ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

11年の戦い

2011年07月10日 | 日記
ほんとうに個人的な内輪話をして、聞き辛か
った点はすみませんでした。

昨日は、母のホームの「夏祭り」でありまし
たのに、出張やイベント事に気を取られ、電
話がかかってくるまで忘れていおりました。
慌てて参加してきましたが、ホームが近くで
助かりました。

ホームの入り口で、母は当分待ってくれてい
たそうで、ウロウロしている母を係りの方が
見かねて、ほなさんの携帯へと電話をしてく
れたのです。

わが息子は、口では優しいことをいうけれど
すっかり忘れてしまうなんて、と母と周囲は
思ったことでしょう。弁解できません、その
通りです。

さてこれから、11年にも及ぶ戦いをお話した
いと思います。
時は、マンションに入居した時点へとさかの
ぼります、、、、、。

時は元禄十四年、十二月十四日、
大江戸八百八町、荒らしまわるは××のお○○、

「お○○、御用だ!」の掛け声に、
パッと脱ぎ捨てたる赤腰巻、
逃げるお○○は、ノーパンティ

え、話が違う、、、。
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落ち着ける場所(追加)

2011年07月09日 | 日記
ほなさんの場合、兄弟といえど、姉は転勤家族
でありましたから、お互いほとんど話すことも
なく来ましたが、姉夫婦は弟家族を心配してく
れていたようでした。しみじみ、ありがたいな
ぁ、と思いました。

少し前、ほなさんが、永年住んだ家の行く末を
考えていると妻が、
「お姉さんの気持ちを考えてみたら?」
といいました。

なんで?
と尋ねた私へ
「嫁に行ったら、出里のことへは口出しにくい
 もん。ずっと育った家が、知らぬ間に他人様
 の表札になったら、きっと寂しい気持ちにな
 るんじゃない。相談したら、、。」
ほなさんの家の話に口出ししたことのない妻が、
珍しくこういいました。

そういうもんなのですね、
男の私には到底理解しえない配慮でありました。

姉に相談しに行くと、やはり口出しにくかった
ようでしたが、こちらが聞く耳をもっていると
知ると、あれこれ、その思いを語ってくれまし
た。
「決めるのはあんたがすればいいのだけど、、」
と、言いつつも、嫁に行ってからの時間の長さ
に比例した里への思いはつのっていたようです。
建物は壊すけど、あとはそのままにしておこう、
とほなさんは決めました。

自分のことしか考えてこなかった、ほなさん自
身の過去を少し恥じました。
家族や友達、いろんな方の思いに支えられ、な
んとかやってきた、やってこれたのは自分の力
だけでないことへの感謝の想いを忘れないでお
こう、と思います。

でも、傲慢のなのが人の姿でもあります。
その時のために、また思い出すために、道を間
違えないために、書き綴りました。
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落ち着ける場所(終)

2011年07月06日 | 日記
親から相続なんて無いものと思い、ほなさんの
死亡時は、ポケットに500円玉一個だけあれば良
い。そして家族と親しい友人に手ぶらで来てもら
い見送ってもらえたら最高!と思ってきました。
高倉健で人気のあったCM「simple life」は憧
れでありますが、、、。

夫婦そろって、金銭で親に頼らない、他人に頼ら
ず、自分達でみなやろうとしてきました。
唯一のスポンサー「銀行」様だけは別、拝み倒し、
場合によっては、きちんと払うのですから、少し
ぐらい騙して?

すみません言葉が過ぎました、見てみぬふりをし
てもらう、いやいやこれもイカン、観てはいるが
担当が気付かなかった、というので30年以上やっ
てこれました。おかげ様で一度も遅れることなく
支払いさせてもらいました。

話が逸れました。金繰りのことになると、力が入
ってしまい、すみません。

実際に葬儀を出してみると、意外と必要になる経
費がありました。ポケットに500玉1個はよいとし
ても、棺もいりますし、体もよく焼いてもらわね
ばなりません。お金が足りないから、ほなさんは
レアで、なんてことになりますと、気持ち悪くて
誰も引き取ってくれませんからね。

後始末をしてもらう程度のお金はいりそうです。
simple lifeの実現は難しいものかもしれません。

昔、親が固定資産税が大変だとこぼしていたのを
想い出します。
所得税や消費税は、収入や使途に応じてかかりま
すが、住む家にかかる固定資産税は理不尽です。

大地主のようなお金持ちならいざしらず、小さな
マンションに入るのに、死亡保険金をアテしなけ
ればならない、ほなさんは、借家に戻ったほうが
いいのかもと、一瞬頭をよぎりましたが。

相続は、
「たいした財産があるわけでないから、少ない
 財産を分けて、出里を細らせるわけにいかな
 い。」
とひとりしかない姉は受け取りませんでした。
その旦那さん、義兄は田舎の旧家の9人兄弟で育っ
たから、跡取りが元気で頑張ってくれるのが一番
うれしい、と言ってくれたのが、ほなさん夫婦の
心に響きました。

姉夫婦の言葉は、なかなか言えることではありま
せん。もとから相続など一切無いものと考えてき
たほなさん夫婦でしたが、引き継ぐ者として、そ
の責任を重く感じました。

そういう訳で、父の残したモノ、ひとつづつ、丁
寧にその行く末を決めてきました。最後のひとつ
は、長年、家族で住んだ建物でした。
誰も住まない鉄筋コンクリート4階建、固定資産
税が高いのです。

先月壊すことができました。
これで、ほなさんは、肩の荷を降ろせます。
姉夫婦に報告しました。
「建物は無くなったけど、跡地だけはそのまま置
 いとくけん、前、通ったら見てよ。」

父の遺影に向かい、
「やっと終わったぞ。
 おまはんの息子は、周りに助けられて、よう頑
 張ったでよ。安心してな。」
と言いました。
夕陽に光る父の顔は、笑っているような、いない
ような、、、。
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落ち着ける場所(5)

2011年07月02日 | 日記
母のその後は、前に書いたように、はじめ
モジモジとしていたのも慣れ、ホームでだ
んだんと老人らしい生活リズムになり安心
したせいだろう、ずっと元気になった。記
憶がなくとも、混乱はしなくなった。

だが、残念な話が、母の口からでた。
たまに泊まりに帰ってきてくれていたのが、
「(自宅で泊まると)えらいから日帰りに
 するわ。」
と言われてしまったのだ。大変ショックだ。

風呂上り、居間に集まり、今日の出来事な
ど、四方山話をすることができなくなった。
母の落ち着ける場所は、ホームになってし
まった。

あーあ、、、。
母は自らの場所を決めたのだから、こちら
はせっせと通うしかない。
私と妻は、狭いマンションがまた広くなっ
てしまったと実感した。

人に落ち着ける場所があるのと同じように
モノにもその場所がある、と思う。
父のモノを整理しつつ、それぞれがどこへ
行けば、どんな形になれば収まるのか、こ
の二年考えてきた。

田舎の商友で、お金持ちの方は、定期預金
をするつもりで、不動産を増やしてきたら
、売りたくても買い手がなく、あっても馬
鹿みたいな値段だから売れなくて、結局の
ところ、固定資産税を払うために不動産を
もたされているのだ、と嘆く。
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落ち着ける場所(4)

2011年07月01日 | 日記
徳島の北方の場所で、初めて会う方が言った
地域は、正反対、南隣町の山間部だった。
そこには、紙に書かれた○○さんが居るとい
う。そして、その親切なおじさんは、電話を
して尋ねてあげるから、と言った。そういう
おじさんが不思議な人にみえた。

狐につままれたとは、このことを言うのだろ
う。尋ね人がわからず、行き当たりばったり
で飛び込んだ先で、偶然にも名を知っている
人に当たったのだから。

しかし、同姓はたくさんある、田舎では特に
そうだと想像した。間違いにしろ、記憶の定
かでない母も、ここまでやれば納得して帰途
につくだろうと思った。電話機の上にある柱
時計は、9時をさしていた。

おじさんは電話して、
「あんたなぁ、徳島の○○さんというおばあ
 さんを知らんけ。梨をあげると約束したそ
 うなんやけど。」
電話の向こうから、
「○○さんのおばあさんなら、衣料品屋を知
 ってるわ。」
と女性の声が聴こえた。

大当たり!だ。

事情を聞いて、合点がいった。
梨をあげると約束した方は、ほなさんの店の
お客様で、隣町から半年に1回ぐらいお買物
にきてくれていたが、ここ数年はお見かけし
ていなかった。そのため、お客様の名を聞い
ても、私はピンとこなかった。

母の出里は梨農園をやっており、その梨が自
慢の母は、今年の新しいのが取れたなら、あ
げるからと、この方に約束していたようなの
だ。実際は、梨はJAに全部管理されている
から、母がJAで買い求め、知り合いの方へ
送ってきたのに、この方へは渡し忘れていた。
梨の季節がずっと過ぎた今日、ふと思い出し
たようなのだ。

翌日、○○さんが、隣町から母に会いに来て
くれた。
よく覚えていてくれた、そして、よくもまぁ
探してくれたものだと、手作りのお惣菜や野
菜をいっぱい持ってきてくださった。
ありがたいことだ。

でも、肝心の梨のプレゼントはできずじまい
に終わったが、それにしても不思議な話だっ
た。砂場で一本の針を探すような出来事で、
縁というものは、、、と思った。

この翌月、母は施設へ入所した。
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