子供がおばあちゃんのところに泊まりにいった間隙を縫って、妻と映画に行ってきた。いつも映画館は一人なのでちょっと緊張する。
で、ストーンズのドキュメンタリーなのだ、この映画は。なんといっても、監督は、あの名作ザ・バンドの「ラストワルツ」を撮った巨匠、マーティン・スコセッシなのである。期待は高まるわけだ。
で、見てみたが、まず大笑いさせてもらって本当に快哉を叫びたかったのが、冒頭のあたりのシーケンスであって
(以下ネタバレですので、これから見られる方は読まぬように)
スコセッシが、画面にどんどん出てくるわけですが(そういうヒッチコックみたいなタイプの人だとは思っていなかったわけですが)彼は素晴らしいセットを、伝統あるホールであるニューヨークのビーコンシアターに仕込み、カメラクルーを手配し万全の状況を作るべく、ストーンズにセットリストを見せてくれと言い続ける。おそらく何週間も前からだ。でもストーンズ、ミックは、セットの模型を見るだけで、なんでこんなものが必要なのか、これは気に入らない、と言い散らかす。しかもセットリストは苛立つスコセッシを尻目に、のんびりと考えている。焦る一方のスコセッシを嘲笑うかのように。で、結局、スコセッシも根負けして苦笑しつつ、ついに、コンサート当日。それでもリストは出ない。セットリストが届いたのは一曲目が始まったところからだ。
何を意味しているのか。
バンドなんだよ、彼らがやっているのは。それも初期衝動を失っていない、恐るべきことに、いまだにアマチュアリズムを宝石のように大切にした、好きなことだけを好きなようにやっているバンドなんだよ。初期衝動において、モチベーションにおいて、どんなでかいステージでも、どんな由緒正しいステージでも、そして映画クリューがいようが、いまいが、彼らのアティテュードは、高校生の文化祭と同じだ。彼らに映画の都合でセットリストを事前に出せ、といったって、出すもんか。しょせんバンドなんだよ、好きなようにやるんだよ。出しておいてわざと全然違うことをしなかっただけだって上等だ。
ロックはいっておくが、仕事ではない。
さらに当たり前だが、芸術でもない。
ショービジネスですらない。
ロックは、ロックだ。
勝手に好きなことをでっかい音でやってるだけだよ。
それがただただ好きなんだよ。
別にそれが好きな人だけが聴きに来ればいい。
誰もいなくたって、楽しい。やってるのが楽しいんだよ。
別にビックになっていようが、街角のパブで演奏していようが、そんなの、関係ねー、なわけだ。
それを、見事なまでに体現し、見事なまでに映画人、それも巨匠であるスコセッシを虚仮にしたところが、本当に、本当にすばらしいぜ。ミック。ほかのメンバーは虚仮にすることにすら、興味がなかったと思うけどな。
で、実は、それはスコセッシは知っていたのだ、というか、一曲目が始まった瞬間にそれを理解したのだろう、それ以降のカメラワークは、まさにロックバカ一代の彼らをただただとることに集中しており、いわゆる音楽上の哲学だの、ロックの生き方だの、そういうことを一切排除した、ステージ上のメンバーの生き生きとしたやり取りだけを追っかけている。そういう意味でこれはドキュメンタリー映画ですらなく、ライブ映像にすぎない。とてつもなく上質で、センスのいいライブ映像だ。スコセッシの、意味付けを敢えて配した映画づくりの、この潔さは、とてもよかった。まさに、ストーンズだ。
それにしてもミックは、とんでもない化け物としか言いようがない。東京ドームのライブでも思ったが、あのスレンダーでバネのように撓る体で、疲れを知らないかのように歌いまくる。あの声。エッジの利いた、まったく、美声でも何でもない、しかしロックとしかいいようがない、ほかの誰にも出せない、あの声。そしてスポークスマンとしての頭の回転の良さ、ストーンズを長年運営する卓越したビジネスセンス。
キース。ヤツはタバコをくわえたロック&ロールの法王である。彼のギターは、ロック&ロールそのものだ。実はこのロールの部分が大切だ。ロックだけじゃない、縦ノリだけじゃない、ロールとは、うねりであり、もたりであり、弛緩である。
ロン、まさに仕事人。実に的確に音楽をまとめる、まだまだストーンズでは、あのキャリアをして、新顔であり、まだまだ新人だ。
チャーリー。まさに彼が実はストーンズであって、あのリズムなしには、ストーンズは存在しない。
ベースのダリル・ジョーンズ(サポート)。マイルスとストーンズに仕えたベーシスト。その理由は、あのとてつもないグルーヴだ。まさにうねる、太いグルーヴ。ライブ中、キースは都度つどダリルのほうに行ってはニコニコしているが、それは、ダリルのベースが気持よくて仕方ないからだろう。
それにしても、ストーンズのカッコよさっていったい、何だのだろうか。年末にライブハウスで見た若いバンドたちは、実にうまかった。でも、ストーンズって、実にうまいのか。いや、真似できないし、世界一のロックバンドだよ。でも上手いのか? ここにはロックだけでなくあらゆる音楽を演奏する人間にとって考えて考えて考え抜かなくてはならないものがあるはずだ。
そのヒントは、この映画の中での数少ないインタビュー部分にあった。ロンに向かってインタビュアーはこういった。あなたとキースではどっちがギターがうまいのか。ロンは「もちろん俺だよ」と言った。キースは「ロンはきっとそう言うだろうと思ったよ」と言った。そしてその後、キースはおもむろにこう言った「二人ともヘタだ。でも二人揃うと最強だ」。
この言葉を、ロックギタリスト諸氏、共に深く噛みしめよう。いや、ギターだけじゃないぞ。音楽を演奏する人間全員に有効な御宣託である。深く胸に刻むべし。
この映画の妻の感想は「響けブログ」にありますので、そちらもぜひご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/hibikeblog
で、ストーンズのドキュメンタリーなのだ、この映画は。なんといっても、監督は、あの名作ザ・バンドの「ラストワルツ」を撮った巨匠、マーティン・スコセッシなのである。期待は高まるわけだ。
で、見てみたが、まず大笑いさせてもらって本当に快哉を叫びたかったのが、冒頭のあたりのシーケンスであって
(以下ネタバレですので、これから見られる方は読まぬように)
スコセッシが、画面にどんどん出てくるわけですが(そういうヒッチコックみたいなタイプの人だとは思っていなかったわけですが)彼は素晴らしいセットを、伝統あるホールであるニューヨークのビーコンシアターに仕込み、カメラクルーを手配し万全の状況を作るべく、ストーンズにセットリストを見せてくれと言い続ける。おそらく何週間も前からだ。でもストーンズ、ミックは、セットの模型を見るだけで、なんでこんなものが必要なのか、これは気に入らない、と言い散らかす。しかもセットリストは苛立つスコセッシを尻目に、のんびりと考えている。焦る一方のスコセッシを嘲笑うかのように。で、結局、スコセッシも根負けして苦笑しつつ、ついに、コンサート当日。それでもリストは出ない。セットリストが届いたのは一曲目が始まったところからだ。
何を意味しているのか。
バンドなんだよ、彼らがやっているのは。それも初期衝動を失っていない、恐るべきことに、いまだにアマチュアリズムを宝石のように大切にした、好きなことだけを好きなようにやっているバンドなんだよ。初期衝動において、モチベーションにおいて、どんなでかいステージでも、どんな由緒正しいステージでも、そして映画クリューがいようが、いまいが、彼らのアティテュードは、高校生の文化祭と同じだ。彼らに映画の都合でセットリストを事前に出せ、といったって、出すもんか。しょせんバンドなんだよ、好きなようにやるんだよ。出しておいてわざと全然違うことをしなかっただけだって上等だ。
ロックはいっておくが、仕事ではない。
さらに当たり前だが、芸術でもない。
ショービジネスですらない。
ロックは、ロックだ。
勝手に好きなことをでっかい音でやってるだけだよ。
それがただただ好きなんだよ。
別にそれが好きな人だけが聴きに来ればいい。
誰もいなくたって、楽しい。やってるのが楽しいんだよ。
別にビックになっていようが、街角のパブで演奏していようが、そんなの、関係ねー、なわけだ。
それを、見事なまでに体現し、見事なまでに映画人、それも巨匠であるスコセッシを虚仮にしたところが、本当に、本当にすばらしいぜ。ミック。ほかのメンバーは虚仮にすることにすら、興味がなかったと思うけどな。
で、実は、それはスコセッシは知っていたのだ、というか、一曲目が始まった瞬間にそれを理解したのだろう、それ以降のカメラワークは、まさにロックバカ一代の彼らをただただとることに集中しており、いわゆる音楽上の哲学だの、ロックの生き方だの、そういうことを一切排除した、ステージ上のメンバーの生き生きとしたやり取りだけを追っかけている。そういう意味でこれはドキュメンタリー映画ですらなく、ライブ映像にすぎない。とてつもなく上質で、センスのいいライブ映像だ。スコセッシの、意味付けを敢えて配した映画づくりの、この潔さは、とてもよかった。まさに、ストーンズだ。
それにしてもミックは、とんでもない化け物としか言いようがない。東京ドームのライブでも思ったが、あのスレンダーでバネのように撓る体で、疲れを知らないかのように歌いまくる。あの声。エッジの利いた、まったく、美声でも何でもない、しかしロックとしかいいようがない、ほかの誰にも出せない、あの声。そしてスポークスマンとしての頭の回転の良さ、ストーンズを長年運営する卓越したビジネスセンス。
キース。ヤツはタバコをくわえたロック&ロールの法王である。彼のギターは、ロック&ロールそのものだ。実はこのロールの部分が大切だ。ロックだけじゃない、縦ノリだけじゃない、ロールとは、うねりであり、もたりであり、弛緩である。
ロン、まさに仕事人。実に的確に音楽をまとめる、まだまだストーンズでは、あのキャリアをして、新顔であり、まだまだ新人だ。
チャーリー。まさに彼が実はストーンズであって、あのリズムなしには、ストーンズは存在しない。
ベースのダリル・ジョーンズ(サポート)。マイルスとストーンズに仕えたベーシスト。その理由は、あのとてつもないグルーヴだ。まさにうねる、太いグルーヴ。ライブ中、キースは都度つどダリルのほうに行ってはニコニコしているが、それは、ダリルのベースが気持よくて仕方ないからだろう。
それにしても、ストーンズのカッコよさっていったい、何だのだろうか。年末にライブハウスで見た若いバンドたちは、実にうまかった。でも、ストーンズって、実にうまいのか。いや、真似できないし、世界一のロックバンドだよ。でも上手いのか? ここにはロックだけでなくあらゆる音楽を演奏する人間にとって考えて考えて考え抜かなくてはならないものがあるはずだ。
そのヒントは、この映画の中での数少ないインタビュー部分にあった。ロンに向かってインタビュアーはこういった。あなたとキースではどっちがギターがうまいのか。ロンは「もちろん俺だよ」と言った。キースは「ロンはきっとそう言うだろうと思ったよ」と言った。そしてその後、キースはおもむろにこう言った「二人ともヘタだ。でも二人揃うと最強だ」。
この言葉を、ロックギタリスト諸氏、共に深く噛みしめよう。いや、ギターだけじゃないぞ。音楽を演奏する人間全員に有効な御宣託である。深く胸に刻むべし。
この映画の妻の感想は「響けブログ」にありますので、そちらもぜひご覧ください。
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