音楽に目覚めたのは、父の死に関係がある。父が僕が小学校の4年の時に亡くなり、母が実家にしばらく身を寄せることになった関係で小学校の時転校することになった。浜松城北小学校から浜松鷺ノ宮町学校に引っ越したのだ。僕の人生で転校はこの1回(後にまた城北小学校に戻るので言って戻って都合2回だ)だけだった。
転校って、やっぱりキャラクターに影響を与えるのだと思う。転校先の鷺ノ宮小学校にはトランペット鼓隊があった。それまで一切音楽には興味がなかった野球少年だったのに、僕はなぜかトランペット鼓隊に入りたいと思った。これはいまだに理由は謎だ。謎だとおもったことは明瞭に覚えている。夜、母の実家の離れのような部屋で家族三人で寝ていたが、トランペット鼓隊に入りたいと思った夜か、あるいは入って良いと言われた夜か覚えていないが、寝ながら天井を見て「ああ、不思議だな、なんでトランペットが吹きたいのだろう」と小学校5年生ながら、なんか不思議なものを感じたのだった。
そして無事トランペット鼓隊に入ってトランペットを吹いた。特段上手く吹けたわけではなく、下手だったと思う。今思えばアンブシュアもなにもあったもんではなく、ただ鳴るように小学生が適当に吹くのだから、上達できるようなアンブシュアが身につくはずはない。あまりよくないことだった。事実僕はその後中学・高校でアンブシュアの悪さに悩まされることになるのだった。
とはいえトランペットが吹けたことは嬉しかった。
が、また転校だ。一年半あまり母の実家に家族もろともお世話になった後、また昔の家に戻り、昔の小学校(追分小学校)に出戻ったのだった。
その当時戻った追分小学校にはトランペット鼓隊はなかった。でも僕はどうしてもトランペットが吹きたかった。それでどうしたか。ヤマハかじまち店でトランペットのカタログを穴が空くほどながめつづけ、結局お年玉を集めたお小遣いで、ヤマハのコルネットのカレッジモデルを買ったのだった。
![画像](https://assets.st-note.com/img/1668447372284-eYPhLDYnN2.png)
なぜかコルネットを買ったところが、我ながら渋い。当時コルネットの形に魅入られたのだ。当時の自分に今いってやりたいのは「お前、コルネット選ぶなんていいセンスしいてるぜ」ってこと。
でコルネットを買い、家で練習し(当時は牧歌的で家でラッパの練習をしても、近所から怒られた陸上をもらうことはなかったのだ)、ときおり浜松まつりで進軍ラッパを吹いたりしつつ、まずは小学校時代はラッパを吹く、ということろから、僕の音楽始まったのだ。
第1回終わります。
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「いまはもう、人生を語ろう」イントロダクション
オレは吉田拓郎のファンであったことはないが、フォークが音楽人生の始点なので、それなりに影響は受けている。「今はまだ人生を語らず」というタイトルが素晴らしい曲がある。
サビは「こえてゆけそこを、こえてゆけそれを、今はまだ人生を、人生を語らず」だ。まさにボブ・ディランだなぁ、すごい。
これが心の中にあったので、今まで自分の人生を回顧するようなことはなかったし、それを文字の形で書き残すことも無かった。
が、還暦もそろそろ見えてきたし、自分の記憶もかなりあやふやなので、誰のためにもならないが、自分のためと、あとは、もし偶然見つけたら読んでほしいのは俺の唯一の誇りとも言える、わが子、響のために、「いまはもう、人生を語ろう」を数回にわけて書いておこうと思う。
なのでほかの人はスルーしてください。
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私にとってはたらくとは? 遊びではなく、仕事だからこそ、最高に楽しくて気持ちいい。
というのをやっていたのを知った。終わってるけど、別にコンテストでかちたいわけではなく、書いておきたいので書いておく。特に子どもに伝えたいが、直接言うのは恥ずかしいので、ほかの人にはおめざわりかもしれないが、いつかこのエントリーをひょっとして見つけるかもしれないから、という動機で書いておく。
ライブの本番と同じように、そして野球で言えば公式戦と同じように、ヒリヒリするような緊張と、失敗したり上手くいかなかったときのリスクがある状況でこそ、上手くできたときの歓び、快感、そしてリワードが大きい。仕事はまさにそれで、遊びのように失敗しても笑って済ますことができるところには、真の楽しさ、歓び、快感はない。
だから、仕事とは、マジの場であり、一番楽しいことであり、またそれでほかの人の助けになったり、喜ばれたり、感謝させることは、一番の快感だ。
だから仕事しろ。
Facebookで、「戦争プロパガンダ10の法則」というものを知った。
怖ろしいほど、今の状況にピッタリだ。
ニュースを見ていても、まさにこのままなんだが、プーチンだけを悪魔のような人物とすることは、本当なのだろうか。
真実は後年の分析が明らかにするのだろうが、わかりやすい「悪魔」のような指導者って、本当にいるのだろうか。
「戦争プロパガンダ10の法則」
1.われわれは戦争をしたくない
2.敵側が一方的に戦争を望んだ
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.われわれは偉大な使命のために戦う
5.敵はわざと残忍な行為に及んでいる
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7.受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持
9.我々の大義は神聖なものである
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
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We do not want war.
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The enemy alone is to be blamed for the war.
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The enemy is inherently evil, resembling the devil.
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We defend a noble cause, not our own interest.
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The enemy commits atrocities on purpose; our mishaps are involuntary.
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The enemy uses illegal weapons.
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We suffer small losses, those of the enemy are enormous.
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Artists and intellectuals back our cause.
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Our cause is holy, it has a sacred character.
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Whoever doubts our propaganda, is a traitor.[7]
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子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち
ウクライナ紛争によるロシア軍の無差別攻撃、その惨状は正視に耐えない。正直って精神的に耐えられないぐらいだ。
よく新聞などで報道されるのが民間人の死者??名(うち子ども??名を含む)というもの。罪もない無垢なこどもたちの命が失われるのは耐えがたいことだ。激しい怒りにかられる。はやく戦争を終わらさなくてはならない。
ただ、ふと思うのは、子どものいのちがけが特別なのではなく、同じように大人のいのちだって大切だし、ウクライナの兵士のいのちだって、かけがえのないものだ。そして同じくロシア兵のいのちだって、かけがえのないもの。ウクライナ軍が前線してロシア軍を撃破しているとも聞くが、これはウクライナ兵がロシア兵を殺害しているということだ。
子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち。そこにちがいがあるのだろうか。兵士のいのちなら失われていいのだろうか。
![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74220225/rectangle_large_type_2_0f015ad72abbec8127db861152629da4.jpeg?width=800)
遠い海の向こうで戦争が始まっていることが苦しくて仕方ない。
第二次世界大戦もしらないし、朝鮮戦争も知らないが、物心ついてからいつも、どこかで戦争や紛争があった。小学生の頃、家の前の大学でデモがあったのも覚えている。
しかし、いつも戦争はどこかの話だという感覚があって、正直に吐露すれば、戦争にリアリティを感じることもなければ、心を痛めることもなかった。
いよいろアラカンとなり、年をとったからだろうか、それともSNSの進展、ウェブで能動的に情報が得られるようになったからだろうか、大国ロシアが直接軍事行動しているからかもしれないし、第三次世界大戦、核戦争が間近になっているからかもしれない。
このウクライナ紛争、戦争は精神的な重圧がすごい。あまりに辛すぎて精神的なバランスを崩してしまいそうだ。人が秘めている狂気、殺意、怒り。
「こんなことが起きるのか」。漫画や小説、映画でしか見たことのないことが起きている。そんななか、普通に仕事していたり、買い物に行ったりできることが不思議な気がしてくる。僕はこの事態の収束のためになにができるのか。それを考える時だけが、正気でいられる気がする。
なにかしたい。
![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/37782099/rectangle_large_type_2_1931511c19d903b5d47b2b33cd92f74a.png?fit=bounds&quality=60&width=1280)
”プチ”アドレスホッピングしてみた 1 印象
僕はなぜだだろう、以前から放浪系、永遠の旅人系に憧れてきた。理由はわからない。ウォールデンの「森の生活」のような田園、脱都会指向はなくて都市の方が好きだ。
映画で言えば、世界中を出張して回って家を持たない「マイレージ、マイライフ」にも憧れた。
https://www.amazon.co.jp/マイレージ、マイライフ-字幕版-ジョージ-クルーニー/dp/B01FD6ME8G
ミュージシャンで言えば永遠のツアーのようなものだ。PMG時代のパットメセニーも年に数日しか帰れないとインタビューで言っていたし、トランペッターのクリス・ボッティはツアーが日常で家を持っていない。そういえばホリエモンもホテル住まいだそうだ。
興味を持っていたところ、アドレスホッパーの高校教師、よしかわけいすけさんにインタビューする機会にも恵まれた。やってみたい気持ちが少しだけ具体的になった、
で、実は今回、よんどころない事情で家を出て都内のビジネスホテルに数日滞在することになった。なので、これをミニアドレスホッピングのつもりで過ごしてみたのだった。
まず端的に印象だけ言えば
1.GO TOの効果もあり、今ならビジネスホテルでも経済的にはいける気がする。というか、一人だけで暮らしているならホテルのほうが安く上がるかもな。電気光熱費もなくて、掃除もしてもらえて、生活道具も全てある。
2.家から歩ける距離なのに不思議と日常感が一気に吹き飛んで、旅に出ているようにワクワクして楽しい。仕事は一人でホテルの部屋にいるとめちゃくちゃはかどる。集中度が違うし、飽きたら瞬時に風呂に入れる。気分転換に外にでても商業地域なのでいろいろあって楽しい。
3.ただし基本的にはすべてが一人で、仕事などで人と合わない限り、会話する機会はない。寂しいといえば寂しい。これがよしかわけいすけさんのようにゲストハウスのようなところに泊まるのが本当はいいんだろうなと思った。
もしくは教師のよしかわけいすけさんにとっては「学校」という職場が貴族場所になったと言っていたが「会社」などの帰属場所と仲間がいることはある程度必要かもしれない。もしくは本当に人生そのものが単独でのアルプス縦走のような旅だと考えるか。
4.個人的には楽器が弾けない、吹けないのは辛い。2泊ぐらいでもつらい。でもアドレスホッパーでギターやベース、トランペットを持ち歩く人はいるだろうか。個人的には衣服とかは最小限でいいし、音楽もBluetoothスピーカーは持ち歩くのでサブスクで十分なんだが。
つづく。
![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/37204455/rectangle_large_type_2_57b699d04c2568593672ede602a406f8.jpg?fit=bounds&quality=60&width=1280)
私ではなく、あなたが死んだのはたまたまのこと。
先週もいっしょに仕事をし、そして今週末もいっしょに仕事をする予定だったカメラマンであり、友人であり、写真の心の師匠であり、お互いにジャズ好きであり、ECMマニアであり、キース・ジャレットファンであったカメラマンのMさんが急逝した。亡くなる前日にも普通に仕事のやりとりをメッセンジャーでしていた。
Mさんと私なら、お互いにまあ元気に楽しく仕事できるぐらいに健康だったし、不摂生にまつわる健康上の問題なら私のほうが多いだろう。
神様が気まぐれに撃った「突然死」という流れ弾が私にではなく、あなたに当たったのはたまたまのこと。そう痛感している。
「サヨナラだけが人生だ」とはいい過ぎだと息子がいった。たしかにサヨナラだけではない。出会いがある。
出会いとサヨナラが人生だ。そしてすべてのものとの別れが、死ぬこと。
そして死ぬことは避けることができない、自然なことである。次はあなたかもしれないし、私かもしれない。
これからは
・少しでも体にいいことをしよう。質のいい食事を食べ過ぎない。適度な運動をする、ストレスをためないように。流れ弾の確率が下がるように。
・ひとと共有できる時間を大切にしよう。Mさんとの最後にあったとき「メシでもいく?」と言われて、今度にしましょうと別れてしまった。すぐにまた逢えるとあたりまえのように思っていたから。でもいつでもあるものなんてない。これからはそれぞれの人と共有できる時間が持てることに感謝し、その機会を大切にし、一期一会を心に刻もう。
・モノとのわかれ、身仕舞い、始末はどんどんはじめていこう。
・自分が好きなこと、周りの人が幸せになることをどんどんやろう。それが人生を豊かにするはずだから。
![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/37027411/rectangle_large_type_2_958fa03bc838265f382f24e8a340cb97.jpg?fit=bounds&quality=60&width=1280)
近藤等則さんのご冥福をお祈りします
エレクトリックトランペットの近藤等則が急死した。私が生涯見たライブで音楽人生が変わった10本を上げるとしたら、その上位に法政大学祭の徹夜ライブでみた近藤等則のチベタンブルーエアリキッドバンドが入る。
あれは凄かった。その後でた暗黒大陸ジャガタラがMCで「あんなステージみたらやってらんない」的な事を言いつつ猛烈な演奏を繰り広げたのを覚えている。
その後IMAになってからも何度も観に行った。大泉学園の東映のスタジオでも見たし、立川昭和記念公園での屋外ライブもすごかった。RECKのパンキッシュなベースとあくまで重い山木秀夫のドラムが素晴らしかった。オノセイゲンがライブPAをやっていたはず。オノさんとはその後仕事することになるんだが、なぜかその時は初見だったのに話しかけてくれた。
また近藤等則が白髪鬼になった近年も町田のライブハウスまで黒田征太郎のライブペインティングとの即興演奏を観に行って、終わりのトークショーでは質問もさせてもらったのだった。たしか渋谷でズンジャカのライブをやった後だったはずだ。エレクトリックトランペットをやってみたいと思った(数回やった)のも近藤等則のおかげだ。
YouTubeのインタビューでも元気そうだった。原因は報道されていないが急死であることはまちがいないだろう。ご冥福をお祈りします。
![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36877097/rectangle_large_type_2_9c9a236da9704b3b778fdc0284423b82.jpg?fit=bounds&quality=60&width=1280)
1日を3時間で暮らすいい男
珍しくHackの話題。そして出典は「一年を十日で暮らすいい男」だ。
メルマガか本だったか忘れたが、勝間さんが「一日の仕事は3時間にしている」というのをきいて、私も実践しようと思っている。とはいえ私の仕事の単価はそんなに高くない。
そこで私が考えているのは「仕事に集中する時間を3時間とる」ということだ。できればひとつながりの3時間、途中どこかに移動もせずメールもネットもみない。電話も出ない(最近は電話は少ないが)。ここをコアタイムとして一番負荷の高い仕事を済ませるようにしようと試みている。
さすがに長年仕事をしてきて年も取ってくると、適当な集中力でもこなせるタスクも増えているので、そちらは緩いテンションでやる。それでいいとして、一番集中を要求されるものは、コアの3時間でやるように行う。この区分けをすることで少し仕事のはかどりや精神衛生上、少しいい感じだ。
最近自分が液状化してきたと感じることがある
最近自分が液状化してきたと感じることがある。
一つのきっかけは
・(ピー!ここは自主規制)
・そして自分の人生がそれほど先は長くないだろう、と思うようになったこと。年齢がそろそろ還暦が見えてきた程度だが、いままで健康に留意した生き方はしてこなかった。
特にステイホーム以降、体重がまた増えた。不健康な状況にある。
人間が生きると言うことはどういうことなのか。
それを時々考える。
哲学的な話をのぞけば、端的には生命とは化学反応だ。
それはウィルスが再確認させてくれた。
たまたま脳という器官を持ちそれが化学反応の妙で
自意識というものを持ち、
自己の生命を生きながえさせたいと思うように
なっているだけなのではないか。
無数にある細胞は、そんな意識とは別に
自他を免疫機構によって峻別している。
新型コロナウイルス(COVID-19)がそのことを改めて認識させてくれた。
人生、文化、家族、暮らし、愛。
それらはすべて素敵だし素晴らしいものだが、
細胞の化学反応によってもたらされている奇跡でもあって、
そこには善悪も意志もなく、単に宇宙規模のなんらかの物質の変容、そのプロセスがあるだけではないか。
そんなことを考えているうちに、
どんどん自分が液状化していく。
ただし、音楽だけは素晴らしい。
演奏をしたいし、演奏を聴きたいし、それによって魂が動かされることを
たまらなく幸福に感じる。
2020/08/26 14:27