓膜の振動をツチ骨、キヌタ骨、

アブミ骨の3つの骨(耳小骨)が伝えることで行われる(図参照)。

ばば耳鼻科クリニックのHPから

 

 

耳硬化症は、耳小骨の中で一番奥にあるアブミ骨の動きが

徐々に悪くなることで進行性の難聴を引き起こす原因不明の病気である。

症状は軽症から重症までさまざまで、両側性に発生することも多い。

難聴が徐々に悪化し進行すると日常生活にも大きな支障をきたす。

白人に多い病気とされており、日本人などの有色人種では

その罹患率が低い(全ての耳疾患の1%程度)ことから、

本疾患の存在が認識されず、正確な診断が行われないまま

補聴器などで対応されていることも少なくない。

 

思春期頃に発症することが多く、徐々に進行しながら

40歳頃には症状が顕著となる。

女性が男性に比べて2倍以上の罹患率を示すことが知られており、

妊娠や出産を契機に難聴が進行することもある。

 

原因

原因は未だ不明である。

何らかの原因により、身体で一番小さな骨であるアブミ骨に

限局性、進行性の骨異形成が生じる。

初期には骨が『海綿状変性』と呼ばれる変化をきたし、

アブミ骨周囲の骨が一端、もろく軟化する。

その後もろくなった骨を治そうとする反応が生じて

アブミ骨周囲の病巣が硬化性病変に移行する。

この硬化によってアブミ骨の可動性が損なわれ、

伝音難聴が進行する。

さらに耳周囲の骨の変化が進むと、内耳機能の低下による

感音難聴も進行する可能性がある。

 

発症には遺伝的要因が関与していると考えられている。

また、麻疹(はしか)の潜伏感染が原因という説もある。

罹患率に男女差があることから女性ホルモンの影響も考えられている。

 

症状

主な症状は難聴と耳鳴りだが、障害が内耳に波及すると

めまいが生じることもある。

その他、耳が塞がったように感じる耳閉塞感を訴えることもある。

 

検査と診断

一側ないし両側の伝音難聴として発症した後、徐々に難聴が進行する。

聴力検査では低音部を中心とする特徴的な伝音難聴の所見が認められる。

さらに内耳障害が進むと高度感音難聴まで悪化することがある。

側頭骨CT検査で『内耳骨包の脱灰像』という特徴的な所見がみられれば、

確定診断となる。

 

治療

耳硬化症の治療の基本は、手術(アブミ骨手術)となる。

動かなくなったアブミ骨を手術で一部摘出し人工の耳小骨と取り替える

手術を行う。

手術の成功率は90%前後と高いため、積極的に手術が勧められるが、

補聴器の効果も大きいことから、難聴の程度や年齢、

全身状態などに応じて治療が選択される。

全く聞こえない聾(ろう)まで難聴が進んだケースでは

人工内耳を埋め込む手術が必要となる。

 

聴力を失ったベートーベンがこの病気であったと言われている。

最近彼の髪の毛のDNA分析で、彼がB型肝炎であった可能性が

明らかとなっているが、難聴の原因となるような遺伝子異常は

特定できなかったとのことである(あなたの静岡新聞)。

 

日本人にはまれとはいえ、若年の難聴患者では

念頭に置いておくべき疾患であろう。

ただ原因が未だに不明という点は非常に気になるところである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ 若い女性、産後、不安、飲酒 ”という先入観

2023-02-23 09:22:26 | 健康・病気

2023年2月のメディカル・ミステリーです。

 

2月18日付 Washington Post 電子版

 

 

She thought anxiety and drinking made her ill. The truth was scarier.

不安障害と飲酒が体調を悪くしていると彼女は考えた。しかし事実はもっと恐ろしいものだった。

A middle-of-the-night trip to the ER revealed the false assumptions that wrongly had shaped her care

真夜中の緊急室への受診によって彼女の心配を誤った方向に導いていた間違った憶測の正体が曝かれた。

 

By Sandra G. Boodman,

 

(Illustration by Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 Brandie Boyd Meyer(ブランディ・ボイド・マイアー)さんは職場に着くと頭が割れるような頭痛があることをアシスタントに告げ、ふらつく感じもあったため、会社の“wellness room”(健康部屋・昼寝部屋)で幾度か休憩したが、彼女の最も近しい職場の同僚たちは、この Dallas (ダラス市)の医療関連会社の役員の飲酒が手に負えない状況に陥ったのだと考えた。

 当時35歳だった Meyer さんは、この4年間の大半、長男を出産した後に始まった不安障害に苦しんでいた。Panic attacks(パニック発作)とその後 alcohol use disorder(アルコール使用障害)の診断が追加された。しかし、複数の薬物治療や、数ヶ月間の talk therapy(話し合い療法)を受け Alcoholics Anonymous( AA, アルコホーリクス・アノニマス[匿名のアルコール依存者たち])の集まりに出席したにも拘わらず、Meyer さんの症状は増悪した。彼女の結婚生活は破綻し、仕事でも奮闘した。そして彼女の家族は彼女の隠れ飲酒とみられる状況に対処するための治療介入を検討していた。

 2019年8月のその日の午後、彼女のアシスタントと同僚の一人は彼女を建物から押し出すように連れ出し、自宅まで車で送り、Meyer さんの夫の Andrew さんに電話した。彼が自宅に戻ってみると、彼女は胎児のように丸くなってベッドに横たわっており、3歳の息子も彼女の上に丸くなって眠っていた。

 「Andrew は私が酔いつぶれていると思っていました」と Meyer さんは言う。しかし彼女が真夜中に奇妙な症状を呈したため、ほどなく近くの緊急室に運ばれることとなった。

 それから数時間のうちに Meyer さんと家族は、彼女のそれまでの行動についての誤った推定に存在した非常に大きな落とし穴が明らかとなりショックを受けたのである。その推定とは、彼女の治療を導いてきた状況下から積み上げられたものだった。

 「最も重要な点の一つは、関わってくれる人たちが知っておくべきだろうと思われることを私が勝手に選別していたということです」と Meyer さんは言う。彼女の診断につながる数ヶ月間の記憶はまだらである。「結局それが役に立たなかったのです。そして誰もが、私が ER に行くまで重要な手がかりを見逃していたのです」

 彼女が入院してほどなく治療を開始した医師は誤った方向に進んでいたことについて異なる解釈をしている。「‘若い女性の症状群’が今回の話の重要な部分です」とその医師は言う。Meyer さんの年齢、性、そして新しい母親という立場に基づいた物語が「支配し」、それが十分な精査を行われることなく引き継がれ、Meyer さんが不利益となるまで正しい診断を遅れさせてしまったと彼女は考えている。

 

New motherhood 新米の母親

 

 2015年の終わり頃、Meyer さんは妊娠第1期のとき、気持ちが不安定で、“out of it”(心ここにあらずな、ボーッとした)な気分になるような発作を数回経験した。彼女はそんな感覚は、低血糖あるいは妊娠のせいだと考えたが、2016年に息子を出産したあとも消失しなかった。

 Meyer さんは最初、自分の産婦人科医にそのことを話さなかった(彼女にはかかりつけ医がいなかった)が、それはそれらの症状が重要ではないように思われたからだった。

 当時彼女はもっと差し迫った懸念に取り組んでいた。夫が仕事で頻回に出張しており、彼女は初めて子供を持った母親としてきつい仕事と赤ちゃんの世話の両方を何とかこなしていた。

 「私は自分がとてもダメな人間であるような気がしていました」と彼女は言う。

 主に友人たちから聞いた彼らの症状を参考に、Meyer さんは自分が不安障害になっていると考えた。

 彼女は産婦人科医に気持ちの不安定さとボーッとしてパニック状態になる感覚について話した。その医師は甲状腺機能を調べる検査を行ったが結果が正常だったので、不安障害とうつを治療する薬を処方した。

 しかしその薬を飲んで数ヶ月たっても、Meyer さんの気分は一向に改善しなかった。2018年の初め、彼女が不安障害に悩まされていることを知っている神父に会い対処方法について尋ねた。これまで精神健康問題の既往はなかったが Meyer さんはそこで精神科診療の場での面談を予定しそこで physician assistant( PA, 準医師資格者)の診察を受けた。

 その PA は2剤めの抗うつ薬を処方、その後3剤めを処方した。Meyer さんはそれらを数ヶ月間内服したが改善はみられなかった。そのころには彼女は慢性的に疲労を感じており、活発で非常におしゃべりな幼児となっていた息子の相手をするのが難しくなっていた。「通常より早くに疲れ切っていました」と Meyer さんは思い起こす。「仕事は大変忙しかったし多くの活力を費やしていました」彼女は昇格したが、一方で夫はさらに出張が頻回となりそれはしばしば週4日に及んでいた。

 週末には彼女はしばしば長い昼寝をしていた。「Andrew は私が実際に苦しんでいたのがわかっていたので息子を家の外に出そうとしてくれていました」と彼女は言う。時にはこの夫婦は動物園で 4, 5時間過ごすこともあったという。

 「私は自分の役割を十分に果たしていないことがわかっていたし、何も良くなっていないと感じていました」と Meyer さんは思い出す。そして彼女には新たな心配が生じた:自身の飲酒である。

 夫が留守にしているときには、晩に息子が寝付いたあと Meyer さんは夫と電話で話ながらしばしばワインを飲んだ。しかし、翌朝、彼女は2人の会話の詳細を覚えていないことがしばしばあった。あるいは会話をしたことすらも時々覚えていなかった。

 「そんなことが頻回にあったので恐らく私が自覚する以上に飲んでいるのではないかと、彼と私は心配するようになりました」と Meyer さんは言う。彼女は飲酒回数を数えなかったし、夫も最初は空の瓶をチェックして彼女がどれくらい摂取しているかを確認しようとはしなかった。彼らは、彼女の記憶喪失はアルコール依存症を示唆しているものと考えた。

 Meyer さんは、薬やその他の治療法が効きにくく増悪する不安を治すためにアルコールを飲んでいて、アルコール依存症になってしまったのだと結論づけた。

 それは彼女のカルテで明確となっていた結論であり、2人の精神衛生の専門医によって再確認され、問題にされることはなかった。

 

Brandie Boyd Meyer さんと、彼女の上の息子 Theo(セオ)君 (Brandie Meyer)

 

Going to AA  AAに行く

 

 2018年の終わりに Meyer さんは定期的な話し合い療法の集まりでソーシャルワーカーとの面談を開始した。

 数ヶ月後、彼は彼女を一人の精神科医に紹介し 2019 年の4月に受診した。彼女によると彼らも不安障害とアルコール依存症の彼女の診断を支持したという。そのころまで Meyer さんは不安障害とうつの治療のために4つの薬剤を内服していたがどれも無効だった。彼女のパニック発作は、より回数を増し混乱を生じており、ほとんど毎日のように起こっていた。職場では必死で仕事をこなしていた;職場の同僚たちは彼女がどこかおかしいことに気づき始めていた。彼女はアルコール依存症で苦しんでいることを数人には打ち明けていた。

 2019年の春、Meyer さんは AA の集まりに通い始めたが、これは彼女の救いにはなった。「あらゆるまともじゃないと感じることや、私がアルコールのせいにしていることを話しても安全な場所でした」と彼女は言う。「さらに、無料のキャンディーや本当にまずいコーヒーをもらえるとても良い場所でした」

 しかし彼女の悪化は明らかだった。あるとき彼女が戦略会議に出席していて、彼女の表現に驚いたある役員が「大丈夫?」と聞いたとき、彼に対して Meyer さんは大丈夫だときっぱりと言った。「私は実際にはボーッとしていたように見えていたに違いありません」と彼女は言う。Meyer さんにはけいれん発作が起こり始めていたのだが、それをけいれん発作だと気付いた人はいなかった。

 5月、彼女がバックでガレージから出ようとしていたときあやうく壁にぶつかりそうになった。夫が大声で警告を発したが「私は全く反応せず、止めることもしませんでした」と Meyer さんは言うが、そのときなんとか衝突をさけることができた。彼女は精神科の主治医にその出来事について話した。その医師は Meyer さんに、抗不安薬の Xanax(ザナックス、一般名アルプラゾラム)の副作用だったのかもしれないと伝え、運転するときにはそれを内服しないよう注意喚起した。

 彼女の記憶が混乱していたので、3ヶ月後に起こった彼女のオフィスでの出来事について Meyer さんが知っていることの大部分は彼女があとから知ったことになる。彼女は自宅まで車で連れていかれたこと、ベッドで息子と横になっていたこと、あるいは数時間後に、夫が目を覚ますと彼女が話すことができなくなって彼のそばに立っていたのに気づいたため911に電話することになったのだが、その行動も覚えていない。そして彼女には ER まで救急車に乗ったぼんやりした記憶だけが残っている。

 

A revelatory scan 目からウロコの検査

 

 彼女が到着して直後に行われた Meyer さんの CT スキャンで彼女を消耗させている症状の衝撃的な原因が明らかとなった:桃の大きさの腫瘍が彼女の脳の両側前頭葉に浸潤しており、認知機能や人格の変化、および徐々に頻回となっていた重度のけいれん発作を引き起こしていたのだった。

 その大きさから、医師らはそれが悪性腫瘍であると考えた。最初彼らは夫におよそ数ヶ月しか生きられないかもしれないと話した。

 Meyer さんはすぐに Dallas にある UT Southwestern Medical Center(テキサス州サウスウェスタン・メディカル・センター)に移送された。そして、泥酔していると考えて同僚たちがオフィスから彼女を運び出してから48時間も経たないうちに手術室に運ばれた。(彼女はアルコールを摂取していなかった;彼女の頭痛と他の症状は脳腫瘍が原因だった)。

 病理医はその腫瘍が oligodendroglioma(乏突起神経膠腫)であると診断した。これは脳と脊髄に発生する稀な腫瘍である。年間約1,100例が米国で診断されており多くは35歳から44歳の男性にみられる。この腫瘍は典型的には症状を起こす前、何年間かゆっくりと増大する悪性度の低いタイプか、あるいは速く増大する、たちの悪いグレードの高い悪性腫瘍のいずれかに分類される。症状として、けいれん発作、記憶喪失、認知機能障害だけでなく不安障害やパニック発作を含めた人格変化がみられる。

 乏突起神経膠腫の原因は不明だが、放射線被曝との関連性は考えられている。治療は可能な限り多く摘出する手術が主体となり、時に放射線や化学療法が追加される。腫瘍は治療可能であるが根治はできない。

 医師らは Meyer さんの腫瘍は少なくとも10年間は存在していた可能性があると話し、低グレードであることが判明した。「私たちはとても安心しました」と彼女は思い起こす。外科医らは腫瘍の約75%を摘出することができた。

 手術から数週後、彼女は脳腫瘍の専門家である Elizabeth Maher(エリザベス・マーハー)氏と面談した。彼女は Harold C. simmons Comprehensive Cancer Center at UTSW(テキサス州サウスウエスタンのハロルド・C・シモンズ・コンプリヘンシブ癌センター)のスタッフメンバーの神経腫瘍専門医である。

 「彼女の一部始終に私はひどく驚きました」と Maher 氏は言い、Meyerさんの症状は乏突起神経膠腫の“教科書”のようだったと付け加える。

 彼女の記録には、精神健康問題あるいはアルコール依存症が原因であるとされてきた出来事について記載があったが、血中アルコール濃度を測定した人はいなかったと Maher 氏は言う。また、彼女を治療した人たちは器質的な病変が彼女の精神症状を引き起こしているかもしれないとは考えていないようだった。

 「彼女が子供を産み、うつと不安障害、さらには短期記憶の増悪や集中力の低下、精神錯乱などが起こり始めています」と Maher 氏は言い、そのような症状は分娩後の症状として反射的に軽視されてしまうことがあまりにも多いと付け加える。記録では Meyer さんはしばしば虚空を見つめることがあったことが示されておりこれは absence seizures(欠神発作)の兆候であるが認識されないままとなっていた。

 「経過中見逃されてしまうこととなったポイントは、彼女が不安障害とうつの治療を受け、増悪した若い女性であったことだと私は思います」と Maher 氏は言う。「女性がそういった症状を重要視してもらうのは大変むずかしい可能性があります」

 現在39歳の Meyer さんは、自己診断が影響したと考えており、かかりつけ医に受診していれば良かったと思っているという。彼女は警告症状については話さなかったし、そうだとは考えてもいなかった。彼女は療法士や精神科医には、凝視発作のあとに時々嘔吐したことを伝えず、また診断前の数ヶ月の間に尿失禁がみられるようになっていたことも出産後は普通のことだと考えたため話さなかった。両者ともけいれん発作と関連している可能性がある。

 Meyer さんによると術後数週間で、自身の認知機能、記憶力、そして全般的な生活の質は顕著に改善したという。

 腫瘍の再増大~それには数年の経過をたどる~を遅らせるため術後の治療に放射線治療や化学療法を含む投薬治療が行われることがある。この一年間、Meyer さんには特異な遺伝子変異を標的にした新たに承認された薬が用いられている。さらに彼女は発作を抑える薬も内服していて、3ヶ月ごとの MRI 検査を受けている。

 脳腫瘍の診断に順応することが一つの経過となっていますと Meyer さんは言う。彼女は 40歳未満の人たちのための癌支援団体に参加しており、彼女の教会出身の同じ腫瘍を持つ女性と会った。2020年12月、医師らから「自分の生きたいように生きる」よう助言され、彼女は二人目の子供を出産した。

 「私はそれを受け入れています」Meyerさんは自身の診断についてそう話し、「私はこう思うことにしています。『ああ、私は癌患者だし、これから先もずっと癌患者です』と」。長男が生まれたあとにみられた不調の原因が見つかったことは、「悲痛な思いやストレスを大幅に軽減してくれたようです」

 彼女を診ている神経腫瘍専門医にとって、Meyer さんのケースは重要な警告を強調するものとなっている。「物語に執着してはいけません。事実に執着するのです」と Maher 氏は言う。

 

 

神経膠腫、乏突起神経膠腫の詳細については下記サイトを参照いただきたい。

東京大学医科学研究所脳腫瘍外科(神経膠腫についてまとめられている)

脳外科医 澤村豊のホームぺージ(WHO新分類についての解説もある)

 

脳と脊髄には神経細胞とこれを支持する神経膠細胞(グリア細胞)があり、

後者から発生する腫瘍を総称して神経膠腫(グリオーマ)という。

 

神経膠腫には星細胞腫、乏突起神経膠腫、上衣腫などの種類があり

脳から発生する腫瘍(原発性脳腫瘍)のおよそ25%を占める。

どのタイプも腫瘍細胞が脳に染み込むように広がり境界が不明瞭なため

手術で取り切れないことが多いことから臨床的にはすべてが悪性脳腫瘍に

分類される。

さらに病理診断上は悪性度に応じて4つのグレード分けられる。

グレード1(毛様細胞性星細胞腫)や

グレード2(星細胞腫や乏突起神経膠腫など)に比べて、

グレード3やグレード4(膠芽腫)は悪性度が高く、

グレード3とグレード4の腫瘍は悪性神経膠腫と呼ばれている。

悪性神経膠腫では通常画像で捉えられる範囲よりはるかに広い範囲に

腫瘍細胞が浸潤しているため手術では完全に取り除けず、

周囲の脳組織内に残った腫瘍細胞から再発する。

このため手術後の再発を予防あるいは遅らせる目的で放射線治療と

化学療法が併用される。

従って神経膠腫に対する治療は、麻痺や言語障害などの後遺症状を

出さない範囲でできるたけ多くの腫瘍を手術で摘出し、術後に

放射線治療と化学療法を行うのが標準治療となっている。

 

ここでは記事中にあった乏突起神経膠腫(oligodendroglioma)に

ついて説明を加える。

乏突起神経膠腫は、悪性度グレード2の神経膠腫である。

2021年の新しいWHO脳腫瘍病理分類では

形態診断より分子生物学的診断が優先されることとなり、

神経膠腫のうち IDH(isocitrate dehydrogenase)変異と

染色体の1pと19q(1番染色体短腕と19番染色体長腕)に

LOH(loss of heterozygosity, ヘテロ接合性喪失)が確認されれば

乏突起神経膠腫と診断されることとされた。

本腫瘍は、脳から発生する腫瘍の約2.5%を占め、

痙攣で発症することが多く、大脳半球の前頭葉に好発する。

脳表の近くに発生し、CTでは石灰化を伴うなどの特徴があるが、

診断の確定には手術で摘出した腫瘍の病理診断が必要となる。

中には 20〜30年かけてゆっくり大きくなるものもある。

生存期間中央値11.6年。5年生存率約70%とされている。

前述の分子生物学的診断の基準に合致する例では抗癌剤に対する

感受性が高いことから、積極的に化学療法が行われるようになっている。

 

記事にある女性のように10年も脳腫瘍が発見されないなんてことは

脳のCTやMRIを手軽に行える日本ではめったにないことかも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死と隣り合わせで30年

2023-01-20 18:43:59 | 健康・病気

2023 年最初の 1 月のメディカル・ミステリーです。

 

1月14日付 Washington Post 電子版

 

 

For decades, she endured brief blackouts. Then a scary one hit her.

何十年もの間、彼女は繰り返す短時間の意識消失に耐えてきた しかしあるとき恐ろしい発作が彼女を襲った

The potentially deadly reason for her fainting led to major surgery from which the Seattle scientist continues to recover

シアトルに住む科学者の意識消失の原因は命の危険にかかわるものであり大きな手術につながったが、現在は回復に向かっている

 

By Sandra G. Boodman,

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 Seattle(シアトル)の Lake Union Park(レイク・ユニオン公園)の中で、仰向けに横たわった Maureen E. Ryan(モウリーン・E・ライアン)さんは意識が消失したり戻ったりしていたが、奇妙にも 20フィート(6メートル)離れたところで彼女を見守りながら湿った草を齧っている3匹のウサギによって励まされていた。Ryan さんが日曜日の夜の単独でのランニング中に倒れた場所には人けがなかったが、そのウサギたちのおかげで彼女の孤独感は和らげられた。

 30年間、Ryan さんは周期的に運動中の意識消失に見舞われていたが、いつも短時間で回復していた。自分がどれほどか弱って見えているに違いないという思いと、動くことも話すことさえもできなかったことから「今回は死ぬのではないかと思いました」と彼女は思い起こす。「『誰かが自分の遺体を見つけることになるだろう、そうしたら家族はどれほど悲しむだろう』と私は考えました」

 20分間、何度か起き上がろうと試みるも失敗を繰り返した後、Ryan さんは何とか立ち上がることができた。彼女は友人に電話をかけたが、距離の関係から車で迎えに行こうという彼の申し出を断り、彼との通話を維持したまま、1マイル離れた彼女のハウスボートまで冷たい小雨の中をゆっくりと歩いた。

 2022年1月のこのできごとをきっかけに、49歳の conservation biologist(保全生物学者)である Ryan さんが大した問題ではないと長く信じてきた幾度もの意識消失に対して20年以上前に下された診断が覆されそれらには命の危険に関わる原因が存在していたことが解明されるまでのすったもんだの数ヶ月が始まった。

 その夜の記憶と、それが引き金となって“起こり得た事態”は今も心の中に鮮明に残っている。「それはまさに私が何か限界に近いところにいたように思います」と彼女は言う。

 

A one-off event? 一回限りのできごと?

 

 Ryan さんは生来熱心なスポーツ選手だった。Pittsburgh(ピッツバーグ)での高校時代、彼女は走り、ボートを漕ぎ、lacrosse(ラクロス)やフィールドホッケーをプレイした。彼女の最初の意識消失の発作は、ワシントンDCにある Georgetown University(ジョージタウン大学)の一年生だった 1991 年に起こった。Ryan さんがジムでトレッドミル走を終えた数分後に、奇妙な吐き気がし意識を消失、その後冷水器で水を飲んでいた間に、短時間の痙攣に襲われた。

 「私が覚えている最後のことは、蛇口から出てきた水の中で視野が狭窄したことです」と彼女は言う。数秒後に彼女が目を覚ましたとき、床に突っ伏していた彼女をバスケットボールの選手たちが取り囲んでいた。ケガはなかったが恥ずかしく思った Ryan さんは寮に歩いて戻りひと眠りした。「私はそれを体調不良による一回限りのことだと考えました」と彼女は言い、そのことを誰にも話さなかった。

 その5年後、彼女は再び意識を失った。しかし、当時 5フィート1インチ(約155cm)の Ryan さんが6マイル(約9.7km)走、長距離の行軍や、登山で彼女よりずっと背の高い友人たちに遅れずに付いていこうとすると普通に吐き気やめまいが散発的にみられていた。その感覚は通常、始まって10分続いたが休めば消失していた。

 「それが異常だとは思いませんでした」無理をし過ぎたとか、運動が速すぎたと考えていた Ryan さんは言う。

 大学を卒業後、彼女は Wyoming(ワイオミング州)に行き、その後 Utah(ユタ州)に移って自然保護やロッククライミングのインストラクターとして働いたが、その仕事ではしばしば60ポンド(約27kg)の荷物を担いでいた。2000年10月、彼女が一時住んでいた Cape Cod(ケープ・コッド:マサチューセッツ州にある半島)で走っていたとき、一週間に3回発作があった;一度は意識を失い、2度は意識を失いかけた。彼女は、心疾患を専門にしている病理学者である叔母にメールをし、その返答に危機感を抱いた。

 「危険な不整脈の可能性があると彼女は告げたのです」と Ryan さんは思い起こす。叔母は、もし再びそれが起こったら緊急室に行くように、そして心臓専門医を受診するまではランニングをやめるように助言した。

 数日後、彼女は Cape の心臓専門医を受診したが、最初、医師は彼女の症状を心因性として片づけた。しかし、その後心臓を評価する非侵襲的検査である EKG(心電図)で彼女に Wolff-Parkinson-White syndrome(WPW 症候群)があることがわかった。この疾患は過度の頻脈を引き起こすことがある。

 数週間後、Ryan さんは catheter ablation(カテーテル・アブレーショ[心筋焼灼術])を受けた。これは頻脈に対する低侵襲治療である。彼女の両親が住んでいる Pittsburgh(ピッツバーグ)で行われたこのアブレーションの施行前に Ryan さんは tilt table test(傾斜台検査)を受けていた。彼女は検査台に固定され、台の傾斜を変化させたときの血圧と心拍数の変化が測定された。これは syncope(失神)ともよばれる説明のできない意識消失の原因を特定する補助検査として行われる。

シアトルに住む Maureen Ryan さん。彼女に周期的に起こっていた意識消失発作の原因が解明されるまで何年もかかった。(Christopher Wade)

 

 25分経過すると、Ryan さんは前兆として吐き気とめまいを感じその後意識消失した。

 彼女が説明を受けたところによると、彼女の意識消失は vasovagal syncope(血管迷走神経失神)によって生じたのだという。このよく見られる病状は激しい感情(針や血を見ることが引き金になることもある)や、長時間の運動や脱水で誘発されうる。アブレーションは成功していた―その後の心電図で WPW 不整脈は認められなかった―ことから、Ryan さんは、彼女にみられるめまいや発作的な意識消失は基本的に安全性に問題ないと言われたという。

 彼女は定期的に心臓専門医を受診するよう助言されたが、「それ以外の点では『あなたは治っている』ということでした」そう Ryan さんは思い起こす。

 身体運動が彼女の発作の唯一の誘因ではなかったはずだったということを彼女は知らなかったし、医師も彼女に説明しなかった。そんな危険信号はその後20年間、見落とされていたのである。

 

Infrequent dizziness, nausea, fainting まれに起こるめまい、吐き気、意識消失

 

 大学院に進学するために西海岸に転居し、その後仕事に就いた Ryan さんは、そのころ比較的稀にしか見られなくなっていた発作を受け入れ、スキー、マウンテンバイク、マスターズスイミングやランニングに熱中した。

 「それは単に私の運動生理学の一部となっていました」と Ryan さんは言い、友人たちには「スタートが速すぎると意識を失う傾向があるという奇妙な習性があるのよ」と説明していました。発作の前兆となるめまいや吐き気を彼女が感じた時には、ただちに座るか横になるようにしていたので、そうすることによってしばしば完全な意識消失や外傷を回避できていた。

 何年もの間、Ryan さんは心臓のアブレーションや血管迷走神経失神についての情報を、様々な都市の5人の心臓専門医を含む医師たちに伝えていた。しかし何かが違っているかもしれないと言ってくれる人は誰一人いなかったと彼女は言う。

 2020年の初め、Ryan さんは Seattle に住んでいたが、そのとき新たな症状に気付いた。時々、朝目が覚めるとどういうわけか嫌な気分になるのである。また走っている時に胸が締め付けられる感じがし、以前より息切れしやすくなった。彼女は心臓専門医を受診する予定にしていたが、パンデミックに加え、数ヶ月間ランニングの中断を余儀なくされた重大な膝のけがもあってその計画は頓挫していた。ランニングを中断している間は、吐き気、めまい発作、そして意識消失が見られないことに Ryan さんは気付いていた。

 2021年の半ばまでに彼女の膝は治癒し、Ryan さんはランニングを再開した。するとまもなく彼女の症状が再び始まり、あの公園での恐ろしい発作へとつながった。

 

‘It’s not your heart’ 「心臓が原因ではない」

 

 発作があった夜、Ryan さんは、自宅に戻ると自身の健康保険の時間外受付に連絡した。彼女と話をした医師は翌日の EKG と血液検査の予約を取った。

 彼女の EKG は正常と判定されたが、それまで熱心に自身の症状を調べていた Ryan さんは、心電図波形測定の一つである QT 時間が延長しているように思った。彼女が自身の記録を叔母に送ると、彼女は同意見であり Long QT syndrome(QT延長症候群)の可能性に対する懸念を示した。これは心調律の異常で、突然死を引き起こすことがある。

 叔母は姪に対してさらに、血管迷走神経失神は通常、強い情動反応によって引き起こされるが、それが身体運動と関連している場合には懸念があるということを伝えた。

 Ryanさんの内科医も心配し、心調律障害を専門とする electrophysiologist(電気生理学者)でもある心臓専門医の早期予約の日程を調整した。

 その受診までの間、Ryan さんは University of Pittsburgh Medical Center(ピッツバーグ大学メディカルセンター)の心臓病学の主任であり Heart and Vascular Institute(心血管研究所)の所長である Samir Saba(サミール・サバ)氏に連絡を取った。彼は彼女の両親のご近所さんだった。2022年1月下旬のビデオ面談で、この電気生理学者は Ryan さんの病歴と症状について詳細に質問した。彼は彼女に、心臓モニターを装着すること、すべての激しい運動を中止すること、そして QT 延長症候群の遺伝子検査を受けることを助言した。

 Saba氏はさらに stress MRI heart scan(負荷心筋 MRI 検査)を勧めた。これは(薬を用いて)運動に似た状況を作り意識消失に至る状態を再現する検査である。この検査では、負荷を行わないときには検出できない虚血や構造異常を見つけ出すことができる。

 「 Blackouts(意識消失)は非常に難しい病態です」と Saba 氏は言う。「その原因はきわめて良性のこともあれば非常に悪いものである可能性もあります」

 Saba 氏によると、彼女の症状の原因として考えられる疾病の一つに anomalous coronary artery(先天性冠動脈異常)があるという。これは全人口の約1%にみられる。そのような異常は胎生発達の早期に起こり、冠動脈が異常な部位に存在する結果となる。これらの異常は一般には危険ではないが、それによって心臓への血流が減少する可能性がある患者では、特に運動時において、意識消失、心筋梗塞、あるいは突然死が起こりうる。

 自身の意識消失についての Ryan さんの説明を聞いた Saba 氏は、血管迷走神経反射以上の何かが起こっていると考えた。「運動のピーク時に迷走神経反射が起こることはありません」と彼は言う。

 しかしその数日後にシアトルで受診した電気生理学者は異なる見方だった。彼は、不明確であるという理由から負荷MRI検査は彼女には必要ではないと考えた。代わりに彼から負荷心電図が勧められたため、2月上旬に行われた。その検査中、Ryan さんは胸部の絞扼感を経験し、その後トレッドミルを走っている間に意識を消失した;血圧と心拍数がともに急速に低下していた。看護師は蘇生チームに連絡し、CPR(心肺蘇生)を開始しようとしたが、治療を受けるまでにRyan さんはすぐに回復した。

 その心臓専門医は、彼女は post-exercise vasovagal syncope(運動後血管迷走神経失神)であると診断し、意識消失の原因となる血圧の低下を防止するために一日当たり10グラムの食塩を処方した上で、ランニングを再開できると Ryan さんに説明した。

 彼女がその医師に MRI検査と症状の説明を迫った時、彼は彼女に「原因は心臓ではない」と話したと彼女は言う。ゆっくりと走っているときでも Ryan さんには胸が絞めつけられる感じが続き、一方で食塩の内服は、むくみ、息切れ、そして不安をもたらした。

 Ryan さんはMRIが必要であると考え、3月上旬に Pittsburgh に飛んだ。彼女は自身の保険会社に、ネットワーク外での治療の支払いを最終的には納得させることができると考えていた。

 それは賢明な選択であった。MRI検査と続いて行われたCTによる血管造影で Saba 氏の疑っていたことが確認された。画像検査では Ryan さんが異常な部位から起始している右冠動脈の奇形を持って生まれていたことがわかった。大動脈と肺動脈の間で“高度の圧迫”がある証拠が存在し、冠動脈の開口部異常とともに運動時のピークの血流に制限を生じていた。

 血管迷走神経失神ではなく、これらの解剖学的要因が意識消失につながっていたわけだが、致死的となる可能性がある危険性の高い不整脈を引き起こすこともある。一方、Ryan さんには QT延長症候群はなかった;また彼女にWPW症候群があったか否かは不明確だった。公園での意識消失はおそらく aborted sudden cardiac death(心突然死からの生存)であった可能性が高い。

 推奨される治療は “unroofing” 手術(冠動脈起始部の大動脈壁を切開する方法)であった。この開心術には、血流を改善させ、圧迫を防止するために動脈開口部を正常な位置に修復する手技も含まれる。この手術の後、数ヶ月の心臓リハビリテーションが行われる;回復には一年あるいはそれ以上を要する。

 「私は非常にがっかりしました」そう Ryan さんは思い起こす。「うわぁ、私はどうしてまだこんなところにいるの?私は思っていたのととても違うところに向かっているのだわ」

 

Life after surgery 手術後の生活

 

 8月、彼女の健康保険者と数ヶ月間交渉し、最終的にMRI検査とネットワーク外の医療費の支払いについて合意が得られ、Ryan さんは Seattle にある University of Washington Medical Center(ワシントン大学メディカルセンター)で unroofing 手術を受けた。この3時間の手術は先天性心疾患の治療に熟達している2人の心胸外科医によって行われた(“心臓が原因ではない”と彼女に告げたあの心臓専門医を Ryan さんはもはや受診していない)。

 彼女の症状は改善しており、管理された条件下で運動することができるが、意識消失の再発はなく、心臓突然死の危険は排除されたようである。Ryan さんの回復は胸が絞めつけられる発作の状況で判断されているが、倦怠感はいまだに残っている。彼女が“new normal(新しい日常)”を確立するまでには3年を要すると言われているという。

 なぜ Ryan さんの心疾患がもっと早期に発見できなかったかについては定かではないと Saba 氏は言うが、潜在する心臓の欠陥の可能性が考慮されなかった事実が関係していると考えている。「これは心臓専門医であれば知っている病気です。重要なことはどの程度疑うかです」

 Ryan さんは Saba 氏にはその診断的知識の提供に対して、そして Seattle の医師らにはその外科的技術と彼女への支援に対して深く感謝しているという。

 彼女が自身の意識消失は正常なことだと断言していたことについて友人の何人かは疑いを持っていたという事実を、診断されて初めて彼女は知った。

 「私が自分の症状をもっと深刻に捉えておけば良かったのです」と Ryan さんは言う。「今にして思えばとても正気だったとは思えません」

 

 

 

冠動脈異常についての詳細は以下のサイトをご参照いただきたい。

日本小児循環器学会雑誌~先天性冠動脈異常の外科治療

 

心筋に血液を送る冠動脈の異常の発生率は1.3%程度とされている。

冠動脈は大動脈の基部にあるバルサルバ洞という少し膨らんだ部位から

左右一対ずつ出ている(下図参照)。

バイエル薬品HP(バイエルファーマナビ)より

 

この冠動脈が起始する部位やその走行に先天的な異常がみられる頻度は

0.6~1.55%と報告されている。

そのような冠動脈の異常では偶然発見され自覚症状を伴わないことも多いが、

なかには心筋梗塞、不整脈、心不全、突然死などの重篤な合併症を

引き起こす場合がある。

若年アスリートの死因の19%は冠動脈異常によるとの報告もある。

負荷心電図を行っても陰性のことが多く、疑った場合には必ず心エコー、

造影CTなどの冠動脈形態の検査を行う必要がある。

種々の冠動脈の異常の中でも、その危険性が特に臨床的に問題となるのは

①反対側バルサルバ洞からの冠動脈起始

②肺動脈からの冠動脈起始

③冠動静脈瘻

の3疾患である。

ここでは、①について述べる。

①では、左冠動脈が右のバルサルバ洞から起始するケース、

右冠動脈が左のバルサルバ洞から起始するケースがあるほか

左右冠動脈が単一の枝(単冠動脈)として起始する場合がある。

さらに起始後の動脈の走行にも様々なバリエーションがある。

その中で、心筋虚血症状や突然死などの危険性が特に高いものとして、

両大血管間(大動脈・主肺動脈間)を冠動脈が走行するケースが

挙げられている。

またこのなかには冠動脈が大動脈壁内を走行するものもある。

両大血管間走行症例で心筋虚血が発生するメカニズムとして、

両大血管間からの圧迫、器質的な狭窄の合併、

あるいは大動脈からの起始直後の急激な屈曲などが推察されている。

また、壁内走行を伴う症例では、壁内部分の内腔狭窄、

入口部のスリット状の狭窄、大動脈からの起始部の狭窄などが

虚血の原因となりうるとされている。

 

診断

運動時の胸痛、意識消失などがあれば本疾患の可能性を念頭におくが、

心電図や負荷心電図では必ずしも異常が確認されない。

冠動脈の画像診断(心エコー、血管造影、CT、MRI)を行う必要がある。

 

治療

治療は外科的に冠動脈再建術が行われるが、手術適応としては、

左冠動脈が大動脈・主肺動脈間を走行する場合は無症状でも手術。

右冠動脈が大動脈・主肺動脈間を走行する場合は症状のある場合に

手術を考慮するというのが一般的である。

前者では無症状の患者に手術を勧めることとなるが、

突然死の正確な死亡率は不明ながら、その危険性が低くないことを

患者に十分説明する必要がある。

手術法については解剖学的特徴に従った術式が選択される。

Unroofing は壁内走行例に対して行われ、壁内走行部分全体を

大動脈内腔に開放するものである。

Reimplantationは左右冠動脈口が別個に開口している場合、

冠動脈を周囲の壁ごと切り出して両大血管間を通らないような

位置に移植する方法である。

心筋梗塞などに対しよく行われる coronary artery bypass

grafting(CABG, 冠動脈バイパス手術)も行われるが

狭窄も虚血のない若年者の場合に対しては推奨度は低くなる。

 

頻度は低いとはいえ、若年アスリートの突然死の原因として

本疾患の可能性があることを忘れてはならない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繰り返す激しい腹痛・嘔吐・下痢の正体

2022-12-22 18:15:48 | 健康・病気

2022年最後のメディカル・ミステリーです。

 

12月17日付 Washington Post 電子版

 

 

Her crippling digestive problems were caused by a ‘zebra’ malady

彼女のひどい消化器系の症状は稀な疾患 (zebra) が原因だった

A primary care doctor’s commitment and the patient’s tenacity helped ferret out the cause of her distressing symptoms

一人のプライマリーケア医の関わりと患者としての執念が彼女の悩ましい症状の原因を探し出す力となった

 

By Sandra G. Boodman, 

 

(Cam Cottrill for The Washington Post)

 

 Julie Gellert(ジュリー・ゲラート)さんは正常に機能しない消化器系によってもたらされる苦痛に対処できるようになるまで 10年を費やしていた。彼女は、高度の腹痛、慢性の下痢、および繰り返す嘔吐を治療するために、手術を受け、注射に耐え、様々な薬を内服した。薬剤の中には米国では使用制限されているものもあった。

 しかし、3年前、Gellert さんは発作的な嘔吐が予測不可能となりアリゾナ州にある彼女のアパートに緊急時の “barf bags”(嘔吐袋)を用意しておかなければならなくなったとき、この症状はどこまで悪くなるのだろうかと思った。

 4人の胃腸専門医にかかり、最初彼女の症状は胃酸逆流に起因していると考えられたが、その後、食べた物の排出が極度に遅い疾患である胃不全麻痺が原因とみなされた。しかし長期にわたって、いかなる治療も Gellert さんからまともな生活を奪ってしまうほどの症状を制御できないようだった。

 2019年の終わり、特殊な検査が行われ、なかなか発見できなかった彼女の長期に及ぶ症状の原因が明らかになった。遅れた診断は辛い治療を要したが、それによって彼女の命が救われた可能性がある。Gellert さんは、その診断名を探し出すことができたのは、代わった新しいプライマリーケア医の関心と彼女自身の執念のおかげだと考えている。

 「もしそれらがなかったら、いまだにこの病気を抱えて生きていたことでしょう」現在58歳になる Gellert さんは言う。現在彼女の健康状態はかなり改善しているという。「悲しいことですが、運が良かったという一面もあったのです」

 

GERD (gastroesophageal reflux disease) surgery GERD(胃食道逆流症)の手術

 

 2010年、薬物治療に反応しない重症の胃酸逆流症に悩まされていた Gellert さんは食道の一部を強化して胃酸の逆流を防止する手術を受けた。その後すぐに彼女はひどい吐き気と頻回の下痢に見舞われ数回入院することになった。

 Phoenix(フェニックス、アリゾナ州州都)の胃腸専門医は、その原因がわからないと話したため、彼女は新たな専門医を受診した。二人目の胃腸専門医は、脳・消化器系間で信号を伝える迷走神経を外科医が誤って損傷したのではないかと考えていると説明した。その結果として起こるのが胃不全麻痺で、胃から小腸への食べ物の動きが遅くなってしまう。

 Gellert さんによると、下痢は通常、胃不全麻痺の徴候ではないことから、彼女が非定型的な症状を呈している可能性があるとその新たな医師が考えていたという。「それは私にはあまり納得のいくものではありませんでしたが、さしあたりその回答を受け入れました」そう彼女は思い起こす。

 彼女は別の病院の胃腸専門医に紹介されたが、その医師 Gellert さんが胃不全麻痺であることに同意見だった。同時期に彼女は食事療法士を受診、食餌変更を勧められたがそれによっていくらか症状が緩和した。

 その胃腸専門医は彼女に domperidone(ドンペリドン)の投与を始めるよう助言した。この薬剤は心停止や突然死と関連する可能性があるとの懸念から 2004年に米国市場から外されていた。(胃不全麻痺やその他の難治性の胃腸疾患を持つ一部の患者に対して限られた条件の下で投与可能となっている)

 Gellert さんは南太平洋の小さな国、Vanuatsu(バヌアツ)の会社からこの薬剤の注文を開始した。その医師の提案で、彼女は胸部皮下ポートと呼ばれる装置を埋め込む手術を受け、それによって吐き気止めの薬を静脈内に自己投与することが可能となった。彼女はまた下痢を治療する処方薬の内服も始めた。

 6ヶ月後、吐き気と嘔吐は顕著に減じたのでポートは除去された。しかし下痢は続いておりその原因は誰も説明できなかった。Gellert さんはそれから2、3年にわたって数回入院、その間医師らは原因を見つけようと努力したものの無駄に終わった。

 C. difficile(クロストリジウム・ディフィシル)という細菌による根絶困難な感染症に対する検査が繰り返し行われたが常に陰性だった。大腸内視鏡検査では異常は発見されず、深刻な胃腸疾患である Crohn’s disease(クローン病)は医師によって除外された。

 「私が受けた検査はすべて下痢の原因を説明できませんでした」と Gellert さんは言う。

 医師らは困惑したが、ありきたりの説明に落ち着いた。下痢は胃不全麻痺とは関連がないのが普通だが「あなたの場合、関連しているに違いありません」と告げられたことを彼女は思い起こす。

 

Pain that was ‘worse than labor’ 「分娩よりひどかった」痛み

 

 2015年、Gellert さんは胃不全麻痺に起因するひどい腹痛に襲われた;痛みはこの疾患ではよく見られる症状である。その時には彼女は自宅により近いところの4人目の胃腸専門医にかかっていた。彼は、domperidone を中止するよう助言し、消化の過程で開いたり閉じたりする胃の弁である幽門への Botox(ボトックス、ボツリヌス毒素)の注射を勧めていた。Botox は食べ物がより迅速に小腸に到達するのを可能にすると考えられている。広く用いられているものの有効性が疑問視されていることが記載されているこの治療法が有効かもしれないと彼は彼女に説明した。

 外来で行えるこの治療を受けるとすぐに彼女の具合は良くなったと Gellert さんは言う。しかし、その翌朝、彼女は“分娩よりひどい”激しい苦痛で目を覚ました。数日後、彼女の腹痛はかなり軽減したが下痢は持続した。Gellert さんは数ヶ月の間隔でさらに2回 Botox 治療を続けたが同じような結果だった。

 4人目の胃腸専門医は「非常に同情してくれて原因を解明するために懸命に努力してくれました」と Gellert さんは言う。画像検査で、彼女のGERD 手術が失敗に終わっていることがわかったため、彼は再手術を受けることを勧めたがその選択肢を Gellert さんはきっぱりと断った。「私はこう言いました。『再びそこに戻る人はいないでしょう』」

 そこから一つのサイクルが始まった。Gellert さんによると腹痛が耐えられなくなると医師の診療室に電話をし、physician assistants(PA、準医師資格者)の一人に診療予約をして助けを請うという繰り返しである。

 「私はこれにより消耗させられるのだと彼らに言い続けました」と彼女は思い起こす。彼女によると彼らの反応は徐々に冷たくなっていったという。彼女が大げさにいっていると彼らが考えているのは明らかなようだった。PAの一人は不機嫌に「私たちはできることのすべてをやっています」と言い、別の一人は痛みは胃不全麻痺で予測されるものだということを彼女に思い出させようとしたという。

 一定期間ごとに彼女にはX線検査やCTスキャンが行われたが、新たな有意義なものは何も発見できなかった。Gellert さんによると、どうにかこうにかやっており、雇用主が彼女の欠勤について理解してくれていたので安心できていたという。

 「実に辛かったです」オンラインの大学準講師として働いているシングルマザーの Gellert さんは言う。「非常に、非常に気分が悪く多くの時間をトイレで過ごしていました」

 2018年、医療保険の変更があり Gellert さんは新たな家庭医を受診することになった。彼女は彼が著しく親身になってくれる人物であると感じていた;彼は原因を見つけ出そうと固く心に決めていたようだった。彼は、彼女の繰り返す症状が、消化管の内側を侵す炎症病変であるdiverticulitis(憩室炎)を示唆しているのではないかと考えたが、それは除外された。Gellert さんによると、その頃には嘔吐が変化していたと言う。誘因は全くないようだった;時にはそれによって彼女は深い睡眠から目覚めることもあった。

 「それはあまりに急激でした。トイレに駆け込むこともできませんでした。そのため準備をしておく必要があったのです」と彼女は言う。それが彼女が barf bags を準備していた理由だった。

 Gellert さんはさらに新たな一見無関係に思われた症状に悩まされた。彼女は数年前に閉経していたが、原因不明の体熱感、顔面紅潮、および極度の倦怠感が出現した。2019年の終わり頃、彼女のプライマリケア医はさらにもう一度 CT スキャンを行った。

 今回の結果はこれまでと違っていた。

 

A zebra diagnosis 稀な疾患 (zebra) の診断

 

 そのCTスキャンで Gellert さんの膵臓に鉛筆の消しゴムより少し大きい 7mm 大の腫瘍が見つかった。感傷的な面談の中で、家庭医は、膵臓癌で最も多い致死率の高いタイプである adenocarcinoma(腺癌)ではなく、むしろ稀な pancreatic neuroendocrine tumor(pNET, 膵神経内分泌腫瘍)だと考えていることを伝えた。

 

アリゾナ州Mesa(メサ)市の Julie Gellert さんは原因が発見されるまで何年もの間ひどい腹痛に襲われていた。どうにかこうにかやっていたが、雇用主が彼女の欠勤について理解してくれていたので安心できていたとGellert さんは言う。(Family Photo)

 

 「私は本当にショックを受けました」と Gellert さんは言う。ドッと泣き出したことを覚えている。「私は癌かもしれないという思いが確かに頭をよぎっていました」と彼女は言うが、これまでほぼ5、6回行われた過去の検査でなぜ何も見つからなかったのか理解できなかった。(彼女はその後、悪性腫瘍の大きさと部位によって、標準的なCTスキャンでは発見が難しいと説明された)

 この pNETは膵臓のホルモン産生細胞に生じる腫瘍で、膵臓癌の約7%を占める;今年、およそ米国民 4,300がそのような腫瘍の診断を受ける見込みである。アップルの共同創業者である Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)や歌手の Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)が pNET で死亡している。両人とも診断から約8年生存していた。

 この腫瘍は一般的にゆっくりと増大し、急速に増大する傾向があり、通常転移した後に発見される腺癌に比べるとはるかに予後は良い。治療には手術が行われ、時に癌のステージに応じて化学療法やホルモン療法が追加される。ほとんどの pNET は非機能性(ホルモンを放出しない)だが、そのような腫瘍は発見されるまでに増大し、肝臓やリンパ節に転移している可能性があり治療のリスクが高くなり困難となる。

 Gallert さんのプライマリーケア医は彼女を腫瘍専門医に送り、dotatate(DOTA-octreotate, オクトレオ)スキャンと呼ばれる特殊な PET/CT(ペットCT)が施行され診断が確定した。

 「このスキャンは神経内分泌腫瘍にきわめて特異的です」と話すのは腫瘍専門医の Satya Das(サティヤ・ダース)氏である。彼はテネシー州ナッシュビルにある Vancerbilt University(ヴァンダービルト大学)付属 Ingram Cancer Center(イングラム癌センター)の神経内分泌腫瘍プログラムに所属しており、進行した消化器系癌の患者に対する治療を専門としている。「もしCTスキャンだけ行ったなら、それを見逃してしまいます」。医師らは Gellert さんの腫瘍は、一つには彼女に顔面紅潮と体熱感がみられたことから機能性ガストリノーマではないかと考えた。このような腫瘍は胃酸の産生に関与するホルモンであるガストリンを過剰に分泌する。

 症状の出現から pNET の診断までの平均期間は約7年だと Das 氏は言う。神経内分泌腫瘍は “zebras”(稀な疾患を指す医学隠語)でもあり、また“great imitators(模倣の名人)”(他の疾患と混同されやすい多彩な症状を呈する疾患:結核、梅毒、ビタミンB欠乏症などが代表)でもある。それは、それら腫瘍が引き起こす下痢等のいくつかの症状には他の多くの原因が存在するためだとこの腫瘍専門医は話す。

 「しばしば患者は、7~8年の間どこも悪いところはないと言われ、その後、癌転移と診断されます」と彼は言う。Gellert さんのケースでは特殊な PET スキャンが3~4年前に行われていれば診断につながっていたかもしれない。Das 氏によると、Gellert さんが2010年に手術を受けた重症の胃酸逆流症もこの癌によって引き起こされていた可能性があると考えているが、現在知ることはできない。

 「小さな腫瘍がしばしば恐ろしく衰弱させる症状を引き起こします」と Das 氏は言う。

 彼女の腫瘍専門医は2つの選択肢を提示したと Gellert さんは言う;癌を切除する手術か、もしくは、彼女の腫瘍が小さく手術は負担が大きいことから厳密な経過観察か、だった。Gellert さんは手術を選択した。

 2020年3月、彼女は distal pancreatectomy(膵体尾部切除術)を受けた。これは膵臓の尾部と体部を切除する手術である。Gellert さんは幸運を感じた:彼女の癌は最も予後良好な grade 1(グレード1)に分類されたからである;それは肝臓やリンパ節に転移していなかったのである。手術は必要なただ一つの治療法だった。ただし pNET は再発の可能性があるため Gellert さんは10年間観察される予定である。

 しかしその手術で彼女はほとんど死にかけていた。術後数日以内に Gellert さんに膵液漏出が生じ、腹部膿瘍、血栓症、および、高い死亡率の重篤な全身感染症である重症敗血症を引き起こした。回復まで6ヶ月かかったが、「何とか乗り越えました」と彼女は言う。

 手術前からその危険性を通告されていた膵機能不全も生じ、治療には生涯に渡って酵素補充薬が必要となったが Gellert さんの腹痛は消失した。下痢と嘔吐は時々みられたが管理可能であり、もはや彼女の生活を支配することはなかった。

 「私は以前に比べはるかに調子はいいです」と彼女は言う。

 Gellert さんによると彼女の小さな腫瘍がそれほどまでに彼女の体調を崩していたという事実は逆に恩恵だったと言う。なぜなら「それによって私は留意することを余儀なくされていたからです」癌が発見されるまで転移していなかったことは信じがたいほど幸運だったと彼女は感じているが、彼女がかかってきた医師たちには、難治性の症状が “zebra” の結果かもしれないことを考慮してほしかったと思っている。

 「私にできたことがもっとたくさんあったかはわかりません。私はかなり厳しく医師らに圧力をかけていたのですが」と彼女は言う。「問題の根本原因にたどり着くことを固く決意している医師を見つけることがまさに重要なのです」

 

 

記事中に出てくる “zebra” という用語については、

過去の拙ブログ記事をご参照いただきたい。

 

 

膵・消化管神経内分泌腫瘍については下記サイトを参照いただきたい。

 

国立がんセンター希少がんセンターのHP

慶應義塾大学医学部一般・消化器外科 肝胆膵・移植班HP

膵・消化管神経内分泌腫瘍診療ガイドライン2019年【第2版】

 

 

神経内分泌腫瘍(NET)とは、人体に広く分布する神経内分泌細胞を

起源とする腫瘍で、

発生学的な器官である、前腸(肺・気管支・胃・十二指腸・膵)、

中腸(小腸・虫垂・結腸右半)、および後腸(結腸左側・直腸)から発生する。

本邦では特に膵と直腸に多く小腸(中腸)には少ないとされているが

欧米では、消化管は小腸に多く直腸に少ないことから、

発生部位には人種差があると考えられている。

膵臓に発生する神経内分泌腫瘍(pNET)は記事中にあるように

いわゆる膵臓の腺癌と比較すると増殖速度は遅いが、

良性のものから悪性のものまでその悪性度は様々である。

 

WHO分類では、細胞増殖に関連するKi-67指数や

核分裂像の比率が基準として用いられている。

NETは高分化型の神経内分泌腫瘍(NET, neuroendocrine tumor)と

低分化型の神経内分泌癌(NEC, neuroendocrine cancer)に分類され、

前者はさらに悪性度(増殖性)の低い順から

NET-G1、NET-G2、NET-G3に、後者はNEC-G3に分けられている。

 

また、ホルモン産生症状を有する機能性(症候性)と

ホルモン産生症状のない非機能性(非症候性)にも分類される。

機能性NETでは産生するホルモンにより様々な症状が出現する。

ホルモン別の症状は以下の通り。

①インスリン:低血糖症状(ふらつき・冷や汗・意識消失)

②ガストリン:再発性の胃・十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、下痢

③グルカゴン:糖尿病、壊死性遊走性紅斑、体重減少、貧血

④ VIP(血管作動性腸管ペプチド):水様性下痢、低カリウム血症

⑤セロトニン:皮膚紅潮、下痢、喘息、心疾患

 

非機能性NETの場合には症状が出にくいため発見が遅れることが多く、

画像検査で偶然に診断されたり大きくなってから診断されることがある。

 

pNET の90%以上は孤発性に発生し遺伝性はないが、

多発性内分泌腫瘍症1型(multiple endocrine neoplasia type 1 : MEN1)、

フォンヒッペル・リンダウ病(von Hippel-Lindau disease:VHL)などの

遺伝性疾患に伴って発生する例もある。

 

診断

pNETの診断には腹部超音波検査、超音波内視鏡(EUS)、造影CT、

MRI検査などが用いられる

超音波内視鏡下穿刺吸引法(EUS-FNA)により組織を採取し

確定診断が行われる。

前述の高分化NET(NET-G1、NET-G2、一部のNET-G3)では

神経内分泌細胞に本来備わっているソマトスタチン受容体を

高頻度で発現していることから、

ソマトスタチンの類似物質であるペンテトレオチドに

診断用の放射性同位元素であるインジウム(111In)を標識した

放射性医薬品(商品名:オクトレオスキャン)を注射し、

撮影を行うことで、腫瘍が同定される(オクトレオスキャン)。

pNETが疑われるがCTなど既存の画像診断法では病巣を

確認できない場合に有効である。

また同検査でソマトスタチン受容体の発現の有無を調べることで、

後述するソマトスタチン受容体を用いた治療薬

(ソマトスタチンアナログ製剤やPRRTなど)の治療適応を

考慮する際にも用いられる。

 

治療

pNET治療の第一選択は外科的治療で膵切除(膵頭十二指腸切除、

膵体尾部切除、核出術、膵全摘)が行われ根治を望むことができる。

遠隔転移を有する場合(特に肝転移)でも外科的切除を

考慮する場合がある。

肝臓に転移した腫瘍をすべて切除できない場合には、

カテーテルで抗癌剤を動注し癌細胞を死滅させる

肝動脈化学塞栓術(TAD)や、針を用いて腫瘍を焼く

ラジオ波焼灼術(RFA)などの局所療法が行われる。

一方、オクトレオチド(消化管NETのみ適応)や

ランレオチド(膵・消化管NETに適応)などの

ソマトスタチンアナログ製剤の抗腫瘍効果が証明されており

保険適応となっている。

また分子標的薬としてエベロリムス、スニチニブや、

ニトロソウレア系抗腫瘍薬であるストレプトゾシンが使われている。

悪性度の高い腫瘍に対しては、肺小細胞癌の化学療法に準じて

エトポシド+シスプラチン(EP療法)や

イリノテカン+シスプラチン療法(IP療法)などが選択される。

ソマトスタチン受容体に親和性の高いペプチドに

放射性物質を結合した薬剤を注射し、

患者の体内から放射線照射する放射性核種標識ペプチド療法

(peptide receptor radionuclide therapy;PRRT)も

2021年以降行われるようになっている。

 

予後

これまで希少疾患と呼ばれていた腫瘍だが、近年増加傾向にあり、

また50歳代の比較的若い年代でも発症し転移を認めるケースがある。

膵消化管神経内分泌腫瘍の5年生存率は60~80%と報告されているが、

pNET では発見時には約半数例でリンパ節・肝転移が認められており、

遠隔転移があるケースでは5年生存率は39%と不良である。

診断がむずかしく健診でも見逃されて発見が遅れてしまうため、

決して予後が良いとはいえない腫瘍である。

まずはこの腫瘍が存在する可能性を疑うことが重要と思われる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする