ああ、先週は仕事が厳しかった。4徹だよ。4日徹夜。
こういうことは避けないといけないな。
ということで先週はなかなか、ブログもなかなか書けなかった。
先日妻に言われて自分で気づいたんだが。
俺が本を読み始めたり、ワークライフバランスとか言い出したのは弟が30歳代で脳腫瘍で亡くなってからだ。
スーパーの仕事をしていて(ああいうところは社員が非常に少なくアルバイト中心なので社員の負荷が高い、しかも営業時間がどんどん延びている)非常に多忙だった弟が闘病中に「兄貴、ああ、俺の人生なんだったんだろう」といったのが忘れなられない。
たしかに一見仕事には充実感があるし、ともに働く人間、クライアント(依頼主、あるいはお客様)が喜ぶかのが見られたりするのでうれしかったりもする。
しかし、仕事は人生の一部でしかないし、人生を経済的にも質的にも豊かにするためにあるものであって、仕事のために生きたり死んだりするのは本来本末転倒なのだ。
仕事上の目前の過酷な目的を次々ハードルのように超えていくのは(成功し続ければ)爽快感はあるが、そのハードルがおかれているトラックそのものが、どこに向かっているのか、自分が考えたゴールに向かっているのか、すくなくともこのゴールが自分の意識にあるかどうかを考える必要がある。
特に会社勤めをしている間は、会社のミッションが自分のミッションと置き換わりやすいし、ミッションがあると不安にならずにすむ、アイデンティティを持っていられる。だから安心してしまうが、それが借り物でないか、自分で考えて自分でなっとくしたものかをよく自問しないと、自分が考えたものでない人生を歩み、定年を迎えてしまう。
会社は辞めてみればわかるが、会社に過ぎない。自分の一部ではないし、一部であってはいけない。自分が労働契約を結んでいるクライアントと考えるべきである。故に会社のために死ぬとか、罪を犯すとか、全く無意味だ。
こういうことは避けないといけないな。
ということで先週はなかなか、ブログもなかなか書けなかった。
先日妻に言われて自分で気づいたんだが。
俺が本を読み始めたり、ワークライフバランスとか言い出したのは弟が30歳代で脳腫瘍で亡くなってからだ。
スーパーの仕事をしていて(ああいうところは社員が非常に少なくアルバイト中心なので社員の負荷が高い、しかも営業時間がどんどん延びている)非常に多忙だった弟が闘病中に「兄貴、ああ、俺の人生なんだったんだろう」といったのが忘れなられない。
たしかに一見仕事には充実感があるし、ともに働く人間、クライアント(依頼主、あるいはお客様)が喜ぶかのが見られたりするのでうれしかったりもする。
しかし、仕事は人生の一部でしかないし、人生を経済的にも質的にも豊かにするためにあるものであって、仕事のために生きたり死んだりするのは本来本末転倒なのだ。
仕事上の目前の過酷な目的を次々ハードルのように超えていくのは(成功し続ければ)爽快感はあるが、そのハードルがおかれているトラックそのものが、どこに向かっているのか、自分が考えたゴールに向かっているのか、すくなくともこのゴールが自分の意識にあるかどうかを考える必要がある。
特に会社勤めをしている間は、会社のミッションが自分のミッションと置き換わりやすいし、ミッションがあると不安にならずにすむ、アイデンティティを持っていられる。だから安心してしまうが、それが借り物でないか、自分で考えて自分でなっとくしたものかをよく自問しないと、自分が考えたものでない人生を歩み、定年を迎えてしまう。
会社は辞めてみればわかるが、会社に過ぎない。自分の一部ではないし、一部であってはいけない。自分が労働契約を結んでいるクライアントと考えるべきである。故に会社のために死ぬとか、罪を犯すとか、全く無意味だ。