ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

銀座でおでん 春の宵

2005年04月29日 07時42分10秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
夜、銀座で仕事を終えて、非常に、腹へるす。帰り際にカメラマン氏とライターと、おでんの老舗「やす幸」へ。実は銀座でおでんという粋なコースは、はじめてであった。

でごらんのように上品な関西風のおでんを、ビールとともに食す。絶品なり。京都弁の「はんなり」とはこのことか、と食感が教えてくれる。だしも透き通り、絶品。野暮と知りつつ、飲み干してしまったです。絶妙なバランスの味でおいしゅうございました。

やす幸のデータは
こちらをクリック

そう言えば銀座で学生時代にバイトしてました。三越で。その話題はこちらに。




トウクリップその2

2005年04月28日 20時09分33秒 | 自転車のはなし
さて、ペダルにつけるトウ・クリップの続編。第一話はこちら

あまりにペダルから外れやすく、結局片方無くしてしまったため、自転車屋に相談すると、ビンディングにしろ、と言われる、しかし、まだ時期尚早かと思い、絶対はずれないトウ・クリップにしてくれとお願いしたら、この写真のようなトウ・クリップをつけてくれた。ロード用らしい。ペダルに相当する部分はほとんどなく、いきなりトウ・クリップが付いているように見えた。なるほど、これならペダルからトウ・クリップが外れるというトラブルはないな、と思った。

自転車屋から帰る道すがら、すでに決定的な欠点が発見されていた。
クリップに足を入れるのが、とても難しいのだ。柔らかい素材のため、足を入れようとしても走りながらではとても難しい。しまいには止まって片方だけ入れ、もう片方を入れようともがきながらかなりの距離を走る、ということになってしまった。

しかも、また外れたのだ。ペダル的な部分(ほとんど棒だが)からクリップ部分がはずれた。
さすがにこれには驚いた。どうしてこんなに外れてしまうのか。
自転車屋に相談したが、彼も驚いた。
ペダルがプラスチックで、トウ・クリップもプラスチックだから、がっちりとビスを締めてもヌルリと抜けてしまうのかもしれない。

金属のトウ・クリップはないか、と訊ねると、もう今時そんなものは売っていない、と言う。
で、自転車屋が提示した解決策は、やはりビンディングだった。うーん、ちょっとなぁ。


桜が終わると、浜松祭りの季節

2005年04月27日 12時39分53秒 | Photo&エッセイ
桜が終わり、夏の予告編のような、日差しが強くしかし爽やかな日々が続くと、もう浜松祭りの季節だ。

5月の3、4,5日に行われる浜松祭りは、ネイティブな浜松人にとっては強烈なアイデンティティであり、熱狂と暴力と歓喜であり、終わった瞬間に「来年の浜松祭りまであと362日か」と指折り数える、リオのカーニバル的祝祭空間である。

子どもの頃は死ぬほど楽しかったし、血がたぎった。大学二年ぐらいまではかならず帰省して参加していた。たぶん二十歳をちょっと過ぎたアタリから、見るだけとなってしまった。憑き物が落ちたようだった。浜松祭りそのものの変質もあると思う。かつてはアナーキーでヤバかった。その分野放図なパワーも凄かった。警察も目の敵のように徹底的に取り締まったし。
しかしいつの頃からか、観光資源として認識されるようになり、徹底的な管理と統率が行われた。その結果、女子供の参加も増えた。(以前はとてもじゃないが女子供が近寄れる代物ではなかった)。

しかし、おもえばオレがトランペットをはじめたのも、この祭りのラッパが吹きたかったから(花形だった)であり、この熱狂と陶酔が自分の音楽体験のルーツであり、トランペット→吹奏楽部→ギター→バンドという、我が音楽人生の出発点であると言ってもいいかも。

いまもよく実家に帰って、浜松祭りを見る。でももう参加はしていない。

話しかけるように揺れる柳の下を通った道さえ今はもう、電車から見るだけ。
あの頃の生き方をあなたは忘れないで、あなたは私の青春、そのもの。ってな感じでしょうか。


浜松祭りに関してはこのページあたりがご参考。




「運命を分けたザイル」を見た。

2005年04月26日 01時29分44秒 | 映画レビュー
「運命を分けたザイル」
監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:ブレンダン・マッキー,ニコラス・アーロン,オリー・ライアル,ジョー・シンプソン,サイモン・イェーツ,リチャード・ホーキング
配給:アスミック・エース
2003年/英
原題:TOUCHING THE VOID
■公式サイト:http://www.unmei-zairu.com/
2005年2月11日(金)公開


新宿高島屋のタイムズスクエア(この名前、サイテーだよね)の映画館で見ました。イギリスの映画でイギリスのアカデミーを獲った作品。山登りの映画でドキュメンタリー。英語でmountaineeringというのね。これは登山での極限状況を描いたもので、それは壮絶であり、これがドキュメンタリーでなくフィクションだったら、あり得ないストーリーで荒唐無稽、といってしまうだろう。
ふたりの若き登山家と、1人の留守番役の青年のインタビューと再現映像でこの映画は構成されているが、インタビューはあくまで淡々としている。そして再現映像に関しては、どうやって撮ったのか? 再現映像を撮ることでまた事故にならないか、と心配になるような、山登りの迫真の映像だった。

この映画のキーポイントは2つ。魂まで信頼しあった二人が山で極限状態に陥る。にっちもさっちもいかない状況で二人とも凍死するか、ザイルを切ることで1人だけが助かるか。この極限の選択だが、僕に言わせればそれは映画で描かれているほど深刻ではなく、ザイルを切るのは当然だと思う。もはや1人の命は二人の命だし、映画中のインタビューでも言っているが「もしも立場が逆でも、迷わず僕はザイルを切った」と言っている。まさに正論で、お互いに信頼しあっており、極限を超えてきた二人だからそういえるのだろう。つまり二人とも状況に応じた優先順位の認識がハッキリしているのだ。
もう一つのキーワードは文字通りの「ネバー・ギブ・アップ」。ザイルを切られたほうの登山家が足を折ったまま想像を絶する意志で(あきらめようとする自分への怒り)生還する。あれは、普通あり得ないし、オレならすぐあきらめる。いや、登山家というという人種は凄い。諦めようとする自分に対し、激しく怒り、それを生きるエネルギーに変換するのだ。

登山って、どこが楽しいのか、実は良くわかんない。
でも自転車もどこが楽しいかわかんないのに、乗ってみるとこれまた楽しい。(どうして楽しいのかはわかんない)。
だから上って、上って、登りまくれば、登山も楽しいかもしれないね。
今度、また誘ってください。

<★★★★☆>ちょい甘の4点(5点満点で)


以下、ウェブからの紹介文。


ウェブでの紹介文は以下
「生きて帰るには、これしかない 」
2004年英国アカデミー賞最優秀英国映画賞を受賞した感動物語。若き登山家のジョーとサイモンは、前人未到の難関シウラ・グランデ峰の西壁を制覇する。しかし下山途中、高度6400mで2人は遭難、滑落したジョーは片足を骨折し、バランスを崩して氷の絶壁で宙吊りになってしまう。2人をつなぐのは1本のザイル。生か死か、ザイルを切らなければ2人とも死んでしまう。2人は究極の選択を突きつけられる。

荻窪・丸信のつけ麺

2005年04月25日 11時00分00秒 | 一食入魂&つけ麺ジャンキーズ
ひさびさのつけ麺ジャンキーズ、今回は東京ラーメンの聖地とも言われる荻窪。(春木屋のラーメンの絶妙なバランスはすばらしい)。荻窪・丸信のつけ麺である。駅前の青梅街道を四面道(環8方向)に行ったところ、通り沿いにある。以前部屋探しをしていて、不動産屋に教えてもらった。

そこのつけ麺は、ある見識を感じさせるもので、荻窪ラーメンの流れをくんだものだ。シンプルで素直で、味わい深い。麺の素性もよい。最近流行のつけ麺屋のものは、無理矢理特長を作り、個性で勝負しているが、実は同じ方向の味であり、飽きやすいものだ。つけ麺愛好家としては、ブームとなって人気沸騰し、跡形もなく消えてしまうような乱暴なつけ麺は支持できない。第一旨くない。ラーメンを第一義とする店でも、見識と気概があれば、これだけ上品なつけ麺を今日することができるという見本である。

そういうところは、控えめながらこんな感じで行列ができるわけです。



断言していい。癌は僕の人生に起こった最良のことだ --ランス・アームストロング

2005年04月23日 22時07分51秒 | レバレッジリーディング


引き続き、ランス・アームストロング著『ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく』から。

自転車選手としてまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったランスが、末期癌と診断された。最終的には奇跡的な生還をし、信じられないカムバックを果たすわけだが、彼は本書の中でこう言っている。「断言していい。癌は僕の人生に起こった最良のことだ」って? なぜランス・アームストロングがそう言うに至ったのか。

最初はこういっていた。

<アジアに駐屯している軍人からe-mail を受け取った。彼も癌を患っており、僕にぜひ言いたいことがあるという。「君はまだわからないだろうけど、僕たちは幸運な人間なんだ」僕は大声で言った。「こいつ、馬鹿じゃないか?」一体何を言ってるんだ。


しかし、その後、彼はこういう境地に至る

<僕は病気であった時期のほとんどを、絶望的な先の見えない霧の中で過ごしていた。病気は僕という人間を、屈辱的なまでに素っ裸にし、僕は容赦のない目で自分の人生を振り返ることを余儀なくされた。いくつものことが後悔とともに思い出された。卑劣なふるまい、未完成の仕事、自分の弱さなど。僕は自分に問いかけた。「もし生き残れるとしたら、いったいどんな人間になりたいのか」。僕は人間として、もっともっと成長しなければならないことに気が付いた。>

そして、冒頭の発言に続く。

<断言していい、癌は僕の人生に起こった、最良のことだ。なぜ僕が癌になったのかはわからない。けれども癌は不思議な力を与えてくれた。僕は癌から逃げる気はない。人生でもっとも重要な、人生を形作ってくれたものを、忘れたいと思う人などいるだろうか。>

さらにランスは言う。感動的な発言である。

<冗談を言っているのではない。人は死ぬ。これはあまりにも虚しい真理であり、時に言葉にすることすら耐えられない。どうして僕らは生き続けなければならないのだろう。どうして一切を捨て、そのままその場に横たわらないのか。しかしもう一つ別の真理もある。人は生きる。これは同じように真理ではあるが、正反対の真理だ。人は生きる、鮮やかに。 病気だったとき、僕はそれまでの一回の自転車レースで見たより、もっと多くの美しいもの、勝利、真実を、たった一日の間に見た。そのうえこうしたことは奇跡ではなく、人間によってもたらされたものなのだ。よれよれのスエットスーツで現れた男は、なんと優秀な外科医だった。酷使され超多忙なラトリースという看護婦と友だちになった。彼女の看護は深い共感から来る思いやりに満ちたものだった。睫毛や眉毛がなく、髪は化学療法で焼けてしまった子ども達も見た。彼らはツール・ド・フランスで前人未踏の五連覇をなしとげたインデュラインと同じ心で、勇猛果敢に闘っていた。だが、ぼくにはまだすべてが完全にわかっているわけではない。僕にできることは、ただ真実を話すことだ。>

今年ランスはツール・ド・フランスのレースを最後に引退することを表明した。前人未踏の七連覇を賭けて彼は全力で走るだろう。引退後、ランスは残りの人生は3人の子どものフルタイムの父親としての役割と、ガン患者への支援活動に充てるそうだ。

ちゃんとしたブックレビューはこちらにあります。


←ランス・アームストロングの勇姿である。

僕の人生は長くつらい上り坂を上るためにある

2005年04月21日 12時33分58秒 | レバレッジリーディング
引き続き、ランス・アームストロング著
『ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく』から。
これは巻頭の惹句。とてもいいので、転載。

「僕の人生は長くつらい上り坂を上るためにある」

人生の絶頂にあった超一流自転車選手を襲った悲劇。
発見された睾丸癌は肺と脳にも転移し、彼の人生を脅かした。
身を灼かれるような苦しい闘病生活の果てに
彼の生殖機能は失われ、鍛え上げられた筋肉は消え去った---。
しかし、挫折と喪失感に満ちた迷える日々を超え、
彼は再び走りはじめる。23日間、4000kmにもわたる
地上で最も過酷なスポーツ・イベント
ツール・ド・フランス優勝を目指して……。

「断言していい。
癌は僕の人生に起こった最良のことだ」


その理由は明日。
アマゾンから本の画像をもらいました。

ランス・アームストロングの本が素晴らしい

2005年04月20日 14時40分33秒 | レバレッジリーディング
「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
It's Not About the Bike
ランス・アームストロング
Lance Armstrong with Sally Jenkins
講談社


自転車に凝りだしたので、自転車関連の本をよく読む。ランス・アームストロングはツール・ド・フランスで前人未踏の六連覇中の、スーパースター。しかもアメリカ人。で、自転車の話が読めると思ったが、それ以上に彼は生存率が3%ぐらいの癌(睾丸癌、しかもステージは4だろう)から生還し、その後でツールで勝っているのだ。もう生きる伝説といって良いだろう。

英文での原作タイトル、It's Not About the Bikeが示すように、これは自転車の話ではなく、ガントの戦いの話がメインだ。特に読んで泣けてきたのが、抗ガン剤のくだり。化学療法だ。弟も手術後、3クルーの化学療法を行った。(3度目は途中で中止されたが)。薬を投薬されるだけで、どうしてあんなに辛そうなのだろう、と傍目で思っていたが、ランスの本で描かれているところを読み、こんなに辛いことだったのか、と思った。これだけの試練を弟も受けてきたのかと思うと、いまさらながら、癌や脳腫瘍の治療というのは大変だと痛感する。ツールで勝つよりも癌と闘う法がツライと、ランスは述懐しているぐらいだ。
以下、化学治療に関するランスの記載。

『この不快さはひどく鮮明で、たちが悪かった。癌は、なんとなく体調がすぐれないという漠とした感覚であるのに対し、化学療法は、体を駆けめぐる戦慄の果てしない連続であり、ついには治ることとは、病気であるのと同じくらいあるいはもっと苦しいことなのだ、と思うようになる。 癌から連想される一連の副作用 ーー髪の毛が抜ける、青白い顔色、ひどい衰弱ーーといったものは、実は治療の副作用なのだ。化学療法とは、静脈の中の焼けるような感覚、猛毒の川によって内側からゆっくりと蝕まれ、ついにはまばたきする睫毛すらなくなってしまうこと。化学療法とは、絶え間ない咳、得体の知れない黒いタールのような物質を胸の奥深くから吐き出すこと。化学療法とは、体を二つ折りにして始終トイレに通うことだ。

故郷を、ママチャリで走るのも悪くない

2005年04月19日 13時39分14秒 | 自転車のはなし
先週末は浜松にいた。浜松では交通手段がないので、自転車に乗る。もちろん母親のママチャリだ。自動車社会でみんな自動車にのっているので、ママチャリに乗ってるのは、見られるのも恥ずかしいし、ダサくていやだと思っていたが、自転車にハマると、いきなり自転車に乗れるのならなんでもいいし、楽しいと思うようになった。
先週の土曜日、春めいた昼下がりの陽光の下、ママチャリにやや前傾になりつつペダルを速めに恋だ。なんだか懐かしい時間にスリップしたような気持ちになった。たまには、こんな気分になるのも悪くない。
でも、もう浜松を離れて二十年を過ぎたので知らない道がたくさん増えている。ま、これはしかたがない。

トウ・クリップを探して、その1

2005年04月18日 21時50分00秒 | 自転車のはなし
自転車に馴れてくると、ペダリングが気になってくる(ちょっと生意気ですが)。それで写真のように足をペダルに固定するトゥクリップをつけてみた。やっぱり全然違うし、ロスが無くなる。理由その1は、ペダルを踏む足の位置が固定され、力が逃げない。もうひとつは引き足というテクニックが使えるようになる。ヘタなうちはつい土踏まずでペダルを踏んでしまうが、これはロスが多い。足の親指の付け根で踏むのがいいとされている。
本当はウメダ師匠によれば、ビンディングという自転車専用の靴でペダルと靴を金具で固定する方がいいようだ。でも、ちょっとまだ早いかなと思い、行きつけの自転車屋でトウクリップをつけてもらったのだ。
しかし、問題があった。なぜか、トウ・クリップがペダルから外れてしまう。ビスが緩んでしまう。たぶんクリップをつけていないとき、地面で擦ることがあり、その力でビスが緩んでしまうのだろう。何度か取れてしまった。これでは走っていて不安である。そう思いつつ乗っていたら、片方がまたとれ、家に持って帰る途中で紛失してしまったのである。

老骨に残りし花

2005年04月17日 09時53分27秒 | Photo&エッセイ
この桜を見て、以前読んだ本を抜き書きしたメモを思い出した。

観阿弥の「花伝書」。
「これ 誠に得たりし花なるが故に 能は枝葉もすくなく 老木になるまで 花は散らで残りしな也 これ 目のあたり 老骨に残りし花の証拠なり」

『花伝書(風姿花伝)』
中世芸道論の粋と言われる能の秘伝、観阿弥が与えた遺訓を世阿弥がまとめたもの。

「風姿花伝第一年稽古條々」
年齢別に行うトレーニングの要点をまとめたもの。

7歳……この芸はおおかた7歳をもって初めとする。この頃は、その子が自然にやりだすまにかせてやらせ、その風体が良いとか悪いとかいってはいけない。あまり強くいさめると能はそのままとまってしまう。

12、13歳より……この頃からは声も調子にあうようになり、能への自覚も出てくる頃だから、だんだん芸の種類を教えていきなさい。少年らしい姿から自然に「美」がかもしだされてこよう。ただし、これはその年齢かぎりの美(時分の花)にすぎない、ということを忘れてはいけない。

17、18歳より……この頃は変声期を過ぎ、からだつきも代わって「時分の花」のような少年美はうせてしまう。それで芸も調子っぱずれになることが多い。この時期にはあまり無理なトレーニングをしないこと。無理をすると、からだに悪いクセが出たり、声も歳をとってからだめになる。だから、この時期のトレーニンクの重点は、心の中に願力を起こして、一生の別れめはここだ(一期の堺ここなり)と生涯にわたって能を捨てまい、と決意する、ということにおくほかない。

24、25歳より……この頃、その人の芸が決定される初めだ。トレーニングにとってもここがターニングポイントとなる。声とからだが整って、はた目にもつくようになり、このふたつのメリットから、競演(立合勝負)で名人に勝つこともある。しかしこれは本人のために返す返すもあだになる。「真(まこと)の花」でもなくのに芸とはこんなもの、とみくびってしまうからだ。そうなると、時分もやがて歳をとり、この年齢上のメリットが刻一刻と失せていくことに気づかなくなり、今もっている芸の水準を保つことさえきかなくなる。この24、5歳の頃を能では「初心」といって、もっとも重要な時期としていま。たとえ、人にほめられたり、年上の芸を超えることがあっても、これは一時的な花なのだとこころえて、名人についてこと細かに問いただして「稽古をいやまし」にしていかなくてはいけない。

34~35歳より……この頃に能はピークに達する。芸の全体をマスターして、天下の名望を得るはずだ。もしこの頃になっても良い評判を聞けなかったら、世間が悪いのではなく、時分が、「真の花」をまだ究めていないのだと反省して、究めなくてはいけない。この時期にどうしても「真の花」を究めることができないと、40歳以降、芸は下がっていくだけだ。本人には気の毒だけれどもこのことはどうしようもない。要するに、トレーニングによる上達は、34、5 を上限とするのだから、そこまでに何がなんでも熟達してしまうよう、死にものぐるいでやるしかないのだ。

44~45歳……この頃から芸は、老年の準備期に入る。だから、天下の名望を得た人でも有望なパートナーを持ってあまり細かなわざをせず、年齢相応にひかえめ、ひかえめに演じること。年不相応なことをしても、みっともないだけである。この頃になっても失せない花を、「真の花」というのだ。

50有余歳……この頃のトレーニングの重点は、無用なことはしない、ということろにある。目立つことろでは「初心」の役者にゆずって、老人向きのものを少な少なとやっていけば、老木に枝葉をすくなっても花は散らずに残るように、「真の花」を保持することができる。これを「老骨に残りし花」という。

つまり人生の時間は一回性のもので、過ぎ去ればもう二度とその年齢に立ち帰れない、という絶対的な条件を人は誰でも共通に受け入れなくて自分のプランをこなしていくわけだ。だから、その年齢でなければできないこと、その年齢でマスターしておくべきこと、それを早く自覚することが立志術の決め手になる。

桜の季節は、夢のように終わる

2005年04月16日 21時39分24秒 | Photo&エッセイ
毎年思うのだが、桜の花の季節は、夢のように終わってしまう。いつも気にも留めてない木々が、ある日突然、天国のような美しくはかない花をつけ、雪のように散らし、そして何事もなかったかのように若葉をつけていく。毎年必ず起きるとはいえ、奇跡のように思えることだ。
来年の桜の頃、何を思って桜を見るのだろうか。
この週末は、実家の浜松にいる。自分の自転車には乗れないが、故郷を母のママチャリで走るのも、また一興だ。帰りに友人の江間がやっているスタジオエマックホームページはこちらに寄って最近仕入れたというギターエフェクターを見せてもらう。江間もブログをやっていた。トラックバックしておきました。エマックのBLOGはここ

苦手なこと、得意なこと

2005年04月14日 14時21分18秒 | Photo&エッセイ
非常に憂鬱でブルーである。
自分でコピーを書いたり、企画を考えたりするのは好きだけど、それ以外の仕事は苦手だ。今抱えているトラブルは後者、管理的側面。非常に苦痛。
ちなみに写真は、会社のそばにある、千駄ヶ谷のジーンズメーカーのショップで、ドゥニームという店。ここのジーンズはとても良い。修理もしてくれる。
ドゥニームのホームページはこちら
ちなみにかの有名な自転車屋、千駄ヶ谷のなるしまフレンドの向かいにあります。

ウメダ師匠と、走る

2005年04月13日 12時30分14秒 | 自転車のはなし

イケヤに自転車を勧めてくれたウメダ師匠が、帰宅がてらいっしょに走りませんか、と誘ってくれた。メンターであり、グルであるウメダ師匠のお言葉を天啓と考え、すべての仕事を放棄して、同行させてもらった。新宿のHMVで待ち合わせ。なぜかオレはsoweluのシングル盤を買ったりして、すでにあがっていた。
そして新宿から代々木を抜け、甲州街道へ。



師匠の後ろを走る。もう、コギ方から走り方から、視線の配り方、車道を走るマナーまで、もう全く違うわけであり、すべてが貴重な教え。たとえばケイデンスにタイする考え方(軽いギアで速く回す方が効率的、ケイデンスは90/分が理想)、引き足の感覚。なによりも走りそのもので教えてもらえる。そういえば、自転車にハマってから誰かと走ることはなかった。
甲州街道から井の頭通りに入り、ちょっとした坂でジェット機のようにいきなりスパートして消えるウメダ師匠に驚嘆し、北上して和田堀公園で夜桜を軽く見て、阿佐ヶ谷へ。阿佐ヶ谷ではベルギービールとたこ焼きの店で、さらに自転車のレクチャーを受けつつ、ジャズ談義。そういえばジャズではオレが師匠だった。世の中わからないものです。



その後自転車に乗って気づくのが、いかに師匠の見本と教えが貴重だったか、ということ。走りが一段よくなったように、自惚れている。でもロードマシンは欲しくなった。