ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

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仕事の記録 AktioNote 創造する人のためのプレイリストFEB 14, 2023追悼 ジェフ・ベック「さよなら、永遠のギター少年」

2023年02月14日 10時38分14秒 | コンサートレビュー

仕事の記録 AktioNote 創造する人のためのプレイリストFEB 14, 2023追悼 ジェフ・ベック「さよなら、永遠のギター少年」

 
池谷恵司
 

 

入魂しました。

ジェフ・ベック、大好きだったし、東京国際フォーラムでのライブも行ったけど、ギタリストとして直接的な影響はあまり受けていないと思っていた。ベックのワイヤードとか、ヤン・ハマーとの共演のライブ・ワイヤーとか、あのあたりがハイブローですごすぎて、影響を受けるどころではない、なんだかすごすぎてわからない、というのが高校時代の俺だった。もろに直接的な影響はジミ・ヘンだ。(というか浜松のジミヘンのカバーバンドのイザベラ)

が、今回記事作成する上で再度ジェフ・ベックのキャリアの頭から終わりまでガーっと聴いてみたところ、意外にももの凄う影響を受けていたことを自覚しました。

特に、ジェフ・ベック・グループ。ロン・ウッドの唸るベース、ロッド・スチュアートのカッコイイボーカル。それらを引き裂くぐらい鋭いジェフのギター。あの感じは、たぶん高校時代にものすごく影響を受けていた、と思う。たぶんベック・オラを散々聴いたんだと思う。アルバム一枚流すFMの番組が当時あって、それをエアチェックした気がする。

脱線するが、今のように世界中の音源をなんでもかんでも検索してただで聴き放題、という時代ではなく、アルバムは高いし(1970年代から2500円)、しかも田舎の街では、そうそういいアルバムは売っていない。東京に来たときにタワーレコードに行って、幸せで倒れそうになった、という状況で聞くアルバム1枚への集中度と吸収度は、今のそれとは比べものにならないのだった。YouTubeがないので弾き方がわからず想像してやってみるのも楽しいところで、美しい誤解から新しい奏法が生まれる可能性もあった。

記事にも書いたけど、とにかく1931年にエレキギターが生まれて90年だが、その歴史の中で、エレキギター弾きとしては頂点にいるのがジェフ・ベックであることは、疑いがないし、あらゆるギター弾きはジェフに敬意と弔意を示すべきだと思う。

ジェフ、少年時代に俺の脳みそを吹っ飛ばすエレキギターをお見舞いしてくれて、ありがとうございました。いまでも毎日楽しく弾いています。お陰で幸せな人生です。


ウクライナで。ロシアで。言葉は嘘をつける。真実はどこにあるのか。

2022年04月20日 03時11分13秒 | コンサートレビュー

eyecatch

 

ウクライナ、ロシアで。言葉は嘘をつける。真実はどこにあるのか。

京都大学元総長、ゴリラ学者の山極壽一先生に伺った話が忘れられない。
「言葉は不完全なもの」「言葉は嘘をつける」
そのとおりだ。

ウクライナ戦争での報道は、どこまで真実なのか。
ロシア国内での報道はどこまで真実なのか。
両国ともに先方の報道をプロパガンダという。
我々日本では欧米諸国側の報道がそのまま
鵜呑みされた状態で報道されている。

結局僕たちは体験も場の共有もしていないので
すべて言葉と、電子的な映像でしか知らない。

たとえば第二次世界大戦中の日本人は、
徹底的な報道規制と、植え込まれた道徳規範の中で
どこまで真実を知っていたのか。

ひょっとして真実などないのだろうか。


“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” 

2022年04月19日 10時17分17秒 | コンサートレビュー

“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” 音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない。

池谷恵司
 
画像1“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” エリック・ドルフィーの言葉。音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない。だがそれを「花いけ」として結晶させるという美しい試み。

King Crimson2021@立川ライブレビュー それは「ヴィンテージレプリカ」(バッシング覚悟で)

2021年12月18日 17時17分40秒 | コンサートレビュー

King Crimson@立川ライブレビュー それは「ヴィンテージレプリカ」(バッシング覚悟で)

 

さほどKing Crimsonの熱心なファンではなく、80年代のエイドリアン・ブリューがいた頃の3部作を特に偏愛する人間のレビューです。先に言っておきます。さらに言えばPink Floyd以外のプログレはわりと「嫌い」ですので、すいません。プログレ好きな方はこれより下は読まずにいただければと。

まず立川という場所にKing Crimsonが来る、ということが、なんというか軽いめまいを起こしそうな気分でした。正直言って面白いと感じた。
とはいえこのホールは音響施設の取材をしたことがあり、音が良いであろうことは分かっていました。また家から電車一本でいけるのもあり、さらには近年のトリプルドラムのKing Crimsonが非常にプロ筋、玄人筋からも評価が高いので言ってみたのでした。

席が悪かったせいか(3階席下手でステージを見下ろす場所、ただし3階席の最前列)、ドラムの音やボーカルはわりとしっかり聞き取れたのですが、最も生音をがっつり聞きたいと思っていたトニー・レビンのベースの音があまり聞き取れなかった。それが最大の残念ポイントでした。
とはいえ、それは彼らのせいではありません。ギターが80年代の曲をやるには若干スキル不足かな、とも感じましたが、エイドリアン・ブリューの不在は致し方ないところ。ビル・ブラッフォードもいないし、今は80年代ではないわけですから。

ここから核心。ベスト・オブ・ベストと言われているセットリストですが、私には非常に良くできた「レプリカ」にしか思えませんでした。最も先進的だったものが、ヴィンテージ化する。これは左翼の老人(おれなのか)にも感じる、昔の革新性をそのまま保守化したもの、というか。ボーカルの妙に上手くて何でもできる感じが、それを助長していました。ただしボーカルの生だと矮小化するつもりはなく、今のバンドコンセプトが「ヴィンテージレプリカ」なのではないかと思えます。
これがまた非常に高齢化している観客と相まって(他人のことは言えない)、昔のやんちゃ時代を愛おしむみたいに見えて、ロック的スピリッツからは唾棄すべきものに見えた、のです。

80年代のクリムゾンは3枚のアルバムを出し、そこからの曲しか基本的にしていなかった。いわゆるプログレだった過去をニューウェーブ的なアプローチと、デジタルドラム、トニーレヴィンのスティック、そして全身ニューウェーブなエイドリアン・ブリューのギターと歌を使うことで自己否定していたように思います。

当時のクリムゾンは「今はまだ人生を語らず」。Slackぐらいまではそう感じていました。今のクリムゾンは「昔の名前で出ています」。かな。もうKing Crimsonをライブでみるのはこれが最後になると思います。

アンコールでやったStarless and Bible blackは非常に良かった。これを生King Crimsonの最後にできたのは良かった。特にトニー・レビンのベースが絶品だった。


生演奏、それはマスタリングされない、プロセッシングされない音楽のテクスチャーを味わうこと。

2021年07月10日 19時58分39秒 | コンサートレビュー
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生演奏、それはマスタリングされない、プロセッシングされない音楽のテクスチャーを味わうこと。

 

ジロキチで本物のライブ久々。毎日音楽は聴いているが、電気的に記録された再生音は常にマスタリングされ、整えられ同じスピーカーから出てくる。でも本当の生の音楽は人間の数だけ、楽器の数だけ、それぞれの場所から、それぞれの音色で、手つかずのまま出てきて混じり合って音楽を紡ぐ。

生演奏を久々に耳にすると思うのが、音というもの、音楽というものはマスタリングされて、プロセッシングされると、全くといっていいぐらいテクスチャーが変わってしまう。RAWではない。しかもそれが電気的に録音されて、何度も再生可能な記録になると、これまた激しく音楽はかわるのだなぁ、という当たり前のこと。これを今日もまた痛いほど思い知らされた。

音楽の現場とは、ただ1回限りのかけがえのないものだ。これは「生命」と同じだな。


筒美京平のトリビュートコンサート、コンサートレビュー、あるいは「さよなら 歌謡曲。」

2021年05月10日 09時56分49秒 | コンサートレビュー
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筒美京平のトリビュートコンサート、コンサートレビュー、あるいは「さよなら 歌謡曲。」

 

忘れないうちに筒美京平のトリビュートコンサートの感想を書いておく。

筒美京平は私にとって、そして多くの日本人にとって歌謡曲の代名詞だろう。特にぼくのような1960年代生まれの音楽好きに取っては決定的で、洋楽、ポップスの入り口になった音楽をたくさん、本当にたくさん生み出して聞かせてくれた。

筒美京平の楽曲がなければ僕は音楽好きにならなかったのかもしれない。今でも演歌は基本的に嫌いだし、歌謡曲の嫌な部分も多いが、歌謡曲の好きな部分は筒美京平そのものだとコンサートを見ていて思い当たった。
また同時に日本の音楽における歴史的使命は終わっただなとも感じたのも事実だ。30年にわたってリードしてきたのだから偉大ではあるが、歌謡曲という音楽そのものが終わってしまったのだから、仕方がないことだとは思う。Nokkoが歌う人魚みたいな曲が大抵筒美京平の代表曲の最後尾として紹介されるが、すでにロックによる歌謡曲のパロディに聴こえる。もちろんいい曲だとは思うが。

コロナ禍だがあえてコンサートに行ったのはちょっと信じがたいメンバーがでるコンサートだからで、これがみられたのはある意味、コロナの奇跡かもしれなかった。紅白歌合戦も裸足で逃げるような出演者だった。
あえて大学生の子どもも連れて行ったのは今思えば正解で、もう二度とみることはできないであろう歌謡曲の終焉を目撃したできたと思う。
だからあのコンサートは筒美京平への追悼であると同時に歌謡曲の葬式であったのだろうと思えるのだ。

※末尾に登場した歌手と曲を転載しておきます。ちなみにコンサートは4/17, 4/18の両日がありましたが私がいったのは4/18でした。

画像1

さて個別に感想を書いておくと

・前半の還暦過ぎ方たちは、正直言って出てきただけでokというレジェンドであって、生存確認にはなったが音楽的には残骸であった。老いは隠せないし、生で見れてよかったなという感じだ。

・ただその中で今回のライブで一番良かったと思えるのが浅田美代子の、例の歌だ。
これは感動的だった。下手であること、上手くならないこと、技巧のなさが、そのまま歌の魅力、人の魅力、ひいては想いまでが伝わってきたし、全く普段着とも思えるパーカーで歌ったところも、実は歌謡曲でありながら、歌謡曲を超克している。一言も語らず去っていった潔さも素晴らしかった。

・岩崎宏美はやっぱり圧巻だった。

・松本伊代、早見優などの80年代アイドルはまだまだ行ける感じだなぁ。

・ローリーの「AMBITIOUS JAPAN! 」にはロックファンの歌謡曲への怒りが感じられてとてもよかった。歌謡曲が好き、だけど憎いというアンヴィバレンツな感情は歌謡曲が圧倒的な力を持っていた時代にバンドをやっていた我々の共通の感情だろうと思う。

・斉藤ゆきの「卒業」の女優魂。これも圧巻だった。歌ではなく一つの芝居のようだ。

・大友康平の残念感は覆い隠せない

・中村雅俊とか、郷ひろみとか、野口五郎とか、大橋純子とか、庄野真代の不滅感はすごかった。どうなってるんだろうか。松崎しげるの歌の上手さも、これまた初のライブ体験だったがゴイスーだったなぁ。

・ジュディオングの「魅せられて」は、まさに歌謡曲の葬儀の終わりを感じさせる最終曲だった。

・あとは、友人のお嬢さん、樋口日奈ちゃんが生で見られて良かったです。


2021年4月17日(土)
No.「TITLE」/ARTIST(オリジナル)
<第1部>
01. OVERTURE / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ① / バンドのみ
02. ブルー・ライト・ヨコハマ / 伊東ゆかり(いしだあゆみ)
03. 誰も知らない / 伊東ゆかり
04. 雨がやんだら / 夏木マリ(朝丘雪路)
05. 真夏の出来事 / 平山三紀
06. 芽ばえ / 麻丘めぐみ
07. わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ
08. 赤い風船 / 浅田美代子
09. にがい涙 / AMAZONS (スリー・ディグリーズ)
10. セクシー・バス・ストップ / 野宮真貴(浅野ゆう子)
11. 木綿のハンカチーフ / 太田裕美
12. 九月の雨 / 太田裕美
13. 東京ららばい / 森口博子(中原理恵)
14. リップスティック / 森口博子(桜田淳子)
15. 青い地平線 / ブレッド&バター
16. 哀愁トゥナイト / 大友康平 (桑名正博)
17. セクシャルバイオレットNo.1 / 大友康平 (桑名正博)
18. ドラマティック・レイン / 稲垣潤一
19. センチメンタル・ジャーニー / 松本伊代
20. 夏色のナンシー / 早見優
21. あなたを・もっと・知りたくて / 武藤彩未(薬師丸ひろ子)
22. 卒業 / 斉藤由貴
<第2部>
23. Romanticが止まらない / C-C-B
24. Lucky Chanceをもう一度 / C-C-B
25. WAKU WAKUさせて / AMAZONS featuring 大滝裕子(中山美穂)
26. Oneway Generation / Little Black Dress (本田美奈子)
27. 抱きしめてTONIGHT / 藤井隆(田原俊彦)
28. 人魚 / NOKKO
29. AMBITIOUS JAPAN! / ROLLY (TOKIO)
30. バンドメンバー紹介曲 / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ② / バンドのみ
31. 17才 / 早見優、松本伊代、森口博子、武藤彩未(南沙織)
32. 男の子女の子 / 郷ひろみ
33. よろしく哀愁 / 郷ひろみ
34. 甘い生活 / 野口五郎
35. グッド・ラック / 野口五郎
36. 時代遅れの恋人たち / 中村雅俊
37. 海を抱きしめて / 中村雅俊
38. たそがれマイ・ラブ / 大橋純子
39. 飛んでイスタンブール / 庄野真代
40. モンテカルロで乾杯 / 庄野真代
41. さらば恋人 / 松崎しげる(堺正章)
42. 魅せられて / ジュディ・オング
<アンコール>
E-1. 雨だれ / 太田裕美
E-2. 裸のビーナス / 郷ひろみ
E-3. また逢う日まで / 松崎しげる(尾崎紀世彦)

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2021年4月18日(日)公演
No.「TITLE」/ARTIST(オリジナル)
<第1部>
01. OVERTURE / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ① / バンドのみ
02. ブルー・ライト・ヨコハマ / 伊東ゆかり(いしだあゆみ)
03. 誰も知らない / 伊東ゆかり
04. 雨がやんだら / 夏木マリ(朝丘雪路)
05. 真夏の出来事 / 平山三紀
06. 芽ばえ / 麻丘めぐみ
07. わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ
08. 赤い風船 / 浅田美代子
09. にがい涙 / AMAZONS (スリー・ディグリーズ)
10. セクシー・バス・ストップ / 野宮真貴 (浅野ゆう子)
11. ロマンス / 岩崎宏美
12. 木綿のハンカチーフ / 太田裕美
13. 九月の雨 / 太田裕美
14. 東京ららばい / 森口博子(中原理恵)
15. リップスティック / 森口博子(桜田淳子)
16. 青い地平線 / ブレッド&バター
17. 哀愁トゥナイト / 大友康平 (桑名正博)
18. セクシャルバイオレットNo.1 / 大友康平 (桑名正博)
19. センチメンタル・ジャーニー / 松本伊代
20. 夏色のナンシー / 早見優
21. あなたを・もっと・知りたくて / 武藤彩未(薬師丸ひろ子)
22. 卒業 / 斉藤由貴
<第2部>
23. Romanticが止まらない / C-C-B
24. Lucky Chanceをもう一度 / C-C-B
25. WAKU WAKUさせて / AMAZONS featuring 大滝裕子(中山美穂)
26. なんてたってアイドル / 乃木坂46(伊藤純奈 & 樋口日奈)(小泉今日子)
27. Oneway Generation / Little Black Dress(本田美奈子)
28. 抱きしめてTONIGHT / 藤井隆(田原俊彦)
29. 人魚 / NOKKO
30. AMBITIOUS JAPAN! / ROLLY(TOKIO)
31. バンドメンバー紹介曲 / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ② / バンドのみ
32. 男の子女の子 / 郷ひろみ
33. よろしく哀愁 / 郷ひろみ
34. 甘い生活 / 野口五郎
35. グッド・ラック / 野口五郎
36. 時代遅れの恋人たち / 中村雅俊
37. 海を抱きしめて / 中村雅俊
38. たそがれマイ・ラブ / 大橋純子
39. 飛んでイスタンブール / 庄野真代
40. モンテカルロで乾杯 / 庄野真代
41. さらば恋人 / 松崎しげる(堺正章)
42. 魅せられて / ジュディ・オング
<アンコール>
E-1. オレンジの雨 / 野口五郎
E-2. シンデレラ・ハネムーン / 岩崎宏美
E-3. また逢う日まで / 松崎しげる(尾崎紀世彦)

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Band
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演奏:『 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズ 』
船山基紀(音楽監督・指揮) / 中西康晴(Keyboards) / 安部潤(Keyboards) / 土方隆行(Guitar) / 増崎孝司(Guitar) / 吉川忠英(A.Guitar) / 髙水健司(Bass) / 山木秀夫(Drums) / 斉藤ノヴ(Percussion) / AMAZONS(Chorus):大滝裕子・斉藤久美・吉川智子 / ルイス・バジェ(Trumpet) / 竹内悠馬(Trumpet) / 鍵和田道男(Trombone) / アンディ・ウルフ(Saxophone) / 石亀協子Strings
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オーストラリアのピーター・ノーマンという素晴らしい男に献杯する。

2020年10月13日 10時09分43秒 | コンサートレビュー
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オーストラリアのピーター・ノーマンという素晴らしい男に献杯する。

 
 

昨日はオーストラリアの1968年オリンピック、メキシコシティー大会でのオーストラリアのピーター・ノーマンのストーリーに泣いた。棺の先頭を担いだのは表彰台でブラックパワーソリュートを行ったトミー・スミスとジョン・カーロス。像を造るときに断り、そこには誰でもが載れるようにしたいと言ったそうだ。


https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/20.html

 
 

狭間美帆さんも、私も涙ぐんだのだった

2020年09月20日 12時25分58秒 | コンサートレビュー

狭間美帆さんも、私も涙ぐんだのだった

 

 

8/16/2020 池袋の東京芸術劇場で、狭間美帆プロデュースによるシンフォニックジャズ・フィーチャリング渡辺香津美を見て涙ぐんだことを、忘れてしまいそうなので時機を逸したが書いておこうと思う。

コロナ禍による緊急事態宣言が終わって間もない頃、そしてまだあらゆる舞台の公演がまだ行われていない頃、僕は仕事で東京芸術劇場の副館長、高萩さんに取材する機会に恵まれた。

舞台人、演劇人、劇場が遭遇している未曾有の危機、その大きさの衝撃をまだ受けている最中だった。内容はぜひ上記記事を参照していただきたいが、その時に最も印象に残っているのは

「髙萩氏:そうですね。生の音楽や演劇が今まで以上に貴重品となり、大切にしたいと考える方もいらっしゃるでしょうし、今だからこそ、生の公演を見たいと思う方もいらっしゃるでしょう。私自身、今この状況でホールでオーケストラの交響曲を聴いたら、ものすごく感動するんじゃないかなと思っています。」という言葉だった。そして私もそれまで週に1回はピットインや下北沢アポロなどのライブハウスにジャズのライブを聴きにいっていた私も、同感だった。

その後、今までのキャパでの公演はまだ許されていないとはいえ、ライブは慎重に解禁された。私も数回いったが、家庭の事情もあり今までのようにノーリスクで行ける気楽さはない。

とはいえ、東京芸術劇場のコンサートホールで、ジャズのラージアンサンブルの第一人者である狭間美帆さんが、東京フィルハーモニー交響楽団と自身のm-unitで演奏し、そのメンバーに私が敬愛するトランペッター石川広行氏がいる、しかもゲストに渡辺香津美さんが来るというのは見逃せないと思い出かけてみたのが、どこにも行けない特別な夏のお盆の真っ最中8/16だった。

コロナ禍で最初の東京での公的ホールの最初の演奏、パイプオルガンのコンサートを東京芸術劇場で見たのが6月でその時のことは以下に書いた。

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大ホールでたった一人の奏者、わずか100人の聴衆。そこからやっとジャズオーケストラが聴けるようになった。とはいえキャパはまだ半分なので客席はやや淋しいし、半分で満席だとしても、満席には至っていなかったと思う。

コンサートが始まる、そのブザーが鳴って袖から「お願いします!」というオーケストラのマネージャーの声が聞こえてバイオリンを携えた奏者が左右の袖から出てきた、僕はそれだけで落涙してしまった。

音楽は聴くだけでも一人で練習するだけでも、そしてソロ演奏だって十分楽しいが、人と合奏する、アンサンブルする、バンドで演奏することの楽しさは、人生で他に比べられる物はないほどの歓びであり福音ですらある。それが長い間禁じられていて、ついに演奏できる、それを聴くことができると思っただけで、自分での予測できなかった、信じられないほどの歓喜を感じたのだった。

オケが揃い、長身で凛々しい狭間さんが出てきて指揮を始めて演奏が始まる。さすが新世代で、スコアはすべてiPadだ。オケの弦楽器の繊細な音、非常に高域まで伸びた弦を擦る音は、生のオケを聴かないと味わうことはできない。高橋信之介のドラムは大ホールに響いている。

一曲目が終わり、客席を向いた狭間さんは、コロナのリスクがあるなか、こんなに大勢の方に来ていただいて、感謝します、私も数ヶ月家に閉じ込められていて、お客さまの前で演奏することができませんでした、というMCをしたが、途中彼女も落涙して、言葉が途切れた。

コロナ禍について言えば、私は結果的に進化を助ける触媒である、であるべきだと思っている。必ず終息はする。しかしそこまで耐えて良かった、良かったと以前に戻るべきではないと思っている(すでに世間で言えば定年近いオッサンなので、戻りたい気持ち、なかったことにしたい気持ちも理解はできるが)。印鑑・社判、定時に毎日出社すること、それに伴う通勤通学の満員電車、頭数を揃えての意味の薄い会議、行かないと失礼になる営業など。デジタルテクノロジーを使って効率化すべきことは、このショック療法を機にどんどん進めていくべきだし、進んだ国、コミュニティは実はコロナ以前からテレカン、非印鑑、在宅ワーク、フリーアドレス、採用労働などは認めていた。だから、コロナ禍のお陰でやっと追いついたというレベルであって、コロナ禍があったからデジタル省ができたなんてのは、遅きに失したことだ。

しかし、コロナ禍で見えたもうひとつは、同じ場所で生のものを味わわないと享受できないこと、同期でないと体験できないことも、思いのほかあったと言うことだ。これは今後もなくしてはならないし、コロナ禍によって、それがいかに貴重で、大切で、贅沢で、歓びに満ちたことであるかということを認識できた。今まではノーリスクでやりたいほうだいだったわけで、ある意味無邪気なティーンエージャーの○○みたいものだったわけだが、○○は実はなくては文化的に死んでしまうもの、滅亡してしまうものであることがわかった大人として、今後、コロナ禍においてはリスクを管理しながら、そして必要なコストと手間をかけながら、今後も生演奏、公演、パフォーミングアーツをよりいっそう貴重なものとして育んで行かなくてはならないと思うのだった。

本文の終わり

で、以下はおまけ。

書き忘れたフィーチャリングゲストの渡辺香津美さんの演奏だが、多分素晴らしかったのだとは思う。ただ、わたしの席がオーケストラの下手真上の当たる席だったせいで(お陰で狭間美帆さんの指揮は前からしっかり見れて幸運だった)ギターアンプの音が殆どきこえず、PAの音もほぼ聞こえず、渡辺香津美さんも後ろ姿しか見えなかったのだった。

ジャズとクラシックの融合、という場合、音楽家の担う音楽性とは別の次元で、クラシック楽器とジャズの楽器の音量の問題、クラシックのホール音響とPAと弦楽器の生音の問題は、まだ大いに検討、改善の余地が膨大にあると思う。今回も私の席で聴いた印象では、ドラムのスネアの音は響きすぎる、でもハイハットやライドの刻みはあまり聞こえない。ウッドベースの音、ギターアンプの音はほとんど聞こえない、管楽器のソロの音も吸われていくので奏者はめいっぱい吹いてしまうので辛そうに見えた。(でも石川広行氏のソロは、何時もの小音量の時とはまた違った鳴らし方で、それが味わえたのは良かったし、ソロの内容も実に素晴らしかった)

ちなみに、毎年通っている渋さ知らズのラフォルジュルネでの東京国際フォーラムのホールで聴く時も残響が大きすぎて音がぐちゃぐちゃだったし、ある年の渋さ知らズ知らズのラフォルジュルネは演奏者として参加したこともあるが、ステージ上でもバンド全体の音は非常に聞き取りにくかった。

このあたりは、ジャズ+クラシックという音楽ジャンルの内容がどんどん進化し、現代の音楽のクリエイティブの最先鋭となる中で、音楽家を支える音響チームには頑張っていただきたい点だ。


ホールで演奏を聴くことが、どれだけ貴重でかけがえのないことになってしまったのか

2020年06月23日 16時04分16秒 | コンサートレビュー

私は自分で演奏もするが、ライブもよく見る人間で、観に行くライブはジャズがほとんどだが、週に1回は(ほんとうはもっとたくさん見たいが、なんとか1回に抑えていた、抑えられないことも多々あった)ライブを見る人間だった。

ライブハウスの客席で演奏を聴くことは、人生でも最上級の幸せのひとつだ。しかしコロナが話題になった頃から、ライブに行く数は激減し、緊急事態宣言以降はあらゆるコンサート、演奏会、ライブハウスが閉鎖されたため、ライブ演奏を聞く機会は絶無となった。

生演奏ではない、再生演奏は聴いていた。今でも聴いている。私はAppleミュージック、Spotify、soundcloud、Amazon Music、YouTubeとなんでもこいとばかりサブスクリプションでも好きな音楽を聴いていて、一日に音楽を聴いている時間は、普通の人よりかなり長いはずだ。仕事をしながらヘッドホンやスピーカーできいているわけだが。

生演奏を聞く機会が減った分だけ、再生音源を聞く時間は間違えなく増えたはずだし、ロックアウト期間、家にずっといることが辛かったのでやたらと散歩に出た。一時間以上はザラだったが、その時もずっとワイヤレスヘッドホンで音楽を聴き続けている。ベイビードライバーなみにな。

6月からはジャズ系のライブハウスも再開しているが、家族に基礎疾患を持つものがいるため、現状ではまだライブハウスには出かけていない。

そんな状況の中、仕事絡みで、6/18に東京芸術劇場で開催された、都内の公共ホールではコロナ後初のパイプオルガンコンサートを聞く機会に恵まれたのだった。

キャパ1,999席の座席で、わずか100名。これは東京都のステップ2に準拠したキャパだ。入場時にはマスク着用、入り口で検温。対面でのやりとりを避けるためチケットは自分でもぎる。劇場スタッフはフェイスマスクにマスク着用。パンフレット類は机にあるものを自分でとっていく。クロークやクローズ。ラウンジの椅子は三人掛けの真ん中に座ってはいけないマーク。

ホールに入る。席はひとつおきに「座ってはいけない」マーク。

今まで普通に聴けていたホールでのコンサートが、コロナ禍で三密を避けるために支払うコストは、かくも大きい。大きな2000人のホールにパラパラと100人が座る。そしてパイプオルガン奏者が登場する。満場の拍手。100人だが、みんなが一生懸命叩いている。自分が手を叩く、そして同じように手を叩いている人が周りにいる。

この当たり前の環境が、涙が出るほど懐かしく感じられる。

そしてパイプオルガンが鳴る。

大きなパイプがホールの空気を振動させる。

自分が弾く以外での、再生音でない楽器の音を聴いたのは何ヶ月ぶりだっただろうか。

決してクラシックが詳しいわけでも、ましてはパイプオルガンの曲に詳しいわけではないが、バッハのコーラルは、まさに渇いた心に染みた。

ホールや広い会場での生演奏は、いまや当方もない贅沢品、もしくはリスクを伴うものになってしまった。

でも両隣の席の分まで買ったとしても、やはり生演奏は聴くに値する素晴らしいものであることが身に染みてわかる。


パイプオルガンは、大ホールの空気を震えるほどの低音を響かせる。これは決して再生音源では感じることができないし、再生音でこの容積のホールを響かせることは、できない、いやできるが、意味がない。私にとって音楽は生活必需品であって、ヘッドフォンやスピーカーを使って、再生音源を毎日数時間聴いているわけだが、久々に聴いた生の音楽は、再生音とはまったく違う次元にあることを強く感じさせた。

こういう場合の比喩は不正確だし危険だが、あえていえば、カンズメ、レトルトパックを家で使ういつもの皿に不器用に盛ったような食事と、シェフが料理する一流のレストランで供される一皿、あるいは白木のカウンターに出されて食すにぎり寿司。そんな違いだ。どんなに貴重であろうと(リスキーであることは困るが)、やはり生の音楽が聴きたい。これが聴けないのであれば、正直いって、なんのために生まれてきたのだろうと思えるほどだ。そしてレトルトの食事に慣れてしまうのも怖ろしい。

(スティーリーダンとかビートルズ後期の音源とか、冨田ラボみたいに録音音源だからこそできる芸術はあって、それは否定しないし大好きだと細くしておく。)

ほんのひとつ、コロナ禍でいいことがあったとすれば、自分にとって音楽がどれだけ価値のある重要なことであるかを身に染みて感じることができたことだと、今私は悔し紛れに思っている。


そして、もっと上があるという希望と感動は,大切だと思う。

2019年11月13日 12時01分28秒 | コンサートレビュー

そして、もっと上があるという希望と感動は,大切だと思う。

2019/11/11 17:44
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なんとなく、感覚とセンスで、そこそこできてしまう。
だから、いい感じでやっていて、かっこよく決めたつもりでいて。

でもある日、才能も資質も技術も全く上のレベルの人たちがいて、その人たちがものすごく努力をしていることを知る。

そのときの悔しさと、情けなさ。
そして、もっと上があるという希望と感動は,大切だと思う。


演奏から距離を置いて分かったこと2

2019年10月17日 13時37分11秒 | コンサートレビュー

 

中学時代から音楽にものすごく重いバイアスをかけて生きてきた。

中学でギターを買って吹奏楽部に入り、高校でバンドとブラスに命を懸け

大学はバンドのために途中で京都から東京の大学に移り、

在学中にロックバンドのコンテストで優勝し、

大学卒業とともにプロデビューした。

レコードを一枚だしてからは、プロとしては「失格」だったので

その後昼間の仕事に就いて、それはそれなりに頑張ってきたつもりはあるが

気持ちとしてはずっと音楽をやってきていた。

 

が、外的要因とはいえ、音楽から(少しだけ)距離を置いてみて思うのは、

普通の人にとっての音楽は、ないと困る物ではない。食料や睡眠、お金のように。

そこにやたらと重いバイアスをかけて、それが普通だと思っていたことが

じつは、ある限られた分野の人間だけだったんだな、ということが

理屈ではなく、皮膚感覚でやっとわかってきたってこと。

 

それが演奏から距離を置いて分かったこと2です。

 


ブラインドオーディションで泣いてしまうのは、音楽の神の恩寵を感じるから。

2019年07月15日 11時32分27秒 | コンサートレビュー

ブラインドオーディションで泣いてしまうのは、音楽の神の恩寵を感じるから。

2019/07/12 22:13
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youtubeでやたらと、オーディションの動画を見てしまう。そして、泣いてしまう。自分でもなぜだかわからなかった。不思議だった。

でもやっと気がついた。音楽の神様の実在を感じることができるからだ。

私は特定の神様は信じないが、音楽の神様は信じることができる。そうでなければ、どうしてこんなに素晴らしい歌を歌うことができる人が、ある一定の割合で世界中に遍在しているのだろう。音楽の神様がGIFTしたものだとしか思えない。

トランペットの師匠、原朋直さんさんも言っていたが、天才ってのは、最初から老成している。ドラムのマーカス・ギルモアがそうらしい。このオーディションを見ていても、特に子どものときは顕著だが、歌う直前まではもろに子どもだが、歌ったらもう、まったく子どもではなくなる。これが神の御技でなくてなんなのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=qCKPOfpndu8



才能は磨いてこそより輝くのはもちろんであって、彼らが単なる天才で努力はしていない、とは思わないが、それでもGIFTされているものは大きいと思う。

歌の場合はそれがダイレクトにでる。楽器でもそれはあるとおもうが、やはり楽器には修練、ディシプリンが必要だし、何より楽器が必要だ。幸運にもGIFTされている楽器を入手し、はじめてみなければわからない。つまり少しは磨かないと、GIFTされているかどうかがわからない。しかし歌は、そこを一気にすっとばして、いきなり才能が輝く、だから感動的なのだ。


入院した。一日だけだが。

2019年05月03日 10時23分35秒 | コンサートレビュー

Goo blogは一切外部連携を止めたのだろうか。

もうそろそろ、ブログもノートに引っ越しか。

Note

https://note.mu/keijiikeya

 

Noteからの転載をしておきます。

 

 

いままで幸いにして、私は子どもの時喉の手術をして依頼、手術も入院もしていない。

そしてついに、入院した。一日だけだが。

こうして急な入院をして思うのは、入院というものはたいてい「急」なんだなということと、死ぬときもこうして「急」なんだろうなということだ。そしていったん入院すると、娑婆の雑事は、これまたきれいに忘れられる。逆に言えば、こだわらなくなる。だから娑婆のことはどんどん進めて、捨てて簡素にしておく必要があるだろう。


「(ジャズにおいて)演奏時にどのくらい周りを聞くべきか」

2019年01月20日 12時35分26秒 | コンサートレビュー

「(ジャズにおいて)演奏時にどのくらい周りを聞くべきか」



池谷恵司

2019/01/20 12:34

 

「(ジャズにおいて)演奏時にどのくらい周りを聞くべきか」

演奏時にできるだけ落ちつく、という話しをしたら少し反響があったので、追補します。

落ちつく理由は、周りの音をよく聞くためです。

ジャズの場合、共演者の演奏を聴くことが極めて重要です。
なぜなら演奏者同士の会話こそがジャズのアドリブの根幹だから。
それがアドリブでなく、たとえテーマであっても、どんなリズムなのか、ベースラインなのか、どんな和声なのかでニュアンスが変わりますから、はやり周りの音をよく聴く必要があります。

とはいえ、プロの領域に至っていない(プロでも?)多くの楽器プレーヤーは私も含めて自分の演奏で必至になってしまいます。そうなると、自分のことばかりに注意力が集中し、周りの演奏は聞こえてきません。

またあらかじめ書いてきたソロや、だれかのコピーフレーズ、手持ちの得意のリックやストックフレーズを出しているときも、ほかの人が何を言っているのかに構わずしゃべっていることになるので、これも会話にはなりません。

では、会話として成立する演奏をするためには、どのくらい周りを聞いているべきなのか。

私のトランペットの師匠の原朋直さんに、演奏中どのくらい周りの音を聴いているのでしょうか、ときいたことがありました。
その答えは衝撃的でした。

 

「お客さんと同じかそれ以上聞いていること」

だったのです。

では演奏に使う能力は?

と言うとその残りの部分で演奏するということでした。

全力で周りの音を聴いていたら、自分の演奏はできませんし、たとえば演奏5割、聞くのが5割でやったとしても、その時の演奏は一人で練習しているときの半分にしかなりません。

ということは、まず音楽に関わる能力自体をものすごく上げる必要があります。そしてお客さんと同じ精度の能力で音楽を聴き、その残りの能力を演奏に割く、つまり「演奏について何も考えなくてもできる」レベルで演奏したとして、その演奏力が、お客様がお金を払って満足できるレベルになる必要があります。

最初はそれはありえないと思っていました。
しかし尊敬する多くのジャズミュージシャンの演奏(レジェンドでも身近なミュージシャンでも)が演奏しているところを観ると、特に優れたジャズミュージシャンの演奏を聞いてみると、実際にそのようにして演奏してるように見えました。

そこまでは、どんだけ遠い道なのか。