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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

検討だけなら許される?

2009-10-13 00:04:20 | 国際・政治

広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は11日、
2020年の夏季五輪の招致検討委員会を近く設置すると
発表した(10月12日付中国新聞)。

Hiroshimanagasaki

このニュースは米紙にも紹介されている。

10月11日付 Washington Post 電子版 Reuters から

Hiroshima, Nagasaki eye joint 2020 Games bid
広島と長崎、2020年五輪共同招致を目指す

 核攻撃を受けたただ二つの都市、日本の広島市と長崎市が2020年の五輪開催の共同招致を検討している。
 300km以上離れた日本の両市は招致実現によって核廃絶の動きに弾みをつけたいとしている。
 2016年の五輪招致の東京の失敗があり、さらに世界に “よりよい将来への希望” を与え、核武装解除を求めて懸命に努力していることに対して、アメリカ合衆国大統領、Barack Obama 氏へノーベル平和賞が授賞されるという驚きのできごとの後、この同意が浮上した。
 「これはオバマ大統領や政府間の話し合いだけに任せておくべき問題ではありません」と田上富久長崎市長は日曜日の記者会見で訴えた。
 「我々一人一人がこの問題で果たす役割を持っており、オリンピックを招致開催することは被爆都市としての役割の一つとなり得るでしょう。招致の可能性を探ってゆきたいと思っています」
 広島、長崎、および他の支援都市による共同開催での2020年五輪招致の実現可能性を検証する委員会の設置について両市ですでに合意していると当局は発表した。
 広島市の秋葉忠利市長は両都市間の距離は招致への障壁とはならないだろうと述べた。
 「両市間は飛行機で行けば30分余りしかかかりません」と、彼は言う。「地理的には離れているかも知れませんが、移動時間で見ると、そんなに遠くはないのです」
 1964年にアジアで最初の都市としてオリンピックを開催した東京は2016年の五輪招致合戦でリオデジャネイロに敗れたばかりである。

以前より広島市の秋葉市長の口から
広島でオリンピックをとの「夢」が聞こえてはきていたものの、
今回の2020年夏季五輪招致へ向けての広島・長崎の姿勢は、
多くの人たちにとって突然の話として受け止められたことだろう。
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞で、
オバマジョリティ推進にさらに拍車がかかったことから
両市の間で一気に話が進んだと思われる。
確かに世界のスポーツの祭典が、
唯一の被爆2都市で行われることの世界へ向けての
発信力は大きく、核廃絶への流れが急加速する可能性はある。
しかし、国威発揚の舞台と化し、
ど派手で商業主義に支配された現在の形でのオリンピックを
この両都市で開催することは100%(といっていいのか?)
不可能である。

1994年、広島市で行われた第12回アジア競技大会は、
広島市によれば成功裡に終わったそうだが、
はたして事実はどうなのだろうか?
被爆都市広島から、どれだけアジア諸国に核の脅威や悲惨さを
そして核廃絶の重要性を発信できていただろうか?
広島県民以外の国民で、その年、あの競技大会が
広島で行われたことを一体どれだけの人が覚えているだろうか?
(最初から知らない人もいるだろう)
また、あの大会での莫大な財政支出がいまだに広島市の
財政状況に負の影響を残していることも忘れてはならない。
巨額の支出をして大会のために準備された都市基盤の整備も
結局は不十分なままで終わっており、
諸処の設備がいまだに十分機能していないのが現状である。
オリンピック招致を思いつき、発表に踏み切る前に
やっておくことがあったはずである。
それはアジア競技大会を広島で開催したことの意義についての
検証である。
広島市民はあの大会が終了して以降、
その話題に接することはほとんどなかったのである。
オリンピックが今の姿では両市での開催の意味は薄い。
オリンピックがその原点に戻り、多くの利権を排除し
簡素な施設であっても各国の選手が競技に専心できることを
第一に考えること。
そして、観衆は競技に熱中するとともに、
世界平和を願い、核廃絶への強い想いを共有し、
それを世界に発信するという気持ちが自然に湧き起こる、
そんなオリンピックへの変貌を遂げるならば、
広島・長崎で開催される意義は大きいと言えるだろう。

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硫黄島への手紙

2009-09-21 13:22:50 | 国際・政治

本年3月に日本のメディアで話題になった美談。
第2次世界大戦さなか、硫黄島で日本兵の遺体から
アメリカ兵に拾われた(盗まれた?)手紙が
64年ぶりに遺族である娘の許に
返還されたという話題。

週刊NY生活ニュース

今回、New York Times にもこの話題が掲載されていたので
米国からの詳報をお届けする。

9月20日付 New York Times 電子版

An Iwo Jima Relic Binds Generations 硫黄島の遺品が同世代を結びつける

Mrhobbs_6

左から和田禮子さん、ホッブス氏、武川洋子さん

 Franklin W Hobbs Ⅲ(フランクリン・ホッブス)さんは、これまで85年間の人生を、何度も不運を幸運に変えてなんとか切り抜けてきた。10才で両親を失ってから、愛情深く裕福な祖父母に育てられることになった。第二次世界大戦でハーバードから動員されたが、その後復員軍人援護法によって経営管理学の修士課程に戻ることができた。彼のこれまでの人生は、困難の多い時であっても、それがしばしば有利な充実した好機へとつながっていったのである。
 そして1945年冬の硫黄島においてもそうだった。
 アメリカ陸軍通信部隊の実戦経験のない伍長だった Hobbs 氏は、日本軍が待ち受ける島の浜辺の迫撃砲や銃の集中砲火を生き延びれないのではないかと思っていた。その時、知り合った Schnarr という名のデトロイト出身の世慣れた教師が、彼に向かって4つの単語を投げかけた:『"Stick with me, Frank"(フランク、俺のそばを離れるな)』。このアンバランスな二人はボートから一緒に降り、死傷した多数の海兵隊員が横たわる脇を進んだ。
 「それまで死んだ人を見たことがなかったのです」と、Hobbs 氏は最近のインタビューで思い出を語った。「それは恐ろしいことでした。死体は水の中にも、浜辺の上にも転がっていたのです」
 彼の銃は海中に沈んでしまったので、かがみこんで死んだ兵士の一人から武器を確保した。それから、彼と Schnarr は、通信体制を整えるまではなんとか生きながらえるようにとの命令に従って、浜辺に穴を掘って銃弾を避け、生のベーコンを食べて2日間をそこで過ごした。戦闘が内陸に移動した時点で、彼らは通信網を敷く作業にとりかかった。
 一週間後、島内でトラックを運転していた Hobbs 氏は、目立った傷はなかったが洞窟の近くに死んで横たわっている彼と同じくらいの長身の日本兵に遭遇した。その男はヘルメットをかぶり、軍服を着ていた。その男の胸のポケットから広い封筒が覗いていた。当時 21才の Hobbs 氏はその封筒を開き、その中に、子供が描いた色彩豊かな絵―それは防空演習で防空頭巾をかぶりバケツを持って整列している子供たちの絵―と一人の赤ちゃんの写真を見つけた。彼はそれを自分が持っていてもいいかどうかそばにいた情報将校に尋ねた。
 「私は、この戦いに参加していたことを思い出すため、記念品としてそれを母国に持ち帰りたいと思ったのです」と、Hobbs 氏は言う。「なぜあの場所でそれを見ただけにしないで、持ち帰ろうとまでしたのかわかりません。興味深い思いから手元に置いておきたいと考えたのです」

Photo

 その後60年以上の間、その封筒も絵も写真も、そしてあの戦争も彼の心からほとんど遠ざかっていた。彼は不快な記憶に想いをめぐらし続けるような人間ではなかったのである。
 持ち帰って数年後、Hobbs 氏の妻の Marge(マージ)さんがその封筒を偶然見つけた。その飾り気のなさと第二次世界大戦との関連に心を動かされ、彼女はその絵を額に入れ、倹約家にもかかわらず、その封筒と写真を保護するためにその裏側にも2枚目のガラスをはめた。それは彼らの一番下の息子の寝室に何年も掛けられていたが、その息子はそれを、自分の母親が幼稚園にいた時に書いた絵だと思っていた。

 Matsuji Takegawa(武川松治)さんは下の娘に対面することはなかった。日本人が太平洋戦争と呼ぶ戦いに彼が出征したあとその子が生まれたのだ。彼は妻にその子の名前を Yoko(洋子)と名づけるようにたのんだ。Yoko は“大洋の子”という意味である。
 日本の新潟県三条市で過ごした少女時代も成人してからも武川洋子さんは父親の死や父親の人生に対して好奇心を持つことはなかった。一つのことで感謝はしたが、それ以外については父親のことを全く考えないようにしていた。その一つのこととは、彼のおかげで政府から支給される恩給を授業料に充てることができたことである。
 洋子さんはアメリカに行くことをずっと夢見ていたが、三条市で彼女が知っているアメリカ人は宣教師だけだった。そこで、彼女は、1973年、28才の時、統一教会の布教の目的で日本からニューヨークにやってくることになる。
 武川さんは Albany に住むことになり、結婚、 “Keiichi(恵一)” という名の子供を持った。しかし、人生は順調には進まなかった。洋子さんは離婚、経済的に独りでなんとかやっていかなくてはならなかった。彼女は1986年、New Jersey 北部に住み、Fort Lee に小さなアパートを買った。現在、65才になる武川さんは、日本人向けの販売促進物品を売る小企業、Kokoro International の副社長としての仕事からほどなく引退する意向である。
 一年前、日本にいる洋子さんの姉、Chie Takegawa(武川智恵)さんから思いもかけない知らせが電話で伝えられてきた。三条市の職員が古い封筒、写真、および子供の絵のコピー写真を持って智恵さんの家を訪れたのだ。智恵さんはすぐにその絵を思い出した。それは彼女が描いたもので、小学校二年生の時の先生がそれを褒めてくれので、父親のために取っておいたものだった。彼女は写真も覚えていて、それは、彼女の妹、洋子さんだったのだ。
 それらの品は、硫黄島の戦闘で亡くなったと聞かされていた彼女たちの父親松治さんの所持品だったと市の職員は説明した。コネチカット州のある日系アメリカ人女性がその写真を持ち寄り、当局が封筒の住所を頼りに、近くの別の住所に移転していた智恵さんになんとかたどりついたのである。昔、硫黄島で戦った一人のアメリカ人の退役軍人が遺品を返したいと希望し武川さんの家族を捜していたのだ。
 武川洋子さんは三条市の姉との電話を切った後、コネチカット州のこの見知らぬ人に電話をし、事態が明らかとなった。父親は死ぬ前に洋子さんの顔を目にしていた。彼は戦闘中、自分の心臓の近くに彼女の写真を所持していたのだ。このことを知ることができたことは、それが人生の随分遅い時期となってしまったものの、彼女がそれまで負っていたことを気付かなかった心の傷を和らげ、何年も前に固まってしまっていた悲しみを軟化してくれることとなった。
 「父は私の写真の入った手紙を身につけ、胸に抱き続けてくれていたのです」と、自宅での最近のインタビューで彼女は語った。「何か精神的なものが私の身体に降りてくるのを感じています。それは私にとても多くの愛をもたらしてくれる宝物です。かつては、父親のお金で学校に行かせてもらいました。だけど今は、父親は私に愛を送ってくれているのです」
 「今、父がここにいるように感じています」と、日本の装飾品でいっぱいの彼女の小さなアパートを示しながら武川さんは言う。「まるで Hobbs さんと会うためにアメリカに来るよう父が私を導いてくれたように思います」
 子供たちをいつも笑わせていた逞しい男性だった武川松治さんは戦前、戦中と酒屋を経営し生活を支えていた。仕事を続けてきたのは家業に対する彼の忠誠心からだった。彼は別の新しい何かをやりたいと望んでいた。それはおそらくプラスチックの製造であったかもしれない。
 彼に召集令状が届いたとき、武川さんは自分の心が折れたように感じていたようだと、家族は言う。彼にとって3度目の出征となったが、すべての兵士たちが知っているように、運命というものは信頼できない仲間なのである。
 Hobbs 氏が洞窟のそばで横たわっていた遺体に遭遇した時、遺体となっていた武川さんは36才だった。
 ずっと事業を始めたいと思っていた Hobbs 氏は硫黄島に8カ月滞在し、通信機器を敷設し任務を完了したが、その後この戦いの悲惨な犠牲者のことはほとんんど考えないようにしていた。この戦闘で7,000人のアメリカ人が死亡、20,000人以上が負傷、日本人も約21,000人が死亡した。
 「ただの小さな島のためだけにしては犠牲が大きすぎたと私には思われます」と、マサチューセッツ州 Chestnut Hill の自宅でのインタビューでHobbs 氏は述べた。「戦争がどれほど恐ろしいものか、また実際さして重大なことでもないことのためにどういうふうに人々が死んでゆくのかを知りました」
 日本が降伏したとき、Hobbs 氏は本国に帰還していたが、彼の楽天主義と人生への活力は変わっていなかった。前だけを見て後ろを振り返らないという生涯変わらぬ彼の習性の中で、彼は新しい世界の構築に身を投じた。彼は Marge さんと結婚、つてを頼りに女性用のスリップを製造する被服工場での仕事を見つけた。その後、ハーバードの経営学修士を生かして、銀行の要請で問題を抱える小規模の会社を再生させる仕事に目を向けることとなる。
 「私は硫黄島について語ったことはありませんでした」。彼は終戦後の20年間をそう語った。「それについて話すべきではないでしょうし、私は生計を立てるのに忙しかったのです」
 やがて4人の子供に恵まれ、家族はマサチューセッツ州の Concord の家に住むことになった。色とりどりの日本人が描いた絵は、保護のために2枚目のガラスの後ろに注意深く保管された武川洋子さんの写真、封筒とともに、以前同様、壁に掛けられた。
 「子供がそれを描いていたなんて知りませんでした」と、University of Texas Southwestern Medical Center の Howard Hughes Medical Institute の研究員である Hobbs 氏の娘、Helen Hobbs 博士 (57) は言う。「それは単に何かの美術作品かと思っていました。私はその絵を端から端まで知っていましたが、その絵の出処を実際に考えたことはありませんでした」
 2年後、Hobbs 氏は離婚、同じ Marge という名のコネチカット州 Greenwich 出身の女性と再婚した。Hobbs 夫人がボストン郊外の Chestnut Hill にある Hobbs 氏の書斎の整理にとりかかったとき、彼の机の上にあった額入りの絵を見つけた。彼女はそれをひっくり返し、中から封筒と赤ちゃんの写真を発見した。
 彼女が夫にそれについて尋ねたところ、彼は過去の硫黄島での体験とともに話して聞かせてくれた。
 「それをその家族に返すことを考えたことはなかったの?」と Hobbs 夫人は尋ねた。
 「そうしたかったんだ」と Hobbs 氏は答えた。「ああ、何年過ぎた後でも、娘たちはこれを見たいかもしれない。これはおそらく彼女たちの父親が受け取った最後の手紙なんだろう」
 若くして親を失うということがどういう気持ちか Hobbs 氏はよく知っていた。彼が8才のとき、母親が敗血症で亡くなり、その2年後、虫垂炎の破裂で父親が死亡した。彼が硫黄島で遭遇した亡くなっていた日本兵もおそらく誰かの父親だったのだろう。写真の赤ちゃんやあの絵を描いた子供も彼と同じ悲しみや喪失感を抱いていたに違いない。
 Hobbs 夫人は彼女の教会を通じて友人である日本人の Reiko Wada(和田禮子)さんに連絡を取った。彼女は黄色くなった封筒に書かれた文字を訳してくれた。神戸で育ち40年間アメリカに住んでいる和田さんは封筒の写真をニューヨークの日本領事館に持ち込み、家族をつきとめることができるかどうか尋ねた。和田さんによると領事館員は協力に同意したが、実物を東京に送りたいとの意向だった。Hobbs 氏は躊躇した。家族のもとではなく博物館のような所に回されてしまうのではないかと恐れたのである。
「それはだめだ」、そう言ったことを彼は思い起こす。
 そこで、親戚に会うために年に2回日本に戻っている和田さんが、次の訪日時にその写真を持って帰ることにした。彼女は東京で厚生労働省にそれらを引き渡したが、そこから三条市に最も近い事務所へ送られ、武川智恵さんの新しい住所が判明した。そして三条市役所の職員が彼女を見つけ出したのである。
 「3人が私の元にやってきて、その手紙が私のものかどうか尋ねました。私は“はい”と答えました」と、インタビューで武川智恵さんは思い起こしていた。「父がそれほどまでにその手紙を大切にしていたことに驚きました。家族にそばにいてほしいと思ってそれを身につけていたのでしょう」
 毎日、彼女は父親の遺影の前に一杯の水を供えている。亡くなった家族にはご飯を供えるのが日本の一般的なしきたりであるが、武川智恵さんはそれをちょっと変えている。というのも、彼女は硫黄島の兵士たちの多くが喉の渇きで亡くなったことを知っていたからである。
 「父が生活に戻ってきたように思えたの」と、彼女は妹に語った。「私の元に戻ってきたように感じたわ」
 今年の春のある晴れた日、彼女らはChestnut Hill のHobbs 氏の自宅で一堂に会し、彼らの子供たち、駐ボストン日本総領事、および海外の報道関係者たちとともに近くのカントリークラブで催された昼食会に出かけた。その時まで、Hobbs 氏は、あの日本人兵士の家族を捜すことだけに固執していた。しかし武川洋子さんに会ったとき、彼女の顔には心が痛むほどの個人的苦難がにじみ出ているのに気付いた。
 「彼女が車を降りて近づき、私を抱きしめたとき、理解したのです」と、Hobbs 氏は言う。「それが彼女にとって大きな意味を持っていたということを。誰かに非常に大きな意味を持つなんて思ってもいなかったのですが、重要なことを私はしていたのです。それは単に珍しいものにすぎないと考えていたのです」
 「この小さな絵を見てください」と武川智恵さんが描いた彩り豊かな絵のコピーを示しながら Hobbs 氏は言った。「これはもう神聖なものです。神秘的なものなのです」
 少年時代から、Hobbs 氏は死の象徴を避けてきた。それは葬式であり、墓地であり、友人以外の人の死亡記事を読むことなどである。しかし、このごろは妻に促されて母親の墓を訪れ墓石の苔をごしごしと洗って落とすようになった。
 「急に、母親のことを思い出すようになったのです」と、Hobbs 氏は思い起こし、その記憶がよみがえってきた。
 マサチューセッツの池でカヌーに乗った母親と息子は亀を捜していた。彼は丸太の上に一匹の亀を見つけた。彼の母親は大きな網を持ってそれを捕まえた。「にこりと笑って彼女は言ったのです。『亀がどちらに行こうとしたって、私たちは捕まえてたわ』」と、Hobbs 氏は言う。「そして、これが母について私が覚えていることのすべてなのです」
 武川洋子さんと Hobbs 氏にとって戦争の記憶―2国間の戦争、原子爆弾、硫黄島での悲惨さ―はずっと以前に薄れてしまっていた。あの Chestnut Hill での午後、彼らを結びつけていたのは親を失ったという、むしろ個人的な辛い運命なのだった。
 「Hobbs さんはあのように美しい心をお持ちです」と、彼女は言う。「私のためにあの写真と絵を残しておいていただけたのは、そんな彼の愛情のおかげでしょう」

うーん、一見美談に聞こえるが、
いくら過去の忌まわしい記憶を消したかったからといっても
死亡した敵兵士から取りあげた遺品を60年以上も
返そうとしなかったとは…
子供部屋に飾っておきながら、その兵士の遺族の気持ちを
考えることはなかったのだろうか。
しかし、まあ、その米兵が手紙を拾わなければ、
絵も写真も南海の島で朽ち果ててしまっていただろうことを
思うと、遺族にとって大きな宝物になったのは
間違いない。
それより、厳重に保管した最初の奥さんと、
それを遺族に返そうとした二番目の奥さんに
『あっぱれっ!』を贈りたい。

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ワタクシ、“はとやまみゆき” と申します

2009-09-06 12:24:23 | 国際・政治

ちょっと変わってるだけなのか、それとも
筋金入りのサイエントロジストなのか?…
機運に乗る鳩山氏の夫人、
次期ファースト・レディの鳩山幸さんは
今のところ国内では国際感覚(宇宙感覚?)豊かな
これまで類を見ないアクティブな首相夫人の可能性が
紹介されている。
以下に紹介するイギリスとアメリカでの記事を読む限り、
海外でも興味深く(好意的に?)取り上げられてはいる。
しかし、海外ではアレルギーが懸念される
『UFO』『前世』『金星旅行』など“スピリチュアルな”用語、
いよいよ本物のファースト・レディとなれば、
これまで通り自由奔放に発することは慎むべきなのかも
しれない。

9月4日付 TIMESONLINE

Japan’s new First Lady Miyuki Hatoyama: ‘I went to Venus in a UFO’ 日本の新しいファースト・レディ、鳩山幸さん:『私はUFOで金星に言ったことがある』

By Richard Lloyd Parry

 日本の次の総理大臣、鳩山由紀夫氏は、拡大論者の中国、核武装の北朝鮮、意地の悪そうなロシアなどへの対応に様々な厄介な難題に直面することになる。しかし、彼は金星との親密な関係の構築については何ら心配する必要がない。彼の夫人は1970年代にUFOに乗って金星を訪れ、金星人と知り合いだからである。
 鳩山幸氏 (66) の際立った点はそれだけにとどまらない。ミュージカル女優、料理作家、服飾デザイナー、テレビタレントである上に、俳優のトム・クルーズを、彼が前世で日本人として生きていた時に知っていたと発言したのである。
 先週の日曜日の総選挙での圧倒的な勝利から2週間のうちに正式に総理大臣に就任する鳩山氏のすごいところは、夫人の奇抜さに対していささかも気にかけている様子が見られないことだ。また、彼を支持する市民たちも同じである。彼女は“たれんと”や“タレント”として知られる有名人の範疇に分類されているのだ。これは一般大衆にくらべ、きらびやかで予測不可能であることが求められ、むしろ推奨されるテレビ向けの芸能人あるいは芸人を意味する。
 鳩山夫人は、満員の中高年の女性客にロマンチックなミュージカルを上演する女性だけからなる歌手やダンサーの一団、宝塚歌劇団でそのキャリアをスタートした。日本料理店主の妻としてカリフォルニアに住んでいた時、スタンフォード大学で工学を研究していた若い鳩山氏と出会った。彼女の離婚後、米国での結婚は、鳩山氏のような政治家一族の御曹司としてはいささかスキャンダラスだった。「男性のほとんどは独身女性からパートナーを選びますが、私はすべての女性の中から彼女を選びました」と、彼は自慢げに語った。
 それ以来、彼女はライフスタイル・コンサルタントあるいは “ライフ・コンポーザー” としての地位を確立していき、『鳩山幸のスピリチュアル・フード』や『鳩山幸 Have a Nice Time!』などの幾つかの著書を出している。『私の出あった世にも不思議な出来事』と題する著名人との対談の本の中で、彼女の最初の結婚生活中に経験した宇宙旅行を告白している。『私の身体が眠っていた時、私の魂が三角形のUFOに乗って金星に飛んで行った』と、彼女は語っている。
 今年前半、鳩山氏と民主党への政権交代の可能性が高まっていた時、彼女は日本の主婦向けの昼間の“ワイドショー”に出演し様々な話題でインタビューを受けている。前世でトム・クルーズと顔見知りであったことや彼と映画を作りたいと思っていることについて語ったのはこの番組の中でのことだ。
 「彼が前世は日本人で私と一緒だったって私は知ってるの。だからもし彼に会って、私が彼に『ハ~イ、お久しぶりね』って言ったら、彼はすぐにわかると思うわ」と、彼女は語った。「必ずオスカーをもらいます。7年ぐらい前には夫は『まあ、君の夢だからいいんじゃないの』って言ってたけど、最近は私を励ましてくれて、仕事のあとで疲れていても、パソコンの前に座って原稿を英語に訳してくれるのよ」
 また、彼女はどのようにして毎朝『太陽を食べている』のかも表現した。彼女は眼を閉じて空からかけらを摑みとるようなしぐさをして見せた。「ああ、おいしい」と彼女は言い、想像上の太陽のかけらを口の中に放り込んだ。「私はここからエネルギーをもうらうの。夫も同じことやってますよ」と語った。

9月4日付 New York Times

Japan's New First Lady Not From Venus, Was Only Visiting 日本の今度のファースト・レディは金星出身ではなく、旅行で訪れたことがあるだけだった

By Robert Mackey

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 日本の次のファースト・レディ、鳩山幸さんについて知っておくべきこと、それは彼女はかつて女優だったということである。このことが、1970年代にUFOに乗って金星に旅したことを昨年の著書に記したような女性と結婚している事実があるにもかかわらず、日本の国民が何ら懸念を抱かず、鳩山由紀夫氏に圧倒的な勝利と首相官邸の鍵を与えた理由を説明してくれるかもしれない。
 水曜日、英Times紙で Richard Lloyd Parry は東京からの報告として次のように伝えた。“ミュージカル女優であり、料理作家であり、服飾デザイナーであり、テレビタレントでもある” 鳩山夫人は日本国民からある種フリーパスを与えられている。というのも、彼女は、頭が少々おかしいのが期待されている “『たれんと』あるいは『タレント』として知られる有名人の範疇に分類されている” からである。
 彼女は明らかにそのパスをうまく利用してきた。Parry 氏のレポートによると、鳩山夫人は、昨年発刊された著書『私が出あった世にも不思議な出来事』の中で、最初の夫と離婚し鳩山氏と結婚する前に隣の惑星を訪れていたようだ。
『私の身体が眠っていた時、私の魂が三角形のUFOに乗って金星に飛んで行ったとの』と、彼女は言った。『そこはたいへん美しい場所で一面緑色だった』。彼女の最初の夫は、多分夢でも見たのだろうと言った。しかし鳩山氏ならそれほど否定的には受け止めないでしょう、と彼女は強調する。『現在の夫は普通の人とは違った考え方をするのよ』と、彼女は言った。『彼ならきっとこう言うでしょう、「それはすごいじゃないか!」』
 また、ロイターの報道によると、トム・クルーズが前世で日本人だった時、彼を個人的に知っていたと話して昼間のテレビ視聴者を驚かせ、いつか彼と一緒に映画を作りたいと思っているという。その映画は “きっと” アカデミー賞を獲れるでしょうし、“皆さんの価値観を変えることになるでしょう”と確信を語った。夫に時間があるときには、“たとえ仕事の後で疲れていても、原稿を英訳してくれて” 彼女の夢の実現に向けて手伝ってくれているとも述べた。
 どうやら鳩山氏は自身のイメージを創ることで彼女の助けにお返しをしているようである。現在66才の鳩山夫人は、自分のことを、夫も含めた人々の衣服や食事を選び、家庭のインテリアをデザインする『ライフ・コンポーザー』と称していると、先月 Telegraph 紙で Julian Ryall 氏は紹介していた。また、最近のテレビ番組ではハワイで購入した麻でできたコーヒー袋で作ったスカートを履いていたとも、Ryall 氏は伝えている。
 1970年代に共にカリフォルニアで生活していた時知り合ったというこの夫婦はたいへん幸せな結婚生活を送っているようにみえると Guardian紙の Justin McCurry 氏は補足する。夫人と一緒にいることで彼は力をもらえると鳩山氏は言う。「家に帰ると安らぎを覚えます。彼女はまるでエネルギー補給基地のような存在です」

最後に YouTube で件の番組から…
ご本人をご覧ください…(やっぱりちょっと変?)

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ボク、由紀夫ちゃんです!

2009-09-01 21:48:56 | 国際・政治

こんにちは~

ボク、由紀夫ちゃんです。

今度、第93代内閣総理大臣就任が

内定しています。

もう、皆さんはずいぶん見慣れたと思いますが、

ワタクシの顔、ちょっと変わっていますでしょう。

一度見たら忘れられない顔だと思います。

初めての人は珍しそうにご覧になられます。

昔はよく『宇宙人』と呼ばれていました。

今でこそ大勢の人々の前で堂々と演説していますが、

昔は人間嫌いで内向的な性格だったんですよ。

名家中の名家の出身で、苦労知らずの人間ですけど、

総理大臣になっても“友愛の精神”を貫いて参りますので

国民の皆さま、どうかよろしくお願いします。

こんなワタクシですが、このたびアメリカにも紹介されました。

どうかご参照くださって、

もっとワタクシという人間を知っていただきたいと思います。

8月31日 Washington Post 電子版

A Political Blue Blood on His own Path - Japan's Hatoyama Defeats Party of His Forebears With Talk of Love and 'Human Ties' 政治家の名門の出、そして彼自身の生きる道―祖父らの党を、愛と “人間のつながり” という言葉で打ち破った日本の鳩山氏

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 堅物で照れ屋で大金持ちの鳩山由紀夫氏は、日曜日、近代の日本の歴史上、もっとも手ごわかった政治の権力者たちに大打撃を加えた野党のリーダーとしては異彩を放っている。

 まもなく総理大臣になる鳩山由紀夫氏(62才)は、おそらく日本において最高に名門の出身である。しかし、彼が生まれついての政治家であるとは言い難い

 彼が語ったところによると、スタンフォードで工業技術の博士号を目指して研究していた時、彼に人間関係を避けさせ、政治に関わるすべてのことから目をそむけさせたものが何であるのかを思い巡らすのに多くの時間を費やしたという

 1980年代に家業である政治の世界に入った時、どこか遠くを見るような眼差し、風変わりな態度、あるいはぎこちないしゃべり方から、彼はエイリアン(宇宙人)”の異名をとることとなった。そういった面の一つに彼の話す内容がある。彼はいかに政治は愛であるかを熱弁するが、この種の言葉野心的な日本の政治家の口から聞かれることはめったにない。

 こうしたメッセージは今夏の選挙運動中の“国民の生活が第一にまで進化する。有権者の共感を呼んだ公約の中で、大企業の利益誘導を図っている官僚の力を民主党が弱めることを約束した。彼は「既得権益で縦につながった社会ではなく、人のつながりによって結ばれた横の社会」を創りたいと言う。

 セオドアおよびフランクリンを初めとするニューヨーク・ルーズベルト一族の生ぬるいインテリな野望と同じような心意気を持っていた少年時代、鳩山氏は東京にある一族の華麗なヨーロッパ様式の大邸宅で過ごした。そこで彼は、幼い弟、邦夫氏とともに昆虫や切手を収集した。現在、ともに政治家となった兄弟には1億ドルを下らないほどの資産があると信じられている。

 彼らの祖父はかつて総理大臣であり、自由民主党(LDP)の創始者であった。同党は(この日曜日まで)半世紀以上にわたって実質的に一党独裁で日本を統治してきた。

 そしてまさに今、鳩山由紀夫氏の民主党が歴史的勝利で自民党を打ち破ったのである。日本の戦後史上、有権者が野党に政権を与えたのは初めてである。

 鳩山氏にとって、一族の流れに逆らって別の道を選んだ挙句の勝利だった。祖父が自民党の権力者だっただけでなく、彼の父は自民党政権で外務大臣を、弟は、日曜日に国民がノーを突きつけた麻生政権で自民党の大臣を務めた。

 しかし、自身の祖父たちの党を打ち負かした男実はその党の支えによって政界に入っていたのである。彼は1983年、父親の個人秘書となり、3年後、立候補し衆議院議員に選出された。

 鳩山氏の党が、そのマニフェストの一部に議席世襲の禁止を約束しているのは日本式改革政治の皮肉な一面である。

 鳩山氏は1990年代に入り自民党に不満を持った。彼は小さな野党の一つに鞍替えし、衆議院を短期間支配し自民党を下野させた脆弱な8党による連立の幹部となった。

 鳩山氏はやがて、不満を持っていた自民党の古参議員、労働組合主義者、元官僚、およびかつての社会党員からなる中道左派よりの集団、民主党を共同で立ち上げた。同党は権謀術数に長けた政策戦略家でかつての自民党の権力者である小沢一郎氏のリーダーシップの下、集票力のある組織として固まっていった。彼は2007年の選挙で参議院の主導権を獲得して、自民党に驚異と屈辱を与えた。政権を左右する衆議院でも主導権を同党が握ることができた暁には小沢氏が総理大臣になるはずだった。

 ところが、5月に政治資金問題で小沢氏は党首を辞めざるを得なくなり、鳩山氏の道が開かれることとなった。日曜日、有権者が明確に自民党を拒絶したことが明らかになった時、鳩山氏はテレビで同党の勝利への貢献から小沢氏に対して感謝の意を表した。

 自民党による長期支配が示すように、日本の有権者は政治体制の継続を好む傾向にある。時の権力者を切り捨てることは彼らを不安に陥れる。その理由から、今回の新しい、ほとんど真価の問われていない指導体制に対して懸念がある。

 世論調査や取材では、民主党を支持する有権者でさえ、同党の指導者たちの経験や能力に対して疑念を表明していた。多くの経済や政治のアナリストたちは同党が信用できる経済プランを持っていないと指摘している。また、この新しい指導体制が、消費者の手にこれまで以上の現金をもたらすという公約を果たせるかどうかはかなり疑わしいと彼らは言う。

 さらに、鳩山氏の決断力やリーダーシップ能力についても疑問が残る。彼は1994年の短命に終わった政権で内閣官房副長官を務めただけで、これまでに政権の主要な役職に就いたことがない。

 しかしながら、今夏の選挙戦では、彼の演説は一層人を惹きつけるものとなり、彼のメッセージは人に感動を呼び起こすものとなっていた。物腰の柔らかい人物としての彼の評判は高く、子供たちや車椅子のお年寄りに対してひざまずき、同じ目線で話をする。

 彼の政治的ビジョンは“友愛の精神”であると、彼は言う。彼の説明によると、これは、「すべての人たちは、自らが社会に役に立つ人間となり、社会に必要とされる人間になろうとすることで、社会とのつながりを保たなければならない」ということを意味するらしい。

 記録的な失業率、慢性的な経済の停滞、膨大な国の債務、世界史上最悪の人口の高齢化など諸問題を抱えるこの国で、彼のビジョンは早速試練にさらされることになるのである。

 

同じ大金持ちのおぼっちゃまでも、

福岡県のあの財閥の御曹司とは、随分

性格も頭脳も違っていらっしゃるようだ。

こちらは東大だし、スタンフォードで博士号もとってるし…

有り余る財力でもってこれまで

民主党を牛耳ってきたとの悪評もあるが、

ここは一つ彼の友愛精神に賭けてみたい。

ここまできたら、そこに期待するしかないだろう。

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自己本位抑制策

2009-06-17 21:17:12 | 国際・政治

オバマ大統領

15日、シカゴで開催された米国医師会の年次総会で、

医療制度改革の必要性を強調した。

616日付 NIKKEI NETより(ウェブ魚拓)

現在の米国医療制度は

4,600万人にも上るといわれる無保険者、

急増する医療費という、二つの大きな問題を抱えている。

オバマ氏は、「今改革しないと米国がGMと同じ道を歩む」と

危機感をあおり、国民の理解を求めようとしている

前政権はこの問題を避けてきたが、

大統領選で掲げていた中心的政策課題の言葉どおり

オバマ政権はこれに真剣に取り組む姿勢を見せている

しかしながら医療制度改革に対する

医師、病院、保険会社、薬品会社の抵抗は根強く、

改革断行は容易ではなさそうだ。

614日付 New York Times 電子版

Following the Money in the Health Care Debate 医療制度議論における銭の問題

Healthcaredebate_2

 連邦議会は最も議論の多い国内問題の一つ医療制度改革に取り組む構えを見せる。今後数ヶ月、さらに議論が飛び交うことになるだろう。

 これまでのところ議論の多くは、コストを減らすことになると主張する政府支援の医療計画についてのオバマ大統領の提案に焦点が向けられてきている。保険会社や医師は、それが患者の選択の制限につながると主張し、薬品会社は医療の質が損なわれると警鐘を鳴らす。

 しかし、オバマ氏の提案は、米国の約5,000万人の無保険者に対処しながら、急増する医療費をいかにして抑制するかという問題に連邦議会が直面する時、議会に求められる多くの案の一つに過ぎない。この問題の大きさと複雑さは気が遠くなるほど厄介だ。どうなっているのかを理解するためには、金、財源に注目する必要がある。

 ざっと2.5兆ドルが危機にさらされているわけだが、これは毎年米国が医療に費やしている額であり、アメリカ経済の約5分の1に相当する。その金をどのように分割するか?あるいは現在のペースでの増加をどのように阻むかということが議論の中心である。多くの医師、保険会社および薬品会社は、自分たちの収入が著しく減少し、患者への医療が脅かされることを危惧しているという。

 それらの議論はメリットをもたらすかもしれない。しかし、「国民は自分自身の経済的関心に従って意見するでしょう」と、New York Miller Tabak & Co. のためにこの論争を注意深く追いかけているウォール・ストリート・アナリストの Les Funtleyder 氏は言う。

 すべての利益団体が頼りとして支持するのは、補填を無保険者へと拡大するなんらかの新しいプログラムである。こういったプログラムは、病院、医師、保険者、薬品メーカーなどに支払いをする新たな数千万人の顧客に向けられることになる。

 しかしそういった団体を気がかりにさせていることは、これに付随してくる、とどまるところを知らない医療費の急増への取り組みについてのワシントンにおける議論である。というのも、なんであれ出費の減少は彼らの収入の減少に直結するからである。今後十年間、国民皆保険への支払いに求められる約1兆ドルを生み出すために必要な財源を政府がどのようにして工面するかをめぐって議論はことさら白熱してきている。たとえば、米国の医師たちは、誠心誠意、医療制度改革を支持すると言う。しかし米国医師会は現状を脅かすような立法化に反対してきた長い歴史がある。事実、同組織は30年以上前、メディケアの創設に反対した。

 メディケアに類似した公的保険プログラムについて医師たちに懸念を与えているのは、メディケアと同じような支払いが成される可能性があるということである、とヴァージニア州 Alexandria の健康政策コンサルタントの Robert Laszewski 氏は言う。「メディケアは保険会社が支払う80%しか医師に支払いません。もし、公的プランを受け入れれば、医師たちは20%の減収に甘んじることになります」と、彼は言う。

 しかし、様々なタイプの医師たちがどのように補償されるべきかについて、医師の間でも意見が分かれそうである。連邦議会は、プライマリ・ケアの医師、すなわち、一般開業医や家庭医などへの代価の引き上げを検討している。これによって、患者の健康をより積極的に監視させ、専門医や病院への金のかかる受診を減らそうというのである。

 専門医心臓医、神経医、外科医などは、プライマリ・ケア医の報酬を上げるために高い支払いを受ける専門医から金を回すことに連邦議会が決めれば、この議論に対し異議を示すだろう、と Laszewski 氏は言う。「問題は、いかにして心臓医や他の専門医の報酬をカットすることなくプライマリ・ケア医を支援することができるかです」

 大方利益を享受する立場にある家庭医でさえ、もし公的プランがメディケアの比率で支払われるのであれば、このプランに反対であると主張する。

 その他、勝ち負けが重大な結果をもたらす団体として米国の民間保険会社がある。雇用者や自分の考えで民間保険に加入する人々の増加が見込めないことから、保険会社は新しいビジネス源を見出したいと考えている。少なくとも、現在の保険には入る余裕はないが、保険料の支払いに政府の援助を受けることになりそうな新たな顧客を生み出すことを、医療制度改革は保険会社に期待させる。

 しかし、同業者団体である America's Health Insurance Plans は、それが不公平な便宜を与えるとして、いかなる種類の公的健康保険計画に対して反対の意向を明確に主張してきた。この同業団体は、政府がその購買力を利用して医師や病院からはるかに低い代価を要求することで、加入企業がビジネスから締め出されることを危惧している。

 この団体の最高責任者である Karen Ignagni は、公的健康保険が高齢者や障害者を越えて拡大しないことを前提にメディケアを運営してきた政府の実績を批判してきた。このプログラムは、重病である時の治療に十分機能してこなかった。「メディケアは治療を有効に調製したり、慢性疾患に対処したり、高い効率を推進したりすることができませんでした」と、最近彼女は連邦議会に語った。

 医療制度改革に必要な財源を確保する一つの方法として、メディケアの患者の一部を賄うために補償されている民間の保険会社への支払い額を下げることも議論されている。そのような財源が保険会社から出ても医師からは出ないことを前提に、米国医師会はその削減に対する支持を表明している。

 病院もまた、公的プランについて懸念を表明している。同じように、メディケアによる支払いが民間保険よりはるかに低いからである。

 国内製薬メーカーもまた、公的プランは最終的に全システムの政府による独占につながると予測されることから反対を表明している。「政府による医療の独占に伴って必然的に生ずる長い待ち時間、選択肢の制限、あるいは医療配給に近い形態に米国の患者は順応しない、あるいはすべきでないと思います」と、薬品メーカー Eli Lilly & Co. の最高責任者 John C Lechleiter 氏は財界首脳の会合で最近語った。「米国の医師や患者に、治療法の選択肢の真の価値に基づいて選べる可能性を温存しておく必要があります」

 しかし薬品会社は、今日取引している保険会社に比べ、より低い価格を要求する政府の抑制策にも警戒する。「政府の介入が強まれば強まるほど、支払いは少なくなるでしょう」とアナリストの Funtleyder 氏は言う。

 政府が様々な薬剤や医療器具の有効性を決定するのに以前より大きな役割を担うこととなり、製品について、どれが保険適応となるのか、どのように政府が支払うかのかについての決定にそういった情報が用いられることになる事態についても、これらの会社は懸念している。当然のことながら、保険会社は薬品や医療器具メーカーに対して政府が強硬政策をとることを支持している。それによって彼らの手を煩わされることがなくなるからである。

 どのような形になるにせよ議会による法案のまとめ上げが近づくにつれ、多くの利害関係者からの意見が一層高まり、それおぞれが自己本位となってゆくだろう、と Laszewski 氏は予測する。デイトナ500の最終ラップを見ている時のように、集団から抜け出そうとする試みがグループの何者かによって企てられるであろう。「最終段階に達すれば、そこには味方はいません、頼れるのは自分だけです」、と彼は言う。

医療の現報酬システムを維持したまま

4,600万人の無保険者に対する保険の拡充は

さらなる医療費増大を招くとの意見もある。

より多くの医療サービスを提供した方が

医師、病院、薬品会社、医療機器メーカーなど

儲けが大きくなり、患者側もそれを期待する限り、

医療費の抑制は困難であろう。

お金持ちなら、不自由なく高度な医療を受けられ、

貧しい人たちにも最低限の医療が保証される、

それが理想的な医療制度であるが、

そこに膨大な医療費が計上されるのは間違いない。

明らかに存在する医療の無駄は極力省かなければ

ならないが、

医療に対する自分本位の国民個々の姿勢を

今一度考え直してみる必要があるのでは

ないだろうか。

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