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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

日本は格好のターゲット

2010-09-26 22:53:23 | 国際・政治

今回、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で
拘束した船長釈放の(恐らく政治的な)決断には
与野党から批判の声が上がっている。
確かに今後の同海域の領有権問題や
中国との外交に大きな影響を及ぼしかねない。
また識者の間では、他国からの世間体を
気にしている向きもある。
しかしながら、今の中国の反応は
相当異常であるというのが米国の見方のようなのだ。

9月25日付 newsweek.com より

China Butts Heads With Japan 中国、日本にいちゃもん

Senkakuislands

by Andrew Bast & Melinda Liu
 東アジアはかつてない経済成長に沸き返っているのかもしれないが、古くからの領土問題は悪化しつづけている。それを印象付ける最近のできごとが先週国連で見られた。中国の温家宝首相は、もし日本が中国漁船の船長を“迅速かつ無条件に”釈放しなければ日本は不測の“事態”を招くことになると暗に警告した。この船長と乗組員たちは、争点となっている無人の列島の沖合で日本の巡視艇に船を衝突させたとのことで9月7日に拘束されているのだ。
 周囲を大いに安堵させたことに、金曜日、日本はこの中国人船長を釈放すると発表した。しかし、東シナ海のこのトラブルは、中国で後継が確実視されている習近平氏を頭とする新しい世代の最高指導者らが2012年に権力を握るようになれば目にすることになるであろう事態の一端に過ぎない。最近の決着は従来のパターンに従っているが、これは次期グループが自身の権威を主張する中、現政権が旧来からの伝統を固めようとしているのである。両グループとも中国国民の国家主義的声に応えなければならないのだ。日本は本土にまつわる辛辣な歴史ゆえに最も軟弱な(そして安全な)ターゲットとなりがちだ。しかし、こうした移行が進めば、中国政府は通貨の切り上げや領土問題など、様々な問題で国際的な圧力にたじろぐことになると予測される。問題は中国政府がどこまで強気な態度をとるかということになる。

タイトルを『いちゃもんをつける』なんて
訳しちゃいけないのかもしれないが…
つまりは中国の政権内で強硬路線をとる
次期世代の最高指導者たちの
横暴が始まりつつあるという見方である。
というわけで、今回の問題を粛々と?引っ張っていても
そういう輩を相手にしていたのでは解決の余地は
いつまでも見出し得なかっただろう。
第3国的には中国の対応を異常と見ているのである。
船長釈放の判断は間違っていなかったにしても、
今回の決定が政治的判断であることを明確にし、
その上で尖閣諸島の領有権を厳格に
主張すべきだったのではないだろうか?

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“hibakusha" の願い

2010-08-11 23:36:52 | 国際・政治

広島、長崎の原爆の日は終わってしまったが、
今年はこれまでになく核廃絶への熱い思いを
感じた(のは MrK だけか…)。
広島には米国代表の初めてとなる参列もあり、
広島、長崎が米国民には如何に伝えられたのか、
そして核廃絶へのメッセージを米マスメディアは
いかに捉えるのか…
非常に興味深い問題であるため
長文であるが Washington Post 紙からお伝えする。

8月8日付 Washington Post 電子版

Abolishing nukes: flicker of hope to global cause 核兵器廃絶:世界的運動へのかすかな希望の光

Abolishingnukes

Brookings Institution を通じて国防省から提供されたこの最新の写真には B-61 核爆弾が示されている。米国備蓄核兵器の要であるこの兵器の破壊力はTNT火薬170,000トン相当(これはヒロシマ原爆の11倍の爆発力)までの様々なレベルに調整可能である。核兵器廃絶へ向けての運動が世界規模で広まっているが、これはBarack Obama 大統領の支持によって勇気づけられている。しかし“現実主義者たち”は、世界中で、より大きな安定と平和がまず実現されなければならないと主張する。

By CHARLES J. HANLEY
The Associated Press

広島、日本:65年前の激烈な瞬間から恐ろしい時代が始まったこの場所で、世界が核兵器に別れを告げる日を待つように、平和の火はまだ燃え続けている。
 そんな日が近づいてきているのかもしれないと信ずる人は多い。
 「暗いトンネルの中に光を見ました」と Emiko Okada さん 73才は言う。「“Yes, I can.” とオバマ大統領は言ったのです」
 1945年のヒロシマで生き残った彼女ら “hibakusha” (被爆者)にとって、核兵器廃絶は生涯の願いとなっていた。ヒロシマが決して放棄しなかった大義は、今また世界中に高まっている運動の大義ともなっている。ワシントンや他の首都にいる政治家によって受け入れられ、冷戦主義者にも支持され、ハリウッドにより宣伝され、億万長者から資金提供を受けている。
 多くの国々の一般人もまた『核兵器ゼロ』を望んでいることが、世論調査で示されている。
 しかし、それは達成可能なのだろうか?果たして核兵器を地球上から排除できるだろうか?人はさらに強力な兵器に手を伸ばすことをやめることができるだろうか?そして、もっと近いところでは、今回初めてとなった駐日大使の参列に続いて、ヒロシマの桜の木々、慰霊碑、そして言葉では言い表わせない記憶の中をアメリカの大統領が今年中についに歩くことになるのだろうか?
 「被爆者はこう言います。『私たちはどんどん歳をとってゆき、やがて死ぬでしょう』。彼らにとって核廃絶はただちに達成されるべき夢と言っていいでしょう」と、広島生まれで核の時代を研究しているKazumi Mizumoto(水本和実、53 才)さんは言う。「私には彼らの気持ちが理解できます。しかし気持ちは十分とは言えません」
 最も強い気持ちは義務感である。それは太田川の河畔にある埋葬塚にその遺骨が収められている数えきれない犠牲者に対するものである。1945年8月6日、眼下の無防備な都市に目をくらませるオレンジ色の閃光を浴びせ、この世のものとは思えない原子による破壊力を炸裂させた爆弾を米国の爆撃機が投下、一瞬のうちに生じた多くの黒こげの死体を抱え、満ち引きした川が太田川である。
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 この夏、米国の映画館では、ハリウッド映画 “Countdown to Zero” が、観客に認識を改め核兵器を根絶する考えを勧めている。もう一つのドキュメンタリー映画、 “Nuclear Tipping Point(核の転換点)” はDVD 5万枚が配布され、この4月には Barack Obama 大統領のために上映されたが、この中で米国の元国務長官 George P Shultz 氏は歴史における “きわめて危険な瞬間” を警告し、核兵器ゼロを訴えた。
 前者はインターネット通信販売会社 eBay の前社長 Jeff Skoll が資金提供しており、後者は Warren Buffett と Ted Turner の二人の億万長者から寄付を受けている組織、Nuclear Treat Initiative から資金を受けている。
 このような有力者による支持はこの運動の新たな影響力を増大させることになる。核の時代の惰性に取り組むにはそのようなことすべてが必要となるだろう。
 核の時代は最初はゆっくりと展開した。少なくとも14万人が死亡したヒロシマ原爆、その3日後、少なくとも8万人が死亡したナガサキ原爆の後、米国は第二次世界大戦における日本の降服を勝ちとり、1945年中には新たに3個だけ原爆を製造した。しかし、ソ連が最初の核実験を行った1949年までに、米国は235個を持つようになり、冷戦の敵対国の間で核兵器開発競争が始まった。
 いわゆる“核保有国”はその後の数十年間で拡大し、英国、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、そして恐らく北朝鮮にまで広がった。
 1986年のピーク時には、世界の核兵器の総備蓄量は70,000発以上となり、その96%は米国とソビエトの手にあったが、それらには航空爆弾やミサイルの弾頭だけでなく、核地雷、海軍の水中爆雷や砲弾も含まれ、TNT 火薬に換算すると地球上の人間一人当たり3トン分に相当する量までとなった。
 そのような年月を通じ、世界は方や1962年のキューバのミサイル危機から、公に発表されていない誤認警報や発射寸前の事態に至るまで、幾度となく壊滅的な核交換の危機的状況を経験した。
 ソ連が解体した1991年に冷戦の終結を迎えて初めて、長距離核ミサイルを削減する最初の条約とともに戦略兵器の “ビルドダウン” が始まった。しかし削減であって廃絶ではない。2007年時点では、貯蔵兵器としていまだ27,000発の原爆弾頭が保有されており、これはヒロシマ原爆150,000個以上に相当する。
 その年の1月、極めて重要な意見記事が Wall Street Journal に掲載された。これは元国務長官の Shultz 氏、Henry A Kissinger 氏、元米国国防長官のWilliam Perry 氏、そして元米国上院議員で Nuclear Threat Initiative の議長である Sam Nunn 氏による署名記事である。
 これら4人の年配の政治家は核廃絶を求めて二つの強力な提言を行った。冷戦型の核抑止力の考えは相当に時代遅れの概念であること。そして数千の武器や何トンもの兵器材料が存在しており、核テロ、事故、あるいは計算ミスなどの脅威が年々増大してきていることである。
 彼らのアピールは核廃絶論者に新たな希望を与えることになった。2008年、大統領候補者たちが核廃絶の目標を支持、さらに、ヨルダンの Noor女王や元米軍交渉委員の Richard Burt 氏が主導し、元ソ連大統領の Mikhail S Gorbachev 氏など大物の支持を受けた、新たな注目的運動 Global Zero(グローバル・ゼロ)が起こり、その勢いを増した。
 その後2009年4月、米国の新しい大統領とロシアの Dmitry Medvedev 大統領が共に “ゼロ” 目標を支持、さらにオバマ氏はチェコ共和国プラハでの歴史的演説で、米国は核兵器を使用した唯一の核保有国として行動しなくてはならないと宣言したが、これは米国の道義的責任に触れた希少な声明だった。
 今年4月までに、米国とロシアの首脳は両国の兵器を備蓄の数千発とともに、配備された弾頭を1,550へと一定レベルまで減じる新たな条約に調印している。現在この条約は米国上院の承認を待つところである。
 一方、核廃絶論者たちは自らの計画を展開してきている。
 かつての米国、ロシア、中国、およびその他の軍事や外交の指導者らからなるグローバル・ゼロの研究グループは、米国およびロシアが2018年までにそれぞれ弾頭を1,000発まで減らすよう取り決める段階的な措置を提唱している。一方、今後数年の間に、他の核武装国に対して継続中の米ロの削減量に応じてそれぞれの兵器を削減するため多国間協議へ参加するよう目論んでいる。
 また世界中の4,037都市を代表し、広島市の Tadatoshi Akiba(秋葉忠利)市長が代表を務める Mayors for Peace(平和市長会議)はさらに意欲的であり、2020年までの核廃絶を求めている。
 最もきめ細かい段階的な青写真が、日本政府とオーストラリア政府から資金提供を受けている International Commission on Nuclear Non-proliferation and Disarmament から出されている。昨年11月に発表された 300 ページの報告書は2025年までに世界の弾頭数をたかだか2,000発とする “最少化” と、それに続く不特定の期間のうちに兵器の廃絶を見越すものである。
 日本の元外務大臣である委員会の共同議長 Yoriko Kawaguchi(川口順子)氏は東京でのインタビューで、「廃絶の時期を決めるのは現実的ではないと思っています」と答えている。
 彼女は道半ばまでは頂上が見えない山登りに例え、そこでは、いかにして頂上にたどり着けばよいか最善の判断を下してゆくことこそ可能であるという。
 「簡単ではありませんが我々はそれを行わなくてはなりません。世界を変えなければならないでしょう」と、彼女は言う。「もしヒロシマに行かれれば、核兵器の残虐さがおわかりになるでしょう」
 しかし “現実主義者たち” はたちまち、米国の元国防長官の Harold Brown 氏が核兵器ゼロを “現実的に不可能” と見なしていることの方に異議を唱えている。
 彼らによれば、まず第一に、ロシア、中国、インド、パキスタン、そしてフランスは、それぞれの理由から兵器の放棄には抵抗するだろう。例えばロシアは米国の従来の軍備の絶大な優位性を懸念するのである。米国の核の傘に依存するドイツや日本のような国々は、米国に核兵器を廃棄する動きを見たならば、自らが装備する気にさせられるだろうとも主張する。
 前進できるかどうかは、明らかに、そのような国家主義的利害関係を克服する強い政治的意志やリーダーシップにかかっていると廃絶論者たちは反論する。
 「我々が学んだことの一つは、個々の利益を第一として進む限り、うまくいかないということです」と、2009年のAPのインタビューで Gorbachev 氏は述べた。もし米国とロシアが共に主導してゆけば、「次のステップが他の国々から生まれてくることでしょう」
 それでは嘘つきはどうなるのか?と、懐疑論者は問う。世界がゼロに向かうとしても、イランは核爆弾の製造を決めるのでは?
 「それは見当違いの議論です」と、Schultz 氏は昨年APに語った。もし、他のすべての国々が兵器を廃棄し、イランがそれらを保有する唯一の国家として浮かび上がれば、「それを支持する国はなくなるでしょう」と、彼は言う。
 極秘の爆弾製造計画を発見することや弾頭の撤去を検証することに関して、大気のサンプリング、衛星画像、地震監視、その他の手段を用いるなど、検証の科学は高い信頼性が得られる状態へと進歩していると支持者らは言う。さらに国連の核監視機関である International Atomic Energy Agency (IAEA)は立ち入り査察の強い権限が与えられなければならないと、彼らは言う。
 一体核のない世界を実践しようとするのは誰になるのだろうか?最高権威であるはずの安全保障理事会は、5つの常任理事国、すなわち主たる核保有国の一つが拒否権を行使すれば、しばしば無力化してしまう。
 元国連軍縮担当事務次長の Nobuyasu Abe(阿部信康)氏は、核禁止のもとで、是認できない核の “突発”ケースにおいてはこの5ヶ国は拒否権を行使しないことに同意するよう提言する。
 「もし他のどこかの国が核兵器を手に入れようとしていたなら、その時点で5ヶ国はそれに対して強い措置を施すことに同意するでしょう」と、東京で Abe 氏は言う。
 経済的あるいは政治的孤立に加えて、 “強い措置” として、残っている核のオプションに訴えるという別の強力な手段をとる可能性がある。それには突発した核の脅威に対抗するために核兵器を迅速に再構築する能力が求められる。その意味で、国家の統制の下であれ、国際的機関の統制下であれ、核兵器は消えゆくものであっても決して忘れられることはないだろう。
 最後に、最大の障壁は、世界をピリピリさせ国々に核兵器を製造させ続けてしまう地域紛争であると、“核兵器ゼロ” の推進派も、批判派も共に言う。例えば、カシミール地方をめぐるインドとパキスタン、アラブとの関係で孤立状態にあるイスラエル、米国・北朝鮮およびイランの間の敵対関係、中国・台湾間の閉塞した関係などである。
 そのような危機を緩和することが何よりも優先されるべきだと多くの人たちは言う。
 「軍備縮小は重要です、しかしより安全な世界がもっと重要なのです」と、軍縮外交のベテラン、フランスの Eric Danon 氏は言う。
 一方、核廃絶論者は、核兵器排除への確実な前進と高まる要求はそれ自身、世界をこういった議論の解決の方向に動かすのに役立つだろうと期待している。
 「必ず世界が十分に安定するとは思えません」と Kawaguchi 氏は認める。「だからこそ一歩一歩進まなければならないのです」
 彼らはまた、世界が十分に認識できているかどうかについて確信を持てないでいる。
 「恐らくヒロシマやナガサキの写真を見たことのない世代が存在します」と Queen Noor はAPに対して語った。「そのためにこれがどんなものか現実味を全く感じていないのです」
 65年しか経っていないのに、その真実が非現実的に思われてしまう可能性がある。
 1945年8月6日、午前8時15分、島病院の 600m(2,000フィート)上空で原爆が炸裂したとき、その光線はヒロシマの中心に浴びせられ、その熱は摂氏3,000度(華氏 5,400度)以上に達した。これは鉄を溶かすのに必要な熱の2倍である。
 爆風は秒速440m(時速約1,000マイル)に達し、その威力はカテゴリー5のハリケーン5個分に相当する。
 死と破壊は一瞬に訪れた。木々や、木造の家、人々は突然灰となり、全方向に2km(1.2 マイル)にわたって焼け焦げ何もない平原が残った。
 「まさに灰色の廃墟の地でした」と、Keijiro Matsushima さん 81 才は思い出す。彼は最も被害の大きかった区域外の倒壊した学校にいて生き延びた。
 その日ずっと、燃え盛るヒロシマの中心から “幽霊の行列” がゆっくりと現れた。それは燻製あるいは網焼きの豚のように火傷を負った人々で、顔面はすべて焼けただれ腫れあがっており、皮膚はほとんど剥げ落ちていて、数時間で死ぬ運命にあった。他の多くの人たちも放射線障害でその後数週間のうちに死んでいった。
 「私は世界のもっともっと多くの人たちに核兵器の恐ろしい現実について知ってもらいたいのです」と Matsushima さんは言う。彼は高校の英語の教師を退職後、教育者の核廃絶推進団体を指導している。
 Robert "Bo" Jacobs さんは平和記念公園の中でアメリカ人の訪問者を案内し、心の痛む記念碑のある空間や核兵器がなくなる時まで消されることのない平和の灯を通り過ぎる時、彼らにその現実感を持ってもらおうとしている。
 中心となる資料館では1945年のあまりの惨状に “ほとんどの人が愕然とする”、と Jacobs さんは言う。彼は広島平和研究所で研究者・著作者をしているアメリカ人である。しかし今日の核融合兵器の威力の前にはヒロシマ原爆も霞んでしまうと、彼らに説明している。
 「誰も実際にその破壊力を把握することはできないと思います」と彼は言う。
 自身の指揮下にヒロシマの数千発分の兵器を保持しながら、そのことを理解し始めている可能性のある人物、それがアメリカの大統領である。
 昨年11月、日本人のインタビュアーに対して Obama 氏は、ヒロシマとナガサキを訪問できれば光栄であると述べた。彼にはそのチャンスがある:毎年行われるアジア太平洋サミットが今年11月13、14日に日本の横浜で開催される予定だが、同時期にノーベル平和賞の受賞者が、飛行機で1時間のヒロシマに集まる。Obama 氏には両方の会合に出る資格がある。
 一方、駐日大使の John Roos 氏は金曜日に行われたヒロシマの記念式典に参加したが、これは米国の公式参加としては初めてのことであり、ワシントンがヒロシマの犠牲者たちを追悼する役割に対する心構えができていたというメッセージである。「私たちは核兵器のない世界を実現するために一緒に努力し続けなければなりません」金曜日に発表された声明で Roos 氏はこう述べた。
 被爆者にとって、オバマ氏は「“オバマジョリティ”という核廃絶運動のリーダーなのです」と、長期に日本に在住し、同市の平和公園と資料館の財団法人の理事長であるアメリカ人 Steven L Leeper 氏は言う。
 「11月は彼が驚くべき何かを行うチャンスなのです」と Leeper 氏は言う。
 しかし、Obama 氏の訪問によって米国に政治的反動をもたらす可能性があることを被爆者たちは知っている。「彼がヒロシマを訪れることを決意するのは簡単ではないでしょう」と、Okada さんは言う。
 彼らはまた、最終目標である核兵器の廃絶を達成することが容易ではないことも理解している。
 「結局、それぞれの国が自己中心的なのです。自分自身を守りたいと思っているのです」と Matsushita 氏は言う。“現実主義者のようで” ありながら、「核廃絶について心を砕いてきました」とその年老いた教師は言う。「そしてそれはきわめて困難なことだという結論に達したのです」
 静かな緑に包まれ、訪れた学童たちが走り回っている広島の平和公園は三角州の中心に広がっている。そこは65年前のあの日、半狂乱となり混乱した親たちが、建物疎開の手伝いで市の中心に連れてこられた数千人の子供たちをむなしく探し回っていた場所である。
 そしてその後、やけどを負い、体調を崩し、茫然自失となったヒロシマの生存者が火葬用の薪の上に身元のわからない遺骸を何日も積み重ねた場所である。そして太陽の表面と同じくらいの温度のあの朝の灼熱の中、12才だった Okada さんの妹がいなくなった場所だ。
 生涯の後半を迎え、今は孫もいる物静かで落ち着いたこの女性はあの日を振り返る。
 「私たちは自分たちの地球を守らなければなりません。そうすれば、私たちの子供や孫があのような目に遭うことは決してなくなるでしょう」と、彼女は言う。
 そして彼女は前を向いた。
 「多分私が生きているうちに核兵器がなくなることはないでしょう。それでも決してあきらめるわけにはいきません」と、彼女は言う。

今年の広島の記念式典に
はじめてアメリカ代表として参列したルース駐日大使は
式典後逃げるように会場を後にした。
個人の信念はどうあれ、
米国代表としてむずかしい立場に置かれていたことは
想像に難くない。
それでも米国が式典に参加したことは大きな進歩であり
こうして Washinton Post 紙にも
大きく(ご覧のように長文で)取り上げられていた
(一部日本のマスコミによると、米紙にはほとんど
報道されなかったということだったが…)。
この上さらに、今年11月、オバマ大統領が
実際にヒロシマの地を訪れるということになれば、
核廃絶に向かうきわめて大きな一歩となるだろう。
実際に原爆資料館に出かけ、
悲惨な写真や遺品を目の当たりにし、
詳細な説明文を読むと
誰しもが大きな衝撃を受ける。
それでも、実際にあったことの何分の1が
理解できるだろうかとも思う。
しかし、一度も資料を見たことのない人の理解は
さらにその何千分の一なのかもしれない。
少しでも多くの人たちが、
核兵器の脅威を見て知りさらに人に伝えることが、
今この時代には欠かせないことであり、
それが hibakusha の願いでもあると思うのだ。

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捕鯨戦争の大義名分とは?

2010-03-23 22:27:02 | 国際・政治

今回のワシントン条約締結国会議、
地中海・大西洋産クロマグロ国際取引禁止案が
反対多数で否決された。
採決に至るまで相当に日本が暗躍?したおかげか、
予想外の大差での否決だった。
クロマグロが日本にとって重要な寿司や刺身の
ネタであることはよく知られているのかもしれないが、
モナコを始めとする禁輸賛成国は
日本に対して一層悪いイメージを持ったに違いない。
一方、調査捕鯨の名目で、
依然クジラの大量捕獲を続けている日本。
なぜ多くの反対を押し切ってまで、
日本は捕鯨を続けようとしているのか。
海外メディアも理解に苦しんでいるようである。
今回のクロマグロ禁輸案採決の前に書かれた
記事のようであるが紹介する。

3月13日付 Time.com

Why Japan Keeps Fighting the Whale Wars   日本はなぜ捕鯨戦争を続けるのか?
By BRYAN WALSH

Whalesashimi

日本、千葉県南房総の和田港近くの料理屋で出されるクジラの刺身

 日本のイルカ漁についての隠し撮りドキュメンタリー映画 『The Cove』 の制作チームがドキュメンタリー部門のオスカーを受賞するため先週ロサンゼルスを訪れた際、別の内密の調査を支援するため一行は寄り道をした―今度は Santa Monica の寿司レストランである。
 連邦当局者とともに、このチームのメンバーは “the Hump” というレストランが海洋哺乳類保護条例に違反して密かにクジラの肉を出していた証拠をつかんだ。事実を突き付けられた同レストランはクジラを出した責任を認め20万ドルに及ぶ罰金を支払うことになっている。この件を担当している米国連邦検事の Andre Birotte Jr 氏は New York Times に対して、「レストランに行って、絶滅危惧種の料理を注文できるようなことは決して許されることではない」と述べた。
 このことからある疑問が浮上する。一体クジラの肉を食べようとする人間は誰か?
 一人挙げてみることができる。それは私だ。
皆さんには、すかさずインターネットで大量の抗議メールを送りつけたり、あるいは近くの連邦検事に連絡をとろうとする前に、私がクジラを食べたのは取材の一環として一度限りのことであったことをご理解いただきたい。しかも、それは、クジラを食べることが合法であるのみならず、しばしば国民の権利とさえ考えられている日本でのことだ。(日本は捕鯨禁止を容認しない唯一の国というわけではないが、あらゆる有効な手段でもってクジラを追いかけようとする唯一の国である。)
 2005年6月、私は東京の国会内で日本捕鯨協会によって開催された年に一度のクジラ試食会に参加した。日本国中から参加したレストランがそれぞれの最高のクジラ料理(クジラの寿司、クジラの刺身、クラッカーに載せたクジラ、クジラの缶詰、クジラの入った大阪ラーメンなど)を黒スーツを着た国会議員たちに供した。議員らはテーブルからテーブルを渡り歩くのである。
 そういうわけで、私も試食しなければならなかった。クジラ試食会を取材するには、クジラを食べる必要がある。倫理性はさておき、クジラの肉が美味しくないことは間違いない。寿司や刺身としては、脂身が多くて硬く、味も淡泊で脂っぽい。ちょうど長く置き過ぎたサケのような感じだ。ただ一つの例外はクジラのラーメン料理だったが、そのおいしさはクジラ肉のおかげというより、麺と香辛料の効いたスープによるものだったと言えそうだ。全般的に、その体験からは、人がクジラを『美味な食材』と言うならば、その場に真顔でいられることはむずかしいように思われた。はっきり言ってそれは潜水艦から出た残飯を食べている感じだった。
 実際には日本国内でもクジラはそれほど人気があるわけではない。何世紀にもわたってクジラを捕ってきた海辺の町はあったが、第2次世界大戦前まで日常的にクジラを食べていた日本人は比較的少なかった。それが始まったのは戦後からである。何がそうさせたのか?米国の日本占領軍司令官、Douglas MacArthur 元帥のせいである。彼は、クジラの肉が貧困に陥った国民の安価なたんぱく源となると考え、近代的な日本の捕鯨産業を効果的に立ち上げた。当時の日本の学童世代は、昼の弁当箱にクジラが入っているのが当たり前のようにして育ったのだ。
 しかし、日本が貧困国と考えられたころから数十年が過ぎ、日本人の95%はクジラの肉をめったに食べないか全く食べないということが2008年の調査でわかっている。日本の捕鯨船を所有する水産会社はその漁獲量から年間一人当たりの消費量は刺身4スライス以下であると試算している。もし、国際的禁止令の下、 “調査捕鯨” として現在きわめて小規模に許可されている日本の捕鯨が明日終わることになったとしても、大阪の平均的サラリーマンはほとんど気にかけることはないだろう。
 しかし、依然捕鯨戦争は続いており、さらに悪化しているようにすら見える。1月、外洋での日本の捕鯨を妨害しようとしている団体 Sea Shepherd Conservation Society 所属の船が日本の捕鯨船と衝突しひどく損傷した。3月12日、東京の海上保安庁は、2月に許可なく捕鯨船に乗り込もうとしたとして Sea Shepherd のメンバーである Peter Bethune の身柄を拘束した。それでも、人気の高い動物チャンネル Animal Planet のリアリティー番組 Whale Wars [クジラ戦争] の主役だった Sea Shepherd に引きさがる気配はみられない。「我々がクジラを救おうとすることは誰にも止めることはできない」と Sea Shepherd の船上で甲板員の Laurens de Groot 氏は言う。「我々は立ち止まるつもりはない」
 しかし日本も引き下がらない。日本人は、心の底で懸念を抱いている別の問題の肩代わりとして捕鯨の権利を守ろうとしているのかもしれない。すなわち、寿司の人気ネタであるところのクロマグロ漁問題である。この魚種については全世界の捕獲量の約80%を日本人が消費している。この魚は捕獲によって絶滅の危険にあると多くの科学者が考えている。もし日本が捕鯨に関して後に退かず、議論を空転させることで、クロマグロの制限についても討議の俎上に載せないとの日本の考えを示すことになる。
 そのようなメッセージが果たして通用するだろうか?3月13日に Doha で始まっている絶滅危惧種の国際取引に関する条約会議(ワシントン条約締結国会議)で、EUと米国はクロマグロの国際取引禁止案を強く求める予定だ。日本はすでにこの禁止案に反対することを表明しているが、日本政府は困難な戦いに直面している。「禁止案はこの魚種の絶滅を阻止する唯一の可能性なのです」と、世界自然保護基金の大西洋クロマグロ専門家の Sergei Tudela 氏は言う。
 しかし、捕鯨に関して言えば日本にとっては単に漁業政策や食文化の問題以上のものがある。たとえクジラの刺身盛を食べようとする日本人がほとんどいないとしても、国際社会は日本に対して強制的に捕鯨を止めさせることができるのだという考えに対して日本は感情的に抵抗する。第2次世界大戦後、ほぼ間違いなく完全な自主統治を取り戻せていない国―その憲法は強力にその軍備を制限しており、米軍はいまだに日本のいたるところに駐留している―は世界からああしろこうしろと指図されることにうんざりしていてもおかしくない。2005年のそのクジラ祭の際、ある日本人シェフが私に次のように言った。「もし他の国の人たちがクジラを食べたくないのなら、それはそれで構いません。しかし、私たちがしたいと思うことをするのは許されるべきです」 国家の威信という付け合わせがあれば、脂肪の多い料理でも、大いに喉を通りやすくなるということか。

日本人が他国に指図されたくない云々の発想は
米国人の勝手な思い込みであって、
恐らく多くの日本人はそんなこと思っていない
(ただし政治家は別…)。
日本国内向けニュースでは、ここ数年
シー・シェパードの悪行三昧が報道され、
その活動に対して強い非難の声が上がっているが、
日本国民はどちらかというと
冷ややかにこれを聞き流してると思うし
そういった類の発言によって扇動され、
過剰にナショナリズムを掻き立てられることには
決してなっていない。
というのも、
実際、めったに食べることのないクジラを
過激な妨害行為を受けてまで
日本が捕り続ける理由が、日本国民には
ほとんんど理解できていないからだろう。
なぜ捕鯨を続けるのか?
国はその理由を明確に国民に示すべきでは
ないだろうか。

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対等な関係?

2010-01-13 23:20:35 | 国際・政治

12日ハワイで行われた日米外相会談。
日本ではあまり大きく取り上げられなかったし、
楽観的な見方は依然としてされていない。

1月13日付 asahi.com (ウェブ魚拓)

一方、米国メディアの捉え方は違っている。
米国側がずいぶん民主党政権に対して
理解を示しているように伝えられているのだ。

1月13日付 Washing Post 電子版

In shift in tone for U.S., Clinton plays down fight over Marine base in Japan
米国側の論調が変化、クリントン氏は日本の海兵隊基地問題で矛を収める

Hillaryrodhamclinton

By John Pomfret
ホノルル発― Hillary Rodham Clinton 国務長官は火曜日、オバマ政権は、沖縄の海兵隊航空基地の行方をめぐる論争で米日同盟の根幹が揺るがされることはないと述べた。彼女のコメントは当地での日本側代表、岡田克也氏との会談の後に出されたもので、同政権の論調の変化を強調したものとなった。これまでの同政権は新しい日本政府に対して、基地再編案に対する反対を取り下げるよう、また海兵隊普天間基地の島内の他の地区への移転に圧力をかけてきていた。
 それが一転、クリントン氏は同施設の処遇に対する最終決定を5月まで延期することとした日本側の最近の決断を『尊重する』と述べた。
 「これは我々が極めて重要視している問題です」と、 Clinton 氏は記者会見で語った。「我々は今直面している多くの世界的な他の課題にも取り組んでいるところであり、今後もそれを続けてゆくでしょう」
 沖縄の多くの住民は同島の米軍の駐留に反対しており、日本の新しい政府は再編計画に対して反対姿勢も含めた政策基盤を進めてきた。
 アメリカ、日本両国は普天間問題をめぐる争いには重点を置かず、両国の関係のプラス面を強調しようと努力している。月曜日夜のインタビューで岡田氏は、8月に民主党が圧勝して政権に就き50年間以上ほとんど途切れることのなかった自由民主党による支配を終わらせて以降、民主党政府高官として、同盟の重要性に関して最も明確な宣言を行った。
 日米同盟が30年、50年、あるいはもっと長く続くことを期待していると述べ、日本の新政権が米国との古くからの親密な関係から脱却したがっているのではというワシントン内部の憶測を否定しようとした。
 クリントン氏が “十分な時間をかけた包括的な内容だった” とした Clinton、岡田両氏の会談が行われた火曜日もこの論調が続いた。この会談では、復興民生支援として日本が50億ドルの拠出を約束したアフガニスタン問題、イランの核開発の問題、北朝鮮の核兵器計画の問題、世界温暖化問題、米国が軍事政権と提携する政策を最近選択したビルマ問題などに触れた。
 「この協調関係は強固なだけでなく、絶対に必要なものなのです」と、Clinton氏は述べた。
 肯定を強調する双方の動きは航空基地を巡る摩擦から数ヵ月後に訪れた。専門家たちは、たかだかヘリコプター40機の基地の処遇によって両国の関係がハイジャックされたとして両国を批判してきた。アジア各国の首脳はそのような状況に警戒感を表明し、米国と日本に対し早急に問題を解決するよう要請した。また両国の意見の不一致は、米国債、米連邦準備銀行、および日本の中央銀行の間の連携に影響を及ぼしかねないとの懸念を外国為替市場における投機筋は示していた。
 今回の新たな論調はまた、復調した中国がアジアを再構築し、貿易協定を締結し、海洋資源に対する権利を主張しようとしている今この時期に、両国にとって重要な同盟関係が基地問題によって左右されることは許されないという認識が、ワシントンと東京で高まりつつあることにも起因している。
 高まる中国の影響力を示すできごととして、同国が新しい対ミサイルシステムの実験を行ったと、国営中国報道機関が火曜日に伝えた。この実験は、PAC-3 対ミサイルシステム一式を台湾に売却せんとする最近の米国の決定に対する不快感を示す意図から行われたと推測する専門家もいたが、Clinton 氏はそれは事実ではないと考えていると述べた。
 日本に対する好意的な論調への変化の3番目の理由は火曜日にクリントン氏がもう一つの政策変換を表明した East-West Center で行われたスピーチによって浮き彫りになった。米国は Association for Southeast Asian Nations (ASEAN) などアジアの多くの地域組織と密接に連動する方向に尽力することを表明した。これは Bush 政権では軽視されていたことである。
 鳩山由紀夫総理大臣が率いる日本政府は先月末にオバマ政権に対して、普天間基地の代替地の決定には5月までかかる旨を伝えた。米軍は沖縄への海兵隊駐留を、日本を防衛するだけでなく、朝鮮半島における戦時において連合軍を補給する上で、その地理的戦略の生命線であると考えている。
 鳩山氏の決断はワシントンにおいて―さらにアジア太平洋地域全体でも―ワシントンと距離を置く口実として普天間問題を利用しようとしているのではないかとの不安を煽ることとなった。
 しかし、火曜日、Clinton 氏は理解を示したように思われた。
 「我々は日本政府がたどろうとする過程を尊重します」と、彼女は述べた。「また我々は、同政府が取り組まなければならないいくつかの新たな困難な問題についても理解しています」、それには、沖縄における米軍駐留に対する日本国内に広まっている反対意見も含まれているのだろう。

最初からアメリカが怒っていたのかどうか
かなり疑問だ。
相変わらず会談ではクリントン国務長官に対して、
岡田外相が『民主党を信じてください』と
繰り返したのではないだろうか。
ま、民主党には日米同盟を破棄しようなんて考えは
最初から毛頭ないわけだから、そこんとこ
しっかり理解してもらって…
てか、ようやくかなりわかってもらえるようになったのかも
しれない。
で、今回もまた、やっぱり、アメリカは大人、
日本はわがままな子供、のイメージが拭えないようで…(涙)

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来てみんさい、広島に

2009-11-17 17:55:29 | 国際・政治

わずか23時間の滞在となった今回の
オバマ大統領の日本訪問。
14日に行われた大統領来日演説では
日本を持ち上げ、
自らを『太平洋大統領』と名乗るなど
オバマ氏らしさ満点の内容だった。
しかし、
プラハ演説で示した核兵器廃絶への
オバマ氏の気込みを感じた人たちは
今回、被爆国での演説ということから、
強烈なアピールを期待していたことだろう。
そんな人たちからしてみたら
大きく肩すかしを食らわされた感じだったに違いない。
今回の来日では被爆地には見向きもされず、
訪問は今後も当分は見果てぬ夢となりそうだが、
いつの日か、訪問が実現することとなれば、
それはそれで、果たして
どういう意味を持つことになるというのだろうか?

来日前の記事であるが
11月12日付 Washington Post 電子版から

Hiroshima: The dreaded invitation 広島から:恐ろしげな招待状
Obama declines offer to visit the bombed city on his first trip to East Asia オバマ大統領は初めてとなる東アジアへの外遊では被爆都市訪問の申し入れを辞退
By Blaine Harden

Hiroshima

日本の学童は広島にある平和資料館を訪れる。オバマ大統領もいつかは訪れるかもしれないが、少なくとも今回の外遊では実現しない。

HIROSHIMA, JAPAN?金曜日のオバマ大統領の日本訪問に際して、やっかいな招待状が彼を待ち受ける。それは、これまで在職中の米国大統領が一度も受け入れてこなかったものであり、今回日本でのオバマ氏の過密スケジュールから調整不能なものである。
 しかし、多くの日本人は今年に入りずっとこの招待状について話題にしており、ずっとオープンにされたままである。それは米国の原子爆弾が64年前に広島と長崎で何をしたのかを見に来てほしいというものだ。
 オバマ氏―『核兵器のない世界』についての感動的なスピーチを行った人物、そして、思いがけない2009年のノーベル平和賞の受賞者―なら、過去を断ち切って、唯一米国が人間に対して落とした兵器によって壊滅した都市を訪問してくれるのではないかという期待が日本国中に高まった。
 「済んだことは仕方がありません」と、広島で生まれ、地元の大学に通っている、Haruna Udo さん(19才)は言う。「謝罪は必要ありません。しかし、もし原爆の仕業をオバマ氏が見ていないのなら、ここに来て見るべきです」

Uneasy relationship 不安定な関係
 オバマ氏は大統領として初の東アジア外遊の最初の訪問地となる東京には24時間足らずの滞在となる予定だ。そして、『今回』はこの招待を受けることはできないと述べた。しかし、火曜日に日本で(NHKで)放送されたテレビ・インタビューでは、自分の任期中にいつか、それらの都市を訪問する機会が持てたら光栄に思う、とオバマ氏は述べた。
 大統領の広島、長崎訪問の可能性に対する日本の関心の強さは、アジアで米国と最も親密な同盟国・日本と米国の二国間関係における高まりつつある緊張と、一方で揺るぎない強さを表すものである。
 オバマ氏は日本では高い評価を受けており、7月に行われた Pew Research Center の調査によれば、国際問題で彼が正しいことを行うと85%の人たちが信じているという。一年前、ジョージ・ブッシュ大統領に対して同様の信頼を持っていた人は世論調査対象者の25%に過ぎなかった。
 しかしながら、米国自体はそれほど信用されていない。Pew によって当地で調査された人たちの3分の2以上が、米国の経済的影響力が日本に対して好ましくないと述べており、昨秋の日本の米国向け輸出の突然の急落によってこの輸出依存の国が半世紀以上で最も深刻な経済的苦境に陥ることになった経緯を反映していると思われる。
 新しく選出された鳩山由紀夫総理大臣は、公式にはオバマ氏称賛を明言しているものの、戦時の際、国を守ってもらうという条約で縛られた、彼が表現しているところの “いささか受け身的な” 米国との関係から抜け出そうとしている。
 そのため、アフガニスタンにおける米国主導の多国籍軍を支援する軍艦への燃料補給というインド洋における8年間の任務をやがて終わらせる予定だ。また日本国内のアメリカ海兵隊航空基地の移設と8,000人の海兵隊員の日本からグアムへの移動を含む260億ドルの軍事案を再開しようとしている。米国と日本は2006年にこの協定に合意しており、その一部について再交渉を申し出ている鳩山氏に対してオバマ政権は苛立ちを見せている。
 この未解決の問題は、日米同盟の重大な障壁となっており、東京でのオバマ氏の発言が注目されるのは確かだ。

Ground zero 爆心地
 そういった会談の中で公式協議議題として取り上げられそうにないのがオバマ氏に対する広島と長崎への招待だ。それでも、この訪問のわずかな可能性が、新聞の社説、教室での討論、あるいは夕食時の議論に油を注ぐこととなっている。オバマ氏のノーベル賞がまさに投機の賭け金を上げているような状態だ。
 「過去のノーベル平和賞の受賞者たちの多くがグラウンド・ゼロ(爆心地)を訪れている」東京から約530マイル南西にある広島市に本社を置く中国新聞の社説の記事だ。「我々は彼自身がその場所に行ってその目で見ることによって、核のない世界を求める意欲を新たにすることを彼に求める」
 多くの日本人の目から見れば、『アメリカが核兵器のない世界の平和と安全を求める』ことを誓ったプラハでのオバマ氏の4月のスピーチの方がより重要であった。このスピーチの中で、オバマ氏は、アメリカには『その役割を果たす道義的責任がある』、なぜならアメリカは核兵器を使用した唯一の核保有国であるからだ、と述べた。
 そういった発言が、広島の地では、当時20才で爆心地から半マイルの地点で被爆した Sunao Tsuboi 氏ほか、生存被爆者を驚かせるとともに喜ばせた。爆弾からの熱線は彼の顔面、背中や両腕の皮膚を焼いた。その後、彼は前立腺がん、大腸がんや輸血を要するほどの慢性の貧血を患った。
 「こういった核兵器に対するオバマ氏の姿勢は私たちに非常に近い」と、Tsuboi 氏は言う。彼は現在84才で被爆者団体のリーダーを務めている。「原爆被爆者はもうあまり長く生きられないでしょう。オバマ氏はそのことをわかっています。彼に立ち寄っていただけることを強く期待しています」
 しかし、広島の大部分が焼き尽くされてから60年以上の間、第二次世界大戦からの長引く諸問題の解決に取り組む中で、日米首脳たちの選択の自由を制限してきた政治情勢をそういった期待が乗り越えることはなかったのだ。
 日本の現職総理大臣の中で真珠湾を訪れたものはなく、米国を戦争に引きずり込むことになった1941年12月7日の奇襲攻撃について謝罪したものもいない。
 米国では、日本の被爆者の苦難に対して親密な注意を払うことは、原爆を使用した政府の決定に対する不適切な批判につながるとしばしばみなされてきた。1995年、スミソニアン国立航空宇宙博物館は、議会の81人の議員からの圧力のもと、原爆投下の道徳性について疑問を提起させるような展示品を取り下げた。また、2003年、同博物館は広島に原爆を落とした飛行機 Enola Gay 号の展示では、それによってどれほど多くの人たちが死亡したかについて言及すべき、との提案を拒否した。
 1945年8月6日に投下された爆弾は約14万人の人々の命を奪った。3日後に爆弾を落とされた長崎では約8万人が死亡した。その6日後、第二次世界大戦は日本の無条件降伏によって終結することになった。
 広島では、オバマ氏への招待状は開封されたままとなるだろうが、その招待に応じるため時間を割こうととしないのがオバマ氏だけというわけではない。同市の平和推進部門によれば、核兵器を持っているどの国からも、死者の名簿が置かれている記念碑を現職の首脳が訪れたことはないという。

というわけで、

今回のオバマ大統領の来日演説から、核問題についての
くだりの抜粋である。

 我々は20世紀の遺物である、我々の安全への脅威、つまり核兵器の危険に対応するための努力も、倍増させなければならない。
 プラハでは、私は世界から核兵器をなくすことへの米国の決意を再確認し、その目標を追求するための包括的な重要課題を示した。日本がこの努力に加わったことを喜ばしく思う。なぜなら、地球上でこの2カ国以上に、この兵器が何をもたらしうるかを知っている国はなく、そうした兵器のない未来を共に目指さなければならないからだ。これは、我々が共有する安全保障の根本であり、共有する人道性にとっての大きな試練だ。私たちの未来自体がこれによって左右されるのだ。
 明確にしたいことがある。核兵器が存在する限りは、米国は、韓国や日本を含む、同盟国の防衛を保障するため、強力で効果的な核抑止力を維持する。
しかし、この地域での核軍拡競争の加速は、これまでの何十年間の成長と繁栄を損ないかねない。だから、私たちには、核不拡散条約(NPT)の基本的な取り決めを守るよう求められている。つまり、すべての国に原子力の平和利用の権利があり、核兵器保有国には核軍縮に取り組む義務が、非核保有国は核兵器を放棄し続ける責任があるという仕組みだ。
実際、日本は、この仕組みに従えば真の平和と影響力を獲得できると、世界に示した例だ。何十年にもわたって原子力エネルギーの平和利用の利益を享受する一方で、核兵器開発を拒否してきた。そのことはあらゆる基準からみて、日本の安全保障を高め、その地位を高めてきた。
我々の責任を果たすため、そしてプラハで示した課題に向け前進するために、我々は日本の助けも得て、この国際的な取り組みを支持する国連安保理決議を全会一致で可決した。ロシアとは、保有する核の削減の新たな合意を目指している。包括的核実験禁止条約を批准し、その発効にも取り組む。来年の核安全保障サミットでは、世界中の脆弱な状況下にある核物質を4年以内に管理下に置くという目標を前に進める。先ほど述べた様に、世界的な核不拡散体制の強化は個々の国の問題ではない。すべての国の責任だ。イランや北朝鮮も含まれる

オバマ氏の演説に、小浜市は出てきても、
広島、長崎の文字は登場しなかった。
本国に多くの退役軍人を抱え、
またアメリカ軍の最高司令官であるオバマ氏としては、
立場上決断できないことや明言できないことも多いのだろう。
広島、長崎の被爆者や遺族は
アメリカ大統領の訪問を強く望んではいるが、
それは謝罪や補償を求めるためでは決してない。
世界を動かすほどの力を持つアメリカ大統領に
原爆による広島、長崎の惨状を知ってもらい、
世界に核の廃絶の重要性を発信してもらいたいだけだろう。
しかし、そういった訪問が、単に形式的なものであったり、
大統領の覚悟を伴わないものであっては全く意味がない。
まずは米国内でのオバマ氏の指導力をゆるぎなきものとし、
核廃絶へ向けての米国民の気運を高めることが重要であり、
真に米国民の代表者となったとき広島、長崎を訪れてこそ
大きな意義があると思うのである。

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